[5-9] 闇より出でし者
シエル=テイラ王国、ハルゼン伯爵領、領都ウックサール。
ハルゼン伯爵領は領内にグラセルム鉱山も無く、他国に通じる主要街道からも外れている。
普段であれば静かな土地だ。
これほど騒がしくなったのは、100年前、この地を魔族から人族のもとに奪還した建国王エドワード一世の戦い以来だろう。
交錯する砲声が、万年雪の銀嶺を震わせた。
寒さに枯れ始めた大地を踏みしだき、打ち寄せる鉄の波のように、シエル=テイラ亡国の兵が突撃していく。
気の早い雪雲が、月を隠している夜だった。天候を選んで攻め時を決めるような猶予は無かったが、時の運は攻め手に味方した。
ウックサールの街を囲む外壁上からは、魔力灯による探照がなされていたが、とても闇を払いきれぬ。
小雪がちらつく中、夜空に黒々と浮かぶ魔城が、攻め寄せる異形の軍勢が、切れ切れの明かりの中で天地に深い影を刻む。
人間は夜目が利かぬ。
一方でアンデッドは闇の中を歩むもの。
夜闇の中での戦いは、この時点で優劣が付く。
また、獣人も総じて闇に強い。
犬獣人ですらそうだし、猫獣人は闇の中でも時計細工ができるほど暗視力に優れている。
「突撃ぃーっ!!」
ウヴル率いる獣人部隊は、大地を引き裂くように疾駆した。
派手に動いて危険な場所に突撃し、囮となるのは骸骨どもの役目。
命ある兵たちは闇を縫うように駆け抜ける。
背後のシエル=ルアーレから実体弾砲撃の支援を受け、崩れた外壁にウブルたちは取り付く。
機動力を重視した軽装備だ。瓦礫と化した外壁をよじ登るくらい、わけはない。
「来たぞ! 阻止しろ!」
外壁上を駆ける兵が、こちらに殺到してくる。
全身を鎧で固めた、妙にずんぐりとした体型の重装歩兵だ。
相手が何者か、ウヴルにはニオイだけで分かる。
染みついた土と石のニオイ、そして、酔っ払っていなくても酒臭い。
ドワーフである。
シエル=テイラは鉱業国。
鉱道を魂の住処とするドワーフが、人間に次いで多く住む。ドワーフは金属だろうが自分の身体だろうが鍛えるのが大好きなので、戦士としての適性も高いのだ。
そして地中生活に適応したドワーフたちも、高い暗視能力を持つ。
夜間戦闘でも十全に動けることだろう。
故にドワーフの部隊を編成し、遊撃に当たらせる……
それは効果的な戦術かも知れないが、同時にそれが、精一杯の夜戦の備えだった。
「叩き落とせえ!」
ドワーフ兵たちは己の身の丈より大きいほどの長柄斧を振り回し、気合いと共に振り下ろす。
先陣を切り、外壁上の矢狭間に手を掛けたムールォがまず狙われた。
だが。斧が振り下ろされた時、ムールォの姿はもはやそこに無い。
体重を感じさせぬほどの身軽さで瞬時に壁をよじ登り、跳躍。高々と宙に舞っていた。
「遅え遅え!」
「ぬおっ!?」
そして、己を攻撃したドワーフ兵の頭を飛び越え、背中に組み付く。
ドワーフ兵は重厚な鎧を身に纏っていたが、ムールォは腰のナイフを抜いて、兜の隙間から首を一突き。
仕込まれた毒で、ドワーフ兵はたちまち昏倒した。まもなく死ぬだろう。
その間にも続々と獣人兵たちは外壁上によじ登り、守備の兵は瞬く間に打ち倒された。
「おい、こんなもんなのか?
共和国の警察の方が強えぞ?」
ムールォは半ば本気で訝しむ。
チェーン・ギャング『赤麦の兄弟』は喧嘩で人を殺したし、抗争で人を殺したし、強盗殺人もしたし警官も殺した。皆、殺し方は我流だが、手慣れており躊躇が無かった。
いかに訓練を積もうとも、日頃、平和に農作業や鉱山労働をして暮らしている兵では、流血と暴力の中で生きてきたチェーン・ギャングに太刀打ちできぬのだ。
「野郎ども、無駄口叩いてる場合じゃねえぞ!
急げ! 急げ!」
ウヴルは檄を飛ばして気を引き締めさせる。
この戦いは、勝利するだけでは足りない。許された結果は圧勝のみ。ギリギリの勝利は実質的敗北なのだ。
「魔力を使わせるな! 攻撃をさせるな! 防御もさせるな!」
東街門塔の上に据え付けられている定置魔弓が、外壁上へ打ち下ろされる。
光の雨が降る中をウヴルたちは突貫した。
傘のように盾を掲げて頭上からの射撃を防ぐ。防御は最小限、速度こそが肝要だ。犠牲をも厭わず突き進み、門塔二階になだれ込んでいく。
その頃には、夜天を舞うエルフたちの急降下強襲射撃によって、門塔上の防衛兵器も沈黙していた。
門塔の内部にも防衛兵器は据え付けられていた。
後先考えぬ勢いで魔力を消費し、空中の城に打ち込まれている魔力投射砲。
その砲手を、ウヴルの蛮剣が真っ二つに叩っ切った。すぐさま手の空いている者が、大砲の魔力導線を引きちぎって、物理的にこれ以上魔力を消費できないようにする。
辺りに据え付けられた香炉や聖なる魔方陣を、ウヴルは鼻で笑って蹴散らかした。
ディレッタから支援を受けるが故の、聖気の備え……
街を守る者たちの武具は聖別され、防衛の要点には邪悪な者の侵入を防ぐ多重の結界が仕掛けられているのだ。
だがそれは、獣人には効かぬ。獣人は人族だ。
「迅速に壊せ! 迅速に殺せ! 迅速に勝て!」
ウヴルの背後には、命無き兵たちの姿が見え始めていた。
* * *
聖気対策は、獣人ばかりではない。
そもそも、聖気の護りを意に介さぬ……それを踏み潰して余りある、圧倒的な邪気の持ち主であれば、対策の必要すら無いのだ。
「“怨」
城門に詰めていた近衛兵たちは、何が来たのか認識した瞬間、無惨に切り刻まれて死んでいた。
領主居城への切り込みに当たっては、ルネ自らが先頭に立った。
全体の指揮は将軍と参謀に任せてある。元よりルネは後方で指揮をする質でなく、何よりシエル=テイラ亡国最強の駒であり、戦場にあってこその象徴だ。
聖なる封印を施したはずの門扉は、チーズのように滑らかに切り刻まれ、崩れ落ちていた。
ルネが歩を進める度、辺りに黒白の火花が散る。周囲に満ちた聖気と、ルネの纏う邪気が相殺されているのだ。並みのアンデッドなら門をくぐった瞬間、塵になっていただろうが、ルネにとってはちょっと不快な程度だった。
「通さぬぞ」
門の向こうに立ちはだかるのは、金色をアクセントにした輝かしい装備の騎士。剣の柄まで金色装飾だった。
聖職者たちは金色を、太陽の輝き、神の威光だと尊ぶ。ディレッタの騎士が好むような様式だ。
だがその上に纏っているサーコートの家紋は、彼こそがこの地の領主、ハルゼン伯爵であると示している。供の騎士たちを引き連れ、自らご出陣だ。
駐留するディレッタの騎士たちはとうに転進したのだろうが、領主が逃げ出すわけには行かぬ。
邪悪な者たちの侵攻から逃げ出したとあっては、ディレッタに厳しく非難されて立場を失うだろう。己の命のみを考えるならそれでも良かろうが、家族は、一族郎党は、領民はどうなる。
伯は自ら戦わねばならぬ。どうせ死ぬなら、最大の敵と戦って討ち死にしたなら、名誉は高まり、残された者たちにも恩恵がある。
そう、考えた上での戦いだろう。戦いのための装備だけは与えておく辺りにディレッタの底意地悪さが透ける。
「悲壮ね」
彼の覚悟を、ルネは読み取った。
そして冷たく吐き捨てた。
「今更、何を悲しむの?」
「分からぬだろう……守るものがある故の、苦しみなどっ……!」
「奪う側から奪われる側になった。
それだけの話でしょ」
城門の戦いは十秒で終わった。
*
一方その頃、トレイシーは既に領主居城内に潜入していた。
都市内への魔力分配は、地脈と直結させた魔力採掘装置『龍律極』によって制御される。
それは大抵の場合、街の中心にある領主居城の地下で守られているのだ。
城に攻め込まれている状況で、戦いの最後まで龍律極を動かすため、精鋭が地下を守護していた。
だが、そのうち三名は床に倒れて爆睡しており、残り二名は今が戦いの最中である事を忘却させられ、犬とレモンのどちらが偉いか互いを罵倒しながら激論を交わしていた。放っておいたら殺し合いに発展するだろう。
密閉された地下室の中心には、ガラスと真鍮の多頭竜みたいな、大型の魔法装置が置かれている。
ヒュドラの首みたいな入り組んだパイプの中を、薄青い光が流れていた。これが地脈から汲み上げたばかりの魔力だ。
「魔女さん見えてるー?」
『見えてるよ。
んー、連邦製の37版かな? 骨董品だわ』
トレイシーには、小さな飛行ゴーレムが随伴していた。
これは諜報支援ゴーレム『スカイフィッシュ』。組み込んだ術式により、遠見や遠話の媒体としても使用可能で、エヴェリスはゴーレムを通じて状況を見ていた。
流線型をした小さなゴーレムは、魔法装置の表面にへばりつく。
そして幾度か火花が散ったと思えば、パイプの中を流れる光が急速に薄れていき、やがて止まった。
エヴェリスがゴーレムを遠隔操作して、装置の内部構造破壊と術式の書き換えを行い、魔力の汲み上げを停止させたのだ。
『はい終わり』
「すごいねこれ。こんな事もできるんだ」
『ネギトロ君シリーズの開発経験が生きてるからね』
その名の通り、空を泳ぐ魚のような形のゴーレムが、くるりとトレイシーの周りを回った。
隠し持つこともできるサイズだ。諜報を支援する万能ツールとして細々した機能を盛り込んであり、逃走時の足止めになれる程度の戦闘力を持つ。遠隔操作すればさらに高度な作業もこなせる。
試作品であるネギトロ君シリーズの反省点を踏まえた、改良量産型だ。
「……ちなみにネギトロ君の名前付けたのって、姫様?」
『お察しの通り』
「あのネーミングセンスだけどうにかならないのかなあ。士気に関わると思う」
『うーん……』
妙案無く首をひねっているエヴェリスの姿が、トレイシーは見ていないのにハッキリ見えた。