[4b-19] ジャン♪
トゥーダ・ロイヤルホテルでは、豪華な社交パーティーが開かれていた。
過剰装飾のシャンデリアに照らされた、どこぞの王宮のような雰囲気もある大ホールは、床も天井もびっしりと宗教画風の絵が描かれていた。
10人ばかりの編成の楽団が、雅やかな音楽を奏でる。
壁際のテーブルには、一口サイズの高級料理やドリンク類が並び、幾人かの料理人がその場で調理をしていた。
きりりとした爽やかな恰好の男や、華やかな出で立ちの女が、酒や料理をつまみながら談笑している。
彼らはその会話の合間に、ホールの奥の玉座みたいな椅子をちらちらと見ていた。
南国の花が飾られた向こう。見目麗しい従僕に団扇で扇がせ、優雅、物憂げ、悩ましげに構えているのは、神秘的で鮮やかな紫色のドレスを着た豊満な美女だ。
ホテルの最上階・ロイヤルスイートの宿泊者。パーティーの主催者、ジャスミン・レイである。
彼女はあちこちの経済人や文化人に対して、社交パーティーの招待状を送りつけ、さらに、招待状が無くとも所定の参加費さえ払えば受け容れるとのたまったのだ。
当日、会場には意外に多くの参加者と、潜り込んだ二人の警察官僚が居た。
「キミ、前々から思ってたけど」
マドリャは先日カジノへ行くときも着ていた深紅のミニドレス姿だが、それだけではなく薄桃色の豊かな髪を芸術的に結い上げていた。
すらりと引き締まった手足には、煌びやかでありながら重厚な金属製の腕輪脚輪を身につけている。
頬に光るものがあるのは、何か特殊な化粧だろうか。
「気合い入れてめかし込んだレディを見て、褒め言葉の一つも言わないのは良くないわよ」
「仕事のためじゃないですか」
「この朴念仁。それが『うんめいのひと』に言う事かしら」
「う゛っ」
心を抉る言葉に、スティーブはむせた。
面白みの無いフォーマルスーツ姿で、スティーブはマドリャの傍らに居た。
二人は偽名を使い、外務省の官僚としてこの場に来ている。
まあ、本当にジャスミンが“怨獄の薔薇姫”関係者で怪しいエルフと繋がっているなら、こんな偽装に効果があるとは思っていない。二人は怪しいエルフと直接対峙したのだから。
だが、だとしてもこの場で何か仕掛けてくるとも思えない。故に二人は反応を見る意味も兼ねて、敢えて懐に飛び込んだのだ。
「それで、我らが上司……もとい、アゴヒゲゴリラ殿はなんて?」
「逆、逆です警部。
最終的な結論としては様子見です。それと、一応参加者は覚えておくようにと」
「慎重ね。覚えるのは任せるわ。得意でしょ?」
「得意かは分かりませんが、1000人くらいまでなら……」
警察が事前に知り得たパーティー参加者は、冒険的な新興商会長や、自信と暇を持て余している大商会の御曹司などが多いように思われた。残りも似たようなものだろう。
何しろ、パーティーの主催者がシエル=テイラ亡国関係者だという噂は既に広まっているのだ。
先日の事件でトウカグラの魔力伝送網を破壊した男は、ジャスミンの使用人として入国し、滞在していた。
そして、この話は既に衆人の知るところであった。
どこから情報を掴んできたのか知らないが、あちこちの大衆紙がこぞって面白おかしく書き立てていたからだ。
加えて、上流階級の者たちは上流階級同士の情報網を持つ。
そこにはおそらく警察からのリーク情報も流れているだろう。愉快犯的な大衆紙の報道に留まらず、情報の裏取りをしているはずだ。
その上でこんな場所に来るのは、好奇心に命を懸けられるような輩か、もしくは相手が何だろうと商機を掴んで成り上がりたい野心的な商人か……
「ジャスミン・レイを適当な容疑で引っ捕らえて調べればいいって言う人らも居ますけどね。
現状そうしない方針だそうです」
「捜査手法を労働党に批判されるから?」
「違いますよ。もちろん警察が急にお行儀良くなったからでもないです。
皆、“怨獄の薔薇姫”やシエル=テイラ亡国による個人的な報復を恐れているんです。
特に現場の者や、決定権を持つ者は」
「軟弱だこと」
マドリャは肩をすくめ、鼻で笑った。
ちなみにホテルが未だにジャスミンを追い出さないのも同じ理由だった。
それに彼女は、怪しい噂を別にすれば完璧な宿泊客だ。上流の振る舞いを十二分に心得ているし、払いを渋ったりもしない。
警察の方針が定まっていない以上、ホテル側は何もできないし、何より経営陣は『トウカグラの真実』についての情報収集と対応検討で頭がいっぱいだ。宿泊客の怪しい噂など、相対的に小さな問題だった。
「まあ……『とりあえず』で半端に手を出さず、組織ぐるみ、国ぐるみの対応をするというのは理にかなっていますよ。それだけ強大な相手です」
スティーブはショットグラスに入った琥珀色の酒を見て寸の間、飲んでもいいものか逡巡した。
参加者たちは酒も食べ物も平気で口にしているし、主催者がどうだろうとこれはホテルが用意したものだ。まさかここで毒を盛るような迂遠な手を使うとも思えないが……
「……それだけ強い相手、なんですよねえ」
「何か?」
ミスリル銀のマドラーで酒を一掻きし、それが変色していないのを確認してから、スティーブは酒を喉に流し込む。
飲み慣れない高い酒は、スティーブにとって、持て余すほど複雑な味わいだった。
「“怨獄の薔薇姫”は霊体系と目される強大なアンデッドです。どれほど硬く囲われた地下だろうと侵入できるし、警備を皆殺しにするくらいわけない……とは思います。分かりませんが」
スティーブは『犯人』の正体を知るなり、集められるだけの情報を集めていた。
その分析結果としては……ただただ、絶望。警察として、犯罪の抑止・阻止・取締を仕事にしている以上は言うべきではないが、お手上げだ、無理だと思った。
だが、“怨獄の薔薇姫”は一度、金貨の奪取に失敗している。そもそも彼女自身はトウカグラの地下に侵入してすらいない。おそらく動いたのは“怨獄の薔薇姫”の部下であり、当時彼女は、トルハの街の奇怪な事件に関わっていたらしい。
“怨獄の薔薇姫”自ら動いていたなら失敗は無かった。なんなら部下の失敗の翌日にでも、自ら金庫室を強襲すれば金貨を奪えたはずだ。
だが今は、何が狙いか分からない、奇妙な動きを見せている……
「金貨を奪いたいだけなら、『滅月会』などが派遣される前に、それをやってしまえばいい。
やらない理由が何なのか、恐ろしいと思いませんか、警部」
スティーブはパーティ会場を、そして、その奥に座す美女を見る。
未だ狙いは見えない。だが、絶対に何かの端緒がある筈だと信じて。
その時、ジャスミンがやにわに立ち上がった。
そして会場の全ての人に視線を送るように眺め回す。スティーブと目が合ったのは一瞬だが、それだけでスティーブはぞっとした。
常ならぬ何かをスティーブは感じ取った。所作一つにも、圧倒的な厚みを感じた。幼子の力では大人と喧嘩をしても敵わない。それと同じような時間という重さの差が、そこに。
『皆様……今宵はよくお集まりくださいました』
ジャスミンが拡声杖を手に、口を開く。
その言葉は少し低く、艶っぽかった。耳には心地よく甘い。
立ち上がってみれば、彼女は意外なほど上背があり、その肉体は芸術的な曲線で構成されていた。
ドレスはボディラインが出るのみならず、要所要所に露出があり、危険な雰囲気も漂わせていた。彼女は下着を身につけているのだろうか?
『遠く東の果てから参りました私を、こうして皆様が温かく出迎えてくださいましたこと、大変ありがたく思っております……
どうか、ごゆるりとお楽しみくださいませ』
短い挨拶に艶めかしい吐息が混じる。
パーティーの参加者たちは、ここで指笛を吹くような下品な真似はしないが、特に男どもは拍手の手にも力が入っていた。
商会の御曹司に連れて来られたらしい若い女が、ジャスミンに色目を使う隣のオスを見て、面白くなさそうな顔をしていた。
「やっぱり人間の男って、あーゆーデカくてムッチムチの女が好きなのかしら」
「それは……人によるとしか……」
マドリャまでが、ジャスミンを見て呆れたような渋い顔をしていた。
ドワーフである彼女は、人間の基準で言うならローティーンの少女と変わらぬような外見で、そしてこれ以上成長することがない。ジャスミンのような体型にはなれないのだ。
主催者からの挨拶によってパーティーが正式に始まると、ジャスミンは会場に分け入って、参加者たちと話をし始めた。
もちろん参加者たちは、一秒でも長くジャスミンと話がしたい様子で、他の参加者と談笑しつつもタイミングを見計らってはジャスミンの所へ馳せ参じる。
「……革新的新技術……」
「商談を……」
「…………独占的に……」
人の発する声と音、優雅な演奏に満たされた会場内で、会話の盗み聞きをするのは難しい。
それでもスティーブは、ジャスミンと参加者の会話から、興味深い単語をいくつか拾った。
* * *
その日のパーティーでは何も起こらなかった。
……その日のパーティーでは、まだ。
『今宵はこれにて、お開きと致しましょう。
近々また、皆様にお会いするための席を設けます。よろしければ、お越しくださいませ……』
最後にジャスミンは、次のパーティーの予告をして、皆を送り出す。
次のパーティーは平穏無事には終わらないだろうという、確信めいた予感が、スティーブにはあった。