[4b-14] 支払いは十日五割で
明らかに数が足りない、空っぽの宝箱。
宝箱はどこへ消えたか、中身はどこへ行ったのか。
「仮に『収納』を使っても遠くへは運べないはず。でも、この部屋以外に安全な場所なんてどこに……」
エヴェリスもトレイシーも、鋭く室内を見回した。
収納用のアイテムを使ったところで、大量の金貨を持ち出すとなれば結構な荷物になる。
そんなことをしていればエヴェリスが確実に気付いたはずだ。金貨を盗み出すための観測は、同時に、金貨の動向を見張ることにも繋がっていたのだから。
動かせたとしたら、少しだけ。
しかし、この『金庫室』以外に、ウィズダム商会にとって安全な場所などあるだろうか?
まずは部屋の中を疑うのは当然で、そして、それは正解だった。
「魔女さん、あれ!」
トレイシーが指差したのは、部屋の真ん中の、噴水みたいな巨大培養槽から垂直に伸びている植物の幹だ。この部屋に存在する植物のほとんどは、あれの一部なのだろう。
何本もの細い幹が溶け合って、大人数人で手を繋いでやっと囲めるほどの巨木となっている。その隙間に輝くものが埋まっていた。大量に。
まるで鋲を埋め込んだ棍棒のように、チカチカ輝くものが、幹の隙間から見えていた。
薬液のプールの底には、苗床と思しき分厚いスポンジが敷き詰められていて、植物はそこから生えているのだが、その根元は蓋の開いた宝箱がいくつも沈んでいて、埋め尽くされていた。
いかにも大急ぎで全部ぶちまけましたという雰囲気で、植物の生育に絡め取られなかった金貨が薬液の底に散らばっていた。
「無茶苦茶な!」
あまりの光景にエヴェリスは頭を抱えた。
つまりウィズダム商会は、どこかのタイミングで……もはや金貨を持ち出すには間に合わないタイミングで、警告を受けたのだろう。狙われていると。
そこで彼らは金貨の位置を変えるのではなく、しまい方を変えた。
この有様を見るなら、この地下室はもとより生物兵器開発のための錬金術工房だったのだろう。
その機能と、用意していた物資を彼らは活用した。
巨大培養槽に金貨をぶちまけて、そこで植物の魔物を製造した。金貨を咥え込んで育ち、その身の内に隠すように。
エルフが自然魔法で植物の生死を操るのと同じ事で、適切な手段さえ使えば、この大植物園は一日で作り上げられるだろう。ひとまず大きく育てばいい、という大雑把な方針なら尚更だ。
もちろん、この巨大な植物を枯らして金貨を回収する事自体は、エヴェリスには可能だろう。
これはエヴェリスにとって、盗られないための防御ではなく、盗るためには時間が掛かるようにする防御だ。やれることをやっただけの、精一杯の抵抗だ。だがそれは今回に限って致命的だった。
動力喪失が街の中央部だけに留まったことで、復旧までの猶予は短くなっている……
「撤退よ。これ以上はリスクが勝る」
「それは……」
エヴェリスの決断に、トレイシーは言いかけた言葉を飲み込む。
街の真実が近々暴露される。それが盗みの時間制限であり、今を逃せば次は無い。
既に今回の作戦にはそれなりの投資がされ、後戻りは不可能。資金調達の失敗は『プロジェクト・C』の失敗、そしてシエル=テイラ亡国が近く敗北することを意味する。
だが、この窮地に、魔女は不敵に笑った。
「金貨を回収するはずだった時間で、これを負けではなく引き分け再試合にするための工作をするわ」
「どうする気?」
エヴェリスが胸の谷間から取り出したのは(絶対に収納スペースなど無い筈なのだがトレイシーにはそう見えた)、古風な金色の呼び鈴だった。
中に詰めてあった布を抜いて、エヴェリスが打ち振ると、美しく澄んだ音が鳴り響く。
ふとトレイシーが気が付くと、あり得ないほど唐突に、それは存在していた。
エヴェリスの傍らに跪くのは、淡いストロベリーブロンドをおかっぱ的に切りそろえた細面の美少年だ。キリリと黒いタキシード姿をしている。その眼差しはどこか愁いを帯びていて、秋の日の夕暮れを思わせる色合いを感じさせる。
「お喚びとあらば、いつでも参上。
大魔女エヴェリスの忠実なる僕! ザレマ=ミライズ、罷り越してございまする」
心地よく耳に響く美声で、百合の花が咲くような笑顔で、少年は言った。
「うげっ……何このクソ外道」
「……初対面でそれはあんまりというものではございませんか」
思わず正直な感想を漏らしたトレイシーに、少年は頬を膨らませて反論する。
外見は耽美で愛らしいが、この少年の実態は、言葉にするのもおぞましい何かだとトレイシーは見抜いていた。
ザレマ=ミライズと名乗った少年。
彼が何なのか、トレイシーはすぐに察した。
魔女とは悪魔との契約で邪悪な力を得た者。呼べば飛んでくる御用聞きの悪魔が一柱は居るはずなのだ。そして悪魔は邪悪な対価と引き換えに、邪悪な奇跡をもたらすのだ。
「して、ご用件はいかが?
成り行きは拝見しておりました。この金貨を全て奪い去ればよろしいので?」
「悪魔は結果の重さで報酬持ってくんだから、そんなの頼んだら絶対足が出るでしょ」
恭しく芝居がかった態度で腰を折る悪魔をエヴェリスは、にべもなく突っぱねる。
「欲しいのは血よ!
あんたの血を1000リットル……や、そんな濃くなくていいか。
あんたの血100リットルを錬金精製水900リットルで希釈して寄越しなさい。ここにね!」
「承知……」
エヴェリスが命じただけで、これから彼女が何をするつもりなのかすら心得た様子で、ザレマ=ミライズは楽しげに承諾して頷いた。
「ここからは……劇場型で行くよ」
* * *
障害発生より18分27秒。動力源、復旧。
盗人たちは既に去っていた。金貨を1枚たりと奪えずに。
邪悪な置き土産だけを残して。
「……なんだ、これは」
障害発生より21分51秒。
地下金庫室の前に立ち、開かれた扉から中を見て、マイクは絶句した。
家畜化された巨大な植物の魔物『GP-P-8』が、無数の金貨を取り込んで、金庫室の真ん中にそびえているのは元からの話だ。
だがその幹に、そして埋め込まれた金貨に、赤黒い血が塗りつけられていた。
まるで大量殺人でも起きたみたいに部屋中が真っ赤で、しかも下水のようなえげつないニオイが漂っていた。
「支店長、お気を付けて!
近づいた者が倒れたそうです。毒か何かではないかと……」
「『腕章』を付けているはずの者が食われました。暴走しています!」
同行する警備責任者と副支店長が警告し、マイクは一歩退いた。
GP-P-8は、人の存在を感知した時だけ動いて攻撃と捕食を行う。
だが今は、腹を空かせてネズミを探す蛇のように、部屋中の蔓がシュルシュルと動いて擦れ合っていた。
また、GP-P-8の本来の用途はあくまでも警備であるため、主人……つまり餌ではないものを判別するための鍵は用意しているのだが、それが効かなかったらしい。
いくら人が飼い慣らして制御していたとしても、所詮は魔物。
邪気を浴びせられて殺戮本能に火が点けば、凶暴化して荒れ狂うのだ。
それはいい。それ自体はいい。冒険者は金で雇えるし、浄化の奇跡も金で買える。後始末は容易だ。
問題は、こんな嫌がらせができるのは何者かという点だ。
金庫室の入り口には、状況を調べに来る者たちを待ち受けるかのように、空の宝箱が一つ、置いてあった。部屋の中にあったものを移動させて来たらしい。
『ウィズダム商会が秘匿していた宝石は頂戴いたしました。
次は金貨を戴きに上がります。』
空の宝箱の蓋に書かれた、それは流暢な血文字だ。
署名は無い。
しかし、その代わりとでも言うように、文末に当たる場所に描かれていたのは……
まるで今し方、鮮血によって描かれたかのように滑り輝く、緋色の薔薇だった。