落第貴族とハズレスキル【翻訳】【三】
アルフィ・ロッドの冒険譚――その始まりから遡ること数時間。
十五歳という若さにして、B級という高みへ登り詰めた女冒険者――ティア・ミストリア。
亜麻色の美しい長髪・強さと優しさを備えた琥珀の瞳・大きく豊かな胸、誰もが認める絶世の美少女だ。
『精霊剣姫』の異名を取る彼女は、ギルドの要請を受け、難関ダンジョン禅霊洞窟を訪れていた。
その目的は、ダンジョン内に犇くモンスターの掃討。
ダンジョンに自然発生するモンスターは、定期的に討伐しなければならない。
もしも長期間にわたってこれを怠れば、ダンジョンの内部に多くの穢れが溜まり、通常よりも遥かに強力なモンスターが生まれてしまう。
高い知能と魔力を持つ個体は、いずれダンジョンの外へ出て人里を襲い始める。
冒険者ギルドはこれを阻止するため、定期的な『間引き』を実施しているのだ。
「しかしティアさん、マジで強ぇな……っ」
「あぁ、さすがは歴代最速でB級に上り詰めた天才剣士だぜ」
ティアに同行する三十人は、全員が将来有望なD級冒険者。
今回の間引きには、育成の意味も含まれていた。
「――ふぅ、強敵だった」
第一層から第九層までのモンスターを一匹の漏れもなく掃討し、最上層に君臨するサイクロプスを仕留めた直後――異変が起きる。
「……ッ!?」
突如出現した時空の歪、そこから一人の男がヌッと姿を現した。
「――おや、先客がいらっしゃいましたか」
紫色の長髪・蛇の如く鋭い目・クラウンメイクの派手な顔、道化師のような衣装を纏う長身の男。
彼は不気味な笑みを浮かべながら、軽い挨拶とばかりに濃密な殺気を放つ。
「「「……ッ」」」
凄まじい『圧』を受けたD級冒険者たちは、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。
敵の脅威を瞬時に把握したティアは、迅速かつ的確な判断を下す。
「――総員撤退! ここは私がなんとかしますので、みなさんは応援を呼んできてください!」
彼女の大声が気付けになり、心神喪失状態から回復した冒険者たちは、我先にとダンジョンから離脱していく。
「即決即断、素晴らしい判断力ですねぇ」
余裕の笑みを浮かべる道化師に対し、ティアは鋭い視線を向ける。
「その特異な魔力……あなた『魔人』ね?」
「さぁ、それはどうでしょうか」
「隠しても無駄よ。精霊たちの反応を見れば、あなたが魔人だということは一目瞭然。――でも、ちょうどよかったわ。魔人には、聞かなければならないことがあるの」
「あはは。下等生物の問いに、この私が素直に答えるとでも?」
「それなら、力尽くで聞くまでよ……!」
ティアは《せいれいごうけん》ファルスを掲げ、謎の魔人に斬り掛かる。
「この清浄な力……なるほど、精霊術ですか。人族にしては、中々やりますねぇ」
「それはどう、もッ!」
彼女は間髪を容れず、鋭い斬撃を繰り出すが……。
道化師は飄々とした姿勢を崩さず、迫り来る攻撃をいとも容易くいなしていく。
「ふぅむ、確かに見どころはありますが……まだまだ青い。下等生物の域を出ていませんね」
男が右手をあげると同時、幾重にも重なった魔法陣が、空中を埋め尽くした。
「これ、は……!?」
「精霊術にも見飽きてきました。そろそろ幕引きにしましょう」
時空を歪ませるほどの大魔法は――突如、ピタリと止まる。
「……何やら妙な魔力がこちらへ近付いていますね。『特級』でも呼びましたか?」
「さぁ、それはどうでしょうね?(この近くに特級冒険者が……!? なんにせよ、これは僥倖……!)」
「ふむ……。私、面倒くさいのは嫌いなので、今日のところは失礼させていただきます」
道化師はパンと手を打ち、時空間魔法を発動。
禅霊洞窟から、別の座標へ飛ばんとする。
「ま、待て……! お前の仲間に『隻腕の剣士』はいないか……!?」
「隻腕の剣士……あー、一人いますよ」
「……っ」
「あはは、何やら浅からぬ因縁があるようですね」
道化師が笑いながら指を鳴らした次の瞬間――無数の魔法陣が大地を埋め尽くし、モンスターの大軍勢が産声をあげる。
しかも――。
「これは……変異体……!?」
召喚されたモンスターは、その全てが『変異体』。
変異体はダンジョン内で極稀に発生する、強力なモンスターの総称。
彼らは『大魔王の寵愛』を授かったと言われており、その討伐難易度は最低でもB級以上――通常種の数倍の力を誇る強敵だ。
「それではお嬢さん、またどこかでお会いする機会があれば――」
「ま、待て……! お前にはまだ聞きたいことが……!」
ティアの静止も虚しく、道化師の男は時空の彼方に消えていった。
「くそ……っ」
貴重な情報源を取り逃した彼女に、絶望的な現状が立ち塞がる。
眼前にズラリと並ぶは、変異体の大群。
スライム・ゴブリン・ウェアウルフ・オーガ・ハーピー・ゴーレム・グレムリン――まるで『モンスターの見本市』だ。
「私は……こんなところで死ぬわけにはいかない……っ。――精霊よ、我がしらべに応えよ!」
精霊術の出力を最大まで引き上げたティアは、ありったけの魔力を解放し、変異体のモンスターに斬り掛かる。
永遠にも思える、長く苦しい戦いの果て――。
「はぁはぁ……。ラスト、一匹……ッ」
最後に残ったのは、このモンスター郡の頂点――ミノタウロスの変異体。
(魔力は底を突き、左腕は碌に上がらない。それでも、まだ……!)
ティアは気力を振り絞り、大地を強く蹴り付ける。
「ハァアアアアアアアア……!」
「グモオオオオオオオオ……!」
一合・二合・三合――激しい剣戟が始まった。
(このミノタウロス、これまでの変異体とは『格』が違う……っ)
巨大な黒牛は速く・硬く・強く――混じりけのないシンプルな暴力の化身。
既に満身創痍の彼女には、荷が勝ち過ぎる相手だ。
(……マズい、このままじゃ殺られる……ッ)
まさに絶体絶命となったそのとき――最上層の入り口に人影が見えた。
「はぁはぁ……。増援です、か……!?」
ティアが期待の視線を向けるとそこには――どこからどう見ても駆け出しの冒険者が、一人ポツンと立っていた。
白い髪に紅い瞳、見るからに人の好さそうな優しい顔つき。
難関ダンジョンである禅霊洞窟に挑むには、あまりにも軽過ぎる装備。
歴戦の風格はおろか覇気の欠片もない、極々普通の少年だ。
「駄目、逃げて……っ」
咄嗟に忠告を発した直後、視界が黒く染まった。
「しまっ……!? が、は……ッ」
不覚。
ミノタウロスの強烈な裏拳をまともに受けたティアは、大きく後ろへ吹き飛ばされ――ダンジョンの壁に全身を強打、重力に引かれて地面にずり落ちる。
視界は明滅し、体はピクリとも動かない。
「――だ、大丈夫ですか!?」
駆け出し冒険者が、こちらを心配する声をあげた。
(……馬鹿。私なんか放っておいて、今のうちに早く逃げるのよ……っ)
必死に警告を送ろうとしたけれど、ティアの体にはもはや声を発する余力さえない。
彼女が頭をフル回転させ、この窮地をどう凌ぐか必死に考えていると――少年はミノタウロスと向き合い、戦う姿勢を見せた。
(……何を、しているの……?)
それだけは、絶対にあり得ない選択だ。
たとえ駆け出しの冒険者といえども、このミノタウロスの恐ろしさぐらいは本能的にわかるはず。
そんなティアの考えは、次の瞬間に吹き飛ばされた。
「――<禁書庫>」
少年が禍々しい黒剣と魔導書を握ると同時、彼を纏う空気が一変する。
(……え……?)
先ほどまで頼りなく見えた少年は、ほんの瞬きの間に歴戦の風格と重厚な覇気を纏う、一流の冒険者になっていた。
彼の変化を、その大き過ぎる脅威を本能的に感じ取ったのだろう。
ミノタウロスはすぐさま標的を変更、招かれざる冒険者へ突撃し、巨大な戦斧を力いっぱいに振り下ろす。
「グモォオオオオオオオオ……!」
「黒の太刀・伍ノ型――天現破断」
闇の斬撃は巨大な戦斧を粉々に砕き、黒牛の右腕を刎ね飛ばす。
「グ、モ……グモォオオオオオオオオ……!」
激昂したミノタウロスは渾身の左拳を放つが、少年は流れるような体捌きでそれを回避――がら空きの胴体へ横蹴りを見舞う。
「――フッ!」
「モゴ、ァ……!?」
ダンジョンの外壁まで蹴り飛ばされたミノタウロスは、なんとか必死に立ち上がろうとするが……。
「ガ、モ……ッ」
受けたダメージがあまりにも大き過ぎて、膝を突いたまま動けずにいた。
(……嘘でしょ……)
たった一撃。
少年がなんのけなしに放った蹴りによって、あれほど強かったミノタウロスが虫の息になっている。
(あの人間離れした膂力は、間違いなく肉体強化系のスキル。それも信じられないほど高位のものね……っ)
死の淵に立たされた黒牛は、壮絶な雄叫びをあげ、その双角に大魔力を集中させる。
(あれは、<黒天雷砲>……!?)
凄まじい魔力が大気を揺らし、ミノタウロスが邪悪に嗤う。
しかしその直後――さらなる大魔力がダンジョン全体を揺らした。
(な、何よ、アレ……っ)
生物の根源的な恐怖を刺激する、漆黒の大魔力。
その中心に超然と君臨するのは、古びた魔導書を開いた少年。
身の毛もよだつ邪悪な魔力が空間を侵食していく中、
「グモォオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛……!」
「――<日輪の夜・幽玄死龍>」
邪悪な黒龍と螺旋の黒雷が激突。
凄まじい衝撃波が吹き荒れ、砂埃が巻き上がる。
(な、なんて破壊力……っ)
幽玄死龍は黒天雷砲を食い破り、ミノタウロスを燃やし尽くしてもなお衰えず、禅霊洞窟の外壁に巨大な風穴を穿ち、遥か遠方の山々を吹き飛ばした。
(人間の限界を超えた膂力、見たこともない異常な出力の大魔法……。彼はいったい何者なの……っ)
驚愕と動揺が収まらぬ中、
(あ、あれは……!)
消えゆくミノタウロスの体から、生命の波動が零れ落ちる。
淡い光を放つその結晶は――『生命の輝石』。
万病を治すと言われる伝説の薬石であり、ティアが長年にわたって探し続けてきたものだ。
(あの石さえあれば、お母さんの病気を治してあげられる……っ)
少年の足元に転がった生命の輝石。
彼はそれをヒョイと拾い上げ、異空間へ収納してしまった。
「……お願い、待って……。お礼なら、なんでもしますから……その石を、私に……っ」
少年のもとへ手を伸ばし、掠れた声で懇願するが……。
既に体力と魔力の限界を超えていたティアの意識は、そこでプツリと途絶えてしまった。