第九話 宣戦布告
それから、目まぐるしく日々は過ぎていき、ヴァーゲの言う三世界統合の日がやって来た。
やる事は当初の予定と変わらない。皆は世界を救って、俺は……。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
母さんの言葉を背に受けて、俺は家を出る。
母さんは全て知ってる。俺に力が無くなって、それでも花蓮を助けに行く事を。
「お、来たね」
玄関を開ければ、良く見慣れた人物が立っていた。
「覚悟は良いかい? なんて、聞くだけ野暮だね」
「うん。大丈夫だよ、父さん」
玄関の前で待っていたのは俺と花蓮の父さんだ。
線が細く頼りない印象を持つけれど、その実、俺が一番頼りにしてる人だと思う。だって、俺達の父さんだもん。頼りにもするさ。
父さんは俺の頭に手を伸ばすと、くしゃくしゃと乱暴に撫でる。
「花蓮の事、頼んだよ。僕達は装置の破壊にかかりきりになってしまうからね。花蓮を救えるとしたら、黒奈しかいない」
「うん、任せて」
最近知った事だけれど、どうやら父さんも契約者の一人らしい。その実力のほどは見た事無いから分からないけれど、今回の戦いに参加するくらいには強いのだろう。
まぁ、力の無い俺が父さんの力を評価するのもおこがましい話だとは思う。
装置の破壊は他の人達に任せて、俺は花蓮を救う。
力はもう無い。だから、その分度胸だけは全部持ってきた。
「行ってきます」
「ああ、気を付けて」
父さんに言って、俺はとある場所へと足を進める。
『どうも皆様、ご機嫌麗しゅうございます。今日のようなめでたい日が晴天である事を嬉しく思います』
足を進める中、空中にヴァーゲが映し出される。
ヴァーゲがこうして現れたという事は、これが結構の合図なのだろう。
『さぁ、猶予は与えました。旧世界に挨拶は済みましたか? 今日この日から、三つの世界は統合され新しく生まれ変わります。太陽だけの日々は終わりましょう。月だけの日々は終わりましょう。我々は太陽と月の昇る等しい日々を送るのです。あぁ、こんなにも素晴らしい日々は無いでしょう』
気色の交ざった声音でヴァーゲは言葉を紡ぐ。
確かに、夜しかない世界は太陽を知ってしまえば寂しく見えるだろう。俺が同じ立場だったとしても、太陽に恋焦がれたかもしれない。
『同胞たちよ。私達の彼岸は達成されます。――が、邪魔は必ず入るでしょう。何せ、君達はこの程度では諦めない。そうだろう? 契約者諸君』
ヴァーゲの眼前にはヒーローや魔法少女が立ち塞がっている事だろう。他の二つの世界にも同様にヒーロー達はいるはずだ。
けれど、こちらと同じく、向こうには器を護るためのファントムが居る事だろう。
相当の力を崩すのは難しい。けれど、難しいだけで決して出来ないわけではない。だからこそ、装置の前に守り手を置くはずだ。
三世界の統合が先か、装置の破壊が先か、俺が花蓮を助け出すのが先か。
勿論、俺の中の答えは決まっている。俺が誰よりも早く花蓮を助け出す。それで終わりにする。
人のいない街中を歩く。この日のために、全員に避難をしてもらった。だから、この街には一般人はいない。
開けた広場。そこに聳え立つ天秤の支柱。
いつの間に立っていたのかは分からない。けれど、存在を知覚されない限り現世には存在していなかったその支柱は、今や誰の目にも知覚する事が出来る。……らしい。メポルはそう言ってた。俺は難しい事は分からないから、メポルが言うんならそう言う事なんだろう。
支柱の前に、一人の青年が立っている。
『「……おや、おやおやおや。まさか、貴方が来るとは思っていませんでしたよ」』
青年の声が二重に聞こえてくる。目の前と、上空から。
青年――ヴァーゲは余裕の笑みを崩す事無く俺を見据える。
ヒーローよりも、魔法少女よりも、俺は今前に立っている。力の無い、ただの一般人に成り下がった俺が、誰よりも前に立っている。
不思議と怖くはない。
「花蓮が待ってるんだから、俺が来ないでどうするってのさ」
俺の声が上空からも聞こえる。ブラックローズじゃない。如月黒奈の声。俺の声は、地球だけじゃなくて、残り二つの世界にも届いてる。
けど、関係無い。良いんだ。ここに居るのはブラックローズじゃない。ここに居るのは、如月花蓮の兄である如月黒奈なんだ。
「来たところで貴方は何も出来ないでしょう? 力を失った貴方に何が出来ます? ああ、泣き落としなら出来ますかね。どうです? 少し泣いて見せれば、私も良心の呵責に苛まれるかもしれませんよ?」
挑発的なヴァーゲの言葉。
少し前の俺だったら頭に血が昇ってただろう。けど、今の俺は違う。
「力なんて要らない」
「……なんですって?」
「力なんて、必要無い。何が出来るかなんて関係無い。どれも、何も、まったく関係無い。俺が今、何が何でも、他の何を置いてもしなきゃいけない事はただ一つだから」
「……はっ、はははっ! 力が要らない? 力無くして何が出来るのです? 力があった時でさえ貴方は私に敵わなかった! そんな貴方から力が無くなれば、いったい何が出来るというのですか?」
今の俺に何が出来るか。うん、多分、殆どなんにもできない。
ヴァーゲに勝てない。ファントムに勝てない。人助けだって出来ない。皆を勇気づけてあげる事も出来なければ、皆の希望になってあげる事も出来ない。
桜ちゃんの憧れにはなれない。輝夜さんが好いてくれたブラックローズにはなれない。数少ないブラックローズのファンを喜ばせてあげる事も出来ない。
今の俺は、大勢のために何もしてあげる事が出来ない。
でも、良いんだ。
「深紅が……クリムゾンフレアが言ってくれたんだ」
「は? 何をです?」
「世界くらい、俺達に任せろって。だから、俺はブラックローズじゃ無くて、如月黒奈としてここに来る事が出来た。力が無くたって、感情を奪われたって、関係無い。だって、それで俺達が過ごしてきた時間が消える訳じゃない。俺達の思い出が、俺達の関係が変わる訳じゃない。力を失ったって、世界を隔てたって、絶望的な敵が相手だって関係無い。俺は――」
深紅だけじゃない。桜ちゃん、碧、乙女、美針ちゃん、ツィーゲ、シュティア、ツヴィリング、クレブス、レーヴェ、アクアリウス、ヴィダー、フィシェ……皆が、俺の代わりに世界を背負ってくれた。
だから、俺は俺がしなければいけない事を、全力でしなければいけない。
俺は、如月黒奈は……。
「――俺は、花蓮を助ける。俺がしなくちゃいけない事は、それだけだ」
すうっと息を吸い込む。
聞こえてるんだろ。この放送は三世界全てで行われてる。だったら、花蓮も聞こえてるんだろ?
「花蓮!! 待ってて!! 俺が!! 絶対に助けるからぁ!!」
肺の中の空気を全て出す勢いで、お腹の力を目一杯入れて、花蓮に届くように叫ぶ。
「そんでヴァーゲ!! 花蓮を助けたら、俺はお前を全力でぶん殴る!! 憶えてろ!!」
指を差し、宣戦布告。
例え魔法少女になれなくても、例え俺の攻撃が届かなくても、俺はお前を全力で殴る!!
俺の言葉にヴァーゲはきょとんとした顔をするけれど、即座におかしそうに笑いだす。
「は、はは、ははははははははははっ!! い、言うに事欠いて、私をぶん殴る? 如月花蓮を助ける? あははははははははははっ!! 力も無いくせに、よくそんな大口が叩けましたね!!」
お腹を抱えて、心底おかしそうにヴァーゲは笑う。
「くっ、ふふふっ! なら、どうぞやってみてください! 如月花蓮を助け、私をぶん殴ってみれば良い! まぁ、土台無理な話ですけれどね!!」
「言っとくけど、俺はやると言ったらやるからな!! それに、一度深紅がお前を殴れたんだ!! 俺にだって出来る!!」
「あんな偶然がそう何度もまかり通るはずか無いじゃ無いですか!! ほんっとうにめでたい頭をしてますね、如月黒奈!!」
「めでたいのはお前だヴァーゲ!! 良いか!! 深紅は、クリムゾンフレアはな!!」
直後、晴天に赫灼が煌めく。
「二度も同じ相手には負けないんだよ!!」
「おッ、らぁッ!!」
超高高度から、まるで流星の如くクリムゾンフレアが舞い降りる。
着地点はヴァーゲ。
爆発的な熱量を持った蹴りが、無防備なヴァーゲに突き刺さる。
「――ッ!! 無駄な事を!!」
しかし、ヴァーゲに直撃はしていない。その少し前で、深紅の蹴りは防がれていた。
「無駄かどうかは……俺が決める!!」
蹴りを入れた足と反対の足でヴァーゲを蹴り付ける。
爆炎が空高くまで舞い上がる。
それが、開戦の狼煙だ。
深紅の炎を合図に、ヒーローやファントムが支柱へと殺到する。
「訓練通りだ!! タイミング合わせて撃ちまくれ!!」
「数撃てば当たるわ!! 限界超えて撃ち続けなさい!!」
けれど、殺到したのヒーローだけではない。
ファントムも、そうはさせまいとヒーローを迎え撃つ。
敵味方入り乱れ、乱戦模様を繰り広げている。
「黒奈!! 手はず通り、ここは俺達に任せろ!!」
「うん!!」
深紅の声に迷わず頷く。
「メポル!!」
「分かってるメポ!!」
人間形態のメポルが現れ、俺の手を握る。
「さぁ、跳ぶメポ!!」
「うん!!」
メポルが作ったゲートをくぐって、俺はファントムの世界へと向かう。
この場所で転移をしたのは、この場所が一番ファントムの世界の装置に近い場所だからだ。
三つの世界に置かれている装置の座標は、重なれば丁度天秤が完成するように指定されている。
だからこそ、世界を超えるゲートをくぐるのにはこの場所が一番最適だったのだ。
「待ってて、花蓮。絶対に助けるから……!!」
「良い啖呵だったぜ、黒奈」
黒奈がゲートをくぐったのを確認して、俺はヴァーゲへと視線を向ける。
ヴァーゲは至極不愉快だと言わんばかりの表情で俺を見る。
「まったく。本当に不愉快極まりないですね。一度負けたのなら、そのまま諦めれば良いものを……」
「悪いが、一回負けただけで諦められるほど、素直な性格してないんだよ」
「はぁ……何度も相手をする私の身にもなってください。雑魚の相手をする面倒さが貴方に分かりますか?」
「さぁ? その雑魚に殴られてぶち切れてる奴の心境なんてわかんねぇな」
俺が挑発的に言えば、ヴァーゲの眉がピクリと動く。
冷静沈着に見えて、こいつはそれを装ってるだけだ。本当は、沸点の低い感情的な奴なんだろう。だからこそ、扱いやすい。
「……負け犬の遠吠えですね。煩くて嫌になる……」
「ならいつまでもがなり立ててやるよ。負け犬が、いつまでも負け犬だと思うなよ」
黒奈の言う通りだ。俺は、二度も同じ相手に負けるつもりは無い。
「さて、お前をぶっ倒して、世界の一つでも救ってやるか」
「ほざけ。もう一度押しつぶしてくれる」
遊びの無くなったヴァーゲが俺に向かってくる。
迫り来るヴァーゲに、俺は拳を叩きこんだ。