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[5-13] マインドブレーカー

 ハルゼン伯爵領、ロステール市。

 シエル=テイラ亡国が解放した四都市の中では一番北側。ディレッタが最も攻めやすい立地だ。

 そのため、亡国側もここをひとまずは最前線と定め、備えた。


「来ましたな」


 ロステール街壁、北側門塔上にて、アラスターは魔動双眼鏡を用いて敵の行軍を観察していた。

 傍らのルネの周囲には、遠見の水晶がいくつも浮かんでいて、そこには偵察ゴーレムから送られた幻像が映し出されている。

 着ぶくれした侵攻軍に対し、二人は防寒着も無し。寒冷な気候は生者には厳しいが、命無き者たちにとってはむしろ快適だ。


 迫る軍勢はディレッタの駐屯部隊と、シエル=テイラ()王国軍の混成。

 ロステールへの街道を見下ろす位置に陣を構えるつもりであろう。僭王国軍はともかく、列強の一角たるディレッタならば術師団の工作技術も侮れぬ。夜までには即席の砦が建つだろう。


「敵の目標は?」

「戦闘に伴う魔力の浪費、そのものが目的である事は前提として。

 第一にこちらを疲弊させること。第二に戦う姿勢を内外に示すこと、かと。

 ……可能なら都市の奪還を目指すでしょうが、陣容を見ても、真面目に攻囲戦をするつもりとは考えがたい」


 戦場を巡る状況、事前の偵察、そして自らの目で最終確認をして……アラスターはそう断じた。


 敵は攻撃にも防御にも、糸目を付けず魔力を浪費し、ひたすら砲撃合戦をするつもりだろう。

 戦費が嵩まぬよう軍の規模を抑え、それでも兵員が損耗せぬよう積極的には攻めず、魔力資源をいくら浪費してでも遠距離攻撃を続ける。

 そういう構えだ。


 城は容易く動かせない。

 ここでは、あくまで都市を使って守らねばならない。

 おそらく敵方もそれを分かっている……


「つまり、耐えるべき局面です」

「十年耐えたわ。

 あと、()()()()()()、短いものよ」


 半分は自分に言い聞かせる言葉として、ルネは言う。

 はやる気持ちはあった。目に映る敵全てを今すぐ血祭りに上げたくて仕方ない。だが激情のままに戦っても勝てないのだと、ルネはもちろん分かっていた。


「とは言え、タダで帰すのも惜しいわよね」

「それはもちろん」


 後が無いのは、敵も味方も同じだ。

 わざわざ戦いに出てきてくれたのだから、これは敵に出血を強いる好機でもあった。


 * * *


 ディレッタ軍は、夜までには魔法で土をこねて築城し、ひとまず部隊の幹部が快適に寝泊まりできる環境は構築していた。


「夜か……」


 のっぺりした壁に、無味乾燥な窓。その向こうにはインクを撒いたような真っ黒な夜があった。

 従騎士オディネは即席砦の廊下から夜空を見て、呟く。


「恐ろしいかね」

「はっ。これは私の未熟と、信仰心の至らなさによるものと反省しております」


 主たるマルチノに思いがけず声を掛けられ、オディネは即座に振り向いて直立不動の姿勢を取った。

 迂闊に恐れを見せてしまったオディネは、縮み上がる。神聖王国の貴族たるもの、下々の規範として、邪悪に対しては常に毅然としていなければならぬのだ。でなければ兵にも動揺が広がる。オディネはそう教えられてきた。


「まあそう構えるな、そして聞け。

 そもそも我らは兵数においては優勢だ。でなくば都市攻撃などできぬからな。

 敵の戦術は、都市に籠もっての反撃か、我らが陣への奇襲ぐらいに限られる」


 グムル伯マルチノは壮年の武人である。

 駐屯軍でも主立った者の一人で、指揮官としても堅実な男だが、此度のロステール攻囲の指揮を執ることになったのは実力が周囲に評価されたためでなく、控えめで立場が弱いから雑用を押しつけられたと言うべき流れだった。

 実際この戦いは、忍耐が必要なのに華々しい戦果は期待できない。

 だがその事で腐らず、役目を果たそうとするマルチノをオディネは尊敬していた。


「我らが陣は魔物どもを寄せ付けぬよう、神の威光によって守られている。

 緒戦で魔物どもは、人族の裏切り者を使って守りを破ったというがな。破れぬよう備えればよいのだ。

 空ばかりでなく、少し下にも目を向けてみたまえ」


 二人は窓から陣を見下ろした。


 篝火として魔力灯照明が焚かれた陣には、整然と整備された城下町のように、防寒天幕が並んでいる。……今はまだ天幕だが、攻撃は長期にわたるのだから、徐々に建造物を増やしていく事になるだろう。

 その外には、都市街壁の如く堅牢な防壁が既に構築されている。まだ見かけ倒しに近いが一両日中には完成する予定だ。


 そんな天幕の街の所々に、魔法で拵えた小さな塔がある。

 一つ一つが、陣を守るために張られた聖なる結界の要。

 敵のほとんどは魔物とアンデッド。聖なる力で陣を守れば、敵を容易くは寄せ付けないのだ。それだけで敵の攻め手は限られる。


「力ある祈り手を十分な数用意し、補い合うように結界を張っている故、一角が崩されようともすぐに補える。

 これはかつて、魔王軍との戦いでも使われた堅固な防衛陣だ。

 迂闊に攻め込む者あらば……」


 マルチノの腹から深紅の刃が飛び出した。


「ごふっ!?」


 マルチノは吐血し、身を折った。

 彼は背後から刺し貫かれていた。

 砦の奥、最上階である三階の、居室前の廊下で。


 マルチノの背後に何かが居た。

 死を纏う北国の風と、同じ色をしたモノが。

 雪のような銀髪銀目と白いドレス、そして鮮血の赤を携えた少女が。


「て、てっ!? 敵襲、敵襲ーっ!!」


 オディネは凍り付く舌をどうにか動かして叫んだ。

 あまりにも唐突で理解を超えた出来事だったので、まだオディネの頭は何も理解していなかったが、死の恐怖に晒されてオディナは叫んでいた。

 こんな場所まで何の予兆も無く奇襲を仕掛けてくるのはおかしい。

 しかもそれが、よりによって、敵将であるはずの“怨獄の薔薇姫”自らだなんて。


 怨獄の薔薇姫は周囲を素早く見回し、さっと手を振る。

 すると彼女の背後の虚空から、数体の武装したスケルトンが這い出した。

 そのうちの一体は間髪入れず、オディネに向かって斬りかかる。


「……≪聖光の矢(ホーリーアロー)≫!」


 鎧すら着ておらず、剣を抜く暇も無し。

 オディネは神聖魔法によって応戦しようとした。


 ところが奇妙なことが起こった。

 喩えるなら、握手のために差しだした手が空を切ったような感覚。

 オディネの祈りが、天の門に繋がらなかった。


 ――神聖魔法が使えない!?


 つまりオディネは剣を振り下ろすスケルトンに、指を突きつけて無防備に固まっているだけだ。


 熱いものがオディネの身体を駆け抜けた。


「ぎゃあっ!」


 肩から脇腹まで深々と斬られ、そのままオディネは階段を転がり落ちていった。

 そして狭い踊り場に積み上げられた荷箱に叩き付けられた。


「“怨獄の薔薇姫”!?」

「将軍が襲われた!」

「魔物だ! 出会え!」


 ドタバタと立ち回り戦う音を階上に聞きながら、オディネは必死で床を掴み、遠のく意識を繋ぎ止めようとした。爪がめくれて剥がれた。

 助けてくれとは叫べなかった。皆、オディネの命を救うより先にすべきことがある。己を救えるのは己だけだった。


「≪恩寵:治癒(ヒーリング)≫……!」


 奥歯を噛みしめてもう一度、オディネは魔法を使おうとした。


 今度は、繋がった。神の威光の一端が、癒しの光となってオディネを包む。

 回復魔法だ。

 胸を深々と抉った傷が、塞がっていく。肉が繋がり、無理矢理に傷を塞ぎ、出血を止める。


 動こうとするとまだ胸が酷く痛んだが、それでもオディネは立ち上がれるようになった。


 ――やっぱり、使える。さっきのはなんだったんだ? 心乱れて、祈りを誤ったのか?


 よろめき、壁に身体をこすりながらオディネは階段を降りた。

 マルチノは死んだのだろうか? 分からない。とにかく助けを呼ばなければ。


「おい、何事だ!」


 声が飛んできて、オディネは必死で重い頭を前に向ける。

 仮設砦の入口から、騒ぎを聞きつけたらしい騎士たちが駆け込んできて、血まみれのオディネを見て驚いていた。


「“怨獄の薔薇姫”が居る! この上だ、戦ってる!」

「何だと!?」


 オディネが言うのと、ほぼ同時。


「うわあああっ!」


 悲鳴が降ってきた。


 三階の窓から蹴り出された騎士が、宙に舞っていた。

 騎士はそのまま地面に叩き付けられ、その上からさらに、深紅の剣閃が落ちてくる。

 “怨獄の薔薇姫”は騎士を真上から串刺しにしつつ踏みつけ、着地した。


「こいつが……!」


 駆けつけた騎士たちが“怨獄の薔薇姫”を包囲する。

 “怨獄の薔薇姫”を追ってスケルトンたちも飛び降りてきて、包囲の真ん中で背中を合わせる。

 睨み合いだった。


 ――今だ。


 囲いの外に居たオディネは衝動的に、近くの装備掛けに立ててあった弓を掴んだ。

 ここは陣のど真ん中だ、すぐに味方が集まってくるだろう。ただ、それまでの僅かな猶予がこの場に居る者の生死を分けると判断した。


 やじりに聖水が仕込まれた矢を、つがえる。

 アンデッドが相手なら、文字通り破壊的な威力を発揮する、特効武器だ。


 ――受けよ。我が怒り。全ての人の祈り。

   神罰の痛みとして、その魂に刻むがいい!!


 痛みをこらえてオディネは矢を引き絞る。

 包囲の隙間を縫うように、狙うは…………


「えっ」


 オディネが矢を放つよりも素早く、何かがオディネを貫いた。


 腹を強く押されたような気がして、オディネはたたらを踏み、後ずさる。

 巨大な宝石からまるごと削り出したような、深紅に透き通る刃が、オディネに突き刺さっていた。

 “怨獄の薔薇姫”が手にしていた剣を鋭く投じたのである。投げ槍の如く。


 焼けた鉄の茨を腹に突っ込まれたようだった。

 地獄の痛みに腹を噛まれて、オディネは声も無く膝を折る。

 全身に白金と赤黒の亀裂が広がっていく。身体に仕込んでいた聖別の加護が、邪気の汚染に抗っているのだ。それは聖騎士の死に際して、肉体と魂を邪悪なるものに奪われぬための措置だった。


「尻尾巻いて逃げるなら、見逃してあげてもよかったのに」


 赤く染まっていくオディネの視界の中で、ふっと、夜闇に溶けるように“怨獄の薔薇姫”は姿を消した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 雉も鳴かねば撃たれまい、という感じ
[一言] どんなカラクリなのか
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