悪役王女
ホルファート王国の王宮に来ていた。
今日はアンジェに頼んで、ある人物との面会を予定している。
控え室には、俺、アンジェ【アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ】と、マリエがいた。
アンジェもマリエも私服姿だ。
学園はまだ春休み期間中だからね。
「リオン、エリカ様との面会の許可は取れたが、本当にマリエも連れていくつもりか?」
マリエまで面会させる理由が分からないのだろう。
普通ならあり得ないが――マリエを連れて行く理由が俺にはある。
「色々と確認があるからね。それから、こいつには兄君を籠絡したことを謝罪してもらう」
マリエは項垂れている。
「勘弁してよ。もう、色んな人に怒られたんですけど!」
希代の悪女と呼ばれる女の正体が、実はポンコツな転生者だと誰が思うだろうか?
そのため、アンジェもマリエを警戒していた。
「――お前が決めたのなら文句は言わない。だが、失礼なことはするなよ」
アンジェが納得してくれたようで何よりだ。
「そっちは大丈夫。今回は、婚約できませんって言うだけだし」
「言い方を間違えれば失礼になるぞ。もっとも、この場合はどうなるのだろうな」
悪役王女のエリカ――何を間違えたのか、俺との間に婚約の話が出ている。
しかも、かなり具体的に、だ。
既に、エリカの婚約者とは婚約破棄をしているらしい。
アンジェはそちらの心配もしている。
「フレーザー家もどう動くか分からない。リオン、本当に注意しろよ」
「分かっているって。いざとなれば、ルクシオンもいるから大丈夫だよ」
視線をルクシオンに向けると、
『――面倒ごとを押しつけるのが得意ですね。出来れば、対処可能な内に私に頼っていただければ助かるのですが?』
毎回、ギリギリのタイミングで面倒ごとを解決させてきたので、嫌みを言うようになっている。
嫌みを言う人工知能というのも凄い話だな。
「俺はお前を信用しているからな」
『心のこもっていない白々しい台詞ですね。よくもそれだけ嘘が言えたものだと、感心しています』
「――お前はもっと本心を隠して俺を敬えよ」
『嫌です』
何とも冷たい人工知能だが、面倒ごとを拒否すると言わないところが従順じゃないか。
ルクシオンには頑張ってもらうとしよう。
すると、部屋に侍女が入ってくる。
「アンジェリカ様、エリカ様の準備が整いました」
「そうか。すぐに行く。リオン――後は任せるぞ」
アンジェに言われ、俺は頷いて部屋を出ていく。
マリエも付いてくるのだが――さて、悪役王女様の顔を拝みに行くとするか。
◇
通されたのは――お茶をする準備が整った部屋だった。
先に待たされている俺とマリエは、隠れているルクシオンも交えて話をする。
「マリエ、分かっているな?」
「当然よ、兄貴」
俺がマリエを連れてきた理由だが――女の嘘を見抜くのは、女ということだ。
「私、性格の悪い女を見抜くのは得意よ。あざとい女はすぐに分かるわ」
『何とも凄い特技ですね』
「下心がある女ってすぐに分かるのよね。鼻に付くのよ」
『おや、同族嫌悪ですか?』
「丸いの、あんた私のこと嫌いなの?」
『いいえ、他の新人類よりも高く評価していますよ』
マリエは自分と同じ、あるいは裏のある女を見抜く自信があるそうだ。
その特技で、エリカを判別してもらうために連れてきた。
俺では判断に困るからな。
「お前と同じタイプだったらすぐに見抜けるな」
「ちょっと待って。どういう意味よ?」
マリエが納得できないという顔をしていると、侍女に手を引かれて王女殿下が部屋に入ってくる。
緩くウェーブした長い黒髪は艶があって綺麗だった。
小柄ながら、しっかりと胸やお尻に肉が付いているのが分かる。
少女から女性になろうとしている女子は――どこかマリエに似ていた。
似ている要素は少ないのに、どうしてそう思ったのだろうか?
優しそうな垂れ目は黒い瞳だ。
ミレーヌさんの娘だけあり、将来有望そうだった。
この子にあのローランドの血が入っているとか信じられない。
エリカ――エリカ様は、俺たちを見ると微笑む。
「お待たせして申し訳ありません。バルトファルト侯爵。それから――マリエさん」
瑞々しい唇が俺たちの名前を呼ぶ。
白い肌。
まるでお人形さんのよう、とは失礼だろうか?
だが、それだけ完成されたような美しさがあった。
俺はハッとして、すぐに挨拶をする。
「お、お初にお目にかかります。自分は――」
クスクスとエリカ様が俺を笑う。
馬鹿にしている感じではなかった。
「存じておりますよ。国を何度も救ってくださった英雄殿ですからね」
俺よりも年下のはずなのに――中身を含めれば、確実に俺の方が人生経験を積んでいるはずなのに、目の前にいる女の子に勝てる気がしなかった。
マリエを見ると――目を見開いて驚いている。
おい、それはどういう反応だ? どっちだ? どっちなんだ?
実は良い子でした、の方がありがたいが、本当に屑な人だったら面倒になる。
アンジェのようなパターンもあるし、早めに知っておきたいのだが――。
「こうしてお話をする機会は、私も欲しかったのです。バルトファルト侯爵にも、言いたいことがあるでしょうから」
「あ、はい」
間抜けな返事をしてしまう自分が情けない。
エリカ様が着席すると、侍女が給仕を行う。
ただ――エリカ様は、そんな侍女に言う。
「少しの間だけ席を外していただけますか」
「エリカ様、ですが――」
侍女は俺たちを警戒している様子だった。
「大丈夫です。この方たちは聡明ですからね。ここで私に何かをするなんてあり得ませんよ」
侍女は一礼して部屋を出ていく。
それにしても、聡明と言われると照れてしまう。
ルクシオンがテーブルの下から『マスターには似合わない言葉ですね』とか言っているが、無視して会話を再開した。
「エリカ様、単刀直入に言います。俺との婚約ですが、納得されていますか?」
国の都合で婚約破棄をさせられ、見ず知らずの男に嫁がされる。
納得しているはずがない。
そう思っていたのに――。
「それが私の務めですから」
――この年齢で割り切っていた。
「いや、でも」
「私は民によって生かされています。そんな私が、個人的な理由で婚姻を取りやめるなど出来ません。国のためになると“母上”が判断したのなら、その決定に従うだけです。――バルトファルト侯爵はお嫌でしょうが、母上の決定に私が反対することはありません」
――どうしよう。実は私も納得できないの! という感じで、ミレーヌさんに抗議してくれると思ったのに。
想像以上にお姫様だった。
アンジェもそうだが、ガチのお姫様って覚悟決まりすぎじゃない?
「王女殿下、俺は今回の婚約に納得が出来ません」
「そうでしょうね。それは理解しています。ですが、私から言えるのは、侯爵に相応しい妻になるように努力するということだけです」
いきなり手詰まりだ。
俺が助けを求めるようにマリエを見ると、こいつはまだ動揺していた。
――お前、少しは役に立てよ!
「バルトファルト侯爵、既にこの婚約は個人の感情で破棄できるような――」
エリカ様の話の途中で、マリエが立ち上がった。
俺が驚くと、エリカ様も驚いて口を閉じる。
だが、更に驚くことになる。
「エリカ――あんた、もしかして――」
俺はすぐに立ち上がり、マリエを座らせるのだった。
「おい、馬鹿! 何で呼び捨てにした! 不敬だろうが」
こいつを連れてきたのは失敗だった。
そう思っていると、エリカ様も目を見開く。
マリエは俺の手を払いのけ、テーブルにしがみついた。
「ファミレス! え、えっと、名前は出てこないけど、近くにバッティングセンターがあるの! 野球選手の絵が描いてある看板があるの。そのファミレスの人気メニューは――」
「おい!」
何を言い出すのかと思っていると、マリエの話の続きを口にしたのは――エリカ様だ。
「――ドリアとハンバーグのセット」
ルクシオンがテーブルの下から出てくる。
『マスター、これはどうやら』
「いや、嘘だろ」
エリカ様も転生者だった。
その可能性も考えてはいた。
だが、あり得ないのはここからだ。
マリエがポロポロと涙をこぼしている。
「エリカ――エリカァァァ!」
エリカ様も同様だ。
「母さん――なんだよね?」
目を潤ませ、そして指で涙を拭っていた。
衝撃過ぎて理解が追いつかないが――エリカ様は、俺の前世の姪っ子だったのか?
「おい――これ――いったいどうするんだよ」
立ち上がったマリエが、エリカ様に抱きついてワンワン泣いている。
「エリィィガァァァ!」
鼻水まで出してマリエが泣いていた。
そんなマリエの頭を撫で、エリカ様は優しく抱きしめている。
「母さん。また会えたね」
――いや、これどっちが親だよ。
普通は逆じゃない?
◇
王宮内の別室。
そこにいるのは、ローランドとミレーヌだった。
「ミレーヌ、あの小僧を可愛いエリカに会わせる許可を出したそうだな。何故だ!」
呆れかえるミレーヌは、ローランドに冷静に返す。
「いずれ夫婦となるのです。面会するのなら早い方がいいでしょう」
「私は認めていない!」
「では、エリカ一人のために国を焼きますか?」
ミレーヌの冷たい瞳に、ローランドはたじろいでしまう。
一旦、呼吸を整える。
「――レッドグレイブ家が王位を簒奪すると本気で考えているのか?」
積もり積もった王国への不満は、解消されたわけではない。
それに、今まで優遇されてきた貴族たちも、いきなりの扱いの差に納得できずにいた。
「多少のリスクを抱えてでも、リオン君を王宮で囲います。それがもっとも被害の少ない方法ですよ」
「だが――」
「レッドグレイブ家だけではありませんよ。力のある貴族たちは、これを機に王国から独立を考えています。彼らにとって今が好機なのです」
戦争をしていないだけだ。
少しでも今の均衡が崩れれば、王国はすぐに各地で内乱が起こるだろう。
ミレーヌが強引にリオンとエリカの婚約を決めたのは、もう時間が無かったからだ。
「貴方に解決できるのなら、すぐにでもエリカの婚約を破棄して構いませんよ」
そんなミレーヌの挑発に、ローランドは乗らなかった。
「冗談を言うな。お前に出来ないことが、私に出来るわけがない」
「そうやって、いつも貴方は逃げるのですね」
「効率的と言え」
ミレーヌは有能だ。
ローランドはそれをよく理解しているし、王妃としては満足している。
だが、妻としては――別だ。
「ミレーヌ、お前はこのままあの小僧の飛行船を、王家の船の代わりにするつもりか?」
「切り札のなくなった王国には絶対に必要では?」
「お前の故郷が危ないからではないのか?」
「えぇ、それも理由ですよ。ですが、今の王国に内乱をしている余裕はないのですよ」
アルゼル共和国が事実上の敗北。
強国が倒れ、各国の政治的なバランスが崩れている。
非常に危険な時期だった。
下手をすれば、対外戦が始まってしまう。
今の王国は火薬庫で火遊びをしているような状況なのだ。
「――リオン君には納得してもらいます。アンジェも同様です」
「そのために娘を差し出すのか。お前は王妃としては立派だが、母としては失格だな」
「その決断を私にさせたのは貴方でしょうに!」
二人の言い合いが収まり、しばらく無言の時間が続く。
ローランドは、思い出したように部屋から出ていく。
「おっと、そろそろ予定の時間だ」
「また、新しい女のところに向かうのですね」
「お前はそうやって、事細かに調べるから駄目なのだ。男は適度に遊ばせるのがいい妻の条件だぞ」
逃げるように部屋からローランドが去って行くと、ミレーヌが呟く。
「――いい夫の条件を満たしてから言って欲しいですね」
◇
ローランドは、王宮を抜け出すと知り合いの男と会う。
その男は、王宮に勤めている者だ。
ローランドとは付き合いが長く、学園時代からの友人だった。
「待たせたな」
「陛下、火遊びも程々にしてください」
気の弱そうな男に注意されるも、ローランドは聞く耳を持たない。
「馬鹿を言うな。美女を追いかけるのが男という生き物だ」
「ですが、相手は――」
「分かっている。何の問題もないから、お前は安心して俺に手を貸せ」
ローランドが建物の中に入ると、そこには金髪の女性が待っていた。
年齢は二十代前半。
ローランドに作った笑顔を向けてくる。
「あ、陛下!」
「ここではローランドと呼んで欲しいね」
「そうでしたわね。では、ローランド様、今日はどうされますか?」
「そうだな。――メルセの柔肌で癒してもらおうか。年増女にいびられて、もうクタクタだからな」
「あら、それは大変でしたね」
この非常時に、ローランドは新しい愛人に会いに来ていた。