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無欲の聖女は金にときめく  作者: 中村 颯希
第三部(完結編)
129/150

21.レオ、心配される(後)

 咄嗟に魔力をまとわせる皇子だが、その正体を認めて大きく目を見開く。

 彼は緊張を解き、代わりに困惑の表情を浮かべると、扉に縋るようにして佇む少年に駆け寄った。


「カイ!?」


 そこにいたのは、噂の少女・レオノーラ付きの侍従、カイだったのである。


「どうしたんだ、いったい。君はレオノーラとともにエランドにいるはずだろう?」

「と、突然の訪問の無礼、なにとぞお許しください、殿下……」

「そんなことはどうでもいい。いったいどうした」


 息も絶え絶えといった様子のカイに眉を顰め、半ば担ぎ上げるようにして室内に連れ込む。

 すでに顔見知りであるオスカーや、人懐っこいロルフも、興味深げに「どうした?」とその顔を覗き込み、冷えつつあった紅茶を水代わりに差しだした。


 カイは、「申し訳ございません、差し迫っておりまして……!」と、そのカップを退けると、その場に崩れ落ち、アルベルトの膝に縋りついた。


「皇子殿下……! 私は殿下に、我が主人の窮状をお伝えするべく飛んでまいりました……!」

「なんだって……!?」


 アルベルトの顔がさっと強張る。

 彼は、カイの傍に屈みこむと、その肩を揺さぶらんばかりの勢いで問いただした。


「どういうことだ。レオノーラの身になにかあったのか……!? 雪歌鳥は飛んでいないぞ!」

「雪歌鳥は、日差しに晒してはかわいそうだからと、主人は部屋に留め置いているようです。それに、かの鳥は、危機を明確に認識したときにのみ飛び立つものとお聞きしました。主人はあれだけの目に遭いながらも、それを危機として受け止めてはいないのでしょう。ですが、もう、見ているこちらのほうが限界です……!」


 そう身を震わせて、カイは切々と、これまでにあったことを語りだした。


 巫女の住まいとして指定されている聖堂に着くなり引き離され――これは掟としても――、少女が見るに堪えないぼろをまとわされていること。

 もてなしを兼ねているはずの食事では、豚の内臓が出されたこと。

 聖地巡礼の試練では、少女だけが貧民街に向かわされ、強い日差しの中を延々と歩かされたこと。

 口汚く罵られ、ごみの山に押し倒されながらも、母の名を唱えいじましく耐え抜こうとしていたこと――。


「なんという……」

「試練と言われればそれまでです。ですが、かような扱いを受けているのは我が主人だけで、これだけでも抗議に値するものと考えました。本日、今まさに行われているであろう讃頌の儀では、いったいどのようなことが起きるものか……。エランドでの守りと抗議は聖騎士様に託しましたが、一刻も早く奏上せねばと思い、移動陣を使い継いで、馳せ参じました」


 どうやらカイは、エランドの国境を抜けるまでは早馬を駆り、その後は魔力を持たぬ身でありながら、慣れぬ陣を連続使用してリヒエルトまでたどり着いたらしい。

 どうりで疲弊しきっているわけだった。


「侯爵閣下には、すでに現状をお伝えしたのですが、お怒りのあまり全騎士団を動かす大号令を発しようとされ……それが仇となり、皇帝陛下に見とがめられて、現在身動きが取れずにおります」

「……なるほど」


 アルベルトは苦い顔で頷いた。

 国の使節として派遣している以上、少女に関する抗議は、親族である侯爵夫妻ではなく、帝国の皇帝より向けられねばならなかった。

 それを飛ばして、国の持ち物である兵力を動かそうとするのは、たしかに越権であると言わざるをえない。


 道理は理解しつつも、歯噛みしているだろう侯爵の苛立ちもまた、手に取るように理解できて、アルベルトはその秀麗な顔を歪めた。

 身分や権力はときに、彼らの行く先を塞ぐ。


「かといって帝国からの抗議を待とうとも、正式な婚約者というわけではないレオノーラのためにそれをするのは、反発が大きく時間が掛かる……。それで、僕のところに来たということか」

「……恐れながら」


 ヴァイツ帝国は、大国だ。国の頂点に立つ皇帝が、正式に抗議を上げるとなれば、それ相応の調整や段取りが発生する。

 それを待っていては、間に合わないのだ。

 カイは、この契約祭の滞在中に、少女がさらなる悪意に晒されぬよう、牽制することを求めているのだから。


「そうか」


 アルベルトは短く答えると、カイをソファに座るよう促し、自らもまた腰かける。

 そうして、整った顎に手をやり、素早く思考を巡らせた。


 精霊めいた美貌を持つ少女が、下賤の輩や卑劣な男の欲を引き寄せ、道中に襲われるといったことは、アルベルトも侯爵夫妻も最も懸念し、かつ手厚く対策したところであった。

 しかし、男子禁制の聖堂に入ってしまえば、自活の不便はあれど、その手の危険はだいぶ軽減されると踏んでいたのである。

 なのに、まさか主催国そのものが、帝国の姫に嫌がらせを仕掛けてこようとは。


「聖騎士様は、エランドはなにかしら意図があって、ヴァイツを挑発しているのだろうと仰っていました。だからこそ、みだりに兵を差し向けることがあってはならないと。私もそう思います。ですが……主人に万一のことがあってからでは遅いのです……! 兵を差し向けずとも、抗議なり牽制なりを行い、あと一日を残したエランドの滞在中、なんとか主人を守れぬものかと、そう思い……!」


 どうかなにか手を打ってほしいと縋りついて、カイは言葉を結んだ。

 黙考する皇子に代わり、口を開いたのは、それまで黙って話を聞いていたオスカーだった。


「カイ。事情は理解したが……こいつにひどく難しい要求を突き付けていると、わかっているか? 公式な抗議を上げられる立場でもない、兵力を動かす大義もない。にもかかわらず、エランドにいるレオノーラを守れるような牽制をしろと?」

「それは、そうですが……殿下なら、きっとなんとかしてくださると……」


 鋭く突っ込まれて、カイは言葉を詰まらせた。

 主人への忠誠を優先するあまり、とかく暴走しがちな自分ではあるが、それでも、これがむちゃくちゃなお願いなのだということは理解していた。


 アルベルトはあくまで皇太子であって、皇帝ではない。そして、この国で皇太子の権限は意外に小さい。

 まして、少女は現時点で、彼の正式な婚約者というわけでもない。

 ついでに言えば、情に動かされて安易に皇子がエランドに駆けつけ、魔力を揮おうものなら、それだけでヴァイツは精霊に仇なしたとのレッテルを貼られる。


 しかしそれでも、彼は少女に雪歌鳥を託し、なにかあったら駆けつけると言ってくれた。

 カイはそれに、賭けるしかなかったのだ。


「陣の件で、こいつに皇子としての権限を超えさせた俺が言うのもなんだが、貴族社会や外交における越権問題は、厄介なものだぞ。代償を払うのはおまえではなく、こいつだ。それをわかっているのか?」


 オスカーはオスカーなりに、先日の陣の件で、アルベルトに随分な負担を強いたことを、自省しているのであった。

 以前は融通の利かない皇族野郎としか思っていなかったが、今は、彼が貴族社会のしがらみに苦しみながら、友のために奔走してくれる人物だと知っている。

 妹とも思う少女のことはもちろん助けてやりたかったが、同時に、弟分とも親しい友人とも思いはじめているアルベルトのことも、見過ごせなかったのである。


「それは、そうですが……っ、僕にはレオノーラ様を見捨てることなんて……!」

「――カイ」


 とうとうカイが涙目になりながら、素の口調で身を震わせたとき、皇子が静かに切り出した。


「わかった。エランドに行こう」

「皇子?」


 驚いたのはオスカーのほうだ。

 彼は精悍な顔を驚愕の表情に固めると、まじまじと年下の友人を見つめた。


「おい、わかっているのか? 魔力持ちの帝国皇子が契約祭中のエランドに乗り込んだら、それだけでエランドへの侮辱だ。こんなこと言いたくはないが、レオノーラは……身体的な被害に遭ったわけではないのにと、過剰防衛と捉えられる」

「そうですか?」


 言いにくそうに指摘されても、アルベルトは冷静だった。


「彼女の境遇に照らせば、十分すぎるほどの被害でしょう。どれも、レオノーラの忌まわしい過去の記憶を刺激するような仕打ちばかりだ」

「そうだが……しかし、あいつの過去は、他国には伝わらぬよう緘口令を敷いているんだろう? その理屈は、エランドには通じない。陣に続いて、外交でも越権問題を起こしたのでは、さすがにおまえだって――」

「オスカー先輩」


 言葉を重ねるオスカーに向かって、アルベルトは愉快そうに片方の眉を上げてみせた。


「あなたは、一度懐に入れた人間に対しては、随分甘くなるようですね。気持ちは嬉しいですが、――でも、心配は無用です」


 そうして、先ほどは顎にやっていた手を、ひらりと翻す。

 彼はにこりと微笑むと、いつもの歌うような口調で告げた。


「もとより、雪歌鳥が飛んでくるようなことがあれば、僕は皇子の身分を捨ててでも、レオノーラのもとに駆けつけようと思っていたのです。――まあ今回は、その判断基準が飛んで来てくれないので、少し悩んでしまいましたが」

「なんだと?」


 身分を捨てると、こともなげに言ってのけたアルベルトに、今度こそオスカーは絶句した。

 アルベルトは、その美しい笑みを崩さなかった。


「僕はね、先輩。精霊祭の日を最後に、もう『完璧な皇子』なんてものに囚われるのはやめたんです。皇子でいる間は、最高の統治者を目指す。けれど、皇子でいつづける必要はない。……優先順位を間違えてはならない」


 滑らかな声には、しかし、覚悟を決めた者だけが持つ凄味があった。

 アルベルトは、先ほどオスカーからもらったばかりの布袋を取り出すと、中に納まっていた銀貨を取り出し、掌の中で弄んだ。


「もちろん、愚かな皇子として、魔力を振りかざしながらエランドに乗り込んでいくような真似は、さすがにしませんけどね。せいぜい父に気付かれて、侯爵と同じく足止めを食らうのが落ちでしょうし」

「……じゃあ、どうするっていうの?」


 聞いていたロルフが、困惑もあらわに狐顔を傾げると、アルベルトは彼に向かって穏やかに微笑んでみせた。


「――クヴァンツ先輩。今日は三人で(・・・)、とても楽しい時間を過ごせましたね」

「……はい?」

誰にも乱入(・・・・・)される(・・・)ことなく(・・・・)、僕たちは大いに盛り上がりました。情報通のあなたから契約祭の話を聞いた僕が、うっかり、お忍びで(・・・・)エランドに行きたいと思ってしまうほどに」

「――……!」


 この場にカイは来なかった。少女の窮状を聞いたから駆けつけるのではなく、自分の意志でエランドに行くのだと仄めかすアルベルトに、周囲はそろって絶句した。


「魔力持ちの帝国皇子が、契約祭のエランドに乗り込んでいったらそれは国辱ですが、魔力をそぎ落として――少しばかり体術に優れた一般人が、祭に賑わうエランドを観光することに、なんの問題があるでしょう。この一般人は、権力こそ持ち合わせていませんが、ひとりの少女の盾になることくらいはできますし、エランドの方々は気配り上手なので、なんらかの便宜を図ってくれるかもしれませんしね」


 非公式な方法で牽制を掛けるということだ。

 たしかに、皇子という身分を取り上げたところで、アルベルトがそこらの護衛以上に武に長けていることは事実だし、彼にはよく回る頭脳も、語学力もある。

 だいたい、これだけの容貌や迫力を突きつけられれば、誰だって彼が、「ヴァイツのやんごとなき人物」であることには気付くだろう。

 グレーな身分のままエランドに入り、状況に応じて、一般人として少女を見守るなり、正体を匂わせて非公式に牽制を行うなりすればよいのだ。


「たしかに……正面切って乗り込むよりは得策だと思うが、物理的にどうやって駆けつけるつもりだ? 国境までは陣で瞬間移動できたとしても、今のエランド国内で魔力は使えないんだぞ。皇子の身分を隠すというなら、皇族専用に用意されている移動手段も使えまい」


 エランドには、皇族が視察に訪れたときなどのために、終日利用できる馬車や馬、専用の道の類も整備されているが、一介の学生という方便を通すならば、それも使えない。

 それでは、もう半日後に迫った契約祭最終日にすら間に合わないだろう、と指摘するオスカーに、アルベルトは首を傾げてみせた。


「先輩。ベルンシュタイン商会の息子ともあろう方が、なにを仰るのですか」

「なんだと?」

「僕だって、民間の交通機関を使うときは使いますよ」


 そうして彼は、掌に乗せていた銀貨をぴんと弾くと、それを受け止め、オスカーに差し出してみせた。


「天下のベルンシュタイン商会であれば、皇族専用に整えられたものより、よほど迅速に移動できる交通手段ネットワークをお持ちでしょう? 数マイルごとに走りつぶせるくらいの大量の替え馬も、近道を知り尽くした現地の案内人も用意できるはず。――それを、買わせてもらいます」

「は……」


 珍しく、オスカーはあっけにとられた顔をした。

 彼はしばらく呆然としていたが、やがてくっと吹きだすと、こらえきれないというように笑い出した。


「――傑作だ。皇族が、しがない商人の伝手を頼る? 魔力でも権力でもなく、金の力で事態を乗り切ろうって?」


 皇族とは龍の末裔。

 その魔力は絶大で、また、彼らが指をひと振りすれば、一族郎党の首がまとめて飛ぶくらいの権力だって持っている。まるで別次元の生き物。


 にもかかわらず、そんな皇子が、まさか金にものを言わせるような真似をするとは。


「ああ、面白い。実に愉快だ。こんな皇族、きっと今までに誰もいなかったぞ」


 腹を抱えたオスカーが、からかうように告げると、アルベルトはひょいと肩をすくめた。


「ご存じなかったんですか? 僕は聖杯でも剣でもなく、史上初めて金貨なんて龍徴を授かった――金貨王なんですよ」


 告げる声に、もはや葛藤や鬱屈の色はかけらもない。

 アルベルトは、以前は表情に乏しかった白皙の美貌に、今や年相応の冒険心と誇らしさをにじませて、ふっと口の端を持ち上げた。



レオ逃げてー(棒読み)

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[一言] ダメだ・・・! 物凄くホルモン食べたい!今すぐ!!
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