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無欲の聖女は金にときめく  作者: 中村 颯希
第三部(完結編)
125/150

17.レオ、ときめく試練を受ける(後)

 すでに出番を終えて、緊張を解いた巫女たちの視線を一身に浴び、少女はすっとその場に立ち上がる。

 小さな足が上品にローブの裾を捌くと、辺りには清々しいマンダルの香りが漂った。


『――精霊の始めの土地・エランドより東、ヴァイツ帝国より馳せ参じました、ハーケンベルグ侯爵家が娘、レオノーラと申します。いとも気高く麗しき、至高の光のご顕現、まずは幾重にもお喜び申し上げます』


 鮮やかなラーレンを見事に捌き、完璧な姿勢で跪拝の礼を取ると、少女はどの巫女よりも流暢なエランド語で、そう名乗りを上げる。


 その鈴のなるような可憐な声、麗しい姿、そして見事なエランド語の響きに、周囲は思わず息を呑んだ。


 少女はそれにまったく気付くことなく、真摯な表情で精霊を寿ぎつづける。

 一通り顕現の喜びを伝えると、ついでエランドの土地についての讃頌へと話題を転じた。


『かくも慈愛深き光のもと、この約束の土地で私の目に入りましたのは――』


 少女の完璧な話しぶりに瞠目していたサフィータが、そこでかすかに目を細める。

 カジェもスーリヤも、無意識にぎゅっと拳を握りしめていた。


 どうか。

 どうか、これまでに被った数々の悪意が、エランドのすべてだと思わないで。

 エランドへの不満を口にしないで――戦のきっかけに、なってしまわないで。


 身勝手ともいえる想いに、祈るように強く口を引き結んだ、その瞬間。


 少女は意外な言葉を口にした。


『隅々まで活気に満ちた町と、善良な民の姿でした』

『――……え……?』


 思わず、カジェたちの口から呟きが漏れる。

 呆然とする二人の前で、少女は、その大きな紫の瞳をきらきらと輝かせて話しつづけた。


『私が足を運ばせていただいたのは、おそらく、貨幣の恵みが最も行き渡っていない土地でした。ですがそれでもなお、輝かしい祝福が、余すことなく感じられる場所でした』


 家はひしめき合っていたし、古びてもいたが、互いを侵食しあわぬよう丁寧に整えられていた。

 人は古着をまとっていたが、肌は清潔に保たれ、ヴァイツの下町で見かけるような、顔を爛れさせた子どもは一人もいなかった。


 皆がせっせと働いていた。

 子どもも女性も、男性にかしずくのではなく一人前に職をこなしていた。

 つるされた牛や豚は、とても丁寧に血抜きがされて、内臓まで完璧に処理されていた。

 そこには、あらゆる命への徹底的な感謝と敬意が感じられた。


 ごみは細かく分類されていた。

 匂いを抑えるための工夫まで凝らされていた。

 誰もが清潔で、勤勉で、敬虔さに満ちていた――


 少女が紡ぐそれらの言葉を聞いて、カジェもスーリヤも、無意識に喉を震わせた。


『――……っ』


 だって、彼女たちは、「臭くて」「品のない」貧民街の出身で。

 ふさわしいのは豚のえさ。

 人間らしい誇りも文化も持ち合わせているのだと、誰からも認められたことはなかった。


 なのに、この少女は、カジェたちが当然と思って見過ごしていたことまでも、丁寧に拾い上げては、一つ一つを褒めていく。


 そんなの、初めてだった。


『その町の女性が編んだのが、この鮮やかなラーレンです。その町のご老人が干していたのが、この肌から香りを漂わせるマンダルの皮です。私はそれらに触れて、この地を、ヴァイツの人々にもっと、もっと、知ってもらいたいと思いました』

『…………』


 とうとうカジェの目にも、涙がにじむ。


 先ほどの自分たちの選択は、間違っていなかった。

 この少女は、銀貨三枚ぽっちで傷つけていい存在ではない。


 その麗しい姿、清らかな心。慈愛を帯びた紫色の瞳。

 少女がそっとその視線を向けるだけで、その先にいる者たちは救われる。

 今、彼女こそが光の精霊そのものだと、カジェたちにはそう思えた。


 しん、と、いつの間にか聖堂が、水を打ったような静けさに包みこまれる。

 そんな中でも、興奮の渦中にあるレオは、絶好調でトークを重ねつづけていた。


(やー、ほんと、いいビジネスの芽を見つけさせてもらって、ありがとございます! って感じだよなあ)


 先ほどから語る内容に、嘘偽りは全くない。

 ただ、カジェたちが思っているような、「貧民に心を寄せた結果」の発言ではなく、レオのそれは、あくまでビジネス的観点のものだった。


 おたく、いい土地まだまだあるじゃないですか。

 にぎやかで、人々も気さく。外国人が押し寄せてもきっとフレンドリーに対応してくれる、勤勉・清潔(おもてなし)な精神性。

 名産品だって、布やら植物やらいろいろある。

 ぜひヴァイツ人向けの観光地として開発したいですねえ!


 先ほどの発言を、スラング的ニュアンスを全開にするとこんな感じだ。


 が、以前カーネリエントの前で、商魂バリバリでトークして殺されかけているので、ちょっぴり反省して、精霊好みと思しき婉曲な言い回しをしてみている。

 一人称も、ちゃんと「私」で統一する丁寧仕様だ。

 先ほどカジェたちに、過剰な敬語は珍妙な印象を与えるだけ、と指摘されたので、ここ一週間で習った敬語表現は捨て置いて、自分に話せる最大限に丁寧な表現、くらいにとどめてもいる。


(やっぱ、この地で観光ビジネスを興そうってんなら、光の精霊の機嫌を損ねるわけにはいかねえもんな!)


 そう。

 レオは寿ぎの本来の趣旨などすっかり忘れ、あくまで己の野心のために、せっせと精霊におもねっているわけであった。


 目指すはエランド下町の総合プロデュース。

 宿場を整備して、精霊布の手編み体験やモザイクの手貼り体験コースを用意して、ホルモンをその場でバーベキューするための場所も確保する。

 なに、あの勤勉で清潔好きな現地の人々の力を借りれば簡単なことだ。


 そうだ、このマンダルの皮も、香油やポプリに加工して名産品にして、あとはそれから――


 レオが目まぐるしく皮算用をしていると、ふと辺りが明るくなった気がした。

 ん? と改めて精霊のほうに視線をやってみれば――


「…………!」


 彼女は、その完璧に整った顔を綻ばせて、微笑んでいた。


『光の精霊が微笑まれた……!』

『ヴァイツの巫女に祝福を約束したぞ……!』


 巫女や導師の間にざわめきが広がる。

 すでに三十ほどの国の巫女が讃頌を終えていたが、ここまでにっこりと精霊が笑みを見せたのは、これが初めてだった。

 しかも、まだサフィータが古代エランド語に訳していないのに、である。


(言葉を介さずとも、態度で伝わる想いだけで、この巫女に祝福を授けたくなったということか……!?)


 サフィータは思わず、玉座から半分腰を浮かせながら、信じられない思いで目の前の光景を凝視していた。


 精霊は、基本的に古代エランド語でしか意思の疎通を許さない。

 精霊から人間へは、思念だけで意思を伝えることも可能だが、人間から精霊に話しかけるときには、目上の存在に対する礼儀として、古代エランド語を用いねばならぬことになっているのだ。

 しかし、それをせずとも、精霊側から相手の意志をくみ取ってやるというのは、――それほどその人間を気に入っているから。


 つまり、この少女は、愛し子といって差し支えないほどに、光の精霊に気に入られたということにほかならなかった。


(なんということだ……)


 サフィータは困惑に眉を寄せる。

 正直に言えば、少女の言動は、完全にサフィータの想定外であった。


 彼の描いたシナリオは、これまでの試練で疲弊しきったヴァイツの巫女が、ぼろぼろの姿で現れ、讃頌の場でエランドへの不平不満を口にする、というものだ。


 遠縁でしかなかった侯爵家に養子としてもぐりこみ、皇妃候補にまで上りつめて富を享受していると噂の娘。

 その高いであろうプライドを傷つけ、心身を疲労させ、褒め称える要素などかけらもない貧民街を見せつければ、容易に怒りを露わにするだろうと思っていた。


 なのに蓋を開けてみれば、少女は誰よりも美しい姿で現れ、昨夜と同じ凛とした態度を崩さず、流暢なエランド語で、サフィータですら心動かされるような寿ぎを唱えてみせる。


 そう、少女の言葉には、サフィータの凝り固まった意識にすらひびを入れるような、新鮮な発見があったのだ。


 貧民街など、下賤の民の巣でしかないと思っていた。エランドの誇るべき文化は、この大聖堂をはじめとしたルグランの都に集まっているのだと思っていた。


 だが、そうではない。

 精霊の(しもべ)たるエランドの勤勉な国民性は、貧民街にこそ現れていた。

 精霊の祝福は、エランドの土地の隅々に、たがわず染みわたっていた。


 そう指摘され、貧民街出身の女官たちが打ち震えているのが見える。


 それを目にしたとき――彼女たちはもうけして、金では動くことはないだろうと悟ったとき、サフィータが感じたのは、灼けるような羞恥であった。


 これでは、少女にエランドや精霊を侮辱させるどころではない。

 このように心清き者を、開戦のきっかけに使おうとすることに、やはり無理があるのではないか――。


 サフィータが、内心に湧き上がった葛藤に口を引き結んだとき、


『……なにやら、私まで娘の手口に乗せられてしまいそうです』


 傍らに控えていたアリル・アドが、いっそ感嘆したように呟いた。


『まるで光の精霊の生き写しのような姿。清らかな口上。これでは、本当にあの娘は敬虔な精霊の徒なのではないかと――彼女を開戦の口実に使おうとしている我々が、罪深く思えてしまいます。彼女は、せいぜい貧者におもねって精霊の歓心を買い、名声を得んとしているだけでしょうに……』


 彼は、ためらいを表すかのように、自身の髭を撫でた。


『それに、依り代を穢された光の精霊本人が、この巫女に祝福を授けるというのです。我々も、ヴァイツを許したほうがよいのでしょうか……?』

『――……いや』


 しかしサフィータは、自らの思いを代弁するかのような摂政の言葉を聞いて、むしろ揺らいでいた心を自覚し、その甘さを払うことを決意した。


『精霊が許すならそれでよい、という問題ではなかろう。これには我がエランドの誇りがかかっているのだから』


 低く答えながら、そうとも、と自身に頷きかける。

 これはエランドの誇りの問題だ。それは統治者の血を引く自分が、その命の責任として守らねばならぬものであり、容易にひるがえしてよいものではなかった。


 にもかかわらず、危うく、少女の耳あたりのよい言葉に、またしても全うすべき責務を放り出してしまうところであった。


 おそらくあの娘は、こうして巧みに周囲の心に訴えかけることで、今の地位を手に入れてきたのだろう。

 それに自分まで騙されてはいけない。

 怜悧に見えて、その実すぐに情に流されてしまう性質は、自分の最大の恥だ。


 サフィータは表情を引き締めると、少女に向き直った。


 質疑を通じて、彼女からなんらかの不平を引き出すのだ。そうして、あのヴァイツに罰を与えるための糸口を得る。


『……ヴァイツの巫女に問う。その発言に、嘘偽りはないか』

『ございません』

『家畜の内臓にまみれ、貧しさに喘ぐ者たちにすら、精霊の息吹を感じると言うのか』

『はい。その様子を目の当たりにできて、幸運でした』


 荘厳な口調でサフィータに繰り返し問われながら、レオは内心ではてと首を傾げた。

 先ほどから、感動したと言っているのに、なぜこうもねちねちと繰り返し問われなければならないのだろうか。


(褒め方が嘘くさかったんかな?)


 そんなことを思うが、どうもそんな感じではなさそうである。


 どこか鬼気迫った様子で、この滞在中に本当になにひとつ不満は抱かなかったのかと問われ、レオは、エランドの方々は勤勉すぎるあまり、悪い点の一つも指摘されないと、安心できないのかもしれないと思い至った。


『ええと、……不満、ということではないのですが……』


 これも、エランドで観光業を興す際には、必要な対応かもしれない。

 悪い点、と見せかけつつ、相手のやる気を損なわないような、なにかちょうどいい指摘はないものかと、きょろきょろと周囲に視線を巡らせる。


(えーっとでも、飯はうまかったしなあ。部屋も快適だし、人は親切だし、皇子はいなくてフリーダムだし、金儲けの匂いは至る所から漂ってくるしで、これ以上なにを望めば……)


 不満など、正直なところ、まったくない。

 だが、金儲けの匂い、という発想からピンと来て、レオはついつい、思ったままを口にした。


『――ああ。あえて言うならば、そちらに座る精霊様の髪の色が、金色だったら、もっと素敵なのにと思いました』


 そう。

 せっかく光の精霊は、自分の思い描く金の精霊と似ているのだから、いっそ髪色もゴージャスに金にしてくれればよかったのに、と思ったのである。


 レオとしては、ほんの軽い気持ちで本音を述べただけであったが、周囲の反応は違った。


『なんということを……!』


 ざわ、と空気を揺らし、一斉にレオに、嫌悪の表情を向けてくる。

 宗教心に乏しいレオはその手の意識が欠落していたが、絶対の存在である精霊をかけらでも否定するような言葉を口にするのは、エランドでは最大のタブーだったのだ。


(あっ、やべ! これ、言っちゃいけないやつだ!)


 カジェやスーリヤの青ざめた顔からそれを悟ったレオだが、もう遅い。


 エランドの導師や女官は不快そうにこちらを睨みつけ、それを見た他国の巫女たちも、白い目を向けてきた。


(うああああ、やっべえ、巫女のミッション、大失敗!)


 さあっと青ざめ、心の中で侯爵夫妻にスライディング土下座をしていたとき、それは起こった。


 ――ふ……


 まるで、繊細な金細工を揺らしたような、美しい声が響き。


 ――ふふ、……あはははは!


 それは、やがて大きな笑い声になって聖堂を震わせたのである。


『…………!?』


 導師が、女官が、巫女が。

 もちろんレオも驚愕に目を見開いた。


 それもそのはず。


 聖堂の中心、輝ける玉座では、これまで柔和な表情を称えて凛と背筋を伸ばしていた光の精霊が、腰を折り曲げて、両手を顔で覆って、爆笑していたのだから。


『――……ひ、光の、精霊が、微笑みを通り越した……!?』


 ――ああ、おかしい! なんて愉快なの!


 呆然とする導師たちを遮るように、彼女は笑う。

 俯いたままひとしきり笑いを収めると、光の精霊はぱっと身を起こし、肩に流れていた黒髪をさらりと手で払った。


 そうして、その完璧な形の金瞳でレオを見つめると、口元に笑みの余韻を残したまま、告げた。


 ――そうね。同感です。


 その衝撃の発言に、聖堂内にいた人物が一斉に息を呑んだ。

 精霊の中の精霊、至高の存在が、自らの容姿を否定するような発言をするなど――!


『――なにを仰るのか、光の精霊よ!』


 最初にショックをやり過ごしたらしいアリル・アドが、声を張り上げる。

 それで我に返った導師たちが、青褪めながらもその場に跪き、『お許しを……!』と祈りはじめた。光の精霊が怒りのあまり、揶揄を口にしたと考えたのだろう。


 しかし、玉座にゆったりと腰かけた優雅な貴婦人は、その長い睫毛を面白そうに瞬かせ、彼らを制止した。


 ――よしなさい。縋るだけの祈りなど不要です。

  ……そして、怒ってもいません。言ったでしょう、愉快だと。


 そうして、再びレオに向き直る。

 彼女は、金色の瞳を輝かせて、告げた。


 ――あなたを気に入りました、ヴァイツの巫女よ。


「え……、え、ええ……っ、ま……!」


 つい素の言葉で「マジすか」と言いかけて、喉を焼く。

 しかし、その痛みすら忘れ、ぱくぱくと口を開閉していると、光の精霊はすっとその場に立ち上がり、滑らかな仕草で片手を掲げた。


 ――こたびの讃頌、三十二の国の巫女よりたしかに受け取りました。

  大陸に光を。強く望む者には、より輝かしい祝福を。


 それは、讃頌の儀の最後に精霊が告げる言葉だ。

 彼女は、祝福の授け先を見定めた以上、もはやこの場を去ろうとしているのだろう。


『光の精霊よ……!』

『先ほどのご発言は……!』


 ――次にこの瞳が開くとき、世界に新しい朝と光が溢れんことを。


 導師たちの必死の制止もむなしく、気高き精霊は朗々と言葉を紡ぐ。


 そして。


『精霊よ……!』


 ――闇よ、我が腕に。しばしの間、世界の守りを。


 最後にゆっくりと目を閉じ、すぅっと姿をかき消した。

 日没を終え、すっかり暗くなった聖堂には、呆然と玉座を見つめる人の子たちだけが取り残された。

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