第三章1【面倒な食事会】
時は流れる。プジョル将軍とニルダ・ガジールの婚約が正式に決定してから早一ヶ月。活動期後期も残すところ一月を切り、空模様に雨期の気配を感じるようになってきた、ある日の事。
女王アウラはいつも通り、王宮の執務室で部下からの報告書に目を通し、深い溜息を吐いていた。
「チッ、ままならんな。予想通りの報告でも、悪い報告はやはり良い気分がせん」
木と蔦で出来た椅子に座り、手に持つ報告書に目を通す女王の愚痴に、後ろに立つ細面の秘書官が口を挟む。
「それは、先ほど届いた、『ポトシ銀山』の報告書ですか?」
「ああ。とりあえず今期採掘量の見積もりが出た。悪い意味での予想通りの採掘量だ」
秘書官の言葉に、女王は小さく頷き返すと、その内心の苛立ちを示すように、少し乱暴な手つきで竜皮紙を机の上に放り投げた。
「失礼します。……ああ、やはり駄目でしたか。あのあたりの鉱脈の採掘が再開できるようになれば、採掘量は劇的に改善できるのですが、上手くいかないものですな」
「まったくだな。我が国は水に恵まれている反面、水に祟られてもいる」
女王アウラはそう言って、もう一度深い溜息を吐いた。
南大陸中西部に位置する大国カープァ王国。そこは、長い雨期がもたらす豊富な水を、発達した森林と豊かな土壌がしっかり大地に蓄えてくれるため、水資源には極めて恵まれた国である。
だが、過ぎたるは及ばざるがごとしという言葉が、そのまま当てはまるのも、また水という資源の特徴だ。水に不自由しない水量に恵まれるカープァ王国は、水害に悩まされるお国柄であることも、また事実なのであった。
カープァ王国では、新たな村を切り開くとき、立地条件の中で『水源の確保』という項目が半ば無視されると言われている。
完全な無視というのは、流石に言い過ぎだが、例えば砂漠の国――シャロワ・ジルベール双王国などと比べてみれば、『無視』していると言われても反論が難しいくらいに優先順位が低い。
それは、水脈を見抜く専門家などいなくても、適当にそこら辺の地面を根気よく掘り抜けば、大体どこでも飲料可能な井戸を掘り当てることができるという、身も蓋も無い理由による。
双王国の砂漠で生きる放浪民が聞けば、怒りと妬みが血涙となって両目から流れ出てきそうな事実だが、「どこを掘っても高確率で水が出てくる」という特徴は、こと鉱山の場合、間違ってもプラスには働かない。
鉱山とは土を掘り、そこから鉱石を取り出すことを目的としているのだ。鉱山にとって水を掘り当てるというのは、ただの災害にすぎない。
ファビオ秘書官は素早く竜皮紙の内容を把握すると、変わらぬ無表情のまま告げる。
「水を掘り当ててしまった鉱穴はいずれも復興の目処が立たず、ですか。今年は『水操作』の使える作業員を増員したと記憶しているのですが」
ファビオの言葉通り、その報告書に書かれている内容は、カープァ王国が誇る最大の銀山、『ポトシ銀山』の芳しくない報告であった。
『ポトシ銀山』には、途中で採掘を止めた鉱穴がいくつも存在しているのだが、呆れた事にその全ての穴が銀脈が尽きたわけではない。例外なく対処不能な量の地下水を掘り当ててしまったせいで、やむなく採掘を諦めただけなのである。
当たり前と言えば当たり前の話だが、そこにどれほどの鉱物資源が眠っていても、掘り出す手段がなければ存在しないのと違いはない。
このように『ポトシ銀山』では、銀を掘り進めるに従い水が湧き出て、銀鉱脈は全く枯れていないのに、仕方が無いからその穴は諦めて、また別な場所から掘り進める、という行程を何度も繰り返していた。
そこに銀があるのにそれ以上掘れないというのは、銀山の所有者としては凄くもどかしいものだ。女王アウラは、『水操作』の魔法の使い手を増員したりして、それなりに手を打っていたのだが、今のところ焼け石に水、これといった効果は上がっていなかった。
そして、もうすぐこの地は、本格的な『雨期』に突入する。『雨期』にあえて水害に挑むというのは、古竜の巣に裸で挑むようなものだ。『雨期』が過ぎ、『酷暑期』をやり過ごし、次の『活動期』まで次の手は打てない。
女王は、落ち込む気持ちを吐き出すように、一度大きく深呼吸をしてから、己の右腕と頼む秘書官に言う。
「折角の大銀山も、これでは美味いところを半分以上腐らせているようなものだ。何とかしてわき水で放棄している穴を利用可能にするべきだ」
「その意見には賛成ですが、どのような手を打ちますか? 『水操作』や『土操作』の使える人材は、流石にこれ以上鉱山に送り込むのは難しいはずですが」
先を促すようにそう聞いてくる秘書官に、女王は蕩々と自分の考えを口にする。
「一つは、フランチェスコ殿下とボナ殿下のお力を借りることだな。『水操作』『土操作』の魔道具があれば、状況は劇的に改善するだろう」
それは、極めて正統派の解決手段であった。魔法の使い手が足りないのであれば、その魔法と同じ効果を持つ魔道具を用意すれば良い。
通常ならば、双王国以外の国で魔道具を求めるというのは簡単なことではないのだが、幸い今のカープァ王国にはフランチェスコ王子とボナ王女という二人の付与魔法の使い手がいる。
適当な報酬と、媒体となるビー玉を渡せば、恐らくは問題なく魔道具を作って貰えるはずだ。
問題は、『水操作』程度の魔道具でも決して馬鹿にならない金を取られると言うことと、媒体となるビー玉には数の限りがあると言うことである。
現状、『職人の箱庭』では、ガラスの製造技術の確立に力を入れているが、ビー玉を量産できるところまでは進んでいない。
「確かに初期投資がかかりすぎますし、双王国への借りが増えるのは事実でしょうが、ポトシ銀山の採掘状況が改善すれば、その初期投資はそう時間を掛けずに回収できましょう。
して、アウラ陛下。わざわざ『一つは』と断る以上、最低でももう一つは腹案がおありと見受けられますが?」
そう促す細面の秘書官に、女王は口元に小さな笑いを浮かべながら首肯する。
「うむ。実は婿殿の知識に『ポンプ』というものがあってな。再現が可能であれば、魔法の力を借りずに、今より効率的に排水が出来るようになるかもしれん」
「ほう……」
女王の言葉に、腹心の秘書官は、ピンと片眉を跳ね上げ、日頃の無表情を僅かに崩す。
アウラが『ポンプ』の存在を知ったのは、実は善治郎がこの世界に来たかなり初期のことである。
最初に見たのは、ゼンジロウが持ち込んだシャンプーの入れ物だ。上を押すだけで中の液体が口から排出されるというその道具に、興味を覚えたアウラであったが、その時点ではシャンプーボトルが小型であったこともあり、それをなにかに応用しようとは思わなかった。
アウラが本格的に『ポンプ』に注目したのは、例によって善治郎が録りためていたとあるテレビ番組を見たときだった。
その番組で、井戸にそれまで使っていたつるべの代わりに手押しポンプを設置する回を見て、その有効性に注目したのである。
手押しポンプの原理は、意外と単純だ。ハンドルを上下させるのと連動して、中のピストンが上下する。ピストンが上がるときにはピストン上部の弁が綴じ、ポンプ下部に固定されている弁が開く。逆に、ピストンが下がるときにはピストン上部の弁が開き、ポンプ下部に固定されている弁が閉じる。
そうして、ポンプ内のピストンが上下運動を繰り返すことで、下の水を上へと汲み上げていくのである。
なぜそうなるのかを正確に説明しようとすると、真空がどうとか、水圧がどうとか多少は難しい話になるが、極端な話、全ての材質が透明なポンプを目の前で作動させてやれば、特別学のない人間でも、「ああなるほど。こうやって水をくみ上げるのか」と感覚的に理解できるくらい、ポンプの仕組みは簡単だ。
実際、その番組の映像と、善治郎の拙い図解入りの説明だけで、女王アウラはその仕組みをおおよそ理解することが出来た。
女王は、秘書官に告げる。
「仕組みは簡単なのだが、問題は部品の精度と強度だ。我が国の職人達で、実用に耐えうる物が作成出来るかどうか。また、作成出来たとして、それが魔道具や魔法の使い手の追加よりもコストとして勝っているか、そのあたりはよく考える必要がある」
アウラが見たところ、ポンプは主に鉄で造られるようだった。残念ながら、カープァ王国の製鉄技術はあまり高くはない。
どうしても職人の腕や経験に頼った部分が多い世界のため、均一の製品を複数生産することを得意としていないのだ。
武器や防具に関して、竜種の牙、骨、皮など、総合的に見れば金属製に勝る素材が競合していることも、鍛冶のレベルが上がらないことに影響しているかも知れない。
王宮の中庭――通称『職人の箱庭』にいる鍛冶師達は、カープァ王国の中では上位の鍛冶師達であり、契約により王の命令通りの仕事をこなしてくれる。現状、緊急で絶対やって貰わなければならない仕事もないので、正式に『手押しポンプ』の作成を依頼しても良いだろう。
決断した女王は、一つ息を吐くと宣言する。
「現状『箱庭』の鍛冶師達にやらせているのは、武器防具、王宮建材鉄製品の、修復及び消耗品の生産だけだな? 少々高く付くが、来年度の消耗品は王都の鍛冶ギルドから買い取ろう。その空いた時間で、『箱庭』の職人達には、『手押しポンプ』の試作に取りかかって貰おう」
「ガラス製造をやらせている職人達の手は借りなくてよろしいですか? 彼らも元は鍛冶師上がりですので、そちらに回せば戦力になるかと思われますが?」
そう確認を取る秘書官に、女王はすぐさま首を横に振る。
「駄目だ。『手押しポンプ』と『ビー玉』なら、後者の方が圧倒的に重要度が高い」
「承知致しました。そういえば、ガラスの進捗は如何ですか? あれからなにか進展はございましたか?」
ふと思い出したように尋ねる秘書官に、女王は小さく溜息を吐き、一つ首肯する。
「劇的な進展はない。ただ、ボナ殿下より頂いた『耐熱強化』の魔道具のお陰で、試作のペースは遥かに上がっているし、炉の温度も前より随分上げられるようになったので、結構な速度で改善が進んでいるようだ。職人達の意見としては主材料となる砂を変えることで、劇的な進展が期待出来るのではないか、ということだ」
職人達の報告では、同じ手順で造ったガラスでも、どこの砂を使っているかでかなり出来に違いが生じているのだという。
ならば、この世のどこかに、もっともっとガラスの原材料に適した砂が存在してるのではないか? と考えるのは、極一般的な思考パターンだろう。
女王の言葉に秘書官は、顎に手をやり、考える。
「ふむ。幸い我がカープァ王国は広うございます。砂の採集地ならばいくらでも候補地はございますが、優先順位は決めておいた方がよろしいでしょうな。陛下、『運搬の容易さ』と『権益の保守』ならば、どちらを優先しますか?」
ファビオ秘書官の言っていることは簡単だ。砂を集める候補地として、王都に近い王領以外の領地と、飛び地の王領のどちらを優先するか、と聞いているのだ。
今行っている実験レベルならばともかく、将来的に量産体制に乗ったとき、大量の砂を運搬するのは、結構な負担だ。原材料の採掘地は製造場所に近いに越したことはない。
そんな秘書官の指摘に、女王は一瞬の躊躇いを見せずに即答する。
「まずは王領を全て当たる。他領はその後だ。ビー玉はただの金銭的な権益に留まらない。王家の力そのものとなり得る存在だ。可能な限り王家で独占したい」
「承知致しました」
女王の言葉に、細面の秘書官は機械的なほどにブレのない一礼を返すのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
女王アウラが執務室でファビオ秘書官と共にカープァ王国の今後を決める書類を捌いている頃、善治郎は同じ王宮の別の一室で、賓客を招いて長めの昼食会を開いていた。
ホストは善治郎。ゲストはルシンダ・ガジールとプリモ・ギジェン。そして、フランチェスコ王子とボナ王女の四人である。
善治郎から見て、テーブルの右側にルシンダとプリモが、左側にフランチェスコ王子とボナ王女が座り、談笑しながら昼食を続けている。
「こうして、ゼンジロウ様主催の食事会に呼ばれるのは、もう結構な回数になりますが、何度呼ばれても楽しみが尽きませんな。ゼンジロウ様の故郷の料理は非常に興味深い」
そう、年齢不相応にまったく邪気や裏の意図を感じさせない大声で言ったのは、プリモ・ギジェンである。
プリモの言葉通り、この昼食会には善治郎発案の料理が出されている。具体的に言えば、生パン粉を用いた、肉類の揚げ物だ。
善治郎としては、昼食には少し重く感じられるメニューなのだが、美術品だけでなく美食にも目がない、道楽貴族プリモ・ギジェンの熱意に押し負けた結果である。
元々カープァ王国にはナンのような物を中心にパン食は根付いているのだが、西洋風のパン粉も、日本風の生パン粉も存在していなかった。
油は豊富に存在する文化のため、油で揚げるという調理方法は元から存在していたのだが、パン粉の存在は善治郎が持ち込んだものである。
善治郎が、自分の知識にある料理の再現を頼むのは主に後宮に限った話なのだが、そこで女王アウラや後宮侍女など、現地の人間達の大多数から好評を頂いた料理に限り、こうして王宮で披露していた。
蒸留酒のように、王家の新たな財源となることが期待出来るほどの影響は流石にないが、こうしてプリモ・ギジェンのような新しいもの好きや美食家の興味を引くことができるのだから、善治郎としては使える手札である事は間違いない。
一通りの食事が済み、残りはデザートの果物と飲み物だけとなったところで、昼食会はある意味で本番を迎える。
「ところで、結婚式の準備は滞りないか? 報告忘れは一番拙いからな。遠慮は無用だぞ」
ゴホンとわざとらしい咳払いの後、善治郎はそう唐突に主題について切り出す。
出席者の面々を見ればすぐに分かることだが、この昼食会の主だった目的は、プジョル将軍とニルダ・ガジールの結婚式について話し合いを進めることである。
より正確に言えば、当初はただの話し合いの予定だったところを、プリモ・ギジェンの提案で『昼食会』という形に落ち着いたというのが真相だ。
ともあれ、ここで結婚式の進捗を確認し、後で女王アウラに報告を入れなければならない。
善治郎の言葉を受けて、最初に口を開いたのは、案の定と言うべきか、プリモ・ギジェンだった。
「では、一番大切な報告を。話し合った結果、フランチェスコ殿下へのご依頼品が決定致しました。『装飾油灯』を四台お願いすることとなりました」
装飾油灯。用途は灯り用の油皿だが、華麗な装飾を施すことで、それ自体が部屋のインテリアとしての役割も、兼ね備えた物の事である。
多くは金属や石でできており、芸術的な価値を優先しすぎるため、正直使い勝手の良くないものが多いのだが(特にすす払いなどの手入れが大変らしい)、大貴族の結婚式場を彩る飾りには、相応しいものであるだろう。
思っていたよりも無難な結論に、善治郎は内心安堵の息を漏らす。
「なるほど、装飾油灯か。それならば、会場の飾りとして相応しいものではあるな」
確認するように善治郎は、依頼を受けた金髪の王子の方へ視線を向ける。
善治郎の視線を受けた金髪の王子――フランチェスコ王子は嬉しそうにその緑色の双眼を細めると、
「ええ、必ずやご期待に応えられるだけの物を仕上げて見せますとも」
そう言って、ジッとしていられないとばかりに、何度も肩を上下させる。
さらに、フランチェスコ王子は善治郎に向かって、聞かれてもいないのに、楽しげに作る予定の装飾油灯について話し続ける。
「装飾油灯は四つで一組の物を考えています。テーブル上での使用となりますので、大きさは精々二の腕くらいになるでしょう。良い石が手に入れば、石彫刻で作りたいところですが、それが難しいようでしたら金属加工も視野に入れています。どちらにせよ、デザインは『精霊乙女』を模した物になる予定です」
「『精霊乙女』?」
初めて耳にする固有名詞に、善治郎が首を傾げる。
そんな善治郎に説明をしてくれたのは、フランチェスコ王子ではなく、その隣に座る栗色の髪の少女――ボナ王女だった。
「ご存じないのも無理はございません、ゼンジロウ陛下。『精霊乙女』とは、南大陸中部に伝わる伝説ですから」
この世界では、魔法語による魔法という証拠があるため、精霊の存在を疑う人間はいない。この点に関しては、竜を至上の存在と扇ぐ北大陸の『教会』勢力も認めている。
だが、当然と言えば当然だが、姿が見えない『精霊』という存在に対する認識には、お国柄、地域特色というものが現れる。
カープァ王国のある南大陸西部では、精霊とは、大自然を司る偉大なる意志、見えざる世界の担い手、といった漠然としたイメージでしかない。
一方、同じ南大陸でも双王国のある中央部では、精霊に個体差があり、能力の上下があり、個性があるという考えが主流なのだという。
火元がない所からの発火や、運が悪すぎるタイミングでの突風などを、双王国の先住民である砂漠の放浪民達は『精霊のイタズラ」と呼ぶらしい。
そんな砂漠の放浪民の伝承では、特に力があり、好奇心の強い精霊は、一時的に受肉して人の世で生きるという伝説が存在している。
「そんな中でも特に名高いのが、砂漠の四部族の族長家――現双王国の四公爵家の先祖と謡われる、地水火風の『精霊乙女』です」
「『精霊乙女』。そのようなものが本当に実在するのですか?」
好奇心から少し身を乗り出して問う善治郎だったが、ボナ王女は困ったような笑顔で言いよどむ。
「ええと、それは、その……」
それを受けて、口を開くのはフランチェスコ王子だ。
「少なくとも、私は見たことがございません。信憑性のある目撃情報も聞いたことがありませんね」
そう言って苦笑交じりに肩をすくめるフランチェスコ王子の様子を見れば、流石に善治郎にも分かる。
「なるほど、ただのおとぎ話なのですか」
竜種が闊歩し、目に見えない精霊が存在し、その精霊に働きかける魔法という神秘の力が存在するのだから、受肉した精霊である『精霊乙女』が存在しても良さそうなものに善治郎には感じられる。
しかし、それは異世界の人間である善治郎独特の感じ方で、この世界では日常的に身近なものと、荒唐無稽なお話だけの存在という違いがあるようだ。
飛行機とインターネットと巨大人型ロボットの三つを、江戸時代の人間に見せれば、『どれもあり得ない凄い物』としか捉えられないだろうが、現代人なら『巨大人型ロボット』だけおかしいと言うだろう。
この世界の人間と善治郎には、所々で、それくらいの常識、認識のズレが確認されていた。
「それならば、我が国の結婚式に『精霊乙女』の飾りが使われていても、問題はないのか?」
確認を取る善治郎に、喜び口を開こうとしたプリモに先んじて、隣に座る黒髪の女――ルシンダ・ガジールが口を開く。
「はい。たとえ他国のものでも、原則文化、芸術に関しては国境はございませんから」
これが先の大戦で敵対していた、カタラナ王国やトゥカーレ王国の文化であれば多少は配慮も必要だろうが、双王国の文化ならば問題はない。
「なるほど。では、完成を楽しみにさせていただきますよ、フランチェスコ殿下」
善治郎の言葉を受けて、金髪の王子は嬉しそうに微笑む。
「ええ、お任せ下さい、ゼンジロウ陛下。ただ、彫刻にせよ金属にせよ、『精霊乙女』の瞳だけは宝石を使いたいのですよ。それぞれの精霊貴色に合わせた、宝石を」
火は赤。風は青。水は緑。地は黄。
対応する宝石は、紅玉石、蒼玉石、緑柱石、琥珀などになるだろうか。
「宝石、ですか」
善治郎は顔を引きつらせる。装飾油灯の大きさは人の二の腕程度らしいので、その瞳に使う宝石もそう大きな物は必要ないだろうが、宝石の価値を決めるのはなにも大きさだけではない。色の美しさや透明度などがぬきんでている場合、小粒でも恐ろしく高値がつく可能性がある。
チラリと視線をプリモ・ギジェンに向けると、案の定というべきか。プリモ・ギジェンは性懲りもなく自慢げに胸を張る。
「お任せ下さい、フランチェスコ殿下。紅玉石と蒼玉石ならば、私のコレクションに相応しい物がございます。裸石ですが色が濃く、気泡や傷もない逸品です。どちらも一粒ずつですが、結構な大きさですので、割って磨き直せば、両目用になりましょう」
「おお、それはありがたい」
どれほどの逸品かは知らないが、プリモ・ギジェンの個人的なコレクションから出すならば、大勢に影響はない。
内心安堵の溜息を吐く善治郎を尻目に、職人と依頼主兼スポンサーは呑気な口調で、聞き捨てならない会話を続ける。
「琥珀の産地として有名なのはやはり、トゥカーレ王国ですね。幸い私の個人的な伝手が……」
「おお、それは素晴らしい! それならば、予備として大目に仕入れて貰えませんか? ここだけの話ですが、個人的に造りたい物が……」
「ゴホン! ゴホン!」
未だ公式の国交が断絶したままの国からの密輸について堂々と話し合う、自国の貴族と他国の王族の言葉を聞こえないふりをするため、善治郎は喉に痛みを覚えるまで、空咳を連発するのだった。