[4b-2] 第一幕 第一場 Become a treacherous bloody rose
舞台上には雪を模した、白い光が舞っていた。
役者たちが扮する見物人は、皆、服を着込んでいる。
舞台の中央にはギロチン台。
書き割りの遠景には白亜の王城。
悲しげなバイオリンの独奏に導かれるように、白い服を着た一人の少女が、騎士たちによって引っ立てられてくる。もちろん演者は『少女』と呼べるような歳ではないが、それを指摘するのは野暮だ。彼女は少女の形をして少女を演じているのだから。
―― 裁きを下せ! 裁きを下せ! ――
見物人たちは威圧的に唱和する。重なり合った歌声は劇場を揺さぶるように、朗々と。
―― 愚かな娘。国を裏切ったに違いない。国を売ったに違いない。
愚かな王の愚かな娘。今こそ裁きを、白日の下で! ――
―― 私は何も知らないわ! 静かにつましく暮らしていたの。
夏は木陰で本を読み、冬は暖炉で編み物するの。
それがどうして、罪だと言うの! ――
舞台の上で、少女は切々と歌う。
その声は伸びやかで悲嘆に満ちてか細く、見物人たちの唱和に比すれば、あまりに弱々しい。
狼狽える少女は、騎士たちによって強引に引き倒されて首枷を嵌められる。
ジタバタと暴れていた彼女は、ギロチンの刃が落ちるなり、びくりと震えて動かなくなった。もちろんギロチンは偽物なのだが、少女があまりに生々しい反応をしたものだから会場はどよめき悲鳴さえ上がる。
見物人たちの歓喜の声と対照的に、照明は赤黒く暗くなり、バイオリンは悲しく詠嘆する。
……いや。
ただ悲しげなだけだったバイオリンの旋律が、狂い始めた。
壊れた時計が時を刻む音のように調子外れで、だと言うのに、豪雨の川に逆巻く濁流の如き勢いがある。
白い少女は器用にも腹ばいの姿勢のまま、頭を抱えてカクカクと動かす。
その動きは本当に首がもげているかのように見えたほどだ。
快哉を上げていた見物人たちは、徐々に訝しむ声を上げ始める。
雷鳴が轟き、少女が立ち上がったとき、その首には毒々しく赤いチョーカーが巻かれていた。
透き通るように赤い剣を少女が振るうと、騎士たちは無惨に倒れて動かなくなる。
―― 私は何故死ななければならなかったの?
寒い、寒い、痛くて、悲しい。 ――
暴風に煽られるかのように、見物人たちはおののき、逃げ惑う。
そして、倒れた。無情に、無惨に。
―― 流れる赤き血が雪の街を染める。
おお、おお、人よ。恐れよ、銀の忌み子を! ――
―― 言の葉届かぬなら、刃にて語ろう。
怒りを! 痛みを! 悲しみを!
舞い落ちる雪が全て染まるまで。
嗚呼、私は……命無き復讐者! ――
オーケストラの奏でる音楽は悲嘆の色を滲ませながらもおどろおどろしく盛り上がる。
遙かな地の惨劇が、舞台上では再現されている。
それを正面二階のボックス席から見ている者たちがあった。
大陸東部沿岸国家の富豪、チェト・ヴァン・レイの愛人ジャスミンと、その娘ホア。
そして、お付きのメイドであるエリーゼという一行だ。
だがチェト・ヴァン・レイなどという富豪は実在しない。
では……正規に発行された不正な旅券でファライーヤ共和国に入国した、彼女らは何者か。
「こんなものが上演できる、ってことは、まだわたしはその程度の他人事扱いなのね」
特徴的な民族衣装を着た少女は、長い三つ編みの髪を弄びながら舞台を見ていた。
お上品なボックス席には収まらない溌剌とした印象もあるが、それはあくまで上っ面に過ぎないと言うべきか、被った皮のようなものと言うべきか。
喩えるなら、素朴な野の花にペンキをぶっかけて毒々しく染め変えたような、どこかおぞましく歪んだ印象も受ける。
「でしょうね。
直接剣を交えたケーニスやノアキュリオはもちろん、半端にやり合ったディレッタも魔物……特にアンデッドは激しく敵視する立場……こんなことやったら間違い無く大ブーイングでしょ。
そこんとこジレシュハタールにとって私らは『敵の敵』みたいなもんだし、ファライーヤはまだ大規模にこっちに関わったことが無いもんね」
炎のように情熱的な赤色をしたイブニングドレス姿の妖艶な美女は、そう分析的に述べた。
サンダル履きの爪先から唇、双眸、髪の先に至るまで官能的な彼女は、見る者全てを魅了せずにはいられない。確かに富豪の愛人と聞けば納得感のある人物像だが、果たして彼女は誰かの愛人如きに収まる器だろうか。
色香で男を惑わせて操り、一国の財界を影から支配する悪女と言われても大概の者は納得するだろう。真相は、そのさらに斜め上に存在するのだが。
気鋭の作家パスカル・ハイドリッヒが、シエル=テイラの動乱を題材に著した新作オペラ『怨獄の薔薇姫』。
ジレシュハタール連邦とファライーヤ共和国で同時に封切られたその舞台を、誰あろう題材となった“怨獄の薔薇姫”当人が観に来ているだなんて、作者のパスカルすら想像しなかっただろう。それこそオペラよりも物語みたいな話だ。
ちなみに、あまりにも存在感無く影のように付き従っているメイドは、実は男であったりするしこれまたシエル=テイラ亡国の要人なのだが、少なくともこの場においてはさして重要な事実ではない。
「オペラなんて初めて見たけれど、思ったより派手でびっくりしたわ。あれって幻影の魔法?」
「そだね。大きな劇場だと特殊効果のために専属の術師を雇ってるくらいなのよ」
「演者は合格。……弱いけれど、怨む気持ちを感じるわ。役に没入するタイプなのね」
「彼女はクララ・ベリーズ。才覚ある若手として注目されているオペラ歌手です。
オペラ『怨獄の薔薇姫』は二度目の主役ですね。
『灰燼のマリア』では男たちを手玉に取る妖艶な娼婦マリアの役だったのですが、これはまるで別人だ。いかなる役も演じうる変幻自在ぶりを見せつけたと、通の間でも評判になっていますよ」
エヴェリスではなく、豊かなバリトンの声を持つ男がホアに応えた。
ボックス席のカーテンを押し開け、一目で高直と分かるスーツを着た男が入ってくる。
外見的には人間で、歳はおそらく四十前後。目も髪も煌びやかな金色だ。
スーツがはち切れそうな隆々たる逆三角形の上半身を持つが、それは戦いで鍛えられたものではなく、計画的なトレーニングによって作り上げられた肉体であるように見受けられた。
「女の子を待たせるなんて、紳士の風上にも置けないね。お土産が蘊蓄話なんて尚更悪い」
「これは失敬」
エヴェリスの皮肉にも男は鷹揚に応じる。
彼はホアの前まで行くと、そこに跪き、深く礼をした。自分を見せつけることに慣れている様子の、堂に入った所作だった。
「王女殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。お目に掛かれまして光栄にございます。
私はライオネル・アンダーソン。ええ、ここ四十年ほどはね。
さて、どんな肩書きを付けるべきか。投資家で実業家、と言うべきでしょうかな」
ライオネルは爽やかに上品に、ミスリルのような白い歯を見せて笑う。
「ネーミングセンスというものを持たない人族たちの間では……
悪名高きナイトメアシンジケートの首領“屍売り”として、名が通っております」
たぶんキャサリンは連邦を出る前に観に行ってますね
封切り初日に