[4b-10] コントロールを得る
「…………なんだこれは?」
マイクは、分流箱内の配線に取り付けられたあからさまな異物を見て、息を呑んだ。
マイクは営業畑から出世した者だ。だが自分たちが扱っている技術……すなわち、都市や建造物に不可欠な魔力伝送技術に関しては知識を持っている。少なくとも世間一般よりは。少なくとも、これが絶対に異常な状態だと分かる程度には。
ウィズダム商会トウカグラ支店では、昨日、全館で魔動力設備が一斉に故障する事件が起きた。
何らかの理由で建物内の魔力導線を、本来想定されていない量の魔力が瞬間的に流れる『魔力サージ』が発生したのだと分かったが、その原因が分からない。
保守点検部門が原因の調査と設備の点検を開始したところなのだが、すぐさま奇妙なものが発見された。
「外部からの操作で、導線内の魔力を逆流させることができる仕掛けです。
設備の点検中に発見しました。鋭利な刃物か何かで配線を切断し、それを繋ぐように取り付けられています」
仮面付きのヘルメットと保護手袋を身につけた技師は、緊張した様子で説明する。
「では、『魔力サージ』を引き起こしたのは、これなのかね」
「いえ……
これで逆流させられるのは、このボックスで制御している魔力だけ。こんな仕掛け一つでは全館に影響を与えられません。
なので……もしこれを使ったなら、他の場所にも複数仕掛けられていると思われます」
「あの!
昨日の朝、私が照明を点けた時にはこんな物、無かったはずです」
周囲には従業員たちが、なんだなんだと集まり始めていた。
その中の一人が手を上げて発言する。
照明を管理している者らしい。この言葉が本当なら、奇妙な装置は事件の本当に直前に取り付けられたか、でなければ……魔力サージは別要因で発生し、その混乱の最中に取り付けられた事になる。
前者の予想はちょっと無茶がありそうだ。
分流箱を睨んでマイクは考えを巡らせた。
誰が何の目的でこんなことをしたか……思い当たる犯人はそれなりに居るが、誰が犯人でも、こんな真似をするとは考えがたくもある。無茶苦茶だし、理由が分からない。
まあそれを考えるのはマイクの仕事ではない。
全てに決着がつくまでこの街の欺瞞を隠し通す、尻拭いがマイクの仕事だ。それが終われば商会の隠し財産を分け与えられ、どこぞに高飛びして悠々自適の老後が待っている。
陰謀めいた正体不明の攻撃は不気味だが、しかしマイクは……ウィズダム商会はその策動に気付いた。
気付いたならば対応できるはずだ。ウィズダム商会にはそれだけの力があるのだから。
「これは何者かの攻撃だ。そして敵は、再度の攻撃を仕掛けようとしている。そのための布石を打ったわけだ」
「本当に……そうでしょうか」
周囲に集まった者の中から、不安げな声が一つ、上がった。
自分の考えに部下からケチを付けられたと思い、マイクの頭は瞬間沸騰したが、声を上げたのは明らかにマイクの部下ではない、見覚えのない若い男だった。
三十歳前後の人間で、黒髪黒目のダークスーツ姿。どうも気弱そうで優柔不断そうな、マイクの嫌いなタイプの男だった。自分の部下がこんな物腰で接客していたら即座に怒鳴りつけていただろう。
「誰だ君は?」
「警察庁護衛部機動警備課のスティーブ・クロックフォード警部補と申します」
マイクは舌打ちを呑み込み、周囲を睨み付ける。
「おい。部外者を入れるな」
「申し訳ありません! し、しかし警察の……」
「警察がどうした。令状は示されたのか?」
「い、いいえ……」
マイクが溜息をつくと、この警察官僚を招き入れてしまったらしい従業員は、震え上がった。
スティーブは勝手に分流箱に近づいて、挙動不審気味に身体を動かしながら眉間に皺を寄せる。
「もし、あの事件を引き起こした誰かが居るとしましょう。こんなもの仕掛けるでしょうか。
あんな事件があった以上は設備の点検が行われるのは当然です。すぐ気付かれて、逆に警戒される結果になると、少し頭が回るなら考えるはず」
「では何だというのだ。何者かが我々をからかうために、こんな玩具を用意したとでも?」
「状況を……推理するには、材料が足りません。分からない事が多い……
ですがこれは絶対におかしい」
スティーブとの短い会話だけでもマイクを苛立たせるには充分だった。
用心が必要な事ぐらいマイクも分かっている。そしてそれを担うのはスティーブではないのだ。
「あー、クロックフォード警部補……でしたかな?
あなたに捜査権はあるのですか? この件はトウカグラ署の領分では?」
「そ、そうですが、しかし私はアドバイスとして」
「ご忠告はありがたく。
……警部補殿のお帰りだ、案内しろ」
「うう……」
警備員たちがスティーブを囲むように立つと、彼はすごすごと退散していった。
マイクは、トウカグラ署の警察官たちとは懇意にしている。
彼らはウィズダム商会に協力的だし、見てはならないものを見てしまったとしても口を噤んでくれる。
勝手にしゃしゃり出てブツブツ不安を述べるだけの警察官僚など、お呼びではないのだ。
犯人はウィズダム商会を侮った。報いを受けさせなければならない。
そのためには優秀で、意のままに動く、制御可能なチームが必要だった。
「館内総点検だ。魔力サージの原因を探ると同時に、他にも仕掛けが無いか調べさせろ」
「直ちに」
*
「……って事になれば、一番信頼できる子飼いの業者に仕事させる事になるわよねー。
堂々と建物中、いじくれるわよ」
トウカグラの街の、集合住宅の一室。
一人暮らしをするにはちょっと豪華な部屋のリビングで、下着同然の格好をした魔女はケラケラと笑っていた。
トランク型の収納マジックアイテムから取り出されたのは、折りたたみ式の手術台(としか言いようが無い奇妙な物体)と、人を救うよりは利用する方に重点が置かれた手術道具一式。エヴェリスはペンでも回すみたいに、ミスリルのメスをくるくる弄んでいた。
「わ、私を……どうする気だ」
なお、もちろんエヴェリスはこの部屋の主ではない。
手術台には禍々しい多重の拘束ベルトで、ひげもじゃの逞しいドワーフが縛り付けられていた。猿ぐつわも咬まされている。
部屋に押し入ってきた奇妙な連中に捕まってしまった彼は、実質的にウィズダム商会の一部である、魔力導線工事業者の主任技師だ。
「あっははは、安心しなさいって。
最終的に亡国の王宮お抱えになってもらうだけだから。
うちは技術者大事にするよ。なにしろ数が足りてない。
昔の戦争じゃ金銀財宝の代わりに戦利品として技術者を奪ったりしたものだけどねー」
「ま、同病相憐れみつつ強く生きていこうよ。
大丈夫。隷従核、魔女さんに絶対服従な以外は特になんともないから」
手術台の脇の台には、おぞましい紫色の宝石を嵌め込んだ機械部品みたいなものが載っていた。
これからエヴェリスは、目の前の哀れな犠牲者に、これを埋め込むのだ。
「ぎゃっ!?」
七色の薬液が入った注射器をエヴェリスがドワーフに突き刺すと、彼は悲鳴を上げた直後、ぐったりとして意識を失う。
「……そう言えばキョウコ・イサザキの件はもうバレた?」
「まだ宿は調べに来てないっぽい。バレても良かったんだけどね」
『笑止』
白衣を纏ったトレイシーが言うと、手術用照明にエネルギーを供給している小さなゴーレムが、渋い声で追従を述べた。
ここんとこ『災害で卵を失ったドラゴンが何故か俺を育てはじめた』2巻の書籍化作業をやってまして、更新の間隔がちょっと空いてました。
山は越えたのでまた以前のペースに戻れると思います。
なお、ムラサキとはスシ・スラングで醤油のことです。笑止ではなく。