思わぬ居候②~最初の夜~
2019.2/12 更新分 1/1
「要するに、俺はファの家で狩人としての修練を積ませてもらいたいのだ」
俺が母屋のかまどで晩餐の仕上げにかかっている間、ラウ=レイは意気揚々と語らっていた。
森から帰ってきたアイ=ファは、立てた片膝に頬杖をついて、その言葉を聞いている。その顔は、もちろんこれ以上ないぐらいの仏頂面である。
「先日の収穫祭の力比べについては、お前たちも聞いているだろう? 俺は今回、ダルム=ルウとジーダに土をつけられてしまい、勇者の名を得ることがかなわなかったのだ。レイの本家の家長として、これでは家人にしめしがつかん! だから、これまで以上の力をつけなければならんのだ!」
「……ギラン=リリンとて、これまではそうそう勇者の名を得る機会はなかったというではないか。しかし、それが狩人の恥になることはないはずだ」
「ギラン=リリンは、毎回ドンダ=ルウとダン=ルティムに挑んでいた変わり者だからな。しかし今回も、ギラン=リリン自身が前回の勇者であったために、同じ勇者のドンダ=ルウらに挑むことはできなかった。が、あやつは俺を打ち負かしたダルム=ルウとジーダを退けた上で、また勇者の座を守ることになったのだ! つくづく、俺が不甲斐なかったということなのだろう!」
「……ルウの血族にはあれほど優れた狩人がひしめいているのだから、わざわざファの家に押しかける理由はあるまい? お前たちは休息の期間にあるのだから、いくらでも修練できるではないか」
「そう思って、昨日まではルウやルティムやリリンの家を巡っていたのだ! それで俺は、自らの弱さを思い知らされた! いつの間にか、俺はあやつらにまったく太刀打ちできなくなってしまっていたのだ!」
アイ=ファが溜め息をついていたので、俺がかまどのかたわらから声をあげることになった。
「ちなみ、あやつらってのは誰のことなのかな? ダルム=ルウやジーダだけじゃないみたいだね」
「うむ! 今回勇者になった8名のすべてだ! ドンダ=ルウやダン=ルティムはもちろん、ジザ=ルウもダルム=ルウもルド=ルウもシン=ルウもガズラン=ルティムも、以前より遥かに強くなっていた! あやつらに打ち勝たない限り、俺は永遠に勇者となることはかなわないのだ!」
そのように語るラウ=レイは、さきほどから元気いっぱいの様子であった。悔しがっているというよりは、高い目標に邁進することに胸を躍らせている様子なのである。
「それに、ジーダやミダ=ルウもな! あやつらにも、せいぜい3回に1回ぐらいしか勝つことができんし、ギラン=リリンなどには手も足も出なかった! これではますます、勇者の座は遠のいてしまうであろう?」
「……だから、そこまで勇者の名に固執する必要はあるまい。お前とて、ルウの血族で有数の力を持つ立派な狩人ではないか?」
「だったら、俺とお前ではどちらが力のある狩人であるのだ? お前には、他者の力量を見抜く眼力というものが備わっているのだろう?」
「……それはあくまで推測であり、確かな証のある話ではない」
「つまり、俺に負ける気はしないということだな? 実際に俺は、お前にも負けているからな! だから、俺が修練をする相手にはうってつけだと思ったのだ!」
アイ=ファは何度目かの溜め息をつきながら、金褐色の髪をかきむしった。
「そうだとしても、血族ならぬ家に押しかけるというのは、普通の話ではあるまい。……いや、私の手の空いている時間であれば、修練につきあってやらなくもない。しかし、数日にも渡ってファの家に逗留させよというのは、いったいどういう了見であるのだ?」
「それはだな、ファの人間ともっと絆を深めたいという思いがあったからだ。この数日ばかりで血族の人間とはずいぶん顔を突き合わせたので、そろそろ血族ならぬ人間を相手にしてもよかろうと思ってな」
あくまでも明朗に、ラウ=レイはそのように言い放った。
「以前にレイの家は、ジーンの家と家人を貸し合っていた。小さき氏族の間でも、同じように家人を貸し合っていたはずだ。しかし、ファの家は家人がふたりしかいないので、どの氏族とも家人を貸し合うことができなかったのだろう? ならば、このようにして絆を深めるしかないではないか」
「いや、しかし……」
「最近は、なかなかファの人間と顔をあわせる機会もなかったからな。だいたい、アスタなどは毎日のようにルウの家を訪れているのに、ずるいではないか。俺だって、もっとお前たちと絆を深めたいと願っているのだぞ」
そこでラウ=レイが、ぐりんと俺に向きなおってくる。
「もう間もなく、ダン=ルティムの生誕の日がやってくる。お前はまた、その日にルティムの家までおもむくつもりなのだろう、アスタよ?」
「あ、うん。ダン=ルティムに今年も頼むぞと言われてしまったので……」
「お前たちは、ルティムの家とも深い絆を結んでいる。しかし、レイの家とは、さっぱりではないか。それはやっぱり、ずるいと思うぞ!」
「だからといって、本家の家長が血族ならぬ氏族の家に逗留するなどとは、森辺の習わしにもそぐわぬ行いであろうが?」
アイ=ファが毅然と反論したが、ラウ=レイの楽しげな表情に変わりはなかった。
「さまざまな古き習わしを打ち砕いてきたファの人間が、いまさら何を言っているのだ。森辺の民は、すべての同胞と絆を深めるべきであるのだろう? 俺がいま、もっとも絆を深めたいと願っているのは、お前たちファの人間だ。だから、数日ばかり逗留したいと願っている。どこかおかしいところがあるか?」
「おかしいと言えば、すべてがおかしい。お前の中に、遠慮や慎みという気持ちはないのか?」
ラウ=レイは「ない!」と高らかに宣言した。
アイ=ファは、がっくりと肩を落としている。
「前々から思っていたのだが……年を重ねているぶん、お前よりもダン=ルティムのほうが、よほど分別をわきまえているのであろうな」
「うむ。俺は若き頃のダン=ルティムに似ていると言われることが多いぞ。まあ、レイとルティムも長きに渡って血の縁を重ねてきたのだから、何も不思議なことではあるまい」
そう言って、ラウ=レイはあぐらをかいたまま、ぴんと背筋をのばした。
「では、これから数日間、よろしく頼むぞ、アイ=ファにアスタよ」
「誰もまだ、お前たちの逗留を許してはおらん! ……おい、家長が道を踏み外したら、それを諫めるのは家人の役割であろうが?」
俺の手伝いをしてくれていたヤミル=レイは、冷ややかな面持ちでアイ=ファを振り返った。
「その家長を諫めることなんて、誰にもできはしないわよ。あなたもいま、それを身をもって知ったのではないかしら?」
「……では、お前もファの家に居座ろうというのだな?」
「ええ。あなたが家長を説得できないのならね」
アイ=ファは暗澹たる面持ちで、額に手をやっていた。
それを見て、ラウ=レイは不思議そうに小首を傾げる。
「どうしてそこまで、俺たちの逗留を嫌がるのだ? まさか、俺たちのことを嫌っているわけではなかろうな?」
「……分別を持たぬ人間は好かん」
「では、他の部分を好いてもらうしかないな!」
本日のラウ=レイは、なかなかの強敵であるようだった。どれだけアイ=ファが冷たく突き放そうとしても、それを笑顔で弾き返してしまうのだ。
元来、ラウ=レイは短絡的な人間である。ちょっと気に食わないことがあると、反射的に手が出てしまうという、なかなかに危ういタイプであるのだ。が、本日は終始笑顔で、機嫌を損ねる様子もない。それは何故なのかと考察すると――どうやら、ファの家に逗留するという一大イベントに胸を躍らせて、とびっきりの上機嫌であるためのように思われた。
(こんな無邪気な顔で迫られたら、さすがのアイ=ファも対処に困るんだろうなあ)
なにせラウ=レイの原動力は、俺やアイ=ファに対する好意なのである。尻尾を振って近づいてくる子犬をじゃけんにするのが難しいように、アイ=ファはラウ=レイの存在をもてあましているように見受けられた。
「それにな、お前はさっき、手の空いている時間ならば修練につきあってやらなくもないと言ってくれたであろう? しかし、それでは足りないのだ! 朝から中天になるまでの時間、俺はお前にみっちり鍛えてもらいたいと願っている」
「馬鹿を言うな。私にとて、家の仕事というものがあるのだ」
「だからそれは、お前が森に入っている間、俺が片付けておいてやる。俺ならば、中天になってからでも森の端で薪やピコの葉を集めることもかなうからな。あとは薪割りや、ピコの葉を乾かしたり、毛皮をなめしたり、干し肉を作ったりといったところか? 干し肉だけは、あらためて作り方を学ばなくてはならないかもしれんが――」
「あ、この近在では、担当の氏族がまとめて干し肉を作ってるんだよ。ファの家は家人が少ないから、銅貨を払って埋め合わせをしてるんだよね」
俺が口をはさむと、アイ=ファにじっとりとにらまれてしまった。
いっぽう、ラウ=レイは「そうか」と笑っている。
「最近では、干し肉の作り方もずいぶん手がこんでいるという話だったからな。その仕事を果たさなくて済むなら、幸いだ」
「それじゃあ、もともとの干し肉の作り方は知ってるのかい? あと、毛皮のなめし方も承知しているような口ぶりだったね」
「当たり前だ。狩人としての修練を始める前は、誰でもそういった女衆の仕事を手伝わされるものなのだからな」
「なるほど」と俺は納得した。
それでアイ=ファが、毛皮のなめし方を体得していないというのは――おそらく、その手ほどきを受ける前に、母親が魂を返してしまったためであるのだろう。人知れず、俺はしんみりすることになった。
「しかし、朝から中天までそのような修練につきあわされていたら、私の力が尽きてしまうではないか」
「何も、アイ=ファ自身が俺と取っ組み合う必要はない。ルド=ルウやシン=ルウにも修練を手伝ってくれるように頼み込んでおいたので、アイ=ファはそれを見届けて、俺に助言を授けてくれればよいのだ」
「……私はお前の父でも兄でもないのだぞ?」
「俺に父や兄はいないし、レイの家人に俺より強き狩人はいない。昨日まではルウやルティムやリリンの人間に面倒を見てもらったから、明日からはお前にその役を願いたいのだ」
そこでラウ=レイは、ひさかたぶりに真面目くさった顔をこしらえた。
「ファの家に逗留できるという喜びで、さっきから浮かれた姿を見せていたかもしれん。しかし、俺は心底から、お前に学びたいと願っているのだ。シン=ルウがあれほどの力をつけることができたのは、きっとお前の助言があってこそなのだろうからな」
「そのようなことはない。シン=ルウには、もともと才覚があったのだ」
「その眠っていた才覚を引き出したのが、お前であるのだ。その場に立ちあっていた俺が言うのだから、間違いはないぞ」
ラウ=レイは握った右拳を床につき、アイ=ファのほうにぐっと身を乗り出した。
「俺は、女衆でありながらそれほどの力を持つお前のことを、心から尊敬している。俺は、お前のように強くなりたいのだ。……どうか力を貸してくれ、アイ=ファ」
淡い水色の瞳が、真正面からアイ=ファを見つめている。
同じ水色でも、マルフィラ=ナハムやモラ=ナハムとはまったく異なる、猟犬のごとき眼光だ。アイ=ファはしばらくその瞳を見つめ返してから、やがて溜め息とともに言葉を吐き出した。
「……数日間というのは、具体的にどれぐらいの日取りであるのだ?」
「そうだな。ダン=ルティムの生誕の日はお前たちもあれこれ慌ただしいであろうから、その日の朝までということにしておくか」
「では、今日を含めて4日ていどということだな。……その期間、ファの家の習わしに従うことを誓うか?」
「もちろんだ。それが森辺の禁忌に触れぬ限り、何でも従うぞ!」
アイ=ファは5秒間ほど沈思すると、これ以上ないぐらい渋々といった様子で言った。
「わかった。……ラウ=レイの逗留を認めよう」
「ありがたい! 感謝するぞ、アイ=ファよ!」
はしゃぐラウ=レイに、アイ=ファは「しかし」とつけ加える。
「どうしてお前ばかりでなく、ヤミル=レイまでもが逗留しなくてはならないのだ? あやつは毎日アスタの仕事を手伝っているのだから、十分に絆は深まっているだろうが?」
「だが、お前とはほとんど言葉を交わしていないのだろう? これを機会に、お前とヤミルにも絆を深めてもらいたく思っている」
それからラウ=レイは、実に無邪気な様子で白い歯をこぼした。
「それに俺も、ヤミルとは離れていたくないのでな。俺がファの家に逗留するならば、あいつを家に置いていくことはできん」
「…………」
「それに家の連中は、いまだに俺とヤミルの婚儀を認めようとしないのでな。俺が家を空けてしまったら、その間に別の男衆に婚儀をもちかけようとたくらむかもしれん。そのような真似を、させてなるものか」
アイ=ファは至極複雑そうな面持ちで、ヤミル=レイの姿を盗み見た。
「余所の家の婚儀に口出しする気はないが……お前は本家の家長であるのだから、家人の反対があっても婚儀をあげることはできるのではないか?」
「俺は家人に、心から祝福されたいのだ。ならば、長きの時間をかけてでも、あやつらに納得してもらう他あるまい」
俺のかたわらで、今度はヤミル=レイが溜め息をこぼした。
「わたしは永久に、誰とも婚儀をあげることはかなわないかもしれないわね。まあ、それはそれで森の思し召しなのでしょうけれど」
「案ずるな! どれほどの時間がかかろうとも、必ず俺があやつらを納得させてやるからな!」
ラウ=レイがそんな風に宣言したところで、ようやく料理が仕上がった。
配膳はヤミル=レイにおまかせして、俺は寝所にティアを迎えに行く。
「お待たせしたね。晩餐ができあがったよ」
「うむ。話も終わったのか?」
何か大事な話があるということで、ティアは自ら寝所に引きこもっていたのだ。俺は「そうだね」と答えながら、ティアの小さな身体をそっと抱えあげた。
寝具の上に立ち上がったティアは、壁づたいで広間に向かう。まだまだ傷は痛んでいるはずだが、身体がなまりきってしまわないように、可能な限りは自分の力で動こうと努めているのだ。
そうしてティアが寝所を出ると、ラウ=レイが「おお」と陽気な声をあげた。
「待たせたな、赤き野人よ。……しかし、手傷を負ってもうひと月は経つというのに、お前はまだそのように不自由な身であるのか?」
「うむ。無理に動くと、くっついた肉が破れてしまいそうになるのだ。シュミラルという者にも、痛みが引くまでは無理に動くなと言われている」
ティアは壁から手を離すと、頭に水の入ったバケツでも乗せているような慎重さで、そろそろと自分の席に向かった。
治療をしたシュミラルの話によると、ティアの傷は肋骨に傷がつくぐらい深いものであったのだ。それで傷口は肩から腰まで達していたのだから、何十針も縫うような重傷だったのである。失った血の量も尋常ではなかったし、普通の人間であればその場で絶命していたであろうという見立てであったのだった。
「難儀なことだな。しかし、お前はアスタを救うためにそれほどの傷を負ったのだから、森辺の民の全員が感謝しているはずだぞ」
「ティアは自分の罪を贖っただけなのから、感謝されるいわれはない」
そのように応じてから、ティアが俺のほうを振り返った。
その顔に、にこりと無垢なる笑みがたたえられる。
「でも、アスタが無事であったことを、ティアも心から嬉しく思っている。アスタの元気な姿を見ると、とても幸福な気持ちになれるのだ」
俺は何と答えればいいのかもわからなかったので、万感の思いを込めてティアに笑顔を返してみせた。
そうしてみんなに見守られながら、ティアはようやく自分の席にぺたりと座り込む。
「では、晩餐を始める」
アイ=ファが口の中で文言を唱えると、ラウ=レイはけげんそうに首をひねった。
「アイ=ファよ、文言がちっとも聞こえぬぞ」
「やかましい。これがファの家の習わしだ。お前たちは好きにするがいい」
「そうか。不可思議な習わしだな。……森の恵みに感謝して、火の番をつとめたアスタとヤミルに礼をほどこし、今宵の生命を得る!」
ラウ=レイは目を閉じて、声も高らかに文言を唱えあげた。それから、期待に輝く目で敷物の上を見回していく。
「それにしても、豪勢な晩餐だ! ファの家では、毎日これほど豪勢であるのか?」
「うん。品数は、いつもこれぐらいだね」
「これだけでも、ファの家に出向いてきた甲斐があったな!」
笑顔のラウ=レイに、無表情のヤミル=レイが料理を取り分けていく。レイの家では、毎晩そうしてヤミル=レイが面倒を見ているのだろうか。それもまた、なかなかに新鮮な光景であった。
本日は、日中の勉強会の成果として、オムライスを準備している。しかしそれだけでは狩人の胃袋を満たすことはかなわないので、ギバ肉のソテーの洋風あんかけに、具材がたっぷりのクリームシチュー、ティノを使ったシーザーサラダ、ルド=ルウも大好きなマッシュ・チャッチを取りそろえていた。
「ふむ。焼きポイタンが見当たらないようだな。どこかにシャスカでも使っているのか?」
「ご名答。この黄色い卵の中にシャスカが隠されてるよ。レイの家でも、シャスカを買いつけたんだよね?」
「うむ。今頃は、家人たちもシャスカを口にしていることだろう」
楽しそうに言いながら、ラウ=レイはオムライスを口にする。その顔が、ぱあっと輝いた。
「このシャスカは、味がまったく違うのだな! 色は朱色だし、けちゃっぷの味がするようだぞ!」
「うん。ルウの家で手ほどきをしたから、そのうちレイの家にも作り方が伝わるはずだよ。お気に召したかな?」
「うむ、美味い!」
数々の祝宴をともにしているラウ=レイであるが、こうして差し向かいで食事をするのは、ほとんど初めてのことだ。少女のように秀麗な面立ちをしたラウ=レイがにこにこと笑いながら食事を進めていくさまは、何とも微笑ましいものであった。
「上に掛かっているのはデミグラス風のソースで、付け合わせはナナールとキノコのソテーだね。聞いてなかったけど、ラウ=レイに苦手な食材とかはないのかな?」
「そのようなものがあるわけがない! ましてやアスタの手にかかれば、どのような食材でもこれほど美味に仕上げられるのだからな!」
「ありがとう。そんな風に言ってもらえたら、嬉しいよ」
そのように答えたとき、俺はふっと視線を感じた。
振り返ると、クリームシチューをすすりながら、アイ=ファが横目で俺をねめつけている。
「……お前はずいぶんと楽しげであるな、アスタよ」
「うん、まあ、確かにラウ=レイと顔をあわせるのはひさびさだったしさ。祝宴なんかでは、あんまり言葉を交わす時間も取れないしね」
どちらかといえば、俺はラウ=レイの申し出を好意的に受け入れていたのだ。ラウ=レイだって大事な友であるのだから、時にはこうしてじっくりと語らいの場を持つことは、やっぱり嬉しく思えてならない。それは、当然の話であるだろう。
しかしまた、アイ=ファの気持ちを理解していないわけでもない。要するに、アイ=ファは俺と過ごす時間を余人に邪魔されたくない、と考えているだけであるのだ。ましてや逗留ともなれば、寝所を男女で分けなければならなくなるので、それが不本意であるに違いなかった。
(しかもアイ=ファは、ヤミル=レイと一緒に眠ることになるわけだしな)
俺はこっそりと、ヤミル=レイのほうをうかがってみた。
ヤミル=レイは、無表情に食事を進めている。それほど冷たい面持ちではないものの、やっぱり内心は読みにくい。愛想のなさではアイ=ファにひけを取らないヤミル=レイであるのだ。
そうして客人のあるときは、ティアも寡黙になってしまう。そうすると、自然に俺とラウ=レイが食事の場を賑わすことになり、結果、俺がアイ=ファににらまれるという結果に落ち着くようだった。
「……そういえば、あのフェルメスとかいう王都の人間は、アスタにたいそう執着しているという話だったな」
と、旺盛な食欲を満たしながら、ラウ=レイがふいにそのようなことを言いだした。
「しかもその理由は、アスタの出自に関係があるのだとか聞いたぞ。それは、真実であるのか?」
「ああ、うん。出自というか、俺が占星師に《星無き民》と呼ばれていることが、あのお人の好奇心を刺激してしまったみたいだね」
「ふん。星読みの術というやつか。そのようなものに執着するのは、愚かなことだ」
ずっとご機嫌であったラウ=レイが、鼻のあたりに皺を寄せる。臭いものでも嗅いだ犬のような仕草である。
「占星師が何をほざこうとも、アスタはアスタであろうが? それ以上に重要なことなど、あろうはずがない。王都の人間というのも、存外愚かなものであるのだな」
「ふうん。何だかラウ=レイは、星読みそのものが気に食わないみたいだね」
「ああ、気に食わん。あの占星師めは、ヤミルに涙を流させたのだからな!」
言葉の意味がわからずに、俺はレイ家の両名を見比べることになった。
ヤミル=レイはいくぶん眉をひそめながら、ラウ=レイをにらんでいる。
「ずいぶん昔の話を引っ張り出したものね。あれは砂が目に入っただけだと言ったでしょう?」
「お前の虚言には騙されんぞ。お前はあの占星師のせいで、涙を流すことになったのだ。まったく、気に食わん」
「ちょ、ちょっと待って。その占星師ってのは、いったい誰のことなのかな?」
ラウ=レイは、ギバ肉のソテーを呑み下してから答えた。
「名前は忘れたが、あの旅芸人の中にいた盲目の老人だ。ルウの集落で、祝宴をともにしただろうが?」
「ああ、ライラノスっていうご老人のことだね。ヤミル=レイは、あのお人に星読みを頼んだのですか?」
それはずいぶんと意外な話を聞かされるものであった。アイ=ファもきわめてうろんげな眼差しでヤミル=レイを見やっている。
「あやつのせいで、ヤミルは涙を流すことになり、俺に虚言を吐くことになった。やはり星読みなどというあやしげなものに関わるべきではないのだ」
「しつこいわねえ。家人の言葉が、そんなに信じられないのかしら?」
ヤミル=レイがそのように言い捨てると、ラウ=レイは電光のような素早さで彼女の肩をつかんだ。
「ヤミルよ、虚言に虚言を重ねるな。森辺において、虚言は罪なのだ。真情をさらしたくないならば、虚言を吐くのではなく、口をつぐんでおけ」
ヤミル=レイは、無言でラウ=レイを見返した。
その末に、ふっと目を伏せる。
「わかったわ、家長。……でも、森辺の習わしを重んじるなら、この手を離してもらえるかしら?」
「ふん。血の繋がりはなくとも同じ家の家人なのだから、虚言を吐くほどの罪にはなるまい」
そのように言いながら、ラウ=レイはヤミル=レイの肩から手を離した。
「まあ、そんなわけでな。俺は星読みというものが、いっそう気に食わなくなった。お前も占星師などの言葉は気にするべきではないと思うぞ、アスタよ」
「うん。俺はそれほど、彼らの言葉を気にしてるわけじゃないよ。ただ、すごい術だなあと感心しているぐらいさ」
そう言って、俺はラウ=レイに笑いかけてみせた。
「さっきラウ=レイが言った通り、占星師に何を言われようとも、俺は俺だからね。ラウ=レイも同じように思ってくれているなら、嬉しいよ」
「俺だけではなく、森辺の同胞すべてがそのように思っているはずだぞ。なあ、アイ=ファよ?」
「うむ。当然だ」
アイ=ファがこちらを見つめてきたので、俺はそちらにも笑いかけてみせた。
森辺のみんながそのように言ってくれるからこそ、俺も迷わずに自分の信じた道を歩めているのだ。占星師がどのような名で呼ぼうとも、俺は森辺の民、ファの家のアスタである――それが正しいと信じられることを、俺はあらためて幸福に思った。