[4b-25] 風雲トウカグラ城
街が隆起した。
まずは舗装に……魔法で整形された石畳に蜘蛛の巣状のヒビが入り、その下から何かが突き出した。
それはまるで蛇の尻尾みたいに揺れる、巨大な植物の蔦だった。
手を広げた大人が十何人かでようやく抱えられるような巨大な蔦が次々と突き出す。その度にトゥーダ・ロイヤルホテルはビリビリと震えた。
下からの圧力に耐えられず、やがて舗装がごっそりめくれ上がっていく。
運悪く土台からめくられた建物は、積み木の玩具みたいに傾いて倒れていく。
もし街の構造に詳しい者がこの光景を空から見ていたなら、その破壊が地下通路を中心に起こっていると看破しただろう。
街の地下に同心円状に埋め込まれた、魔力伝送網や下水道……
そこから次々と蔦が突き出している。舗装が崩落し、地下通路がまるっきり露出した箇所もあった。そこには蠢く植物の蔦が這っていた。
VIPルームの窓からその破壊を見て、ジャレーはただただ、呆然としていた。
「これが全て魔物なのか!」
「その感想は50点よ、ジャレー・ウィズダム。
彼女は一個体さ」
足を組んで深々とソファに座ったままエヴェリスは言う。
エルフたちは自然魔法によって植物などを操れる。
ゲーゼンフォール大森林のエルフたちを取り込み、エヴェリスは彼らに知識を与え、植物の魔物を研究させた。エルフたちが持つ自然魔法の知識を、魔物に応用できるようにしたのだ。
良い成果が得られた。かつて大陸が魔物たちの天下だった頃、大魔女エヴェリスは一国に匹敵するほどの部下を率い、知識の探求をしたものだが……久方ぶりの感覚だ。組織化された専門家集団を使えるというのは、やはり素晴らしい事だった。
此度エヴェリスは、その技術を使って実験的な試みをした。
特定の形と特定の能力を持ち、あらかじめ設定したとおりに機能する魔物……それを、この規模で。しかも事前に組み上げるのではなく、現場でオンタイムに作り上げた。
「こないだ地下にお邪魔したときに、種を植えさせてもらったのよ。そしてあんたらの作品を乗っ取ったんだ。
ホットスポットもどきの残存魔力を吸い尽くし、虫除けを兼ねた悪魔の血も滋養になった。
ああ、あんたらが用意した培養液も良かったみたいね。面白みは無いけど金は掛かってたから」
「なるほど。
……実に素晴らしい」
エヴェリスは片眉を上げる。
呆然と窓の外を見ていたジャレーが、エヴェリスの方に振り向いたときには、彼はもう元通りの爽やかで自信に満ちたビジネススマイルを浮かべていた。
「数世代分の技術格差があることは認めましょう。
その上で申し上げますが、だとしても! 何も知らぬ者に一から仕込むよりは、多少なり基礎を心得ている我々こそが、あなたのパートナーに相応しいと」
「あー、待って待って。その話はもういいの。結論は出てるから。
君は要らない」
「……は?」
うざったい長広舌を、エヴェリスは手を振って遮った。
ジャレーは街の大破壊を見た時よりも驚いた顔をしていた。
「要らない? 何故だ?」
「要らないと思った理由かあ。ま、一番大きいのは君がここに来たから、だね」
「な、に?」
「冒険心ある部下や協力者は必要だよ。
だが冒険とはリスクとリターンを計算した上でするべき事だ。
君にはそれが無い。自分なら全て上手くやれるという思い込みだけ。
ある程度状況が見えてて、こっちが何者か察していて、それでも姿を現した。自分が出て行けば手放しで喜んで迎えられると思ってる。
それは良く言っても自信過剰、悪く言えば誇大妄想だ」
「今までは上手くいっていた! 私は全ての商売を思うままにしてきた!」
ムキになってジャレーは叫んだ。
まともな反論と言うより、子どもの癇癪のように。
「だけど今ここで道を間違えたじゃないか。
君は目の前が崖でも止まらず走り続ける、ただの暴れ馬だ。平らな道を走っている間は、力強く素早い優秀な馬に見えるかも知れないけどねえ。でも私たちは道なき道を切り拓き、海も山も踏み越えて天にも昇るんだ。今のところ暴れ馬を飼う余裕は無いね」
エヴェリスは、ジャレーが優秀である事は認めている。
ただし、彼と同じくらい優秀な者はいくらでも居るのだとも心得ている。長く生きて、他者を率いる立場でもあったエヴェリスだからこそ、伯楽として人を見る目にも確信があった。
ジャレーは優秀だが、伝説的商人である父の商会を引き継いだという環境に依って成果を出している部分も大きい。
大商会の会長としての経験は確かに余人を以て代えがたいかも知れないが、そこまで考えても欠点を打ち消せるとは思えなかった。
「ならば、何故、私を……」
これだけ人が集まった中で真っ先に呼んだのか。
その声に恐怖が滲み始めていた。
彼が堂々と振る舞っていたのは、ジャスミンが自分を買っていると勘違いしていたからだ。
不要だと思われたら、この恐るべき悪女に何をされるか知れたものではないと考えるのは、自然だった。
「そりゃ君自身に用があるから。
別に恨みは無いけれど、身の程知らずの罪を償ってもらうよ。
生き延びるチャンスだけはあげようか。活かせるかどうかは、君次第」
直後。ジャレーの足下から光が立ち上る。
転移魔法陣が展開されてジャレーを呑み込み、彼はVIPルームから姿を消した。
*
展望ホールは大騒ぎだった。
「なんだこれは!?」
「何が起こってる!?」
何しろ、この場所は高所からトウカグラの街全体を見下ろせるのだ。
街を見舞った大惨事が俯瞰できてしまう。異常事態を認識してしまったことで、パーティーの参加者たちは恐慌状態だった。
『レッディース! アーンド、ジェントルメーン!!』
その時だ。
拡声杖を通した女の声が、ホールに響き渡った。
『さぁさぁ皆様お立ち会い! 今宵は崩れゆくトウカグラの最期の輝き。
街を丸ごと使った世界最大のショーをご覧に入れましょう!』
壇上に立ってはしゃいだ声を上げているのは、ジャスミンではない。
もっと小柄で、ジャスミンより頭も胸も軽そうな女だ。
東国風の黒髪黒目、黒光りするギリギリのバニースーツ、網タイツ越しの太ももが眩しい。
『実況解説賑やかし、その他諸々は、この私! キョウコ・イサザキが担当致しまぁす!』
「あの女は……!」
チャーミングなウィンクと横ピースを決めたキョウコを見て、参加者たちの間から戦慄の声が一つ上がった。
それが誰の声で、何故だったのか、ほとんどの者は気にも留めなかったが。
『皆様、係の者が配っております魔動双眼鏡をお使いください。
街中あちこちで捕まっている市民が、そして警備の警官たちが、確認できますでしょうか!』
ホテルの従業員たちは、自分たちも何が起こっているのか分からないという困惑と恐怖の表情のまま、箱に入れた魔動双眼鏡を配っていた。
オペラグラスタイプのものだ。
パーティー参加者たちは恐怖と、僅かな好奇心に駆られ、双眼鏡で街を見渡す。
冒涜的に蠢く植物たちの姿を直視するのは、勇気が必要だったろうが、それを成した者らは細い蔦で全身を縛り上げられ、鈴生りの果実のように吊り下げられた人々の姿を見た。
何かが起こるという噂を聞いて、トウカグラの街から自主的に避難する者もあったが、住人のほとんどは普段通り暮らしているか、せいぜいウィズダム商会トウカグラ支店から離れた街の外縁部に避難しただけだったのだ。
まして警官たちは当然、街中に配置されていた。
武装していたとしても、こんなワケの分からない状況で対処できる者は少なかろう。
『彼らはこのままでは、植物の魔物に血を吸い尽くされて、遠からず死んでしまうことでしょう。
ああ、なんという悲劇! こんな酷いことが許されていいのか!?』
極限まで芝居がかった口調でキョウコは嘆いた。
このまま泣き伏してしまいそうに思えたほどだが、彼女はころっと楽しげな顔に戻った。
『否! 天は今! 救い主を遣わした!』
キョウコが叫ぶと同時。
夜陰が斬り裂かれ、街の一角に光の柱が立った。
飛行する小型ゴーレムが上空から地を照らしたのだ。
魔動双眼鏡を通した視線が、一斉に集中する。
光の下に居たのは……スーツ姿の男だった。
『おい、なんだこれは! どういう事だ!』
『彼の名はジャレー・ウィズダム! ウィズダム商会二代目会長!
このトウカグラの街を不当な高値で共和国政府に売りつけた稀代の詐欺師にございます!
皆様の中にも、彼のせいで投資がフイになってしまい、怒り心頭という方は多かろうと存じます』
ジャレーは困惑し、周囲を見回す。
何らかの魔法的な装置によるものか、彼の声もホールの中に届いていた。
『彼に償いの機会を与えましょう!
果たしてジャレーは、己が築いたこの虚飾の街を駆け抜け、囚われの人々を救うことができるのか!?
レディ・プレイヤー・ワン! ゲームスタァート!!』