[4b-17] 腐れ外道とメガコオポ
ファライーヤ共和国の『商業首都』ステルウェッド・シティ。
多くの商会の本店も集まっている、超巨大都市の中心部に、ウィズダム商会の本店も存在した。
本店前の道路に止まったのは、美しい流線形のデザインを持つ、黒光りする高速馬車。
そこから降りてきたのはジャレー・ウィズダム。ウィズダム商会の現会長だ。
ジャレーは三十代後半の人間男性。
スタイリッシュで、幻像劇俳優のような雰囲気もある男だ。
いつも下ろし立ての新品のようなスーツを着ていて、微笑めば黄色い歓声が飛んでくるような爽やかな顔立ちをしている。
「商会長! トウカグラの公的買収における虚偽申告疑惑に関して一言!」
「前商会長とは相談されたのでしょうか!」
「ナイトメアシンジケートとの取引の噂は……」
道路と建物の間、その短い道のりに、手帳だの音声記録用アイテムだのを持った者たちがひしめいていた。
そして、馬車を降りたジャレーに向かって一斉に囀った。
「道を! 道を開けてください!」
警備員たちが壁を作り、記者津波を掻き分けて道を作る。
そこをジャレーは悠々歩き、入り口の自動回転扉前で振り返ると、鷹揚に手を広げた。
「お集まりの皆様……現在、当商会に関して多くの報道がある事は承知しております。
これに関しては近々、商会からの発表を追々行いますし、説明する場を設けると約束いたします。
今日のところは失礼致します」
一方的に言葉を投げかけ、後はもう何もかも無視して、ジャレーは扉をくぐった。
近々お別れをすることになるであろう、己の城の門を。
「おはようございます、会長」
ロビーに入ると、その場に居た者らが一斉に頭を垂れ、信を置いている年配の秘書がさっと隣に寄ってきた。
その時にはもうジャレーは、やかましい連中の事など頭から消し去っていた。
「今日の予定は把握している。何か報告すべき事はあるか?」
「特には。昨日の朝以降の、商会に関わる報道はこちらのスクラップにまとめております」
「目を通そう」
差し出されたスクラップブックをめくり、見出しをざっと確認したジャレーは、眉をひそめる。
「なんだこれは?」
もちろん、ほとんどはトウカグラに関わること。後は“怨獄の薔薇姫”とやらについてだ。
その事に関して、ああだこうだと言われるのはジャレーも予想していた。
だが、それ以外にも奇妙な点があったのだ。
下劣な大衆紙の見出しには、『ウィズダム商会幹部、秘密の肉欲パーティー』だの、『悪魔のウィズダム労働 子煩悩パパが両腕と片脚を失うまで』だの、扇情的な見出しが躍っている。
もはや数年前のものまで含む、鎮火済みだったはずの醜聞沙汰だ。それが、いくつもいくつも。
しかもほとんどは、大して騒がれなかった事件だ。覚えている者も、事件を追跡調査する記者も、もう居ないと考えていたのに、『被害者』の最新インタビューまで付いている。
どの事件を記事にしているかはばらつきがあったが、全く別の新聞が、同じ事件について同じような記事を書いている。
そう、まるで……
ウィズダム商会に関して、体系立てて何もかも記録していた者が、それを完全に複写して一斉に報道機関にばらまいたかのような有様だ。
奇妙だ、と思うのは当然だった。
明らかにウィズダム商会の体面に傷を付けることを目的とした報道攻撃。
だが、何故よりによって今、何者がそんな真似をするかは分からない。
ジャレーは一瞬、父の顔を思い浮かべた。それだけの力を持ち、商会について誰より知っている者だ。
父である先代会長は、間違い無く共和国の歴史に名を刻むべき商人だ。ジャレーはその後を継ぐウィズダム商会の貴公子として、見目の良さも手伝って、学生時代から注目されていた。
父の薫陶を受けたジャレーは仕事の上でも優秀で、父の下でいくつもの重要な仕事を任されてきた。だが、商売に関しては父譲りの我の強さを発揮する事もあり、やがて徐々に父との確執が生まれた。
ジャレーは優秀なれど父ほどの豪腕ではなく、それ故にジャレーを後継と認めず、父の側につく者があるのも問題だった。
父の健康不安により商会長の地位を継承したが、ジャレーが融和的な雰囲気を見せたことで一時は下火になっていた対立が、トウカグラを巡って商会内で再燃していた。
父はよりによって、トウカグラの一件をクリスタルアイズに持ち込むような暴挙に出たのだ。何をしてもおかしくないと、ジャレーは一瞬思った。
だがすぐに己の考えを否定した。彼は未だにウィズダム商会を自分のものだと思っている。その名を傷付ける事はしないだろう、と。
トウカグラの事は、あくまでもジャレーの判断の問題だったから、あんなやり方をしたのだろう。
では、誰か。
もうじき畳まれるウィズダム商会を、今になって攻撃しようとする者は誰か。
「……罠に掛かったクマには、ネズミさえ噛みつくのだな。
広報室に情報収集を命じよ。何かが起こっている。話を聞ける記者はいくらでも居るだろう」
「はっ」
記者というのは、他人に噛みつくことを仕事だと思っている者も多いが、物わかりのいい者もある。
懇意にしている者を当たれば、何が起こっているか、報道業界の話は聞けるだろう。
不気味に思いはしたが、所詮、今まで黙殺されてきた小さな醜聞が掘り返されたというだけ。
情報収集と分析を命じておけばいいだろうとジャレーは判断した。
それよりも重要なのは、表向きは普段通りの顔をしながら、密かに商会を畳んで幹部だけが夜逃げする、その準備という大仕事の方だった。些事にかかずらっている暇は無い。
とにかく、トウカグラの地下の出来事に対応しなければならないのだ。金貨の盗難は防げたが、あれでは実質的に奪われたようなものだ。
法律の目をかいくぐるため別名義に移しておいた財産を、ナイトメアシンジケートが取り立て始めていた。神も警察も恐ろしくないジャレーだが、ナイトメアシンジケートを敵に回すほど命知らずではない。逃げた先での悠々自適の生活は、夢と消えそうだ。
だがジャレーは絶望していなかった。
――じき、店仕舞いだ。不測の事態が起ころうと、全てはつつがなく終わる。
ひとまず東部沿岸国家辺りへ高飛びする。
そして現地の未開人どもを相手に詐欺的な商売をして元手を作り、そこからもう一度成り上がるプランが、ジャレーの頭の中には既に五通りは存在していた。
残される者たちは、まあ、好きにすればいいとジャレーは思っている。
労働組合などは、もし、仮に、万一、商会が倒産するなら間違い無く給与と退職金を支払うよう釘を刺してきたが、奴らに何ができようか。幹部の何人かを懐柔して分裂工作を仕掛けて以降、労働組合は内部の路線対立に汲々とし、骨抜きになっていた。
この世界には災害や、想定外の事故というものがいくつもある。……トウカグラで見つけた『魔力溜まり』が偽物だったのも、金貨が狙われたのも、事故だ。
だが、それ以外は全て、ジャレーの思いのままだ。金などいくらでも稼げるし、稼げば冠の無い王になれる。低学歴労働者どもが僅かな賃金と引き換えに人生を売っている間に、己は使い切れないほどの金貨を稼げる。
商会を失おうとも、それは自分の人生が次の章に移るだけなのだとジャレーは割り切っていて、また、そう信じていた。
*
影。密偵。忍び……
そんな言葉から人々が想像するのは、忍び込みや破壊工作、要人暗殺などの活劇的な任務だろう。
しかし、本当に重要なのは切った張ったよりも、情報を仕入れて扱うこと。極論すれば、ロープすらよじ昇れない優秀なスパイも存在するのだ。
大都会ステルウェッド・シティに、数多ある宿の一つ。その一室。
アパートタイプで、宿代は高くも安くもない。
ガトルシャードの座す食卓の机の上には、大量の書類が積まれていた。
ナイトメアシンジケートを介して買い集めた、ウィズダム商会の過去の醜聞に関する情報だ。これをガトルシャードは事件毎に編集し、関連付け、すぐにでも新聞に載せられる『ネタ』にしていた。
一時捕らえられたガトルシャードは、ホアの手によって助け出されたが、警察関係者に顔が割れたとあってはもう『ジャスミンのお供』としては使えない。
そこで彼はトウカグラを離れ、今は別の仕事を与えられていた。
大都会の片隅に潜み、ウィズダム商会の醜聞記事を作り、それをばらまいているのだ。
「……どうしても私が書くと、報告書のような内容になってしまうのですが」
『じゅーぶんじゅーぶん。
過去の醜聞記事の焼き直しでいいのよ。どうせ報道大手じゃ握り潰されてて、今までほとんどの市民は知らなかったんだから。
ネタがちゃんとしてれば、文章を飾って面白くするのは、本職の記者がやってくれるわよ』
壁のボードにピン留めされた通話符が、エヴェリスの声で言う。
情報をまとめて書いた記事は、魔法で複写し、主な新聞社や雑誌編集部全てに匿名で送りつける。
もちろん、こんなものを『さあ使え』と送りつけられても怪しむ者がほとんどだろう。
だが、中にはとりあえず読者の関心を惹くネタなら何でもいいという立場の新聞もある。特に大衆紙はそうだ。独自の追加取材や裏取りをするならまだ良い方で、ガトルシャードの書いた記事をほとんどそのまま載せている新聞もあるほどだった。
『デカい話は被害者が多いし、隠しきれないから世間に知られる。
対して、被害者が個人だと握り潰しやすいのよ。被害者本人とか家族とか、せいぜい記者個人が動くだけだもの。仮に小さく報道されても、ニュースはすぐに消費されて忘れられる。……でもね、今だけは別』
「この工作に……いかなる効果があるのでしょうか」
『そりゃ舞台を盛り上げるためよ』
とりあえずエヴェリスが面白がっているのは、ガトルシャードにもよく分かった。
『自分を劇作家だと思いなさい。お客様は国民全員。
クライマックスを最高に盛り上げるためには、静かに焦らしながらも客を飽きさせない、溜めが必要なの』
エヴェリスは、これを『劇場型犯罪』と銘打った。
その発想は、あまりにも天才的だ。いや、悪魔的と言うべきか。
ガトルシャードにしてみれば、作戦を説明されたときは、感心する前に怖気が走る思いだった。
あるいは、これも彼女の経験の賜物かも知れない。
四百年前の大戦で人族は滅びかけたという。だがエヴェリスは、それ以前の文明も見て来ているのだ。
こんな真似をする犯罪者が、遥か過去にも存在していて、エヴェリスもまた模倣犯であるのだろうかと。
そんな、考えても詮無いことを、ガトルシャードは考えていた。