16.レオ、ときめく試練を受ける(前)
各国から集った巫女が、聖堂に集まり光の精霊とエランドの地を称える儀式――讃頌の儀は、契約祭二日目の夕刻より始まる。
かつてエランドの王宮として使用されていた、壮麗な大聖堂には、大小さまざまな国々の巫女たちが、鮮やかなラーレンをまとって並んでいた。
細かなタイルが幾何学模様に配置された円形の聖堂に、色布を掛けた女性が規則的に立ち並ぶ光景は、それだけで芸術的である。
ある者は髪を油で梳かして丁寧に結い上げ、またある者は、鉱物を砕いた色粉で目じりを彩り。
国を代表する女性との意識がそうさせるのか、彼女たちの装いはそろって美しい。
(表面上は、な)
主催国の代表として、聖堂の一段高い位置に腰かけたサフィータは、無表情で巫女たちを見下ろしながら、そんなことを思った。
掟に則り、過度に華美な装飾は避けているようだが、それでも彼女たちの身に着けている香水で、神聖なはずの聖堂はむせ返りそうな匂いだった。
厚く塗ったおしろいは虚飾の現れ。
母国のアピールのつもりだろう、一部の巫女が身に着けている鳥の羽や毛皮の装飾品は不浄の源だ。
(なにより、巫女たちの後ろに控えている女官どもの表情)
サフィータはちらりと、生成りのローブをまとった女官たちに視線を向け、冷えた表情を浮かべた。
契約祭の掟で、巫女たちが母国から侍従を引き連れることは許されない。
一人で生活を整えるのも試練のひとつであったはずだが、多くにかしずかれて生きてきた姫君たちには、とうていそのような生活など受け入れられなかったようだ。
異国の女官に無理無謀を突きつけ、彼女たちが気ままに過ごしてきたぶんだけ、女官たちの顔には疲労と苛立ちが見える。
いちばん身近に接するエランド人として、女官と密な関係が築ければ、一層精霊からの祝福は受けやすくなるというのに、姫君たちは彼女らを「使用人」と思い込むあまり、その可能性に気付いていないようだった。
もちろん、それをこちらから指摘してやる義理もない。
七年の歳月は長い。
先代の巫女がいくら「ああすればよかった」と悔いたとしても、それを次代に伝え、鍛えるには、意思も記憶も風化してしまう、それくらいの期間だ。
だからこそエランド側は、こうして毎度毎度、出来の悪い演芸会でも見せられるかのように、虚飾と傲慢の罪に溺れた女たちを目の当たりにすることになるのだった。
(こたびの契約祭では、いったい何人に、かの精霊は微笑んでくださるものか)
祝福は、精霊からの微笑みという形で約束される。
心を揺さぶるほど見事な讃頌をしてみせた巫女にだけ、顕現した光の精霊が微笑みかけるのだ。
そして契約祭最終日の朝、その巫女の住まう国に向かって、光の精霊がまっさらな光の祝福を分け与えることになっている。
精霊への信仰が薄まってきていることが原因だろう、祝福を受ける国の数は、この百年ほどで、徐々に減りつつあった。
以前は、祝福を授かれなければ、その国の使者が飛んできて、何か月もエランド王のもとに平伏して精霊の慈悲を乞うたものであったが、最近ではそれも減ってきた。
前回の契約祭の後、国家が滅ぼされたとあっては、今後なおさらそのような光景を見ることはなくなるだろう。
巫女たちの視線にも、祝福をねだるような色のほかに、亡国への蔑みや侮りといった感情が、ちらほらと見え隠れしている。
言いようのない口惜しさと苛立ちを、怜悧な顔立ちの内側に隠しながら、サフィータは巫女たちを検分していたが――そこでふと、青灰色の瞳を細めた。
ヴァイツからの巫女が、いない。
あの、光の精霊の生き写しであるかのような少女は、いまだ聖堂にやってきていなかった。
(……さすがに、間に合わぬか)
貧民街からの距離を計算し、それももっともと内心頷く。
歩き疲れて、道の途中で泣いているか、慣れない日差しに長時間さらされ倒れたか。
それとも、汚れと臭気にまみれた姿を恥じて、部屋に閉じこもっているか。
理由などどれでもいい。
精霊の御前に姿を現さなければ、それだけで巫女としての怠慢であり、精霊への侮辱である。
だが――自らそれを仕掛けておきながら、少女なら何食わぬ顔で立っているのではないかと、どこか期待していた自分がいることに、サフィータはひどく驚いた。
なんという矛盾か。
ばかばかしい、と首を振る。
そのような軽薄な考えが、とうてい許される場面でも身分でもなかった。
聖堂の中心、光の精霊が顕現する予定の場所には、美しい石で象られた玉座があり、その傍らには紗の掛けられた精霊珠が据えられている。
秘宝の中の秘宝であるからこそ、人目に触れぬようにしているというのもあるが、儀式の最中にもそれを覆うというのは、その穢れた姿を他国の巫女たちに悟らせないためだった。
魔力により腐蝕した、エランドの至宝。
それを改めて見据え、サフィータは気を引き締めた。
精霊の中で最も格の高い光の精霊は、その高潔な精神と慈愛の心により、滅多なことでは人の子を責めない。
依り代となる珠が穢され、光の勢力が衰えようとも、守護するエランドが明確な危機に瀕さぬ限りは、怒りすらしないのだ。
しかしだからこそ、サフィータたちエランドの民は、彼女を敬愛し、尽くさずにはいられないのだった。
(そうとも。ヴァイツの者が、かの精霊の依り代を損ねたのならば、光の精霊に代わり、我々が罰を与えねばならない――)
そうやって、サフィータが、膝に置いていた拳に力を入れた、その瞬間。
ざわ、と、聖堂内の空気が揺れた。
いや、厳密にいえば、どよめきは一斉に起こったのではなく、波のようにある場所から広がっていったようだ。
その発生源と思しき場所――聖堂の入り口では、まさに、サフィータが思い描いていた少女が、入場を果たしたところであった。
「…………!」
なにげなく視線を向け、少女をとらえた瞬間、サフィータの目が見開かれる。
それほどに、その姿は鮮烈であった。
沈む前の、もっとも強い光を放つ太陽を背に、凛とこちらを見つめる顔は、まるで奇跡のような美しさ。
透き通るように白い肌には、今ほんのわずかに頬紅が差され、甘露を宿す桃の実のようだった。
曇りのない紫色の瞳、けれどその目じりに塗られたほんのわずかな紅色が、溜息をつきたくなるような艶やかさを引き出している。
丁寧に結われた黒髪には、マンダルの白い花。
かけらの汚れもない白いローブには、先ほど編み上げられたばかりのような、色鮮やかなラーレン。
さらには、彼女が歩くのに合わせて、香水ではない爽やかな柑橘の香りが、ふわりとあたりに漂った。
「なんて……」
巫女たちの間からも、感嘆の溜息が漏れる。
清廉にして艶麗。
まっさらな布のような清潔感があるのに、視線を引き付けてやまぬ華やかさを持った、まるで奇跡のような少女であった。
両脇に、穏やかな笑みをたたえる女官を従えたその図は、もはや、使徒を連れる光の精霊そのものである。
誰もが言葉を失って、少女が歩みを進めるのを見守った。
(あっちゃー……)
一方、奇跡の美少女の皮をかぶった、単なる守銭奴のレオはといえば、一向に収まらぬガン見攻撃に、首をすくめる思いだった。
(ほら見ろ、やっぱ遅刻はいけないってのは、全大陸共通のビジネスマナーじゃねえか。急ごうって言ったのに!)
彼は内心で、カジェやスーリヤに文句たらたらであった。
そう、レオは、なぜか貧民街でやる気にファイアしてしまったらしい二人に、道中ずっと顔や体をいじられていたのである。
ギザギザボーイズたちの担ぐ籠に三人して乗り込み――その籠と担ぎ手の頑強さに、レオは心底驚いた――彼女たちがまず行ったのは、レオの体の洗浄とマッサージ。
グスタフに『あんた聖騎士っていうからには、きれいな水の一杯や二杯、出せるんだろ?』と、威勢よく恫喝してせしめた清水で全身を拭うと、そこにマンダルの皮と、カルとかいう植物の油を揉みこんでいった。香油代わりということだろう。
さらには、振動にも負けず丁寧に化粧を施し、髪を結い上げ。
聖堂に着いた途端走り出して、次に現れた瞬間には、真新しいローブとラーレンを手にしていたのである。
最初の内こそ「異国コスメってのもウケるかも」と真剣に見学していたレオだったが、「これが化粧水代わり」「これがクリーム代わり」「これが下地で」「これがおしろい代わり」「でもナチュラルっぽく見せるためにこっちを塗って」「ここにハイライト」「ここにグラデ」「ここにぼかし」の辺りで頭がパーンとなり、以降は習得を諦めた。
女性の美への執着は魔境の入り口だ。
しかも、繊細な作業が発生するたびに、『ちょっと、籠を止めな! 筆が滑るだろ!』『ああもう! 編み込みはやり直しだ!』と、彼女たちが容赦なく足止めをするため、レオは儀式に遅刻してしまうのではないかと気が気ではなかった。
美しく装うことよりも、レオ的ビジネスマナーである五分前行動を遵守するほうが、彼にとっては優先だったのである。
結局、聖堂の入り口に着いたのは時間ぎりぎりで、扉の隙間から覗いた感じでは、もう皆さんお揃いの感じでいらっしゃった。
『あの……ここはひとつ、そーっと、目立たないように入っていきませんか……?』
と、レオはおずおずと提案してみたのだが――ちなみに言葉遣いも、『あんたは過剰な敬語を取っ払ったほうが、きれいなエランド語になるよ!』と矯正された――、カジェたちは頑としてそれを認めず、じゃーん、という感じで二人が同時に扉を開け放ってしまった。
おかげでレオは、クラス中の注目を集める遅刻犯みたいな格好で、聖堂を突っ切ることになってしまったと、そういうわけである。
(うおおお……見られてる……。めっちゃ見られてるよ……)
突き刺さるような視線とはこういうことを言うのだろう。
両脇を歩くカジェたちは、平然、というか微笑みすらたたえているが――なんてスルースキルの高い人たちなんだとレオは慄いた――、自分としては、ポーカーフェイスを決め込むのが精いっぱいである。
傍目には、それは、俗事に囚われずまっすぐに歩く少女と、それを誇らしげに見守る女官、といった構図にしか見えないのだが、レオはそれに気付いていなかった。
誘導されるがままに場内を移動すると、なんとサフィータの真正面にたどり着く。
じっとこちらを見下ろしていた彼と目が合ったので、気まずさをごまかすべくへらりと笑みを浮かべると、サフィータは一瞬その青灰色の瞳を見開き、ついでさりげなく視線を逸らした。
『――それではこれより、讃頌の儀を執り行う』
どうやら本当にレオ待ちだったらしく、到着するやいなや、サフィータがすっとその場に立ち上がり、涼やかな声でそう告げる。
彼は、元王子という身分だからなのか、大賢者の一人としてなのか、この儀式の進行役を務めるらしい。
起立した彼とは逆に、巫女や女官たちは、いっせいにその場に跪いた。
讃頌の儀では、まずエランドの導師たちが祈りを捧げ、光の精霊を顕現させる。
しかる後に、各国の巫女が一人ずつ歩み出て、名乗りと讃頌を行い、光の精霊の反応を待つのである。
『いとも麗しき気高き、約束の土地の守護者にして大陸を統べる光よ。御身の豊かな黒髪に忠誠の口づけを捧げ、慈愛の瞳の前に額づく我らに、永久の喜びを許したまえ。蒙昧の道に光を投げかけ、人の子の家を、その温かな輝きで満たしたまえ――』
サフィータの発声を皮切りに、頭衣をまとったほか九人の導師たちが、深く首を垂れて祈りを唱える。
古代エランド語だ。
単に古めかしい言い回しというだけではなく、イントネーションや発音の仕方に独特の癖があって、その歌のような不思議なリズムは、聞く者を精霊の世界へと誘うかのようだった。
(……いや。正確に言えば、精霊っつか、夢の世界にだな、こりゃ)
一定の規則性を帯び、うねるように高音と低音を行き来する声は、まるで振り子のように人の眠気を引き出してくれてしまうのであった。
横目で伺えば、早くも舟をこぎ出している巫女たちが何人もいる。
まあ、暑いなか出歩き、意味も分からぬ古代エランド語を延々聞かされるとなれば、無理もないだろう。
だが、真っ先に眠りに落ちそうなレオは、意外にもまったく眠気を覚えなかった。
なぜならば――
(なんかこの祈り、光の精霊っつか、金の精霊様を称えてるっぽい!)
この祈りの内容というのが、レオの信仰する金の精霊様に捧げられているものに思われてならなかったからである。
レオからすれば、蒙昧を切り開いてくれるのも、家や懐を温めてくれるのも、すべて金の精霊様の御業だった。
(へへ、水のカー様事件で反省して、今回、古代エランド語を猛勉強してきてよかった)
内容さえ理解できれば、この延々精霊を褒めつづける祈りというのは、「俺、あの子のここが好きでさ」「俺はこういうとこも好きだな」「いやいや、あの子ってこういうところもあるよな」みたいな感じで、好きな人のいいところをエンドレストークしているだけのようにも聞こえてくる。
むしろ自分もそれに加わりたいくらいの思いで、レオは持てる集中力のすべてを注ぎながら、祈りに真剣に聞き入っていた。
その姿に感心したのは、むしろ周囲のほうである。
特に、同年代の他国の巫女たちや、その後ろで控える女官たちは、少女の見せる真摯な態度と己の寝ぼけ眼とを比較して、恥じ入るような思いだった。
そしてまた、少女の美しいこと。
神聖な装束に身を包み、静かに跪拝する姿は、さながら一幅の絵画のようである。
巫女たちは、帰国したら真っ先にこの少女のことを、王や家族に報告しようと考えた。
と、そのとき。
――パァァァ……ッ
日没を控え、薄暗くなりかけていた聖堂に、真昼のごとき光が満ちはじめる。
光の精霊の、顕現であった。
頭上に高く結い上げ、それでもなお豊かに流れる髪は、温かみを感じさせるつややかな黒。
人間にはありえぬ、完璧な左右対称に整った白い顔には、神々しい金色の瞳。
優しく引き結ばれた唇は慈愛をにじませ、すっと頤を上げて佇む姿には、何人にも侵せぬ気高さがある。
まさに至高精霊にふさわしい、麗しく凛とした姿であった。
ほう、とどこからともなく溜息が漏れる。
魔力も精霊力も持たぬ多くの姫君からすれば、このように光が突然満ち溢れる光景ひとつを取っても、大いに心を揺るがす奇跡だ。
さらに彼女たちが目を奪われたのは、玉座に下りた光の精霊と、そのすぐ傍に跪くヴァイツの巫女の、あまりの似通いぶりだった。
瞳の色こそ違えど、その黒髪、美しい顔、気品ある佇まい。
二人が対峙する様子は、まるで合わせ鏡のようである。
あるいは、はっとしたように精霊を見つめる少女は、まるで天と地に引き裂かれた姉に再会した妹であるかのようだった。
だが。
(う……うおおおおおおおおお!?)
妹役を担う少女の中身は、残念ながら、まったく品なく驚愕の雄叫びを上げる、ただの突き抜けた守銭奴であった。
(生・光の精霊! すっげえ! 目が金色! すっげえ! 金の精霊様みたい!)
レオは感動していた。
顕現自体は、すでにカーネリエントを見ているのでさほど驚くまいと思っていたのだが、さすがに至高精霊中の至高精霊というべきなのか、光の精霊には、レオのすすけた魂ですら揺さぶってくる鮮烈な神聖さがあった。
というよりか、光の精霊の姿が、予想以上に、レオの思い描く「金の精霊様」のお姿にそっくりで、そういった意味でレオは先ほどから感動に打ち震えているのであった。
(すげえ! 美しい! 最高! 超タイプ!! ――ああ、髪も金色だったらもっといいのに!)
レオはもう、この精霊は金の精霊様ってことでいいんじゃないかな、と思いはじめていた。
熱のこもった視線を向ける姿とは裏腹に、不信心きわまりない発想である。
魂を抜かれたように、うっとりと見入っていると、やがて祈りを終えたサフィータが、顕現を寿ぎ、その場に跪いた。
『――大陸に、あまねくご慈悲を』
いよいよ各国の巫女による讃頌が始まる、という合図である。
一番目に奏上することになっている――つまり、もっとも小さい国の出身であるということだが――巫女が、はっと顔を上げ、慌てた様子で玉座の前に歩み出た。
彼女はぎこちない動きで礼を取ると、拙いエランド語で名乗りを上げる。
そして精霊の地を称えはじめた。
『精霊の地、が、東、シャルカス王国の三のむすめ、リタと、申す、ます。精霊の地、エランドは、……アロゥ、陽光が、美しく……アロゥ、白い、石の、建物が……アロゥ』
おそらく、アロゥというのは、彼女の国の言葉で「ええと」とか、そういった言葉なのだろうなと、興奮した頭の片隅で、レオは冷静に分析した。
リタ嬢は、その後もつっかえつっかえ、大量のアロゥを発生させながらなんとか讃頌を終え、耳まで真っ赤にして顔を伏せる。
すると、傍の女官がいくつか言葉を補足してくれ、それをさらにサフィータが古代エランド語に置き換え、光の精霊に伝えた。
どうやら、さすがに古代エランド語を話せという要求には無理があるため、こうした通訳作業が発生しているらしい。ややこしいことだ。
次いでサフィータが、発言に嘘偽りはないか、などといくつか質問し、リタがそれに答えると、ようやく彼女の讃頌は終わった。
精霊は、柔和な表情は崩さなかったものの、微笑みはしなかった。
リタが下がると、そこから次々に寿ぎの巫女が歩み出て、それぞれ讃頌を行っていった。
十の国と地域の巫女が寿ぎを終えるまでに、レオは十の国の言葉の「ええと」を覚えた。
どうやら彼女たちは、レオのように遠くではなく、聖堂近辺のメジャーな観光地に、少々足を伸ばしただけらしい。
寿ぎに出てくる描写も、「陽光がまぶしい」「白亜とモザイクの建築が見事」「食事が繊細で上品」など通り一遍で、あまり大したインプットがなかったことが窺える。
そりゃあ、観光地ナイズされきった場所にちょろっと行っただけでは、感想を言うのも一苦労だよな、と、レオは同情を覚えた。
(ふん……大賢者サマは、本気でこの子に精霊を怒らせようってんだね)
一方カジェたちは、最初こそ少女が注目を集めたことに鼻高々の思いであったが、他国の巫女の讃頌を聞くうちに、サフィータの計らいが確実に少女を窮地に追い込みつつあることを悟り、やきもきとしはじめていた。
少女が指定された場所とは異なり、他国の巫女たちの行き先は、どれも、エランドが自慢する風光明媚な観光地ばかりだった。
ある場所は開けた空と大地のコントラストが素晴らしく、またある場所は、百年かかって築き上げた荘厳な聖堂を擁している。
日夜供された食事だって一級品だ。
それらをただ述べれば、どんな拙いエランド語であっても、それ相応にエランドを褒め称える形になる。
しかし――少女が行かされたのは、貧民街。
彼女は気を悪くこそしていなかったようだが、逆立ちしたって、褒める対象にはしにくいものだ。
カジェ自身、あの故郷をどう描写すればエランドを称えることになるのか、想像が付かないくらいなのだから。
(この子の心をくじいて、ヴァイツを怒らせたら銀貨一枚、兵力を動かさせたらもう一枚、エランドを罵らせたら、さらにもう一枚。あたしたちは、この子を追い詰めることしか念頭になかったが、大賢者サマの狙いはあくまで、この子と、この子の国を「加害者」に仕立て上げることなんだ)
今までは、特にその真意を掘り下げることすらしなかった依頼。
しかしここにきて、カジェはその重大さに青褪める思いだった。
もし少女が、貧民街での出来事を話して、精霊の機嫌を損ねたら?
祝福が受けられないくらいならまだいい。
エランドへの不満は精霊への侮辱だとされて、それを口実に、エランドがヴァイツを攻撃することがあったとしたら。
この善良で無欲な少女は、醜い争いの「原因」にされてしまう。
(ああ、くそ……! あの珍妙な言葉遣いを矯正するんじゃなかった!)
道中、この美しく着飾った少女が、完璧なエランド語で讃頌をしてみせたら、どんなにすかっとするだろうとカジェたちは思ったのだ。
それで、良かれと思って少女の言葉遣いを正した。
だが冷静に考えて、あの汚い貧民街での出来事を、どんなに婉曲的に表現したとしても、エランドを褒め称える内容になるわけがなかった。
それくらいなら、少女に珍妙なエランド語を話させて、自分たちが補足するふりをしながら、強引に文意を変えてしまえばよかったのに。
(ああ、くそ……! くそ!)
先ほどは、嫌らしい巡礼の試練から少女を解放してみせたことで、自分たちは興奮しすぎていた。
強い陽光から少女を守り、ほかの巫女が羨むくらいにぴかぴかに磨き立ててやることで、「心をくじく」だなんて依頼は、跳ねのけてやったつもりになっていた。
だが、そうではない。
少女に、精霊の前で語る土地として、あの貧民街を見せてしまった時点で、カジェたちは立派に依頼をこなしてしまっていたのだ。
(どうか、あの場所でのことには、触れないでおくれ……!)
たとえば空が青いとか、太陽が大きいとか。
エランドについての描写はそれくらいでいい。
そうしたら、あとは自分たちが、精霊の満足のいくような美辞麗句に仕立ててみせるから。
『――では最後。ヴァイツ帝国の巫女より讃頌を申し上げる』
気付けば、少女の番が回ってきていた。