[4b-5] 悪の組織のパラドクス
オペラは既に第三幕。
かつてのジェラルド公爵領都・ウェサラでの戦いが描かれていた。
勇敢な戦士たちが次々と倒れ、人の世の敵として再び立ち上がるというおぞましき悲劇の戦い。
役者たちの迫真の演技と、恐怖を煽る演出は、もしかしたらこの世界にとっては革新的かも知れない『ホラー』。
冒涜的な戦いは観客らを戦かせ、悲鳴を誘った。
「ところで、つかぬ事をお伺いしますが……シエル=テイラ亡国は何を造っておいでで?」
何杯ワインを飲んでも全く酔った様子を見せないライオネルが、気障な所作でグラスを傾けながら聞いた。
既にグラスさえ使わなくなったエヴェリスが超高級ワインの瓶を抱いて答える。
「想像は付いてるんでしょ。
あんまり荒唐無稽で認めにくかっただけで」
「ほう……では、やはり! 私が用意したものを、『兵器』ではなく『城』に?
なるほど、なるほど。お前が好みそうなやり口だとは思ったよ。今回ばかりは度肝を抜かれたが」
「今回は姫様の発案よ」
「なんと……」
ライオネルは目を丸くして、まじまじとホアの方を見る。
「知っての通り、わたしは一度、城と王都を失っているわ。
二度目を避けるためにはどうすればいいか考えたのよ、わたしなりにね」
それは既に七年前のことだ。
不死の軍勢は王都テイラ=ルアーレを、僭主ヒルベルト二世の手から取り戻した。
そして城を、魔の城塞都市として改造していたが……ディレッタ神聖王国の、本気の侵攻を前にして、放棄せざるを得なかった。
『引っ越し』に際しては多くのものが犠牲になった。兵や財を蓄えるには、やはり、安定した拠点があるべきなのだ。
何より、王都の失陥は士気や戦意へのダメージも無視できない。
不死なる兵たちはどんな状況であれ、肉体が塵に成り果てるまで忠実に従うだろうけれど、今はそれ以外の者も亡国の配下に置いているのだから。
故に……『プロジェクト・C』は完成させなければならない。
新たな王都・シエル=ルアーレを不落のものとするために。
ライオネルは、感心すべきか呆れるべきか決めかねた様子で首を振る。
「……思い立つ者は他にもありましょう。
しかしそれを、有用性や実現性まで考えた上で実際に……いやはや」
「わたしはアイデアを出しただけで、優秀な部下に任せきりだけどね」
「お任せ頂き光栄の極みですよ、姫様。
この大魔女エヴェリスに警備ゴーレムの制御術式を書かせるなんて、魔王軍の使い方は実に勿体ない。やっぱり大魔女の仕事はこうでなくちゃ」
酔っ払い魔女は上機嫌でカラカラと笑った。
彼女は魔王軍に居た頃について多くを語らないが、相当の鬱憤が溜まっていたらしいことだけはホアも知っている。
「わたしもつかぬ事を聞くわ。
『9』の者として、あなたは世界の滅亡を志さないの?」
雑談として、あくまで軽く。
しかし、ほんの少し、咎め立てるような棘を忍ばせて、ホアはライオネルに問うた。
彼は平然とした様子だったが、すぐには答えなかった。
冒険者ギルドが魔物に対して認定する脅威度等級。
一般的な魔物は、どんなに強くても七までだ。
単体の脅威という範疇を超えた、広域に影響を及ぼしうる『戦略級脅威』に対してはじめて、八以上の脅威度等級が認定される。
脅威度十と認定されるのは魔王だけ……
厳密には、魔王と並ぶ脅威があれば十と認定されるそうだが、過去に例は無い。
そして、十に次ぐ九は、今のところ世界に四例。
「“黄昏の竜王”、“深淵の女公爵”、“偽りの機神”……そして、この私。
『9』が決して『魔王』たり得ないのには、それだけの理由があるのですよ」
舞台の上での悲惨な戦いを、遠く、ライオネルは眺めていた。
「私は……満足してしまった。
飽くなき金銭欲を満たし続ける現状に。
人族社会に寄生し、血肉を吸い喰らう今に。
世界を叩き壊して何をしようなどという情熱は、もはや……」
「結構じゃない」
ライオネルの言葉は、あからさまな自嘲だった。
そうなるに至っただけの理由があるのだと分かる。
今さら己を変えられぬことに一抹の引け目ともどかしさがあるのだと分かる。
それをホアは、笑い飛ばした。
「あなたはあなたのやり方で、世界を壊していけばいいじゃない。
『ナイトメアシンジケート』が人の世に巣くっていること、それ自体が人の世の不完全性を証明しているのだから」
邪神の勝利だとか、邪神の教えの実現だとか。
それはホアにとって比較的どうでもいいことだ。
人の世界を作り上げ、得意顔で君臨し、失敗を認めない連中に渾身の皮肉を叩き付けること。人の世の瑕疵と、人の愚かしさの証明。
それが“怨獄の薔薇姫”の復讐だ。世界を壊すとしても、結果的にそうなるという話でしかない。
だからこそむしろ、“屍売り”の所業を好ましく思う。
「やる気が無いなら無いで良いのよ。
トドメはわたしが貰うから、『削り』はよろしくね」
ホアの言葉に感銘を受けた様子で、ライオネルは慨嘆する。
「ああ、全く……世界広しと言えど、私にそのようなことをおっしゃるのは、後にも先にも姫様お一人でしょう」
「そんな呑気なこと言ってられるのも、今のうちじゃあないのかなー?」
行儀悪くワインをラッパ飲みして、エヴェリスはライオネルに指を突きつける。
「見てなさいよ、“屍売り”。いつか姫様はあんたに火を付けるよ」
* * *
オペラは終局に近づいていた。
ボックス席の中は再び三人きりとなり、気怠い空気に満たされる。
「姫様、ボクも貰っていい?」
「いいわよ。ただし周囲からは見られないように」
「そりゃもちろん」
メイド服姿のトレイシーが、残った料理を摘まむ。
使用人に扮した彼は、ライオネルの前ではあくまでそれを演じていたが、今は身内だけだから気楽なものだ。
「どうかな、姫様。“屍売り”に会った感想は」
エヴェリスは長い煙管を取り出して、蛍光色の煙を吹き出す煙草をふかした。
本当に煙草であるかは分からない。
「……化け物ね。まるで一つの身体に精神が二つあるみたいだった。
驚いているときも、感動しているときも、確かに心が動いているのに、同時に不動の『“屍売り”』が居た……」
「なーるほど。相手の心を読める姫様にさえ、そう思えたかあ」
ライオネルと名乗った、あの男。
他者の感情を読み取れるホアだからこそ、あれを化け物だと思う。
ある種の極地。鍛え上げた肉体が筋肉の塊になるのと同じように、培われ、研ぎ澄まされた精神性。
おそらく彼の精神はいかなる狂気に陥ることもあり得ないのだろう。だからこそ情にほだされたりする事も絶対に無く、また、本当の意味で情熱を持つことができなくなったのかも知れないが。
「“屍売り”という名が付いたのは最近だけれど。
人であれば、何度も生きて死ぬほどの間……
あいつは、あいつだったんだ。そりゃもう、それだけで化け物さ」
当代と先代、二柱の魔王に仕えた……つまり何百年と生きているはずの、『化け物』と呼ばれるべきであろう大魔女の微笑みには、同病相憐れむ色がある。
「絶えることのない人魔の戦いをずーっと生き延びてるんだから、年寄りはみんな化け物さ。
そしてそんな化け物たちにさえ侭ならなかったのさ。この世界ってやつぁ」
「そうね、でも、それは」
『化け物』たちの積み重ねてきた苦労と挫折。
それを足の下に感じた気がして、ホアは手を握りしめる。
「わたしが諦める理由にはならない」
舞台の上では白銀の鎧の騎士が、遂に深紅の剣に貫かれ、崩れ落ちるところだった。
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