[4a-35] 四ノ獄 凍牢①
そして、夜。
「連中、出てきたぞ」
留置所から近い建物の屋根裏部屋に潜み、一行は様子をうかがっていた。
日が落ちて王都が闇に沈むと、ぞろぞろと異形の亡霊たちが建物から吐き出される。
だがその流れは、ウィルフレッドが思っていたよりも早く途絶えた。
「……これだけか? 地下には何千も居たように思えるが、出てきたのは……」
「目視可能な範囲では671体でした」
「お、おう」
帝国兵の一人が謎の特技を見せた。
あの巨大な地下処刑場に居たのは、朧な記憶を辿っても三千人を下らなかった気がする。
それに対して今、闇の中を蠢いて王都に散っていく亡霊たちの数はやや少ない。
「そうか、もう『罪深き者』を捕まえたから、俺らを探しに出てくるのは待ちきれない奴らだけなんだ。
どれだけニールさんを苦しめたらいいのか知らないけど、それを待っていれば全部終わるって話なんだから」
「“怨獄の薔薇姫”が約束を守るなら、じゃがの」
ウィルフレッドは昼閒に見た高札を思い出し、冬黎も唸る。
亡霊たちの行動原理は分かった。人を殺せば解放してやるとルネが言ったものだから、そのための獲物を……つまり、この場合はウィルフレッドたちを……探し出して殺すべく、徘徊しているのだ。
「あれは、親子連れか……?」
第一陣が出て行った後もちらほらと遅れて出て行く悪霊の姿があったが、その中に、痛々しい姿の親子連れを見て取り、ウィルフレッドは得も言われぬ気持ちになる。
「二人殺せば一人が解放される……
昨晩の襲撃で子どもが交ざってたのは、そういうことか。
子を想う親の心とは、のう……」
冬黎の視線が遠くなった。
この閉ざされた世界にも天気の概念はあるようで、今夜は晴れだった。
既に月は高く煌々と照っている。
「行くとするか」
留置場が空っぽになることはどうやら期待できなさそうで、このまま潜入を決行すると一行は決めた。
* * *
留置場に入ってすぐの場所は、例の死体袋部屋だ。
これだけ大量に死体袋が吊されていると、どんな光景だったかなんて思い出しがたいが、昼に見たときにあったはずの死体袋が消えていたり、もとは無かった場所に新たに死体袋が吊されているような気がする。
その経緯を考えると、うそ寒い心地ではあった。
「気をつけろ、まだ出てくる者が居るかも知れんぞ」
「気配を探りながら行きましょう」
冬黎を守るように帝国兵三人が先行し、次に冬黎、キャサリン、最後尾にはウィルフレッド。
一行は、針を逆立てるハリネズミのように周囲を警戒しながら進んだ。
まだこの留置所内には結構な数の悪霊が潜んでいるはずで、彼らがいつ『やっぱり今夜も外へ出よう』と思い立つか分からないのだ。
一本道の奥から今にも血まみれの悪霊が顔を出さないかと気が気ではなかった。
とにかく、慌てず急いで奥に入り、敵をやり過ごせる場所を見つけておきたい。
そう思っていた矢先だった。
ちょうど角を曲がったところで、ウィルフレッドの視界が急に開けた。
「…………へ?」
明かりのない廊下が延々と奥まで続いている。石造りの廊下はゴツゴツとして、超巨大な生き物の腹の中みたいな風情があった。
キャサリンの掲げる明かりが行く先を照らすが、闇を払いきれず先は見通せない。
そこには、誰も居ない。
キャサリンとウィルフレッドが追っていた、四人分の背中が、角を曲がった瞬間に消えていた。
「冬黎様は……?」
キャサリンは周囲の様子を探る。
前後のどこにも居ないし、床にも落とし穴などは無さそうだ。
だいたい、そんなものに掛かったなら仕掛けの駆動音や悲鳴くらい聞こえそうなものだが。
「転移させられたか?」
ウィルフレッドはカタナに手を掛けてキャサリンを庇う態勢になり、そのまま鋭く周囲の気配を読んだ。
死の気配に満ちたこの場所で、生者の魂は、闇夜の灯火の如く際立つ。
正確な場所は分からないが、ウィルフレッドの感覚は確かに数人分の気配を察知していた。
「気配は感じる……近いはずだ。だが、どこに……」
*
冬黎と、随伴する帝国兵三人。
彼らは角を曲がった瞬間、帝都の屋内練兵場みたいな広大な空間に居た。
広々とした石の広間には、先が見えぬほどの数の悪霊がひしめいていた。
いずれも激しく肉体を損壊し、殺されたときの姿のままで霊体と化している。
その、たった四人を相手取るには豪華すぎる包囲陣の中に、冬黎らと、あと一人。
「ようこそ、おめおめとわたしの手の中へ」
「これはまた凝った趣向だな。“怨獄の薔薇姫”よ」
白いドレスを穢すは鮮血の薔薇。
銀髪銀目の少女が美しくも禍々しい深紅の剣を手に対峙する。
「儂に何用だ?」
「そうね。強いて言えば、用が無いからここに呼んだの」
奇妙で侮辱的な言い回しに、冬黎は白い眉をぴくりと跳ね上げる。
「あの二人は、まだ良いわ。
だけどあなたはただ邪魔なだけ。ただ苦しんで早く死ねば良い。
……わたしはここで為すべき事がある。あなたを排除すればわたしの仕事は何割か単純化されるわ。
だからここは問題を切り分けて、簡単なところから処理することにしたの」
「ほう……」
“怨獄の薔薇姫”は、冬黎の死を、その排除を、もはや確定事項として語っている。
おそらく敢えてそうしているのだろう。
殺す前に詰り尽くし、その敗北を魂に刻みつけるために。
小綺麗な勝利ではなく、無惨な勝利を収めるために。
そう思うと、冬黎は、胸裏に黒い炎が燃えているような心地になった。
「一つ、聞こう。トラウニルにて戦ったジンという男を知らぬか?
鋼色の髪で、右頬に痣のある男だ」
「いいえ、知らないわ」
「ああ貴様には薙ぎ払った有象無象のうち一人でしかなかろう!
だが、わしにはたった一人の大切な息子じゃった!」
喉も裂けよとばかりに冬黎は咆えた。
知るはずもない。
息子は名のある武将ではなく、実直に勤めて経験を積み、年齢相応に出世しただけの兵だ。
戦いの中、どこでどう死んだかすら分からない。
“怨獄の薔薇姫”にとっても。帝国にとっても。歴史という大いなる流れの中にあっても。彼の死はあまりにも些細な出来事なのだ。
だが! 冬黎にとっては違う!
「あら、そう。それはご愁傷様。
ならばあなたも神にでも悪魔にでも魂を売って、わたしに復讐しに来ればいいのではなくて?」
「とうに売っておるさ! ケーニス帝国という巨竜にな!!」
冬黎は腰のポーチからさっと過剰装飾注射器を抜き放つと、己の腕に突き立てた。
途端!
皺深く痩せ衰えていた腕が岩のように膨れあがる!
「ぬぅん!!」
否、それは腕に留まらぬ!
冬黎の上半身は隆々と膨れあがり、遂に上着を引き裂いた。
露出した岩盤の如き胸板が朧な魔力灯照明を受け、艶りと輝く!
「『尖った木の実を踏み割れば、それは足に突き刺さる』……」
ヤカンが噴き出す蒸気のように冬黎は鼻息を吐き、ケーニス帝国軍隊格闘術『竜手』の構えを取った。
「儂らを処理すべき問題と言うたな。“怨獄の薔薇姫”よ。
なれば儂は、その傲慢を咎めよう!
力無き者の足掻きを思い知るがいいっ!!」
「小癪……!」