[4b-35] 愛は地球を救う
既に街は静かだった。
半ば瓦礫の山と化したトウカグラの街は、もはや、余興のコースとしての役目も終えた。
コースの壁であり、瓦礫を成形する骨組みでもあった大きな蔦は、未だ瑞々しい緑色には見えるものの、既に死に絶えている。やがて乾いて朽ちるのみだ。
コースを照らしていた飛行ゴーレムも撤収し、瓦礫の山は街に沈んでいく。
そんな中で、未だ、トウカグラで唯一無傷の建物、トゥーダ・ロイヤルホテルだけは煌びやかに照らされていた。
「はい、どうぞ。
温めにしてあるよ」
「……ありがとう」
シエル=テイラ亡国の面々は、展望ホールの隣のVIPルームに引き上げていた。
バニーガール姿のトレイシーが、お茶用のミルクだけをティーカップに入れて差し出すと、ミアランゼは俯きがちに、目を合わせぬままカップを受け取った。
「ミアランゼ、やっぱトレイシーには硬いよね。
人間嫌い?」
「そういうわけでは……」
「尻尾は正直よ」
茶化すようにエヴェリスが言うと、彼女の尻尾がパタンと膝を打った。
しなやかで艶やかな黒い尻尾は、彼女の腰にぐるりと巻き付いて、膝の上に置かれていたのだ。これは彼女がかしこまって緊張している時や、警戒している時の仕草だ。
ミアランゼは人間に対して警戒心と嫌悪感を抱いていて、それは味方に対しても同じだった。
もっとも、それは、彼女が人間に何をされたか考えてみれば、無理なからぬ感情だろうけれど。
「私や姫様だって元は人間じゃなーい」
「今は違いますでしょう」
「やれやれ」
少しバツが悪そうに、ミアランゼはホットミルクを啜った。
猫獣人は時に、酒よりもこれを尊ぶ。飲み過ぎると健康を害するのも酒と同じだが、既に命無き身であるミアランゼは平気なようだ。
「つまり私らは、足りなくなった『プロジェクト・C』の資金を確保するため、金貨泥棒大作戦を計画したんだけどね。
なるべく共和国民に嫌われたくなかったし、なんなら人気者になりたかった。足りないのは資金だけじゃないし、そっちも共和国で調達したかったから。
だから強引に金貨を奪っていくのはやめたんだ」
ミアランゼがホットミルクを飲む間、エヴェリスは壁に張られたタイムテーブルを、教鞭のようなもので指しながら説明していた。
「そして、もう一つ。
できれば君を復活させたかった」
「大変な作戦の最中に、敢えて私を……ですか?」
「状況が揃ってたから、逃すのも惜しくてねー。
いや、まあ本当は、一晩で全部やる予定じゃなかったんだけどさ」
裏でも表でも仕事をして、大車輪のエヴェリスは、それを苦にした様子も無く満足げだ。
「復活の儀式に大量の魔力リソースが必要なのは言うまでもないんだけど、それだけでもダメでさ。
なんて言うか君自身が……存在する方法を思い出さなければいけない状態だった、って言うか……」
「存在する、方法?」
「そう。私はトウカグラの街にそれを求めた。
市民でも、集まった警察や軍でもいいから、お膳立てされたわけじゃない野生の新鮮な人族を捕らえて、血を奪う経験をね」
ミアランゼは首をかしげて、己の身体を見つめ直した。
エヴェリスの話を聞いたルネもよく分からなかったし、エヴェリス自身も深い理解や確証があるわけではないようだ。
ただ、指の動かし方や呼吸の仕方を他人に説明しがたいように、極めて基礎的で当たり前のように備わっている『存在の根拠』というのがあるらしい。
それをミアランゼに取り戻させるため、エヴェリスは吸血鬼の本能を刺激する策を考えたのだ。
「だから君を吸血花と合成したんだ。
別に植物以外でもよかったんだけど、これなら専門家の知見を使える作戦だったから」
そしてそれは、上手く行った。
植物として操作し、大量の獲物を狩らせ、食らわせる。
さらには植物が果実を付けるのと同じように、実を結ばせることで新たな身体を作った。生まれ直させることで、存在の自己認識を強制的にリセットするよう計らった……とかなんとか。
かくしてミアランゼは、植物系吸血鬼として復活したのだった。
「身体の調子はどう?」
「……ひなたぼっこがしたいです。とても。
できれば屋根の上とかで」
「あー、光合成……」
ミアランゼの尻尾がゆらゆらと揺れた。
その先端には、あの吸血花のミニチュアみたいな、可愛らしい紅い花が咲いている。
なるほど、この花を陽に当てないのは可哀想にも思えるが、しかし言うまでもなく、ほとんどの吸血鬼にとって日光は致命的弱点だ。
「もしかして吸血鬼の弱点、克服できてたりしない?」
「こんな事例は私も初めてだからね……
慎重に性質を調べていかないと」
エヴェリスもルネも、予断を持たなかった。
ただでさえ極めて稀少な獣人と人間の混血なのに、それが吸血鬼になり、さらに植物の性質を持つに至ったとなっては、もはやミアランゼはミアランゼでしかなく、何もかも彼女自身を調べるまで分からない。
「さて、それじゃ私らは仕上げに行ってくるよ」
「よっし、もうひと頑張りだね」
懐中時計を見て、エヴェリスとトレイシーはVIPルームを出て行った。
余興は終わったが、二人にはまだ仕事が残っているのだ。
そして、張り紙だらけのVIPルームに残されたのは、ルネとミアランゼの二人だけ。
「血以外も口にした方が良いと思うわ。
遠慮せずに食べなさい」
「はっ。ありがたく頂戴致します」
ミアランゼは天を指すように真っ直ぐ尻尾を立てて、恭しく礼をした。
VIPルームには、パーティーの御馳走が運び込まれ、片隅の机の上に並べられていた。
それはエヴェリスや助手たちが、余興の裏方仕事をしながらぞんざいに摘まんでいたようで、皿の上は既に寂しくなっていたが、それでもまだ四人前くらいは残っていた。
ミアランゼは自分の前に運ばれてきた盆の中から、艶やかな赤と黒の物体を一つ、手に取る。
「とても美味しそうですけれど、これは……なんですか?」
『ネギトロ』
盆を捧げ持つ円筒形のゴーレムは、渋い声で答えた。
* * *
『お待たせ致しました!
見事、戦いを完遂した英雄、ジャレー・ウィズダムの帰還です!
皆様、拍手でお迎えください!』
楽団がどこかの国の戴冠式みたいに壮大な音楽を奏で、魔力灯照明が眩い光を投げかける中、ジャレーは堂々と展望ホールに入場した。
『ゴール』の際には既にボロボロで汗まみれだったジャレーだが、短い時間で身繕いを済ませ、今は記者会見に臨む時と同様、ビジネス界の貴公子たる颯爽としたスーツ姿であった。
展望ホールは割れんばかりの拍手で溢れかえった。
賞賛の拍手は惜しみなく、熱狂的だった。一体感とも言える。筋書きはどうあれ、ジャレーは困難な闘いを完遂し、会場の者たちはそれを後押ししたのだから。
ジャレーは今、確かに英雄だった。どうしても道化者の色彩を帯びてはいたが、祭の夜の乱痴気騒ぎには、むしろそれこそ似つかわしい。
『さあ、一言どうぞ』
『うむ……オホン』
壇上で拡声杖を渡され、勿体付けた咳払いをして、ジャレーは輝くように爽やかな表情で口を開く。
『まずは、私の戦いを支援してくれた皆様に、厚く御礼申し上げる。
私が人々を救えたのは、ひとえに皆のお陰だ』
パーティー会場には歓声と指笛が響いた。
『諸君。人は皆、戦士である。
私は今日まで命懸けの戦いをした経験など無かったが……
思えば商売とは、常に命懸けのものだ。
その覚悟を持って当たっているからこそ、私は不測の事態にも動揺せず戦い抜けた。
もし、そんな私の姿が皆に勇気を与えられたとしたら、これは無上の幸いだ』
「よくやるわ、全く」
即興の見事なスピーチを聞いて、ジャスミンことエヴェリスは、呆れているのか感心しているのか微妙な呟きを漏らす。
実際、この状況で開き直れるのだから、ジャレーも大したものだった。見栄っ張りと身の程知らずも極めれば一芸だ。
『そして、ここで、今宵の余興の主催者であるジャスミン・レイ様からも一言、頂きたいと思います!』
キョウコ、もといトレイシーはジャレーから拡声杖を回収し、エヴェリスに渡す。
エヴェリスが進み出ると、会場は再び、水を打ったような静寂に包まれた。
『皆様、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
私自ら企画致しました、今宵の余興。
少々刺激が強かったかも知れませんが、ふふ……同じ出来事を繰り返すばかりの毎日など、つまらないものでしょう?
お楽しみいただけましたでしょうか』
エヴェリスの言葉でむしろ冷や水を浴びせられたように、夢から醒めたように、人々の表情に緊張感が満ちた。
今宵の祭が命懸けの狂宴であった事、人の倫理など通じぬ者の手による陰謀の類であった事を、彼らはやっと思い出したのだ。
『さて、今宵の余興では皆様に、後援者となっていただきました。お力添えに感謝致します。
……そして、皆様から頂きました寄付金ですが、私はこれを全てファライーヤ共和国に寄付すると宣言致します』
一同、呆然。
そして次の瞬間、もはや爆発のような勢いで困惑と驚愕の声が飛び交った。
「なんだと!?」
「どうして!?」
「どういうことだ!?」
皆、これを、阿漕な金稼ぎの陰謀だと認識していたのだろう。
国中に対する宣伝というアメ。囚われた人質たちの存在というムチ。それらをテコに、パーティー参加者に金を吐き出させる立て籠もりなのだと。
だが、エヴェリスの狙いはそこではない。
そもそも、パーティー参加者に金を振り込ませたところで、回収は難しい。ナイトメアシンジケートとて公権力の抵抗に遭うのだ、ファライーヤ共和国に地盤の無いシエル=テイラ亡国には不可能だろう。
そして毟り取った金額自体も、盗み出した金貨の一割にさえ満たない。
最初から、収入にしようとは考えていなかった。
エヴェリスはこれを、共和国政府に寄付する。
その手続きが通るかは分からないが、共和国法にも犯罪収益を没収して被害回復に充てるものがあるのだから、どっちにしろ結果は同じだった。ならここでエヴェリスが自ら宣言することが肝要だった。
『余興のため、少しばかり街を傷付けてしまいましたので、そのお詫び、補償とさせていただきます。
聞けば共和国政府は、この街の価値を高く見積もって競売に掛けてしまったため、その埋め合わせに四苦八苦しているとのこと……
僅かなりと、その足しにもしていただければ……と、思います』
殊勝な調子で、エヴェリスは言う。
パーティー参加者たちは、金の行き先などどちらでも良かろう。いや、むしろ自分たちの出した金が魔物の国に渡るよりは、共和国政府のものとなる方が好ましいはずだ。
良心(そんなものがあるなら)の呵責も無く、世間体も守られる。
だが、だからこそ、そんなうまい話があるのかと戸惑っている様子であった。
『さあ、皆様!
パーティーはまだまだこれからです。
一夜の夢を、どうぞごゆるりとお楽しみくださいませ』
エヴェリスは問答無用で話を打ち切る。
余興は終わり。ここからは商談会だ。
※ネギ類は犬や猫には毒なので与えてはいけません。
ミアランゼはアンデッドなのでネギの毒ダメージは踏み倒せますが、多分あれはネギが入ってないマグロタタキ軍艦をネギトロと呼んでいるだけと思われます。