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無欲の聖女は金にときめく  作者: 中村 颯希
第三部(完結編)
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7.レオ、嫉妬される(後)

 一瞬黙り込んでしまったナターリアに、グスタフは目をすがめて畳みかけてきた。


「負荷も大きいから一概には言えねえが、寿ぎの巫女は、貴族令嬢にとって花形でもあるんだろ? おまえだってそれに向けて準備してきたろうに、突然出てきたハーケンベルグに、あっさり譲ってよかったのか」

「……よいもなにも、わたくし以上にふさわしい人物がいたから、その者が役割を請け負う。当然のことです」


 感情がにじまないか。

 声が揺れはしないか。

 ナターリアは慎重に点検しながら、努めて淡々と答えた。


 だって、これは真実。

 貴族社会での規範だったし、偽りのない自分の考えだったから。


 しかしグスタフは、猛禽類を思わせる瞳を鋭く細め、まるでこちらの隙を突くように言い放った。


「……おまえ、いつもそればっかだな」

「……は?」

「ふさわしいか、ふさわしくないか。正しいか、正しくないか。俺はそんなクソつまらねえことを聞いてんじゃねえ。おまえが、したいか、したくないかと尋ねてるんだ」


 絶句するナターリアに向かって、グスタフは一歩距離を詰めた。


「お前は以前、ハーケンベルグを無欲と言ったが、俺からすれば、お前のほうがよほど無欲だよ。我がない、って意味でな」


 最後の一言に、すっと心が冷えるのを感じる。

 なにを、と小さく反論するが、相手は容赦なかった。


「友人のために激怒する、皇女のために平静を装う、皇子のために奔走する。耳触りはいいが、おまえ自身(・・・・・)のために(・・・・)、おまえはなにをするんだと問いたくもなる」


 心臓がばくばくと音を立てているのがわかった。


 だめだ。

 彼の問いの先には、触れたくない答えがある。


 小さく「やめて……」と呟いたが、それよりも早くグスタフが言葉を重ねた。


「自分よりふさわしい者がいたら、令嬢の憧れの座も、皇妃候補の座も譲っちまう。おまえはそれでよかったのか? それに向けて時間と努力を重ねてきたなら、面白くないと思うのが普通ではないのか」

「やめて」

「だがおまえは、実に平然としているように見える。俺にはそれが不思議でならんね。おまえには、なにがしたいとか、こうなりたい、って欲はねえのか?」

「やめてください!」


 大きな声で叫ぶと、相手ははっとしたように身を引いた。


 その隙に腕を振り払い、ナターリアはきゅっと己を抱きしめる。

 警戒する猫のような気配に、グスタフが肩をすくめた。


「悪いな、そこまで追い詰めるつもりもなかったんだが――」

「平気なわけ、ないではありませんか」


 遮って低く吐き捨てると、相手は目を見開いた。


「……クリングベイル?」

「平気なわけがない。当然でしょう? 龍徴を手放し、巫女の座も譲って、なにも感じずにいられるほど、能天気な人間ではさすがにありません」


 まただ、とナターリアは思った。


 冷静であろうと、傍観者の立場を貫こうと思うのに、この男の前ではいつも心を搔き乱される。

 普段抑え込んでいる分、制御の効かない感情が、捌け口を求めて体の中でうねっていた。


「そうよ、平気なんかではない。わたくしは今、見苦しいほど追い詰められています。ただしそれは、わたくしが皇妃や、寿ぎの巫女になりたかったからなどではない」


 ナターリアは、体内の毒を吐き出すかのように、かすれた声で言い放った。


「それらの役割を失ったとき、わたくしが空っぽな人間だから――したいことなどないから、だから、嘆いているのよ!」


 一度叫んでしまうと、もう戻れない。

 後から後から湧き出る感情に、ナターリアは喉を震わせた。


「だって、わたくしの前には、『したいこと』よりも『すべきこと』のほうが、いつも溢れていた……!」


 公爵家の娘。

 ナターリア・フォン・クリングベイルは、同じく公爵家の娘だったビアンカが皇女の座に就くまで、帝国で最も身分の高い少女だった。


 至高の身分に恵まれ、それにふさわしい才覚も持ち合わせていた彼女には、早くから様々な教育が施された。

 未来の国母にふさわしい価値観、クリングベイルの毒の操作法、あらゆる学問。


 幼かった少女には、過酷なほどの指導もあった。逃げ出したくなる日もあった。

 それでも、自らのまとうドレス一着分に、ヴァイツの民の一生分の労働が捧げられているのだと知って――それが貴族の、自らの責任だと信じて、耐えた。

 与えられた役割を適切にこなすことが、自分の存在意義なのだと彼女は知っていた。


 皇子となって、欲することを放棄したアルベルトを見過ごせなかったのは、だから、半分は自分のためだ。

 己の欲から目を背け、役割だけを完璧にこなそうとするその姿が、自分を見ているかのようだった。

 彼のために奔走することで、自らへの慰めを、得ようと思った。


 しかし、レオノーラの存在によって呪縛を逃れた従弟を見て――認めよう、ナターリアは、嫉妬した。


 だって、アルベルトはもはや、自らの意志で王座に向かって歩きはじめていて。

 それは、ナターリアとは対極にいる人間の姿だったから。


 元より意志のはっきりしていたビアンカは、精霊の愛し子の地位を得て、ますますその自信を揺るぎないものにしはじめた。

 憐れむべきレオノーラだって、紫の瞳に意志の輝きを浮かべて、アルベルトの隣に立つための努力を貪欲に重ねている。そう、役割だからではなく、「自分がそうしたいから」という理由で、彼女は動いている。


 だから彼女は、追い込まれても龍徴を手放さなかった。――ナターリアとは違って。


「わたくしは……わたくしだけが、空っぽ。役割がないと、なにをしていいかわからない……!」


 皇妃の座や、巫女の座に就きたかったわけではない。

 しかし、いざそれらを譲ってしまうと、自分の存在理由がなくなってしまうようで、怖かった。

 そして、そんな自分が不甲斐なかった。


「……したいことがない人間なんて、いるもんか。あんだろ、おまえにも。なにかしら」


 静かに話を聞いていたグスタフが、そんなことを言う。

 その声は、驚くほどに優しかったが、それに気付く余裕は今のナターリアにはなかった。


 むしろ彼女は、その言葉を聞いて、くしゃりと顔をゆがめた。


「――……想いを……」


 いつも滑らかな文章を紡ぐ声が、みっともないほど震える。


「誰かと、想いを、……交わしてみたかったのです……」


 小さな声で告げると、白い頬を涙の雫が伝った。


 震える唇を押さえるべく、両手で口元を覆う。

 それでも止まらなかった嗚咽が、ひくっと、指の隙間からこぼれた。


「アルベルト様のように、真摯に誰かを慈しみ……ビアンカ様のように、心の底から笑い合って。レオノーラのように、嘘偽りなく、最後まで誰かを信じ、守り抜いて。……役割だからではなく、わたくしが相手を好きで、相手がわたくしのことを好きだから、心を揺らし、触れ合い、通わせ合う……。そういうことを、してみたかった」


 言っていて、自嘲が漏れた。


 なんと幼稚な。

 まるで、もの知らぬ少女のような。


 皇帝や愛し子、皇妃の座にふさわしくありたいと邁進している周囲に比べ、自分の欲というのは、なんて、馬鹿らしいのだろう。

 こんなこと、普通の人間であれば、欲せずとも実現しているはずなのに。


「ですが」


 震える喉を叱咤して、気力を掻き集める。ナターリアはグスタフのことを睨みあげると、口の端を引き上げてみせた。


「あなた様のせいで、その欲も捨てました。ロマンスなど絵空事だと、知ってしまったから。……おかげさまで、わたくし、ものの見事に空っぽですわ」


 泣き崩れるのではなく、せめて相手を睨みつけることができて、よかった。


 ナターリアは手の甲でさっと涙を拭うと、その身をひるがえした。

 進路がふさがれているならば、わきの扉から去ればよい。


 が。


「――きゃっ!」


 ぐいと、またも腕を引かれて、ナターリアはバランスを崩した。


 そのまま腰に手を回され、体を反転させられる。

 気付けば相手の腕の中にいた。


「な、に……」


 影が落ち、相手の顔が近づいているのを悟る。

 軽く伏せられた琥珀色の瞳と、硬直したまま視線をかわし――


 次の瞬間、唇に熱を感じた。


「…………! …………っ、…………!」


 二度、腕を突っ張り逃れようとする。

 が、二度ともしっかりと引き戻された。


 数秒だったか、数十秒だったか――。


 熱い吐息とともにグスタフが唇を離したとき、ナターリアの顔は燃えそうなほど赤くなっていた。


 ふら、と腰が砕ける。

 そのままずるりと床に崩れそうになったところを、再度抱き止められ、近くの長椅子に座らされた。


 そうして行き場をふさぐように、立ったままの相手が、とん、と右手を長椅子の背についてくる。

 彼は至近距離から、例の睦言を囁くような口調で告げた。


「ガキが、人生過去形で語ってんじゃねえよ」

「な……な、なな……な……っ」


 対するナターリアは、魚のようにはくはくと口を開閉するだけだ。

 グスタフは愉快そうに笑うと、ナターリアの顎を掬い、親指で唇をなぞった。


「血毒の紅を塗ったおまえはなかなかの美人だったが、泣き顔のほうが――そそるな」

「…………っ」


 絶句するナターリアに、まごうかたなき肉食系導師は、ぐっと顔を寄せた。


「腰が砕けたようだが、月が上るころには治るだろう」


 そのフレーズに、はっと息を呑む。

 ナターリアの脳裏に、いつか聖堂で交わした遣り取りがよみがえった。


 ――痺れは、明け方には取れるでしょう。


「帰り道、おまえがその逆上せた顔のせいで、愚かな男どもに付け狙われないことを願ってるよ。くれぐれも、頭と頬を冷やしてから帰るように」

「……あなた……っ」


 きっとまなじりを釣り上げたナターリアの髪を、グスタフはあやすように撫でた。


「ごきげんよう?」


 そして最後ににやりと笑い、聖堂の奥へと去っていく。

 ナターリアは呆然とその後姿を見送った。


「――……なんと、いう……」


 熱が、こみ上げる。


 それまでの鬱屈した思いも、葛藤も、嘆きもなにも、すべてを吹き飛ばして、源泉のような感情が体の内から湧き上がる。

 ナターリアは、いまだ燃えるような頬をぎゅっと両手で押さえ込んだ。


「な、なんということを……っ。なんて、ふしだらな……! なんて……!」


 情熱的な。


 ナターリアは、混乱のあまりじわりと涙をにじませた。

 こんな感情、自分は知らない。


 だいたい、人々を導くべき導師のくせに、一回りも年下の学生に口づけるとは、なにごとなのだ。


「け……賢者候補のくせに……っ」


 レオあたりが聞いたら「ぶほぉっ!」と茶を吹きそうな罵り言葉を、なんら含みなく呟いて、ナターリアは前の長椅子の背に顔を突っ伏した。

最後で台無し

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◆無欲の聖女 4巻まで発売中
無欲の聖女4
― 新着の感想 ―
[良い点] グスタフがなにかする度に、なにか言う度に、もうなんかおかしくてしんどいです。もう純粋な目でグスタフのこと見れなくなってしまったようです。 クソォ…キツいぜ………今すぐそんな痛々しいことはや…
[一言] うわあぁぁあ!! 胸がいっぱいいっぱいて苦しくなりました……! ドキドキワクワクが止まりません!! 主人公のお話も主人公の周りが繰り広げているお話も読んでいて楽しくて楽しくて…!!ありがとう…
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