落第貴族とハズレスキル【翻訳】【一】
名門冒険者貴族ロッド家の末弟、アルフィ・ロッド。
俺は小さい頃から、神代の英雄譚が大好きだった。
神代の英雄譚――それは伝説の勇者パーティが、破滅の大魔王を討ち滅ぼす千年前の物語だ。
頼れる仲間たちと人類未踏の地を冒険し、恐るべき力を持つ魔王軍と激しい戦いを繰り広げ、旅の終わりには大魔王を討ち滅ぼし、世界に平和をもたらす。
自分もいつか、伝説の勇者のように強く立派な冒険者になりたい。
そんな夢を胸に秘め、必死に努力を続けてきたけれど……。
残念ながら俺には、冒険者としての才能がまるでなかった。
「はぁ……、何度見ても糞みてぇな太刀筋だな……。アルフィにゃ冒険者なんて無理無理。才能ねーから、やめちまえ」
「アルフィ……あなたその年になって、まだ初級魔法も使えないの? ほんと、どうしようもないグズね」
剣術の天才である兄さんと魔法の天才である姉さんから、毎日のように嫌味を浴びせられる。
それでも俺は、毎日必死に修業し続けた。
体を鍛え、剣を振るい、魔法の勉強に励んだ。
『努力はいつか報われる』――英雄譚にあった伝説の勇者の言葉を信じ、ただひたすらに頑張り続けた。
それに何より、
(俺にはまだ大逆転のチャンスが――『スキル』という可能性が残されている……っ)
十歳になった人族は、神殿で『星刻の儀』を行い、主神ルド様からスキルを授かることができる。
そこで兄さんは【剣聖】、姉さんは【賢者】という超強力なスキルを獲得し、冒険者として華々しいデビューを飾った。
たとえ俺に冒険者としての才能がなかったとしても、ルド様から戦闘用の強力なスキルを授かれれば、大逆転することができるのだ。
それから時は流れ、ついに運命の日がやってきた。
今日は俺の十回目の誕生日。
俺は父さんに――ロッド家の当主バラン・ロッドに連れられて、神殿に来ていた。
「――バラン・ロッドだ。我が不肖の倅アルフィ・ロッドに、ルド様の御慈悲を賜りたい」
「かしこまりました」
父さんは神殿に既定の洗礼料を支払い、神官様たちは星刻の儀の準備に取り掛かる。
俺はその間に祭壇の中央部へ移動し、主神ルド様を象った像の前に膝を突き、静かに目を閉じた。
荘厳な空気が漂う中、いよいよ星刻の儀が始まる。
神官様が聖歌を謡い、主神ルド様へ祈りを捧げる。
そうして儀式が完了した瞬間、魔法陣から眩い光が解き放たれ、神殿のあちこちから驚きの声があがった。
「こ、この神聖な輝きは……!? バラン殿、お喜びください! 貴方のご子息は、世界でただ一つの超強力なスキルを……『ユニークスキル』を授かろうとしております!」
「おぉ、そうか!」
神官様と父さんの興奮した声が響いた次の瞬間――世界がグラリと揺れ、視界が黒一色に染まる。
(なん、だ……これ……?)
奇妙な浮遊感が全身を包み込み、
「■■■■、■■■■■」
誰かの呼び声が、聞こえた気がした。
直後、
「痛……っ」
強烈な頭痛が走り、それと同時に視界が元に戻る。
俺は鈍痛の残る頭をさすりながら、ゆっくりと立ち上がり、周囲を軽く見回した。
……特に何かが起きた様子はない。
どうやら今のは、ちょっと重めの眩暈だったようだ。
「――わぁっはっはっはっ! よくやったぞ、アルフィ! まさか『百万人に一人』とも言われるユニークスキルを授かるとは……さすが私の息子だな!」
父さんは満面の笑みを浮かべ、俺の背中をバシンと叩く。
「は、はい……! ありがとうございます!」
やっと家族の一員として認められたような気がして、とても嬉しかった。
「さて、神官よ。うちのアルフィは、いったいどんなユニークスキルを授かったのだ? んん?」
「バラン殿、それが……なんと言いますか、その……」
「ふははっ、お前も人が悪い! そうもったいぶらず、さっさと教えてくれ!」
父さんに押し切られた神官は、その重たい口をゆっくりと開く。
「……【翻訳】スキル……でございます」
「ほ、翻訳ぅ……?」
「はい……。ルド様のお告げによれば、『汝、万の言語を解し、文化の発展に寄与する者』とのことでした」
「それはつまり……どういうことなのだ!?」
「誤解を恐れず、率直に申し上げるならば……非戦闘用の『ハズレスキル』でございます」
「……そう、か……」
興奮から落胆、落胆から失望、失望から諦観。
父さんの瞳は、昏く淀んでいった。
「……アルフィ。お前は昔から、ずっと出来の悪い子だった。それでも私は、心のどこかで信じていた。『誇り高きロッドの血から、こんな愚物が生まれてくるはずがない。きっと隠された才能があるはずだ』、と。しかし、それは間違いだったようだ。……嗚呼、お前なんて、生まれてこなければよかった……」
「そ、そんな……待ってください! このスキルだって、上手く使えば――」
「――翻訳するしか能のないゴミスキルで、どう戦うというのだ?」
「それは、その……っ」
咄嗟に言い返せなかった。
【翻訳】は、どこまでいっても翻訳するスキル。
何をどう使ったって、戦闘に活かすことはできない。
「――落第貴族アルフィ・ロッド、貴様を当家から追放する」
こうして俺は、ロッド家を追い出された。
途方に暮れたまま、行く当てもなく歩いていると――気付けば、冒険者ギルドの前に立っていた。
「クエストクリアー! おつかれさまぁー!」
「くぅ~、やっぱ仕事終わりの一杯はたまんねぇな!」
窓越しに見える中の光景は、とても眩しかった。
「あぁ……そっか。もう全部終わったんだ……」
冒険者ギルドに所属し、冒険者として活動するためには、主神ルド様より『戦闘用のスキル』を授からなくてはならない。
これは暗黙の了解ではなく、はっきりと明文化された規則だ。
つまり、俺はもう――冒険者になれない。
小さい頃からずっと抱いてきた「伝説の勇者のように強く立派な冒険者になる」という夢は、あっけなく死んでしまったのだ。
「……ははっ。俺は今まで、何をやってきたんだろうな……」
ここにきてようやく『心』が『現実』に追いつき、胸の奥がギュッと締め付けられる。
強く歯を噛み締め、無力な自分を呪っていると――冒険者ギルドの扉が開き、見知った二つの顔が出てきた。
「おっと、悪ぃ。……って、なんだ、アルフィかよ」
「あなた、こんなところで何をしているの?」
タイミングの悪いことに、兄さんと姉さんに出くわしてしまった。
しかもその後ろには、二人の所属する冒険者パーティの面々がズラリと続いている。
「そう言えばアルフィ……お前確か今日、『星刻の儀』を受けに行ったんだよな? よぉよぉ、ルド様からどんなスキルを授かったんだ?」
「どうせ碌でもない雑魚スキルに決まっているけれど……まぁいいわ。姉として、一応聞いておいてあげる」
「……」
俺は視線を伏して黙秘する。
自分の無能っぷりをこんな大衆の面前で晒したくなかったのだ。
すると――。
「おいおい……。お兄ちゃんの問い掛けに対して、無視はねぇんじゃねぇの? ……ぶち殺すぞ?」
「あなたに拒否権なんてないの。いいから、さっさと答えなさい」
兄さんは腰の刀に手を伸ばし、姉さんは右手に灼熱の炎を浮かべた。
「……っ」
大当たりの戦闘用スキル【剣聖】と【賢者】――その絶対的な力を前に、反抗などできるわけもない。
俺は悔しさと恥ずかしさを噛み締めながら、正直に答えることにした。
「……翻訳スキル、です……」
「「ほ、翻訳スキル……?」」
兄さんと姉さんは顔を見合わせ――お腹を抱えて笑い出す。
「くっ、くくく……だーっはっはっはっ! こいつは傑作だ! この馬鹿、よりにもよって『非戦闘用のハズレスキル』を引きやがった!」
「ぷっ、ふふふ……っ。アルフィは昔から、埃臭い英雄譚が好きだったものね。よかったじゃない。これで古今東西、いろいろな本が読めるわよ?」
二人の嫌味に反応して、後ろの冒険者たちはドッと嗤い出す。
「~~っ」
これでもかという嘲笑を受けた俺は、その場から逃げ出した。
「はぁはぁはぁ……ッ」
走って駆って疾って、街外れの森に辿り着く。
シンと静まり返った世界で膝を突き、独り天を仰いだ。
「……なんでだよ……」
心の声が漏れ出し、一筋の涙が零れ落ちる。
俺はこれまで、人一倍努力してきたつもりだ。
兄さんや姉さんが友達と遊んでいるときも、娯楽に耽っているときも、惰眠を貪っているときも――ずっとずっと頑張ってきた。
誰よりも体を鍛え、誰よりも剣を振り、誰よりも魔導書を読み漁った。
それなのに……どうして二人の方が強いんだ。
「どうして俺は……こんなにも弱いんだよ……ッ」
拳を握り締め、地面を殴りつけたそのとき――どこからともなく、『声』が聞こえてきた。
「●●●●、●●●●●」
それは子どものような、女性のような、小動物のような、不思議な声。
何を言っているのか、何を伝えようとしているのか、何を訴えているのか、まったくわからない。
だけどなんとなく、俺を呼んでいるような気がした。
「……誰か、いるのか?」
謎の声に導かれるようにして、森の奥へ奥へと分け入っていく。
すると――ぽっかりと開けた空き地に出た。
「な、なんだ……?」
そこは一目で『異質』とわかる空間だった。
黒い土・枯れた草・淀んだ空気――この場を構成するものが、全て等しく死んでいる。
否、死んでいるのだが、生きている。
死という過程の中で、その現象が固定されているように見えた。
不思議で不可思議な空間――その中心に漆黒の大木がそびえ立つ。
どうやら不思議な声は、この木の中から響いているようだ。
「木が呼んでいるのか……?」
恐る恐る漆黒の樹皮に触れた次の瞬間、
「……え?」
俺はいつの間にか、無人の荒野に立っていた。
枯れた大地には数多の武器が突き立てられ、無数の古書が山のように積み上げられている。
「こ、ここは……?」
周囲をキョロキョロ見回していると、
「――ここは世界の裏側。本来ならば存在しない時空の間隙。儂はこの空白を『禁書庫』と呼んでおる」
威厳に満ちた女性の声が降ってきた。
ゆっくり視線を上げると、大きな岩の上にゼリー状の青い塊。
すっぽりと両手に収まりそうなサイズ感のそれは、どこからどう見ても『最弱のモンスター』スライムなのだが……。
「す、スライムが喋った……!?」
言語を解するモンスターなんて、生まれて初めて見た。
「ふっ、中々いい反応を見せてくれるではないか」
謎のスライムは満足気に体を揺らし、ゴホンと咳払いをする。
「――儂の名はラスト。禁書庫の番をしておる者じゃ。して、お主の名は?」
「えっと……自分はアルフィ・ロッドです」
名乗られたからには、名乗り返すのが礼儀だ。
しかし、まさかスライムに自己紹介する日が来るなんて、思ってもいなかった。
「アルフィ……。そうか、アルフィか。ふっ、その名前は実に耳馴染みがよいのぅ」
ラストさんは何故か嬉しそうに微笑んだ後、真剣な眼差しをこちらへ向ける。
「――問おう。アルフィ・ロッド、お主の願いはなんじゃ?」
「願い、ですか……?」
「我が禁書庫に至る者はみな、その身に余る大望を抱いておる。儂は善いスライム故、そやつらの手助けをしておるのじゃ。――さぁ、お主の願いを聞かせてくれ」
「俺の願い……」
それは――伝説の勇者のように強く立派な冒険者になること。
だけど、この夢はもう終わってしまったんだ。
「……ふむ、何やら複雑な事情があるようじゃのう。どれ、話してみるがよい」
「……」
「こう見えて儂は、遥か悠久の時を生きておる。お主の抱えている問題にも、アドバイスの一つや二つはしてやれるはずじゃ。最悪それが解決の糸口にならずとも、誰かに悩みを打ち上げるだけで、存外に気持ちは楽になるものじゃぞ?」
「………そう、かもしれませんね」
それから俺は、これまでのことを簡単に話した。
「――なるほどのぅ。伝説の勇者に憧憬を抱き、幼少期から努力を続けてきたが、終ぞ実らず。父親から落第貴族と蔑まれ、家を追い出されたというわけか」
無言のまま、コクリと頷く。
「くっ、くくく……ッ。それはまぁなんというか、救いようのないほど無能な男じゃのぅ」
「……はい、俺は本当に駄目な男で――」
「――何を勘違いしておる? 儂が言っておるのは、アルフィのことではなく、お主の父親のことじゃぞ」
「……え?」
「ユニークスキル【翻訳】――これほど汎用性の高いものを『ハズレスキル』と見誤り、あまつさえ『金の卵』を家から追い出すとは……。あまりに滑稽過ぎて、笑い話にもならぬわ」
ラストさんはクツクツと嗤い、ゼリー状の体をぷるぷると揺らす。
「で、でも……父さんの言う通り、翻訳するだけのスキルじゃ、モンスターは倒せませんよ?」
「ふっ、『要は使いよう』というやつじゃ。――さぁ、これを持て」
ラストさんは体の一部を触手のように伸ばし、色褪せた古書を手渡してきた。
そこには、見たこともない文字がズラリと並んでいる。
「この本は……?」
「神代の魔導書じゃ。本来ならば、神魔文字の解読に百年。文法の把握に百年。魔法構成の理解に百年――都合三百年を要する。しかし、アルフィの【翻訳】スキルがあれば、即座に理解できるじゃろう?」
「は、はい……っ」
本を埋め尽くすのは、依然として未知の文字。
だけど、そこに書かれている内容は、不思議と理解することができた。
「よく覚えておくがいい。それが【翻訳】を――スキルを使う感覚じゃ」
「なるほど……」
俺は『スキルを使う』という初めての感覚を噛み締めながら、神代の魔導書を読み進めていく。
どうやらこの本は特定の魔法について記されたものではなく、魔法の教本らしい。
そして――そこに書かれてあるのは、どれも目から鱗の内容ばかりだった。
(……凄い……)
これまで学んできた現代魔法、その常識を全て塗り替えるほど強烈で革新的なものだ。
「よし、一通り目を通したな? ではそこに記されておる方法で、魔導における基礎中の基礎――『錬』をやってみるがいい」
『錬』・『構』・『展』は、魔法発動までの三段階を指す。
魔力の『錬』成・術式の『構』築・魔法の『展』開――スリーステップの頭文字を取ったものだ。
ただ……。
「すみません。俺、保有魔力が少な過ぎて、錬ができないんです……」
「保有魔力が少ないじゃと……? おいおい、見え透いた謙遜はよせ。お主のそれは、どう見ても――あぁ、なるほどのぅ……。大方、どこぞの毒親兄姉に吹き込まれたのか」
「……?」
ラストさんは納得したように頷いた後、優しい声色で語り掛けてきた。
「アルフィよ、安心するがよい。お主の体には、十分な量の魔力が宿っておる。だからほれ、その魔導書に書かれてあるやり方で、錬をやってみるのじゃ」
「……わかりました」
俺はラストさんの言葉を信じ、魔導書にあったやり方で錬を行う。
すると次の瞬間、
「……え?」
漆黒の暴風が吹き荒れ、途轍もない大魔力が禁書庫を埋め尽くした。
「ほぉ、これはこれは……随分と立派な錬ではないか!」
「あ、ありがとうございます。だけど、どうして……!?」
「アルフィの魔力は、ちと異質なのじゃ。現代の遅れた魔法理論では、お主の優れた魔力を正しく出力できん。つまり――お主が不出来なのではない。お主が劣っているのではない。お主が弱いのではない。間違っているのは、現代の低レベルな魔法理論の方じゃ」
「……っ」
体の奥底から、熱いものが込み上げてくる。
「おっと、この程度で満足してもらっては困るぞ? 【翻訳】スキルの真価は、まだまだここからじゃ」
ラストさんはそう言って、刀身も柄も鍔も――全てが漆黒の剣を取り出した。
「これは『無銘の黒剣』。その一生を剣術に捧げた、とある化物の一振じゃ。先の感覚を忘れぬうちに、この黒剣を翻訳してみるがよい」
「剣を翻訳……ですか?」
「うむ、『百聞は一見に如かず』。さぁ、疾く実行に移すのじゃ」
「は、はぁ……わかりました」
俺は言われた通り、手元の黒剣に翻訳を使ってみる。
すると次の瞬間、
(~~ッ!?)
黒剣から莫大な情報が押し寄せてきた。
血の滲むような地獄の修業・研鑽に次ぐ研鑽・恐ろしい強敵との死闘、様々な情景が目まぐるしく浮かび上がってくる。
それと同時――剣の術理が、流派の技が、珠玉の体捌きが、この体に沁み込んでいくのがわかった。
おそらくこれは、黒剣に宿った記憶。
かつてこの剣を振るっていた持ち手の経験だ。
「黒剣の記憶、しかと読めたな? では早速、その成果を見せてくれ」
「は、はい……!」
俺は翻訳を通じて得た経験を噛み締め、全力で剣を振るう。
「ハッ!」
刹那――凄まじい風切り音が轟き、三つの斬撃が空間を斬り裂いた。
「おぉ、素晴らしい太刀筋ではないか! とても落第貴族の斬撃には見えなかったぞ?」
「は、はは……っ」
思わず、乾いた笑いがこぼれる。
【翻訳】は、ただ文字を翻訳するだけのスキルじゃなかった。
武器に宿った使い手の経験を読み取り、それを俺に還元してくれるのだ。
俺の、俺だけの【翻訳】は、ユニークスキルの名に恥じない最高のスキルだった!
「――さて、アルフィよ。この禁書庫には最高の神代の魔術書と歴戦の武器がある。これらを翻訳し尽くしたとき、お主はどれほど強くなっておるかのぅ?」
「……っ」
想像しただけで、体の芯が震える。
「さぁ、神代の修業を始めようか!」
「はい!」
俺はもしかしたら――伝説の勇者のように強く立派な冒険者になれるかもしれない。
そんな希望を胸に抱きながら、禁書庫での修業を始めるのだった。