[4b-26] いざ行かん、君に幸あれ
地より突き出した大量の蔦は、一見すると無秩序に街全体を破壊したようにも思えたが、動きが落ち着いた状態になると、一定の秩序が見て取れた。
蔦の壁や倒壊した建物が、複雑に入り組んだ通路を形成しているのだ。
迷路とは言えない。長い長い一本道なのだ。
そこをジャレーは走り出した。
『うおおおおおお!?』
半壊した大通りは脇道が全て塞がれ、ただ広い道を真っ直ぐ進むしかない。
全力疾走するジャレーを追うのは、金属製の蝶みたいな羽を付けた鳥型ゴーレム二体。ただし、その頭部は小さな大砲のような形状で、そこから一定間隔で無慈悲な熱線を吐き出し、石畳を抉りながら焼き焦がしていた。
ジャレーは背後を振り返りつつ、フラフラと左右によろめくように走って熱線を躱す。
崩落した瓦礫の裏に飛び込んで熱戦を防ぎ、頭上に羽音を聞いてまた走り出した。
そんな姿が、展望ホールに映し出されていた。
大きな水晶玉が置かれていて、そこから投射された光が、壁に掛かった幻幕にジャレーの姿を描いている。
遠見の魔法の応用だ。
すぐ近くの窓から覗いているかのように、ジャレーの必死の形相まではっきり見て取れた。
さらに遠話の術も使っているようで、絶え絶えの息も、石を擦る足音も、死の熱線が空気を焼く音も、
『明らかに一発当たれば死ぬような攻撃が乱れ飛んでおりますね。
ですがご安心下さい!』
『ぐわっ!』
キョウコの解説に被せるように、ジャレーの悲鳴が響いた。
熱線がついにジャレーの背中に直撃したのだ。
ホールでそれを見ていた者たちも、おののき悲鳴を上げた。
だが、ジャレーは生きていた。
熱線に押し出されたようにつんのめったが、またすぐに、そのまま走り出した。
『なっ、なん……? 生きてる!?』
『ジャレーは対魔法防御アイテム「護符」を五枚持たされています。今四枚になりましたけどね。
彼に向けられる攻撃は全て魔法攻撃です! 護符がある限りは死にません!
……護符が尽きたらミンチか焼肉になるのだろうとは思います』
一瞬死んだと思ったようで、戸惑った様子のジャレーの声がホールに届いたが、賑やかすキョウコは、あくまで明るい。
『また、このゲームにはもう一つの制限がございます。
街の各所に掲げられた「命の時計」をご覧ください』
いつの間にか、街のあちこちに。
大通り脇の建物の上に、給水塔の上に、街壁の門塔の上に、奇妙な看板が掲げられていた。
その全てにでかでかと『8:33』と光の文字が描かれ……見ている間にそれは『8:32』に、『8:31』に、全く同時に数字が減っていく。
『ホール内にも同じ物をご用意してございます。
このカウントダウンがゼロになった時、ジャレーの勇姿を撮影しております運営ゴーレム「ネギトロ君Mk.Ⅱ」が、備え付けの連射式携行魔動砲に装填した実体対物弾でジャレーを粉々にします!』
『何だと!?』
『見敵必殺』
抑揚とか、慈悲とか、そういうものが一切感じられない無機質な声がホールに響いた。
幻幕を見ずとも、魔動双眼鏡で街を見下ろせばジャレーの姿は確認できる。
大通りを駆け抜けるジャレーに、車輪付きの多脚で追随するゴーレムがあった。
幻幕の幻像は、このゴーレムの視界なのだ。
『この時計は、囚われてしまった街の人々を助け出すことで猶予が与えられる仕組みです。
吸血蔦に捕らえられた人を見つけたら、枯葉ステッキで蔦を枯らしましょう』
ジャレーの行く手、大通りを塞ぐのは、対デモ隊バリケードのような蔦の壁だ。
しかもそこには、蔓草で人々が縛り付けられていた。
雁字搦めに拘束された人々は、既にもがく事も諦めて宙吊りでぶら下がっている。
『なんだ!? これを使うのか!?』
ジャレーは腰にぶら下げられていた、禍々しいくらい可愛い桃色の短杖を抜き、蔦壁に向かって振るった。
するとどうしたことか、突き出した蔦はたちまち萎れて枯れ、拘束の蔦も解けた。
『おめでとうございます、制限時間が60秒延びました。
助けられた人々は運営スタッフが責任を持って、安全に街の外まで送り届け、待機中の警官隊に引き渡します』
どこに控えていたのか、金属人形みたいなゴーレムたちがさっと現れて、解放された人々を抱きかかえて去って行った。まるっきり流れ作業だ。
ジャレーの前には先に進む道が、後には追いかけてくる鳥型ゴーレムが残され、またもや命懸けの追いかけっこが始まった。
『制限時間が尽きる前に街を駆け抜けなければ、ジャレーの命はありません!
……まあ、皆さんにはどうでもいい事でしょうけどね! 命懸けのジャレー君には必死で戦ってもらいましょう!』
キョウコの言葉はジョークだったのかも知れないが、乾いた笑いが微かに上がっただけだった。
これがどういう趣向の『余興』なのか、ホールの人々はようやく理解し始めていた。衝撃のあまり笑うどころではないのだ……少なくとも、今はまだ。
「なに、これ」
「なん……でしょうか」
会場に潜り込んだ警察官僚たちも、あまりのことに呆然とするばかりだった。
「……スティーブ君」
マドリャがスティーブに、青く光る通話符を見せる。街の外で控えるオズロと繋がっている札だ。
二人はざわめくホールの隅にはけて、そこで通話符を起動した。
『ダドルヴィック! クロックフォード!
理解に苦しむだろうがよく聞け、このバカ騒ぎがステルウェッド・シティの中央広場から視られとる!』
「はい!?」
『ジレシュハタール連邦の「蒸気電影」は知っとるか?
あれと同じようなものが何者かによって広場に据え付けられ、街の幻像が映し出されとるそうだ。信じられない数の野次馬がたかってると。
……あ? リャーティルトゥレも? 済まん、状況を把握してからもう一度連絡する』
オズロの困惑と焦燥が声音で伝わる。
共和国全体を巻き込むとんでもない大騒ぎが始まっているのだ。
これは、犯罪だ。犯罪なのは確かなのだが、犯罪史上に類を見ない、悪魔の入れ知恵としか思えない犯罪だった。
しかも、まだ目的が見えない。この先の展開も、着地点も、この期に及んでまだ分からない。
『おおっと、ルールを説明している間にジャレーは最初の関門に辿り着いたようです!
ここでジャレーはセーフルームに入ります。
セーフルームでは最大十分間の休憩が可能で、その間、命の時計は停止します』
『ぜえ、はあ、はあ、はあ』
幻幕に映し出される景色は、いつの間にか室内に移っていた。
元は雑貨店の店舗だったらしいが、商品は根こそぎ片付けられていて、棚に種々のドリンクやポーションが並んでいた。値札の代わりに『ご自由にお飲み下さい』と書かれた札が貼られていた。
一つだけ置かれた椅子に、ジャレーは崩れるように座り込む。
『ご気分はいかがでしょうか?』
『人を……玩具にしやがって!』
ネギトロ君Mk.Ⅱとやらを通して、キョウコの声もジャレーに聞こえているらしい。
息も絶え絶えのジャレーは幻幕の向こうからこちらを睨んでいた。
『はい、まだまだ元気なようですね!
ですがこれを見ても元気でいられますか?』
キョウコの声に反応して、店の裏手の扉が開いた。
そこは本来なら商品倉庫だったのだろうが、壁が崩落して路地裏の小さな広場と繋がっていた。
その中心に何かが立っている。
全身鎧姿の騎士のようにも見えたが、肩装甲でカバーされているのは人の腕ではなく、金属製の球体関節。ゴーレムだ。
そのゴーレムは、光の刃を持つ大剣を、捧げるように構えていた。
『こちらが第一関門! ゴーレムの剣兵です! これを倒さなければ先に進めません!
セーフルームを出て決闘場に踏み込めば、進路も退路も封じられ、ゴーレムを倒すしかなくなります!』
兜みたいな頭の、スリットアイの奥で、ゴーレムの双眸が赤く輝いた。
ホールにどよめきが走った。
ジャレーに戦う力が無いことは既に明白。そして相対するゴーレムは、ちゃんと戦闘を想定して作られたものだと誰が見ても明白。
即ち、この一人と一体が戦った結果も明白だった。
『結局は……ハァッ、私を嬲り殺すのが、目的かっ!』
怒りと絶望のあまりジャレーの表情が黒く歪む。
そして彼は幻幕のこちら側をギロリと睨んだ。
『おい! 聞こえているか! 誰か聞いているんだろう!?
私をここから助け出せ! 金……そうだ、金ならいくらでも出す! 助けろ!』
展望ホールにジャレーの声だけが響いた。
見方によっては情けないかも知れないが、しかし、それは妥当な行動だった。自分の力ではどうしようもない状況だと判断し、言葉が届く相手に助けを求め、さらには代価すら提示する。
問題は、このホールに居る者たちに何ができるのか、という話だが……
『おやおや、これはお誂え向きの言葉が飛び出しましたね。
……さぁて! ここでご観戦の皆様にもゲームに参加していただきましょう!』
得たりとばかりに、キョウコはにんまり笑った。
魔動砲には、術式を込めた魔力を飛ばすものと、石や金属やゴブリンなどの実体弾を飛ばすものがあります。
実体弾は(足があって自分で歩いてくれるものでない限り)準備するのが大変ですが、対魔法防御を意に介さず貫けることから、特に都市攻囲で大きな力を発揮します。