[4b-3] 剣と魔法も金次第
人が生きる場所には必ずや犯罪が存在し、それによって利益を得る職業犯罪者も存在する。
そして犯罪行為にも、真っ当な商売と同じく、大規模化による利益という概念を適用できるのだ。
世界最大の商業国家であるファライーヤ共和国には、しかしそれを食い物にする世界最大の犯罪組織『ナイトメアシンジケート』も存在する。
そしてその首領は、人ではなく、魔物であった。
合法非合法を問わず、あらゆる手段で金を稼ぎ、数えきれぬほどの人の人生を破壊したナイトメアシンジケート。その首領はやがて『死を商う者』……“屍売り”の異名で呼ばれるようになった。
ナイトメアシンジケートは、『頭も尻尾も無いのに腕と口だけはいくらでもある巨獣』と喩えられる。
頭が無いのでどこを斬っても致命傷にならず、尻尾が無いから捕まえることもできない。
無限の食欲によって全てを食らい尽くす、手に負えない化け物だと。
ナイトメアシンジケートの構成員の多くは、自らが悪の組織の一員である事を知らないという。
真面目に真っ当な仕事をしている商会が、実はナイトメアシンジケートの手先であったりするのだと。
政治家や官僚にさえ協力者は多い……彼らが自覚的であるかどうかは別として。
軍勢を率いて人族世界を脅かす魔物たちと、“屍売り”は大きく違う。
人族世界に寄生して身中から食い荒らすナイトメアシンジケートを滅ぼす手段は、ただ一つ。
ファライーヤ共和国を丸ごと、焦土になるまで焼き尽くすだけだ。
ライオネル……“屍売り”を名乗った彼は、一見するとまるで人間だ。
ルネがどれほど感覚を研ぎ澄まそうと、魔物らしさが感じられない。
だが彼が只者でないことだけは分かる。『感情察知』の能力によってルネが感じ取るライオネルの感情は、まるで長い時間を掛けて流れに磨かれながら海へ辿り着いた石のように、異常なまでに安定感があって雑味を排したものだったから。
跪いてルネに挨拶をしたライオネルは、立ち上がると唇を吊り上げてエヴェリスの方を見る。
「そして……久しいな、エヴェリス。疎遠になった旧知に会うのは、生の喜びの一つだ。
帝国黒軍の“剣姫”と引き換えに腹心を失ったお前が、失脚するところまでは予想できていたが、まさか魔王軍を出奔するとは」
「あっはっは! 失脚なんて何十年も前からよ。
こないだの戦いは正直、うん、失脚って言うか致命傷だったよねー。
お陰で身軽にはなったわよ。魔王軍を飛び出せるくらいにはね」
エヴェリスはカラカラと笑った。
人族はなんだかんだで、年をとれば死ぬ。いかなる英雄も王も賢者も、その軛からは逃れられない。
何故ならそれが健全な世界のサイクル、命の循環だからだ。度を超した延命の手段は、邪悪な奇跡や、神に背を向けた邪法となる。
その反面、魔族は邪神の下で世界を破壊するべく動く勢力だ。健全な世界など知ったことではない。
魔王軍の幹部や各地の大物魔物などは百年単位で生きている者ばかり。そしてそれほど長い時間生きていると、どこかで知り合いになってしまうものらしい。
魔王軍の元最高幹部エヴェリスと、ナイトメアシンジケートの首領“屍売り”も、その例に漏れなかった。
この会談は詰まるところエヴェリスが“屍売り”をホアに紹介した形となる。
もっとも、アプローチを掛けて来たのは“屍売り”の方からだが。
「今の私は客よ。せいぜいご機嫌取りなさい」
エヴェリスはこれみよがしに尊大に、暴力的な胸部を反らしてみせた。
今現在、シエル=テイラ亡国はナイトメアシンジケートの顧客だ。
エヴェリスが指揮する『プロジェクト・C』に必要な物資は、可能な限りはルガルット王国や、エヴェリスの息が掛かった東部沿岸国家の商会を通じて調達している。
だが、違法性が高かったり締め付けが厳しかったりして調達しにくいものは、ほぼ全てナイトメアシンジケートから買い付けているのだ。
ライオネルは感動的なまでに折り目正しい礼をした。これは茶目っ気かも知れない。
「これはこれは失礼致しました。本日はどうかごゆるりと、我が商会の経費でお楽しみを」
「それで、こんなものを送りつけてまで私らを呼んだ理由は、支払いの催促で良いのかしら?」
エヴェリスは“屍売り”から送られてきたシーズンパスを指に挟んで宙に舞わせる。
「まさか! 当然お支払い頂けるものと確信しております故、今日はただ……」
「払いに来たのよ、今日の私らは」
にやっと、邪悪に妖艶に、エヴェリスは笑った。
ライオネルは真意が掴めず、片眉だけで訝しむ。
「席へのサービスは断ってるわよね?
エリーゼ、給仕はヨロシク」
「かしこまりました、奥様」
水晶のような杯に、トレイシーがワインを注ぐ。
その所作は控えめで流麗な、『理想の備品』としてのものだ。少女と言っていいほどに年若い使用人が、こんな堂に入った手つきをしていては違和感も覚えようが、“屍売り”が気にしたのは別の事だった。
「……彼は何者ですか」
「あら! 流石ね、初見で性別見抜いた人はほとんど居ないわよ」
「『見る目』が私の武器ですのでね」
思わず声を上げたホアに、ライオネルは得意げだった。
何食わぬ澄まし顔をしているトレイシーも、内心は驚いており、そして性別を見抜かれてしまったことに少し誇りを傷付けられた様子だった。なかなか美味な感情だとホアは思った。
「うちの『隠密頭』。部下と組織は鋭意育成中」
「ほう……なれば彼も私に会いに?」
「というわけじゃないわ。共和国でやるべき仕事の実働部隊よ」
「亡国はまだ、人族の国でまともに動ける隠密が足りないのさ。死人ならいくらでも用意できるけどね」
ホアの言葉にエヴェリスも補足する。
ふむふむなるほどと聞いていたライオネルだが、ふと、目つきを鋭くして真剣な調子で声を潜めた。
「姫様、僭越ながらここで先達として一つ、ご忠告を。
情報は資産です。私どものような者にとっては、特に。
この短い会話の中で、私が金貨何百枚分の利益を得たか……
限られた者しか知り得ない情報は、秘してこそ力と価値を持つのですよ」
「そう思うなら、適切な対価を支払えばいいのではなくて?」
真摯な忠告に、ホアは悠然と切り返す。
ライオネルは少しばかり意外そうだった。
「心配しなくても、相手を『見る目』なら姫様だって負けちゃいないよ」
「ふふ、ならば何も言いますまい」
どう思ったやら分からないけれど、ライオネルは皮肉ではなしに苦笑した。
ライオネルはホアと向かい合って座り、二人は杯を手にする。
普段の肉体なら毒など効かないが、今は生者の肉体を間借りしている状態だ。ホアの杯はワインと同じ色のジュースで満たされていた。
「乾杯」
杯の音は悲しいほどに澄んでいた。
普通の宿なら一泊できるくらいの値段のジュースは、甘美な罪の味がした。それが、悲劇と血と涙によって生み出された金の味だった。
「さて、のんびり国際情勢についてでも意見交換したいと思っていたのですが、ここは先にご用件を伺うべきでしょうか」
「エヴェリス」
「はいはい、姫様」
ホアはエヴェリスに説明を任せる。
指導者の言葉が必要な時と、専門家の言葉が必要な時は別なのだ。そして今はおそらく、後者だ。
「単刀直入に言うわ。あんたへの支払い、まとめて現地調達したいの。
ウィズダム商会の金貨を頂いて、それをまるっと支払いに充てる。協力しなさい」
自称・この世界にただ一人の世界征服コンサルタント。
大魔女エヴェリスは比類無き技術者であり、同時に、経験豊富な謀略の専門家でもあった。