[4b-16] 種も仕掛けも無い事を
気鋭の作家パスカル・ハイドリッヒが、シエル=テイラの動乱を題材に著した新作オペラ『怨獄の薔薇姫』。
ジレシュハタール連邦とファライーヤ共和国で同時に封切られ、大きな話題となっている作品だが、その上演までの道のりは決して平坦ではなかった。
なにしろ題材は、国一つ滅ぼしたアンデッドだ。
それを面白がってヒロイックに描くことは、人族にとって絶対の敵である邪神を肯定する行為だとか。被害に遭った人々の痛みを無視する事だとか。
識者や神殿勢力は問題視し、ディレッタ神聖王国の教皇庁さえも遺憾の意を表明した。まあ、こんな題材なのにその程度しか拒絶反応が出なかったから、上演にこぎ着けられたのだとも言えるが……
場所を提供する側も、難しい判断を迫られた。
そんな作品にそもそも客が付くのか。仮に儲けが出たとて劇場の評判に傷が付かないか。
諸々を考慮して、上演を断った劇場は一つではない。ステルウェッド・シティにある、ウィズダム商会がオーナーである劇場・七星座も、その一つだった。
そう……
七星座は、上演を断った劇場のうち、一つでしかないのだ。
ましてオーナーであるウィズダム商会は上演拒否の判断に関わっておらず、雇われ支配人の判断でしかなかった。
しかし、これを批判する血文字の手紙が様々な行政機関や報道機関宛に届いた。
ほとんどの者にとっては意味が分からず、またある者は“怨獄の薔薇姫”の狭量さと幼稚さを笑った。
だが、時を同じくして『クリスタルアイズ』が、ウィズダム商会の隠していたトウカグラの真実を報じて共和国に激震を与えた。
それに付随する出来事として、“怨獄の薔薇姫”からの抗議は、広く知れ渡る事になる。
この時点でシエル=テイラ亡国の狙いを正確に見抜いている者は、まだ居なかった。
* * *
その日、七星座の演目は手品公演だった。
魔法支援による曲芸などを行い、幻影や光を用いて演出する『魔法芸』も人気の演目だが、手品師たちは種と仕掛けによって『魔法より魔法らしく』『魔法を超えた奇跡に』を合言葉に奮闘していた。
別に何かの犯行予告がされたわけではないが、よりによって“怨獄の薔薇姫”から名指しで非難されたところだ。七星座は警察や神殿騎士団によって物々しく警備され、怖がって予約をキャンセルした客もあった。
しかし逆に面白がって訪れる者もあり、劇場は今日も賑わっていた。
『紳士淑女の皆々様、今宵も私のステージにようこそいらっしゃいました!
世間は色々と騒がしゅうございますが、どうかご安心を! ここは恐れも悲しみも存在しない夢のステージ。どうか心ゆくまでお楽しみください!』
ステージの上で喝采を受けるのは、キリリとした紳士服でふくよかな肉体を包んだ、ユーモラスな印象の五十代くらいの人間男性。
彼のステージネームは、ギル・ザ・フェニックス。実力と安定感のあるベテラン手品師で、駆け出しの頃は無茶な転移脱出手品で名を売ったが、結局は大仕掛けよりも観客を盛り上げる巧みなステージ演出を十八番とした男だ。
彼は顔の鼻から下を、赤と青に輝く金属製のマスクで覆っていた。
それは手品師のシンボルでもある、魔法詠唱を封じるマスク……『種も仕掛けもあるが、魔法は無い』ことを示すものだ。
本来は虜囚となった術師に用いる拘束具であるが、手品師は術師でなくても、これを身につける。マスクはステージ衣装の一部として美しく装飾されていた。
もっとも、魔法無しとは言え、ギルの声をホール中に届ける拡声器や激しく瞬く照明器などは魔法動力の品だが。
『さあさあ、旦那様。そちらのポケットを確認してもよろしいですかな?』
「おや、何を入れてくださるんです?」
観客の紳士を捕まえたギルは、彼の上着のポケットを指差して言う。
客が話に乗ってくれると、ギルはにやっと笑った。
『そのポケットの中に、無賃入場者がいるようだ』
「えっ?」
ギルは有無を言わせず、紳士のポケットに手を突っ込んだ。
そして引きずり出したのは……鳩だ。真っ白い鳩だ! それは羽ばたき、ホールの高い天井目がけて舞い上がった。
『私の友人に拍手を! ……おい、チケットカウンター! 次からはあいつをタダで通すなよ!』
割れんばかりの拍手が轟いた。
訓練された鳩やウサギは、手品師が好んで用いる道具だ。なにしろ、収納魔法に生き物が入らないことは、世間にもよく知られているから。
『さあ、それでは次はご来場の皆様に、少しゲームをしていただきましょう』
ギルは鋭く大きな音を立てて、手を叩く。
するとステージの端から、燕尾服にシルクハットを身につけた四人の少女が行進してきた。四人ともお揃いの、仮面舞踏会にでも出るような煌びやかな仮面を着けていた。
彼女らは皆、両手で抱えなければならないほどの大きなカードを……いや、もはやパネルと言うべきだろうか。パネルを一枚ずつ持っている。
『カードをよく見せて。そうそう、皆に見えるように』
四枚のパネルは、大きさ以外はトランプのカードそのものだった。
描かれているのは、翼を広げたドラゴン。ただ、その翼はそれぞれ奇妙な形に広げられていて、ハート・ダイヤ・スペード・クラブのマークのシルエットを模っていた。各マークの、エース札だ。
『どのカードが何処にあるか、覚えましたね? では……シャッフル!』
ギルが号令を出すと、少女たちはパネルを裏返して客から見えないようにして、ステージ上をグルグルと走り回った。
そして、また横並びに整列する。
『さあ皆さん、この四人のうち、誰がダイヤのカードを持っているでしょうか。もし、こんな難しい問題に正解できる方が会場にいらっしゃいましたら、私のポケットマネーから金貨一枚差し上げましょう』
「右だ!」「一番右!!」
ギルの言葉を観客がどれほど本気に受け取ったかは不明だが、即座に声が上がった。
ダイヤのエースのパネルは、一番右の少女が持っているはずだ。
『では左から見ていきましょう! ……クラブ! ハート! スペード!』
少女たちがパネルを裏返していく。
『そして残るは……』
四人目の少女はなかなかパネルを裏返さず、客を焦らす。
演奏されていた陽気な音楽が止まり、おどろおどろしいドラムロールに変わった。
あのパネルはダイヤ、ではない。
最後の一枚は、彼女らが走り回っている間にジョーカー柄にすり替えられている、という手品だ。
シンバルが鳴って、スポットライトの中、ようやくパネルは裏返った。
そのパネルに描かれていた絵は……悪魔ではない。
異次元へと通じる大渦から吹き出す大量の書類だった。
『…………え?』
謎の絵を見て、観客だけではなく、ギルまでもが疑問の声を上げた。
奇妙な絵は、即座に現実のものとなった。
巨大なカードから大量の書類が噴き出し、大嵐となってホール中を埋め尽くしたのだ!
「うわああ!?」
「なんだこれは!?」
『皆様、お気を付けてください! これはショーの演出ではなわわわわっ!』
書類の猛吹雪に見舞われた人々は逃げ出そうとして転ぶなり、ぶつかり合って怪我をするなり、パニック状態で逃げ惑った。
だが、これは所詮、紙束を浴びせられているだけだ。落ち着いていれば怪我などしない。少し冷静だったり余裕がある者は、身を守りつつも、乱舞する書類を拾い上げて観察していた。
それは魔法によって複製印刷された、何らかの帳簿だった。『最高機密』の判子が押されているのは見間違いではなかろう。
ぶちまけられた書類が、ウィズダム商会が脱税をしている証拠の裏帳簿だったり、懇意の国会議員を接待したり違法に献金した記録だとその場で読み解けた者は流石に少なかったが、これだけ大量にばらまかれては回収など追いつかず、最終的に衆目に晒されるのは確定的だった。
いつの間にか、書類吹雪を巻き起こした少女の姿は消えていた。
ダイヤのカードを持つ筈だった本物のアシスタントは、服を奪われて縛られ、地下の掃除用具入れで気絶しているところを一時間後に発見された。