[4b-11] Sentence_Spring
トゥーダロイヤルホテル最上階の寝室には、遠見の水晶や、何か奇妙な数字を表示する透き通ったパネル、メモが貼られた街の地図などが並べられ、前線司令部の様相を呈していた。
もちろんホテル側は部屋の清掃も含めた最高のサービスを用意しているが、身の回りの世話は自分の連れて来た使用人にやらせたい、という客も多かろう。上級使用人は主人の好みや気性を熟知して世話をするものだから、ホテルの一律なサービスより良いだろうし。
とにかくそんなわけで、この場所は秘密を守るのに都合の良い場所ではあった。
「悪いニュースと、もっと悪いニュースがあるわ。どっちから聞く?」
「結局両方聞くんだからどっちでもいいよ」
エヴェリスが寝室の入り口から声を掛けると、水晶を通じてウィズダム商会支店の工事風景を観察していた侍女……もといトレイシーは、花弁を浮かべた茶を一口飲んでから振り向いた。
トレイシーに向かってエヴェリスは、折りたたんだ紙束を突き出す。
いかにも風刺画、というテイストの挿絵は、崩れゆく浮遊島の上の街。
その上に踊る扇情的な見出しは『衝撃! トウカグラの地脈はやがて枯渇する!』。
「雑誌の仮印刷?」
「『クリスタルアイズ』っていう週刊誌があるんだけどね、うん、まあこの国で政財界のスキャンダルとか書かせたら一番権威あるかなってとこ。
そこがさあ……暴露するらしいんだわ。この街のこと。明後日に」
いくらエヴェリスと言えど、発売前の週刊誌のゲラを手に入れるルートなどまだこの国には築いて居らず、これはナイトメアシンジケートからの情報支援だった。
記事を斜めに読んでトレイシーはすぐに眉根を寄せる。
「内部告発かあ……」
「ウィズダム商会は、幹部だけが金を掴んで高飛びする準備の真っ最中なわけでしょ。
ところが、その中でもまだ先代派と当代の若会長派でやりあってるらしくて。……遂に、先代が爆弾を手に取っちゃったのよ」
「これは……政府が動くよねえ……
そしたら盗むどころじゃないじゃんボクら」
自爆テロも良いところだった。
トウカグラの欺瞞が露見すれば、ウィズダム商会が街を売った際の不誠実な態度も糾弾され、やがては全てが暴かれる事になる。
ウィズダム商会としては、少しでも時間を稼ぎたかったはずだが、ここに来て内輪揉めから自ら猶予を縮めた。
そしてそれは、シエル=テイラ亡国にとっても作戦決行までの猶予を縮められた事になる。
「ゲラと一緒に、“屍売り”からお手紙が来たわ。『やるんなら早くやってくれ』って。
私らが金貨を盗んだとして、ナイトメアシンジケートはその後で商会が解体されたり資産を差し押さえられる前に取り立てなきゃならないんだから、私らより時間の問題はシビアなのよ。
つまり、今やるしかないってわけ。
幸いにも準備が順調すぎて、やれるだけの材料は揃ってる。
不幸なのは当初予定してた仕掛けが色々間に合わなくて、何より姫様もいないって事」
二人は自然と、壁を見る。
張られた街の地図には、作戦の進行状況や、現地入りしてからの調査結果がメモとして留められていた。
応用学校の定期試験に喩えるなら『半分の問題しか解いていないが、それで及第点を稼いだ状態』だろうか。
最大の不安要素はルネが居ないという点だった。
そもそも、ルネが合流するまでに準備を整えて、それから決行するという手筈だったのだ。荒事となれば単独で軍レベルの戦闘力を持ち、ズル技を取り揃えたルネは比類なきジョーカー。
だがそのルネは今、決して逃がせない標的のため『隠れ里』を展開し、この世界から隔絶された場所に居る。連絡要員を決死隊として隠れ里に潜り込ませる事ならできるが、そのメッセージがルネに届いたかどうかも外からは観測できないのだ。
ただし、ルネを待つ間にタイムリミットが来てしまえば、挑戦すらできなくなるわけだが。
「ま、大丈夫でしょ」
「じゃあ決行」
表面的には軽く、二人は決断した。
*
同時刻。
「そうだったんだ……」
トゥーダロイヤルホテルより大分庶民的な宿泊料金を誇る『ブルームーンホテル』のレストランにて、二人の警察官僚は昼食のサンドイッチを食べていた。
特殊戦闘課は、その超越的戦闘力を必要に応じて様々な状況に投入する警察の切り札である事から、仕事の『縄張り』こそ少ないが横断的権限を持つ。
そして此度は国を揺るがすレベルの最新情報を……トウカグラの魔力溜まりが偽物だという、警察庁内でもまだ一部しか知らない情報を優先的に共有され、そして偶然現地入りしていたマドリャとスティーブにも伝えられたのだ。
「驚きでしょ? 上司殿の最新情報だから間違い無しよ。
まさか、この街がハリボテみたいなものだったなんてね」
「いや、待って下さい。それどころではありませんよ、警部。
これは……まずい、まずいな。全部繋がっちゃうぞ」
マドリャは肩をすくめるだけだが、スティーブは話を聞いて、血が凍り付いていくような想いだった。
「この街を作る上で、ナイトメアシンジケートが一枚噛んでるってのは……
割と確度が高い情報だったはずですよね」
「ええ。資材も奴隷も書類上は問題無いものだったから、それ自体はお咎め無しだけど」
「商会は代金を支払ったんでしょうか?
ウィズダム商会は都市丸ごと運営する予定だったんですから、その収益から返していくはずだったのでは?」
ピースの足りないジグソーパズルが、スティーブの頭の中にあった。
未だ虫食い状態だが、その完成図がスティーブには見え始めていた。
「……結局街は、土地も建物も、国が買い上げた。でもその値段はあくまで『魔力溜まりの上の都市』として、本来の価値より大幅に高いものとなった。
要するにこれは盛大な詐欺ですが、ウィズダム商会は、ただの強欲でこんな事をしたんでしょうか? 急に大量の現金が必要になった可能性は……」
ホテルのレストランで昼食を取ろうという宿泊客はあまり居ないようで、人は少なかったが、それだけに声はよく通る。
スティーブは周囲を見回し、声を潜めた。
「ナイトメアシンジケートは重要な取引において、金貨や宝石などでの支払いを求めます。
大量の金貨を保管するに際して収納アイテムを使う事はほぼありません。その巨大な質量自体が盗難対策になり得るからです。コンパクトに収納していたら簡単に丸ごと持ち出せるし、盗む側に準備を強いる事が盗難を遠ざける。
受け渡しに際しても、収納していない方が好都合ですね。偽金や悪銭が混入していないか魔法で簡単に調べられる。
ただ、そのためには銀行の地下みたいな広い金庫室が必要になります。安全で、秘密を守れる場所が」
香ばしく焼かれたホットサンドイッチを、廃棄物処理スライムのような勢いで食らっていたマドリャの手が、止まった。
「『秘密の地下室』はご存知ですね、警部?」
「まさか」
「ここはウィズダム商会が作った街。それをやらない理由が無い」
この街が政府に売られたとき、どれだけウィズダム商会がメチャクチャな『城』を作ろうとしていたか白日の下に晒され、面白おかしく報道されたものだ。
その中にはウィズダム商会支店地下の『秘密の地下室』も含まれる。あれが本来何であったかはともかくとして……今、あの場所は再び、ウィズダム商会の手中にあった。
そりゃあ誰しも警察に懐を探られるのは嫌だろうし、まして法律を掻い潜るような真似をしている商会なら尚更だろうが、こうなるとウィズダム商会のあからさまな態度も怪しく思えてくる。
探られて困る物があったというわけだ。
平和な日常。輝かしい街。
その、薄皮一枚隔てた下にあった、どす黒い策動。
衝撃と異物感で、スティーブはサンドイッチを吐いてしまいそうだった。
しかしそれは絶望ではない。
「状況は複数の側面から語れます。
まず、本来であれば止める道理が無い支払いを商会資産の差し押さえによって止め、ナイトメアシンジケートに大損を被せられるかも知れないという点。
そして……この金貨を狙っていると思しき、不気味な第三勢力をどうするかという点です」
思いがけず大きな戦いに臨む事になった緊張と、未来への希望が、スティーブの中にはあった。
webだと『終わり』までの長さが分からなくて
流石に皆さん不安になりそうなので若干ネタバレの予告しますが
第四部Bは40話くらいになる予定で姫様もガッツリ出ます。