[4b-22] 滅月会の蛮行を許さない市民の会(任意団体)
「ジュマルレが死んだだと!? あいつ以外に誰が“怨獄の薔薇姫”と戦えるのだ!」
警察庁のオフィスで遅めの昼休憩を取っていたオズロは、事件の子細を聞いて、コーヒーを肺に入れそうになった。
ジュマルレの引き起こした大惨事も、今後多くの禍根を残すであろう問題だが、それ以上に直近の大問題は、ジュマルレが死んだことそのものだ。
オズロはスキンヘッドを掻き毟る。
「くそ、そういう事か。
むしろジュマルレは必要になる時まで神殿にでも引きこもらせておくべきだったんだ」
今後の作戦は全てジュマルレの存在が前提となっていた。
それが、殺害という手段で排除されるとは考えていなかった。考えるべきだったのに意識から消えていた。
何しろ、邪悪なる者たちにとって滅月会は恐怖であり、滅びそのもの。自ら姿を現し、事前に排除するなんてことは普通やらない。万全に備えて迎え撃つ方がまだしも楽だろう。ましてジュマルレは上級戦闘員なのだから、その実力たるや。
だが、結果から逆算して考えるなら、“怨獄の薔薇姫”にとっては『金庫』を襲う日に邪魔されるよりも今ここで直接戦う方がマシだった。そして彼女には直接戦闘でジュマルレを破る力があったのだ。
「すぐに戒師級以上の派遣を要請いたしましょう」
「上級戦闘員は、いつだって獲物が順番待ちしてるんだぞ。
手が空いているとしたらディレッタ本国の護りだが、出してはくれないだろうな」
オズロは伸びをするように、大きな椅子に巨体を預けて、天井で馬鹿みたいにクルクル回っているシーリングファンを睨んだ。
滅月会の戦闘員は百人余り。公には秘されている事だが、滅月会は保有する『血涙』なる聖遺物の数しか戦闘員を作れないのだ。
中でも戦闘聖紋の扱いに習熟した上級戦闘員は貴重だ……何しろそういう者らは、概ね既に戦闘聖紋に命を蝕まれており、長く活躍できないから。
ファライーヤ共和国には常時、五人の戦闘員が駐留し、なおかつ一人が戒師である。
目の前に獲物が無くても、即応体制で駐留していてくれるのだから、なかなか贅沢な話だ。これは共和国の大きさに比例して邪悪に脅かされる人が増えるから。そして列強五大国の一角であるファライーヤ共和国の重要度を鑑みての事だった。
それが失われたとしても、代わりをすぐに用意するというわけにはいかなかった。
そこで部屋に駆け込んでくる者あり。
「課長、緊急連絡です!
ジャスミン・レイが再びパーティーの招待状をばらまいたと!」
「……そうか。来てしまったか、その時が」
『シエル=テイラ亡国』が動くとしたら今だ。間を置けばジュマルレが抜けた穴をどうにか埋めてしまうかも知れないのだから。
賢い犯罪者は、警察がされたくない事を的確にやってくる。
手渡された羊皮紙には、招待状の内容が魔法で写し取られていた。
場所は先日と同じ、トウカグラの街のトゥーダ・ロイヤルホテル。日時は、明日の夜。
『どなた様もお誘い合わせの上、お越しください。
会場内の安全は保証いたします。
街一つを舞台にした、この世界で最高のショーをご覧にいれましょう。
※参加者様以外の安全は保証いたしかねます。』
そこには人を食ったような誘い文句が書かれていた。
「馬鹿馬鹿しい。我らとの戦いを、オペラの第五幕にでもする気か」
「そう言えば公安は劇作家の入国禁止措置を議会に諮るそうですね」
「馬鹿馬鹿しい」
既にどうしようもない状況なのだから、今は役に立つことだけやってくれ。
オズロは心の中でそう叫んだ。
――“怨獄の薔薇姫”め、本当に何のつもりだ? ひたすら騒ぎを大きくして、客を集めて……
オズロは招待状の写しに堂々と描かれた薔薇の図案を見て、考える。
少なくとも彼女らがトウカグラ地下の金貨を狙っているのは事実で、それを阻止するのがオズロの仕事である事も確かだ。
だが、そのために彼女らは、やたらと迂遠な手を打ち続けている。
そもそも最初はこっそりと盗みに入ろうとしていたのだ。それも何か解せない。ジュマルレの言葉ではないが、『シエル=テイラ亡国』にとっても、最初からトウカグラをぶち壊して全て奪い去るという選択肢があったはず。
まだ宙吊りになっている謎が、そこにあるのだ。
警察が掴んだ情報によると、シエル=テイラ亡国は、何やら奇妙な新技術を撒き餌にしているようだ。
先日の第一回パーティーに参加した蛮勇の者たちが情報を持ち帰り、広めている。そして儲け話の匂いを嗅ぎつけた連中が、この第二回パーティーには大勢集まってくる……
そんな見通しが立つ。
そしてそこで、何かが起こる。
「仕方が無い、手持ちの札でやれるだけやってやろう。
だが、状況次第では損切りを視野に入れるべきだろう」
「残り四名の駐留隊士はジュマルレ殿の仇討ちに燃えているそうです」
「彼らには彼らの仕事があるのだがな……」
「止めても出て行くでしょう」
「分かっている。ならば彼らも札のうちだ」
警備の統括はオズロの役目になるだろう。
それは負け戦だ。敗戦処理を押しつけられた上に、市民から失敗を批判され、組織内政治で不利を背負わされる。
今から考えても気が重いが、それでもやらなければならないのだ。
「共和国を玩具にはさせんぞ、“怨獄の薔薇姫”……」
* * *
翌日。
パーティーが開かれるのは夜だったが、昼前頃にもトウカグラの街では事件が起きていた。
その夜に起こるであろう出来事に比べたら、やや些細な騒動が。
『滅月会を街に!』
「「「入れるなー!!」」」
『滅月会を街に!』
「「「入れるなー!!」」」
月を喰らう牙の印章と、聖印を刻んだ馬車が、街の門をくぐろうとした。
すると、わらわらと湧いて出た人々がプラカードと横断幕を掲げ、馬車を包囲してがなり立て始めたのだ。
白色と金色だけで構成された、その馬車に乗るのはもちろん、滅月会の者たち。
ファライーヤ共和国に駐留する五人のうち、死んだジュマルレを除く四人である。
ジュマルレの攻撃が多くの市民を死傷させた、その事件はもちろん、反発と批判を呼んだ。
そうした事故が起こるよう、“怨獄の薔薇姫”によって仕向けられたのではないかという指摘もあった。だがそれは、ほとんどの人にとってどうでもいい事だった。
滅月会の傍若無人は有名だ。邪悪を滅するためなら、何が壊れても何が死んでも、尊い犠牲にされてしまう。民が権力と金力を持つ共和国において、人々は尚更、己の損害に敏感だった。
それでも滅月会の存在が許されていたのは、冒険者や警察・軍隊でも手に負えないような強大な邪悪と常に対峙し、それを打ち破ってきた実績があるからだ。
此度、ジュマルレは……滅月会は、邪悪を打ち破ることにさえ失敗した。
それは、カラカラに乾いた木の葉が小さな火の粉で燃え上がるように、巨大な怒りを呼び覚ましたのだ。
「貴様ら、そこをどけ! 我らは神の敵を滅するために来た!
どかぬなら貴様らも邪悪の手先だ、この聖剣にて清めてくれようぞ!」
窓から身を乗り出した隊士が剣を振りかざし、怒鳴り返した。
彼は実際それをやりかねない。少なくとも、この場に集まった人々はそう考えている。
声を上げていた人々は、怯み、沈黙した。
「かーえーれ」
その中から、地を這う地鳴りのように、小さな声が熾る。
「かーえーれ」
声は徐々に伝播して、唸るような大合唱になる。
「「「かーえーれ! かーえーれ!」」」
「馬車を進ませろ、挽き潰せ!」
「そ、そういうわけには!」
馬はおののき立ち往生し、御者も伸びてくる手を避けるのに必死だった。
そして彼らは客車の中身よりもマトモで遵法精神があったので、殺して通るわけにはいかないと理解していた。
『うちの息子はビルの中に置き去りにされて! 丸ごと爆破されたんです!
この世に悪魔が居るなら、それはあいつらです!』
包囲陣の後方、木箱の演台に乗った老婆が、溌剌とした好青年の似顔絵と拡声杖を手にして涙ながらに絶叫していた。
「散れ散れ! 無許可のデモは街門外と言えど許されんぞ!」
救いの手を差し伸べたのはトウカグラの警官たちだ。
黒衣の警官隊がデモ隊を押しのけ、従わぬ者は拘束し、聖印の刻まれた馬車はようやく、トウカグラの門をくぐった。
後ろで待っていた、ウィズダム商会の馬車も。
「秩序への叛逆を気取り、何も生み出さぬ戦いをして悦に入る……
まったく貧乏人共の考えそうなことだ。
奴らのうち何人がトウカグラに家を持っている? 事業の株を持っている? ああ、反吐が出る」
商会紋入りの馬車の中は、高級サロンの客室のように豪華だった。
夜空のような色の壁紙が貼られ、身体にフィットする独特な形状の座席が二つだけある。
果実の香りがついた炭酸水をグラスで飲みながら(夜ならばワインを飲むし、この馬車にはワインも置かれている)、ウィズダム商会長ジャレー・ウィズダムは優雅に吐き捨てた。
「本当によろしいのですか、会長。よりによって今、このような場所にいらして……」
隣の座席に座るのは、ウィズダム商会のトウカグラ支店長、マイク・ヒーリー。
彼はジャレーを慮るような言い回しをしつつも、本音では自分が恐ろしくて仕方ない様子だった。今夜何かが起こるらしいと分かってはいるが、ジャレーが街に来るのに自分が逃げるわけにはいかないのだ。
大きな座席の中で、彼はふくよかな身体を縮こまらせていた。商売の世界では怖い物無しの豪胆さで、若造どもにしばしば威勢の良い活を入れているマイクだが、命を脅かすような事態にあっては何もできない。
「ジュマルレすら殺されたのだ。“怨獄の薔薇姫”がその気になれば、安全な者など一人も在りはしない。
ならばどこに居ても同じ事さ。馬鹿親父はそれが分からなかったようだがな」
ジャレーの父は昨日、ジレシュハタール連邦へ『旅行』に出かけた。
彼はどうせ刑事訴追を免れるだろうが、世間が騒がしいし、“怨獄の薔薇姫”が何やら企んでいるのを警戒して逃げたようだ。
そんな父の判断が、結果的に間違っていたとしたら、それは実に痛快な結末だ。
「私は商談をしに来た。私の読みが確かなら、私を無碍にはするまい」
ジャレーの読みの半分は願望で出来ていた。
だが、それでも事態を七割方読んでいた。その点、ジャレーは確かに非凡な商売人ではあった。