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理想のヒモ生活  作者: 渡辺 恒彦
三年目
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第三章2【足踏みの時間】

 更に一ヶ月の時が流れる。カープァ王国は雨期を迎えた。平均すれば三日に一日、年によっては二日に一日は雨が降る季節。それも、日本の梅雨のような細い雨がシトシトと降るのではない。

 暴風こそ伴わないが、その雨量はむしろ台風を彷彿させる。


 過酷ではあるが、この地に生きる人間達にとってそれは毎年訪れる日常に過ぎないため、カープァ王国では人も家も、基本的には、雨期の豪雨に適応している。


 特に王都の道路は、水はけを優先した作りになっており、文明レベルからすれば突出していると言えるくらいに立派な下水道が通っている。


 街のあちこちに設けられている井戸も、屋根と言うよりもはや井戸小屋と呼べるくらいにしっかりと周囲が囲われており、雨水が井戸に入らないように配慮されている。


 もっともそれだけの対策をしても、肝心要の地下水脈そのものに雨水が染みこんだり、水量が増えたことで底の泥が攪拌されたりするので、残念ながら雨期の井戸水は濁りやすい。


 そのため、雨期には水の濁っていない日に、大樽に多めの水を蓄えておくことが、常識となっている。それでも備蓄の水が尽きたときは、濁っている井戸水を汲んできて、汚れが沈殿するまで放置しておき、上澄みを湧かして使うのだが、そこまでしても僅かに土の臭いや味が混ざるのは抑えられない。


 貴族や豪商、もしくは高級料亭などでは、雨期対策として、『真水化』の魔法で土の風味を消したり、『水作製』の魔法で水を創造できる人間を抱えていると言われている。


『真水化』や『水作製』が使える人間の中には、雨期だけ働いて残りの季節は遊んで暮らす人間が存在する、と実しやかに噂されるほどだ。


 魔法の発動に必要なのは『正確な発音』『正確な効果認識』そして『正確な魔力量』だ。


 そのため、魔法を使おうと思えば、魔力出力調整が必須なのだが、世の中には、その生来体から垂れ流している魔力量が丁度、ある種の魔法の『正確な魔力量』と一致する人間も存在する。


 そういう人間は、その一種類の魔法に関してだけは、『正確な発音』と『正確な効果認識』だけで、魔法を発動できる。『真水化』『水作成』『土操作』など、使い勝手の良い魔法と魔力量の一致する人間は、その魔法だけを習得することも多い。


 今日もそんな激しい雨が降り注ぐ中、王宮の一室で善治郎とルシンダ・ガジールは、泥の香りなど毛ほども感じさせない、上質な水で入れられたお茶でのどを潤していた。


「それでは、ガジール辺境伯家の王都滞在は問題ないということですね?」


 念を押すルシンダに、善治郎は笑顔で答える。


「ああ、アウラ陛下より正式な許可をいただいてきた。これがその書面になる。目を通してくれ」


 そう言って善治郎が合図を出すと、後ろに控えていた侍女イネスが、用意していた書状をルシンダに手渡した。


「拝見いたします……問題ございません。ありがとうございました」


 素早く目を通し、書類に不備がないことを確認したルシンダは、ほっと口元を緩めると、丁寧に礼の言葉を述べた。


 プジョル将軍とニルダ・ガジールの結婚式を王都で執り行う関係上、どうしてもガジール辺境伯家は、その中枢人員の大半を長期間王都に滞在させる必要が生じる。辺境の守りを薄くしてしまうという意味でも、中央でなにか企みごとを図るのではないかという意味でも、安易にやらせるべきことではない。


 そのため、一定以上の大貴族の場合、一族を上げて王都に上がってくるときには、こうして事前に王の許可を取ることが、慣習となっていた。


 今回は、王が許した結婚式のためなのだから、許可は当然下りる。


「ガジール辺境伯家の呼ぶ客だけでもかなりの人数になるが、宿泊施設は問題ないか?」


 王配と大貴族の娘の会話とは思えない世帯じみた世知辛さだが、結婚式を取り仕切る裏方と思えば仕方がないともいえる。大量の人が動く結婚式というのは、優雅にふるまうだけでは運営されないのだ。


「お気遣いありがとうございます、ゼンジロウ様。ですが、大丈夫です。ガジール辺境伯家が正式に招待する客は、その大半が貴族ですから」


 貴族は、王都の貴族街に邸宅を構えている。そのため、一部を除けばガジール辺境伯家が宿を手配する必要はないのだ。


 一部とは、招く以上王都にいる間は、ガジール辺境伯家が責任をもって持て成さなければ賓客や、色々人間関係がこじれていて、自家の王都屋敷に顔を出せない人間などである。


 その程度ならば、ガジール辺境伯家の王都屋敷で十分に対応が可能だ。


「ギジェン家は元々王都の貴族だから、もっと問題ないだろう。となると、やはり問題は便乗で集まってくる一般市民か」


「数が読めないのが厄介ですね。厚かましいお願いですが、当日とその前後は、警備の数を増やしていただけると助かります。言いにくいことですが、貧困層の流入は治安を乱す一因となりやすいので」


「かといって、めでたい席で『ふるまい』を制限せよとも言えない。悩ましい問題だな」


「同意します」


 善治郎の言葉に、ルシンダは苦笑を浮かべて小さく首肯した。


『ふるまい』とは、結婚式のようなめでたいことがあったときに、無料でふるまう食事のことだ。


 一般庶民の結婚式なら式場の中だけの話だし、平民の富裕層なら隣近所で済む話だが、これが大貴族の場合には全く話が変わる。


 家の権威を示すため、家の名前を売るため、何より貴族の結婚はめでたいことなのだ、と人々の心と胃袋に刻み込むため、大貴族の結婚式では威信をかけて盛大にふるまう必要がある。


 女王アウラと善治郎の結婚式など、事実上三日三晩王都全体が、食べ放題飲み放題だった、と善治郎は後から教えられた。


 プジョル将軍とニルダ・ガジールの結婚式は、経済的にも立場的にもそこまでいかせるわけにはいかないが、それでも大貴族同士、それも片方は先の大戦の英雄なのだ。生半可なもので収めるわけにはいかない。


 その豪勢な『ふるまい』を目当てに、食いつめ者が集まる。日頃は、路地裏で静かにしている孤児などもこの日ばかりは、空腹を満たすため、表通りに姿を見せる。カープァ王国の慣例上、めでたい席での『ふるまい』では、そんな食い詰め者や孤児でも、等しくお客様だ。ぞんざいには扱えない。


 しかし、食い詰め者や孤児が行儀良く列に並んでくれるはずもない。結果として、めでたい日に見苦しい暴動や喧嘩が起こりすぎないよう(起こらないようにすることは不可能に近い)、警備の人間が頑張らなければならないのである。


「ほかには、問題はなにか? 例えばだが、プリモ卿はその、おとなしくているだろうか?」


 その言い方だけで、善治郎がプリモ・ギジェンを警戒していることが一発でわかる。


 プリモ・ギジェンはこの結婚式における、ギジェン家側の責任者だ。


 そのため、本来ならばルシンダ・ガジールとプリモ・ギジェンが対等な立場で意見を出し合って、王族という立場から善治郎がたまに調整役を務める、という形になるはずなのだが、現実としてはことあるごとに暴走しがちなプリモ・ギジェンを、ルシンダ・ガジールと善治郎がタッグを組んで諫めるのが定番となっていた。


 そのため善治郎の言葉に、ルシンダは困ったように笑いながらも、すっかりいつものことのように落ち着いた口調で、


「大枠ではおとなしくしてくださっています。ただ、式で使う飾り皿を高名な職人であるアントニオ老に依頼されまして……」


 そう、進捗を告げる。

 プリモ・ギジェンと高名な職人、もしくは芸術家。プリモ・ギジェンと知り合ってからもう何度聞かされ

たか覚えていない、不吉な組み合わせに善治郎は諦観のため息を漏らす。


「それで、どのような問題が? 予算? 素材?」


「いえ、それに関してはどちらも大きな問題はございません。アントニオ老は、家督を子に譲ってから木工細工を始めた元騎士の方ですので、本職というより趣味や老後の生きがいとしてやっておられる方なのです。そのため、御高名な割にはさほど高額の報酬は要求されません。その代わり、お金で依頼を受けてくれることもないので、数が出回らず、その分評価額が高騰してるのだそうです。彼の場合問題は、納期です」


「納期」


「はい」


 聞けばその老人、依頼を受けた時には自分で森に入って木を探すところから始めるのだそうだ。老人曰く、「木の声を聞く」のだそうで、「皿に成りたがっている木」が見つかるまで、自分の足で森の中を徘徊するらしい。


 そのため、運が良ければ数日で納品されることもある一方、「皿に成りたがっている木」が見つかなければ三年でも五年でも粘り強く森の中を徘徊し続けるらしい。


 プジョル将軍とニルダ・ガジールの結婚式は来年の活動期。まさか飾り皿のために三年も五年も延期はできない。


「間に合わない前提で、代用品を取り寄せておく必要がありそうだな」


「すでに手配してあります」


「さすがだ」


「恐縮です」


 慣れたくはないが、プリモ・ギジェンのしりぬぐいにはすっかり慣れた感のある二人である。

 目と合わせて笑いあう。そこで善治郎は初めて気が付いた。


 ルシンダ・ガジールの化粧がいつもより少し濃い。特に目元、目の下あたりだ。これはひょっとして、善治郎はあえて指摘する。


「ルシンダ。不躾なことを聞くようだが、あまり眠れていないのではないか?」


 目の下の濃い化粧から、そう推測した善治郎に、ルシンダは驚いたように目を見開いたあと、白状する。


「これは、お見苦しいところをお見せしました」


「仕事を詰め込みすぎてるのではないか? 差し出がましいことを言わせてもらうが、それは良くない兆候だと思うぞ」


 慎重に言葉を選びながら、だが本心からこちらを心配している善治郎のように、ルシンダは嬉しそうに微笑む。


「ありがとうございます。ですが、大丈夫です。時間は十分とれているのですよ。ただ、王都では少し睡眠

が浅くなってしまうのです」


 環境が変わると、睡眠の質が落ちるタイプなのだろうか?

 善治郎は、少しでも力になれたらと思い、問いを重ねる。


「気候はガジール辺境伯領とさほど変わらないはずだな? となると寝具が変わった影響か、生活習慣の変化か。ルシンダ自身はなにか心当たりはあるか?」


 寝具だの生活習慣だの、親しくない男が女に聞くには随分と突っ込んだことを聞く。それだけ善治郎は、無意識のうちに気やすくなっているのだろう。


 善治郎に他意がないことを理解しているルシンダは、柔らかな笑みを崩さず、素直に答える。


「そうですね。正直、忙しいことに関しては、領都にいた頃とあまり変わりません。ただ、忙しさの質が変わりましたね。領都ではなんだかんだ言って、体を動かす忙しさが多かったのですが、こちらでは時間は拘束されますけれど、やっていることは対話、対談ばかりですから」


 辺境伯領では、事実上の領主に近い役割を果たしていたルシンダである。もちろん、女の身で槍や鍬をふるっていたわけではないが、村同士の仲裁に赴くため走竜にのってあちこちを移動したり、体を使う仕事も多かったという。


 一方、王都に来てからは、仕事はもっぱら社交と交渉、そして書類仕事だけ。疲労の質が違っているのかもしれない。


「それならば大変だろうが、あえて少し体を動かすべきかもしれないな。就寝時間に近い時間の運動は体が火照って逆効果になりやすいから、入浴前に庭、はこの雨では無理か。屋敷の中を何周か歩いてみると良いかもしれない」


 それは善治郎の経験則から出たアドバイスだ。社会人時代、外回りなしの社内業務だけの残業が続くと、体調不良を起こしやすかった。その解決方法をネットで検索したところ、結論は「無理にでも運動しろ」ということだったので、そういうときは帰宅時の停車駅をあえて一つか二つ前にして、家まで走っていた。


 本来電車で移動する距離を走るのだから、ただでさえ遅い帰宅時間がさらに削られるし、革靴のほかにジョギングシューズを持って歩くのも面倒だったが、実際善治郎の体感的にはそうしたほうが体調は良かった。


「貴重な助言ありがとうございます。早速試してみます」


「個人差のある話だ。かえって眠りを阻害する可能性もある。その時は、速やかに止めてくれ」


「承知しております」


 善治郎とルシンダは、当人同士は今一自覚がないまま、いつの間にか随分と胸襟を開いた会話を交わすようになっていた。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 その日の夜。善治郎とアウラはいつも通り、後宮のリビングルームで本日の進捗について情報のすり合わせを行っていた。


「というわけで、結婚式の準備は順調に進んでいるよ。油断は禁物だけど、プリモ・ギジェンの手綱の取り方も結構わかってきた。なにより、ルシンダさんがすごい頼りになるから、大丈夫だと思う」


 善治郎の報告に、女王アウラは笑顔で答える。


「うむ、それは何よりだな。こちらからの報告はまず『職人の箱庭』で『ポンプ』の試作第一号が完成した。いや、完成したとはお世辞にも言えぬか」


「ということは失敗?」


「ああ。まったく稼働しなかったのだから、成功か失敗かと言えば失敗というしかないな」


 もっともそれは、「とりあえず、一度形通りに作ってみよう」という発想から作られた品のため、最初から失敗と呼ぶのも語弊がある。


 どうやら、善治郎が苦心をして書いた図面だけでは、職人たちに構造を完全に理解させることは出来なかったようだ。一応、ポンプ式のシャンプーボトルも参考資料として職人たちに預けているので、ポンプの動作原理そのものは理解しているはずなのだが、やはりそう簡単にうまくいくものではないらしい。


「最近は私が魔法を使う機会もあまりないからな。場合によっては、職人たちにシャンプーのポンプを分解させてやろうかと思うのだが、良いか?」


 わざわざ、アウラの魔法の都合と合わせるのは、通常の手段では再組立てが不可能な形に分解するということなのだろう。


 その後、アウラが『時間素行』の魔法で修理するというのだ。


「持ってきたシャンプーは使い果たしたし、こっちで作った香油入り液状石鹸は蓋つきの小樽で保管してるから、無理して直す必要はないよ?」


 利用価値という意味では、すでにそこまで惜しいものではない。そういう善治郎に、女王は首を横に振ると、


「いいや、直す。見本が壊れたままではまずいからな」


 そうはっきりという。


『時間素行』の魔法は、カープァ王家の秘匿魔法のはずなのだが、女王アウラはポンプ式シャンプーボトルに、その魔法を乱発するだけの価値を認めているらしい。


 その辺りについては、価値基準の理解が及んでいない自覚がある善治郎は、アウラに丸投げする。


「ん、分かった、そっちはアウラに任せる。正直、ポンプに関してはそれはこれ以上俺ができることはないから。……まあポンプに限らないけど」


 もともと善治郎にできるのは、「俺のいた世界にはこういう物があったよ。こういう技術があったよ」という提案だけである。それをこの国にとって有益なものであるという判断を下すのは女王アウラの職務だし、それを実際に実現するのは職人たちに頼るしかない。


 善治郎の言葉に、女王は小さく頷く。


「うむ、任せよ。では次だが、我が乳母夫殿から返事が来た。これだ」


 そう言って女王アウラは一枚の竜皮紙を善治郎の前へと差し出す。


「ええと、公式文書だよね? 俺でも読める?」


「大丈夫だ。今の其方ならばな」


 太鼓判を押すアウラだが、当然善治郎は半信半疑だ。この世界に転移してきてから、時間を見つけては真面目にこの世界の文字の習得に精を出している善治郎だが、それでも善治郎の語学力は平均的な日本の高校生の英語力と大差ないだろう。


 だが、羊皮紙に目を落とした善治郎は、アウラの言っていることは偽りない真実であることをすぐに思い知った。


「本当だ、これなら読める」


 そこに書かれていたのは、非常にシンプルで、どこまでも文章の基礎から外れていない、修飾語を一切省いた文章だった。


 良くも悪くも、お手本のような公式文章と言えば良いだろうか。普通、貴族が王族に送る手紙というのは、もう少しスケベ根性と言えば言い方が悪いが、そういう自己PRのための文が加わるものなのが、これはそういう部分が一切ない。


 女王からの手紙が無事届いたこと。ガジール辺境伯家の次期当主であるチャビエル・ガジールの妻として、ララ侯爵家の三女アイダ、四女ロリタを候補として挙げられたことを光栄に思うこと。


 その使いとして、王配善治郎がララ侯爵領を訪れることを、いつでも歓迎する準備があること。


 そんな内容が、いっそこれなら箇条書きで良いのでは? と思うくらいに簡潔に淡々と記されている。


 しかもその書かれている文字がまた読みやすい。上手いか下手かと言えば当然上手いと言えるのだが、達筆と呼ぶには少し語弊がある。何の特徴もなく、個性もなく、ただひたすらお手本をそのまま写し取ったような事態だ。


 書き方も、右上がりになったり文字全体が右や左に寄ったりするような特徴もない。文字によって大きさや形が異なるようなこともない。


「……この書状、印刷されたものじゃないよね?」


 不気味なものを見るように、善治郎がそんな言葉を発したのも無理はない。それくらいに、その文字は整いすぎていた。はっきり言えば、人間味が感じられない。


「まあ、おぬしの言いたいこともわかるが、間違いなくこれは乳母夫殿の直筆だ」


「ララ侯爵って人間?」


「…………」


 冗談のつもりの問いに、沈黙が返ってきた善治郎は一気に不安になる。


「本当に人間だよね?」


「ああ、出生は間違いなく人間だ。ただなあ。どんな時でも同じ御幅で歩いて、同じ角度で頭を下げて、立ち姿勢、座り姿、騎乗姿が常に同じ姿になっているという存在を生き物と呼ぶことに、私は少し抵抗を覚える」


 乳母夫であるララ侯爵。乳母であるララ侯爵夫人。女王アウラにとっては育ての親である二人だが、思い返せば、幼少時アウラは彼らに理不尽な理由で怒られた記憶がないという。


「何というのかな? 感情はあるのだろうし、愛情も確かに感じられるのだが、それを理由に判断基準を揺らがせることがない、というか。まあ、頼りがいのある存在であることは確かだ」


 実態を知れば知るほど、会うのが少し怖くなる善治郎である。


「そういえば、『瞬間移動』の習得状況はどうなっている? こうして、乳母夫殿から了承の書状が届いた以上、後は其方が『瞬間移動』を覚えてくれれば、実行に移せるのだが」


 アウラの言葉に、善治郎は少し得意げに答える。


「とりあえず、呪文そのものは九割以上の確率で発音できるようになったよ。魔力出力調整も出来ている、と思うんだけどこっちは自分では確かめようがないからね。呪文の発動成功は今のところ一度もなし。イメージを助けるために、転移先を映したデジカメ画像を見ながらやってるんだけど、何が悪いのかな?」


 善治郎が現在、『瞬間移動』の転移先として目指しているのは、カープァ王宮の地下室である。善治郎にとっては懐かしい、女王アウラに『異世界召喚』で招かれた、あの最初の部屋だ。


 もともとあの部屋は、『瞬間移動』の転移先として、特別に設けられた空間である。窓がない地下室。そこで常に同じように焚かれている油皿。


 そうすることで、一日中そして一年中、常に同じ外見になるように整えられた部屋。


 変わらないということは、イメージを固めやすいということだ。


 だから、カープァ王家の人間は『瞬間移動』を会得する際、最初の転移場所としてその部屋を使う。

 善治郎の場合、部屋をデジタルカメラで撮影して、その画像を見ながら練習を積んでいるので、イメージを固めるという点に関しては、他の人間よりも恵まれている。


「ふむ。こればかりは本人以外には分からぬこと故、断言はできぬが、恐らくは呪文や魔力出力調整の未熟さが原因であろうな」


 分からないと言いながら、かなりはっきりと断言する女王アウラに、善治郎は少し不本意そうな表情で反論する。


「呪文も、魔力出力調整もちゃんとできているつもりだけど?」


「ちゃんとできていることと、未熟であることはこの場合両立するのだ。魔法の場合はな」


 呪文をしっかり唱えられても、魔力出力を魔法に適した量に調整できても、そちらに意識が割かれてしまえば、魔法の効果イメージに支障をきたす。魔法を発動させるためには、魔法語による呪文詠唱と魔力出力調整は、無意識レベルでできるようになっていることが望ましい。


 そう言う妻の言葉に、善治郎は思わず天井を仰ぎ見た。


「厳しいなあ」


「なに、そこまでいけば後はもうすぐだ。期待しているぞ」


「うん、頑張るよ」


『瞬間移動』を会得したあかつきには、善治郎の行動範囲は爆発的に広がる。まずは予定通りララ侯爵領に、チャビエル・ガジールの嫁候補であるララ侯爵家の三女と四女を迎えに行くこととなる。


 当然、そこではアウラの乳母夫婦である、ララ侯爵、ララ侯爵夫人と相対することとなるだろう。


 妻の育ての親に会いに行く。そう考えると、少々の楽しみと、多量の不安を覚えずにはいられない善治郎であった。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 雨季の雨水は井戸水を濁らす邪魔な存在と描かれてますが、雨水自体が飲み水に使えるのではないでしょうか? ちょっと気になりました。
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