[4b-13] 光線ドリルと地下ジャングル
魔力導線とは分離された下水道網を、黒衣のトレイシーは直走っていた。
下水には鼻が曲がりそうな悪臭が立ちこめているはずだが、トレイシーは身につけたマジックアイテムでニオイを遮断し、己の身体を消臭し続けていた。
潔癖ゆえでなく、忍び込みのために。
「……確認するけれど、この街の警察は動いてないんだよね?」
『それは確実。ついでに商会本部内も異常無し』
起動しっぱなしの通話符からエヴェリスが応答する。
城や砦などの重要な建物は、外からの転移侵入や盗聴、要人への呪いを防ぐため、魔法の狙いを逸らす機構が備えられている。
当然のようにウィズダム商会の支店と、その地下施設にも『狙い逸らし』はされていたのだ。
だがエヴェリスは、設備保守の責任者を操って建物中に取り付けさせた標導符によって、その制約を突破して内部の様子を探っていた。
さらに建物地上部分の設備のいくつかは、遠隔操作が可能なように仕掛けを施している。
エヴェリスは後方から状況の把握と操作に注力する態勢だ。
ガトルシャードからの通信は二人とも聞いていた。
緊急事態だ。だが、ならば尚更、今を置いて作戦を遂行できる機会は無い。
そして状況の観測により、未だ撤退には及ばぬ状況だとエヴェリスは判断していた。
『客人の警察官僚のスタンドプレーと見たね、私は』
「商会側や地元警察と連携は取れてないわけか。敵の位置は追ってる?」
『生命反応三つ、地下から出ようとしてる。ガトルシャードを運んでるね。
行き先はウィズダム商会じゃなく警察署だと思う』
「この状況で本丸を守りに行かな……や、そっか地下を守ってるのはゴーレムだ。味方と認識されてなきゃ近づくだけで襲われる」
『そう。それも連携取れてないと見る理由』
撤退を選ばなかったエヴェリスの判断に、トレイシーも納得する。
この状況で最重要戦力である、特殊戦闘兵相当の警察官をわざわざ離脱させる意味が無い。
ウィズダム商会から厄介者扱いで遠ざけられた彼らが、それでも公僕としての使命感から自分にできることをしているのだとしたら、見上げた根性だ。
だがそれでは亡国の最終目標を阻むことはできない。
「ガトルシャードは」
『分かってるでしょ』
「うん」
トレイシーはそれ以上、何も言わなかった。
兵を無駄死にさせないのが指揮官の仕事。
必要とあらば死ぬのが兵の仕事。
救出可能であるかどうか考えることさえも、まずは他の全てを片付けてからだ。
「魔力導線の復旧見込みは?」
『二十分は確実。その先は分からない』
「了解。
命懸けで道を拓いてくれたんだ。無駄にはしない」
『幸運を祈るよ』
本来の作戦は街全体の動力を消失させ、混乱を引き起こすこと。さすればもっと復旧は遅れたはずだ。
だが、動力を絶てたのはウィズダム商会の支店や地下施設を含む、街の中心部のみ。
首に掛かった縄が徐々に締まっていくかのように、条件は厳しくなっていく。
それでもまだ、死んではいなかった。
七色の薬液で跳ね上げ扉の鍵を腐食させ、トレイシーは下水から這いだした。
そこはウィズダム商会支店の建物内、種々のパイプや制御盤が剥き出しになった地下一階。
ここはまだ、金貨が隠されていると思しき地下施設とは別の場所。地上の建物の一部だ。
「落ち着け! 動くな! 大丈夫だ!」
音と気配を探ると、右往左往する人々の存在が感じられた。
手持ちサイズの魔力灯を掲げた者が、何かを確かめにドタドタと駆け抜け、トレイシーは大きなパイプの陰に姿を隠す。
――混乱してる。待ち構えてたって雰囲気ではない、かな……
地下の魔力導線で待ち伏せていたくせに、動力喪失を想定して備えていたようには思えない。
ちぐはぐだ。
ウィズダム商会と警察官僚たちの間に、連携が存在しないという見立てを裏付ける。
トレイシーは、自身は明かりも使わず、己の暗視技術に頼って滑るように動いた。
建物の見取り図は事前に頭に叩き込んである。
商会支店地下の、ある一点で、トレイシーは腰に括り付けていた小さな杖を振るった。
『ノームの左手の杖』。土や石を自在に操り、トンネルを作ったり、石壁に穴を空けるマジックアイテムだ。
トレイシーの足下で石の床が丸くくり貫かれ、ちょうどトレイシーが這い進める大きさの穴が斜め下に向かってできた。
「地中に到達。敵の反応は?」
『無さそう。やっぱり短距離トンネルは効くねえ』
してやったりと、エヴェリスが笑っているのが声だけでも分かる。
魔法を使えば地中の道など簡単に作れる。
だが、だからこそ、守りたいもの(あるいは後ろ暗いところ)がある者ほど、地中にも警戒する。
魔法やマジックアイテムで地中の異変を感知するのだ。
とは言え、それはもっぱら広域探査を行うもの。
あまりに近くの小さな変化さえも見逃さぬよう神経質になると、街の中で些細な工事が行われただけで反応しかねないから、普通そういう設定はしない。
それを逆手にとって、ギリギリまで目標地点に普通に近づいてから最後の最後に地面を掘るようにすると、地中監視態勢があってもすり抜けられるのだ。
『でも金庫室に穴空けたら絶対気付かれるから』
「時間との勝負ね、了解」
下向きのトンネルはすぐに、合金の床、もとい天井の裏側に突き当たった。
商会地下の設備で最も堅牢な部屋、『仮称・金庫室』の天井だ。
トレイシーは今度は土を掘る杖でなく、エヴェリスが持たせた奇妙な短杖を出して手元のスイッチを入れる。
その先端から噴き出す光線で、ナイフでケーキを切るようにトレイシーは天井を切り抜いた。
分厚い円柱状の金属片が、遥か下の床へと落下していった。
「……えっ?」
湿っぽくて濃厚な緑の匂いが吹き上がってきて、トレイシーは思わず怯んだ。
「魔女さん、見えてる?」
『これは……』
トレイシーは耳に水晶のイヤリングを付けている。
これによってトレイシーが見ている光景はエヴェリスにも共有されていた。
トレイシーを同じものを見て、通話符の向こうのエヴェリスもやはり、絶句する。
ドラゴンがスモウレスリングできそうなくらい広く高い部屋の中は、紫色の奇妙な魔力灯でぼうっと照らされた、狂った植物園と化していた。
中心部に大きな噴水のような何かが置いてあって、そこから伸びる幹や、這いだした太い蔦が部屋中を緑に染めている。
さらに別の植物が細い蔦を巻き付けて、宙にアーチを掛けていたりもして、花が、葉が、スズ鳴り状態だった。
そして、そんな植物たちの中に埋もれるように散在している……いくつかの宝箱が確認できた。
『警備ゴーレムが居ない。いや……必要無い?』
「すっごい嫌な想像しちゃったんだけど。
この地下施設さ、魔物を兵器化するための錬金術工房だったって与太話があったよね」
トレイシーたちは、地下の設備周辺同様、金庫室内にもゴーレムがうろついて警備しているものと考えていた。
だが、そこにあったのはゴーレムよりもだいぶ非常識な物体だ。魔物と強く類推される、部屋いっぱいの植物群……
騎獣を例に挙げるまでもなく、魔物を使役すること自体は合法だ。
そして国が流通を管理しているとは言え、魔法薬の調合素材にも使うくらいだから、植物の魔物のサンプルくらいどこからでも手に入るだろう。ナイトメアシンジケートの手を煩わせるまでもない。
もっとも、本来必要な届け出を省略してこんなものを育てているのだろうとは思うが。
バカみたいな状況だが、ある意味でこれは合理的だ。
ゴーレムより長時間の動力喪失に耐えられ、保守のコストも低いだろうから。
「何に気をつけるべき?」
『魔力知覚、触覚、振動、二酸化炭素』
「息止めて気配消して宙に浮いてれば良いのね。了解。無理」
遥か下の床の方からは、蛇の這うようなシュルシュルという音が立っていた。
落っこちてきた天井の欠片に反応し、いくつかの植物が蔓草を動かしてそれを巻き取っているところだった。
「でも、この巨大植物園内に誰かが入った形跡はある。安全に歩く手段はありそうだけど……」
『探ってる場合じゃなさそうね。標導符落として!』
「分かった」
とにかく、天井に穴を空けてしまった以上、どこかでそれを感知されているのは間違い無い。時間がなかった。
トレイシーは、ミスリルのフレームで補強した水晶片みたいな物体を投下した。
標導符と呼ばれるマジックアイテム。魔法の狙いを付けるための牽引装置だ。用途はいくつかあるが、この場合は『狙い逸らし』の外からこの場所を狙って魔法を行使するのが目的だった。
トン、と地面に落ちるなり、標導符は光に包まれる。
「まぐろがたべたいでござる」
「はまちがたべたいでござる」
「いくらがたべたいでござる」
光の中から奇妙なものが現れた。
ゴブリンと同じくらいの背格好をした、粘土人形みたいな、肉の塊だ。
顔には目と口だけがある、見方によっては可愛いかも知れないものたちは、口々にスシを求めながらヨチヨチ歩き出す。
「…………何あれ」
『即席ホムンクルス』
標導符を頼りにエヴェリスが転移させ、送り込んだらしい。
植物たちの反応は迅速だった。
触手みたいな蔓草が大量に伸びてきて、三体のホムンクルスは即座に雁字搦めになる。
「ああああああああ」
「ねぎとろ、が、たべた……かった」
哀れ引っ張り合いで引き裂かれた肉人形たちは、顎門のような葉の中や、茨の根元に引きずられていく。
「今のうち!」
そこに。
植物たちがホムンクルスに夢中になっている隙に、本命が転移してきた。
極限までメリハリの付いた体型がそのまま出る、漆黒のボディスーツだかタイツだかみたいなものを着たエヴェリスだ。いや、本当に何か着ているのだろうか。まさかボディペイントではないと思いたかった。
新鮮な獲物が現れた事に、植物たちはすぐに気付く。
だが、その蔓草が豊満な肢体を巻き取るよりも早く。
「≪枯蝕ノ禁忌≫」
エヴェリスが魔法を使うと、彼女の周囲だけ、全ての色が変わった。茶色に。死の色に。
花弁は散り、触れれば割れるほどに乾く。蔓草は萎れる。
枯れ葉がふわりと舞って、エヴェリスを中心とした円形の空間だけ、金属質な床の色が見えた。
トレイシーは天井の穴から飛び出し、猫のようにくるりと回転し、エヴェリスの隣に降り立つ。
死の領域は、染みのように徐々に広がり、狂った植物園を浸食していた。
「自然魔法まで使えたんだ、魔女さん」
「本家には及ばないけどね。
とにかく、盗るもの盗ってずらかるよ!」
「合点だ親分! これだけしか箱が無いなら全部収納アイテムのはず。なら中身を移し替えれば……」
丁度手近にあった宝箱をトレイシーは蹴り開ける。
そして、凍り付いた。
「……中身が、無い?」
それは収納アイテムですらない、ただの宝箱だった。
内側にはクッションが敷かれ、金貨を並べた形に、何かの置いてあった跡が付いている。
だが、それだけだった。入っているべき物は何ひとつ無かった。