[4a-29] 三ノ獄 咎贄①
『ああ、あああああ!!』
斬り裂かれて血まみれになった男の霊が叫びながら向かってくる。
だが、ウィルフレッドたち一行は銀鞭から溢れ出す不思議な光に包まれていた。
その光を浴びるなり、悪霊の動きが僅か、鈍る。
「≪聖光の矢≫!」
『ぎゃああああ!!』
帝国兵の神官が放った聖気の矢は、幾条にも枝分かれして幾何学的な軌跡を描きながら悪霊を貫く。
悪霊は叫び、宙で悶えて掻き消えた。
「アンデッドに聖気攻撃が効くぞ!」
「異界の世界観が崩れたんだ! 叩き込め!」
日は沈み、王都迷宮には異形の影が満ちる。
ウィルフレッドたちは、夜を前にして王城へ向かうことは避け、その場で一夜を明かしてから翌朝王城を目指すこととした。
ところがその夜、王城から充分に離れた場所にいるはずなのに、ウィルフレッドたちはいつになく多くのアンデッドに襲われた。
幸いにもそれは統率の取れた動きではなく、てんでんばらばらに向かってきているだけという様子だったが、なにしろ数が多い。
「【気刃】!」
『うぐあああ!』『ぎえええ!』
戦士の呼吸と共にウィルフレッドはカタナを振るい、半面を抉られたおぞましい姿の女を一気に二人斬り伏せる。
攻撃は、効く。
銀鞭の加護により、ウィルフレッドたちはアンデッドを退けていた。
「キャサリンさん、俺の後ろに! 普通に戦えるなら、敵は俺が引き受けます!」
「はい!」
ウィルフレッドらは小神殿の聖堂に陣取っていた。
この異界の王都は神の目が届かぬ場所であるのか、聖気が溜まるはずの聖堂にも邪悪な気配が漂っていたのだが、キャサリンが銀鞭を手にして踏み入るなり、聖堂には厳かで身の引き締まるような空気が満ちた。
世界が本来あるべき姿を取り戻したのだ。
然るに、この場ではアンデッドに対して優位に立つことができる。
聖堂の入り口から、窓から、各々痛々しく傷付けられた様子の悪霊たちが休み無く侵入してくる。
三人の帝国兵とウィルフレッドは武器と魔法を操り、それを必死で退けた。
「おい」
そんな中、侵入してくる悪霊たちの中に妙に小さな影を認め、ウィルフレッドは絶句する。
「待て」
少し考えれば分かった事だ。
街一つ丸ごと闇に囚われ、住人のほとんどがアンデッドにされたのであれば。
『いたいいい……!』
『いやだあ……』
『たす……けてぇ……』
血に染まる服。
甲高く悲痛な悲鳴。
何者かに斬殺されたと思しき子どもたちが、斬殺されたままの姿で悪霊となり、ふらふらとやってくる。
――子どもまで、かよ……!
その衝撃的な絵面に、ほんの一瞬、皆がたじろぐ。
その中で一番早く気を取り直したのは、帝国兵の神官だった。
「躊躇うな、解放せよ! 神の御許へ送り届けるのだ!」
朗々と叫ぶ彼の声に鞭打たれたように、再び張り詰めた空気となる。
子どもたちの悪霊は姿こそ痛々しいが、ただそれだけだ。大人の霊より動きも鈍い。
神官は自ら聖気宿す剣を抜き、流れるような早業で子どもたちの霊を斬り裂いた。
『きゃああああ!!』
断末魔の如き悲鳴を上げて、子どもたちの霊は消滅する。
「酷い苦しみよう……」
何事か案ずる様子でキャサリンが呟く。
「一時の苦痛です。邪気の支配を解かれれば神の御許にて安らげましょう」
「いえ、それにしてもこの反応は……」
「あら。倒せば解放されるなんて思っているなら、それは少し認識が甘いわよ?」
キャサリンの言葉に被せるように、少女の声が聞こえた。
その声は凍てつく吹雪のように、透き通り、無慈悲で、圧倒的だった。
「この声……!?」
キャサリンの顔色が変わった。
はっと全員が振り仰げば、聖堂の天井近く。
明かりが落ちた魔力灯シャンデリアの上に銀色の人影があった。
ひっきりなしに襲ってきていた悪霊たちが、緩慢な動作で聖堂の隅まで退いて空間を作る。
シャンデリアから飛び降りた人影は、長い銀髪とドレスをなびかせ、ふわりと着地した。
純白のドレスを穢すは鮮血の薔薇。
雪のように白い肌と銀髪銀目。
切断された頭部を左手に抱え、右手には宝石を削り出したような美しくもおぞましい深紅の大剣。
そして、何故自分がまだ生きているのか不思議に思えてくるほどの、鉛の中を泳いでいるかのような重圧。
「ごきげんよう、皆様。
……名乗らずとも私の名は知れておりましょうね」
「“怨獄の薔薇姫”!」
殺し合いの場には似つかわしくないほど悠然と、膝も折らずに彼女は挨拶をした。
三人の帝国兵たちは即座に冬黎を守る態勢となる。
――これが……彼女が、ルネ……
ウィルフレッドもルネの様子をうかがいつつ、キャサリンを背後に庇う。
悲劇の元王女。
旧シエル=テイラを滅ぼし、今は自らこそがその正統後継者であると宣言し、『シエル=テイラ亡国』の国主代理を名乗る強大なアンデッド。
「ルネ、あなた……」
「ディアナの銀鞭ね。こんな力を残していたなんて」
キャサリンが手にする物を見て、ルネが抱える頭部は眉根を寄せる。
「あなたが教えてくれたんじゃない」
「…………ああ、そんなことだろうと思ったわ」
やれやれと首でも振るような調子の……振れないが……ルネを見ていて、ウィルフレッドは違和感を覚えていた。
――なん……だ? 昨晩見た『ルネ』とは雰囲気が違うような……
そもそも気配が違うのだが、それは魔法で誤魔化したりできるはずなので置いておくとして。
今のルネは所作の一つ一つ、指の動き一つにさえ、溢れ出す怨嗟が滲んで殺意がみなぎっているかのように感じられた。
寄れば斬られ、触れれば灼かれそうな緊張感が漂っている。
それは昨晩見た『ルネ』には存在しなかったものだ。
「あなた、ここで何をしているの。
街の人たちを開放しなさい」
「無理よ。彼らには償いの贄を捧げる義務があるのだもの」
やんわり叱る調子のキャサリンの言葉を、ルネは涼しく受け流す。
「それまでは……」
ルネは抱えていた頭部を首の上に据えると、鋭く指を鳴らした。
すると、宙に呪いの炎が漂い、それがゆるゆると少女の形になった。
『ああああああっ!!』
「苦痛は何度でも繰り返す」
「再生した!? そんな、浄化されたはずでは!」
聖気を宿す剣に裂かれ、先程消えたはずの少女の悪霊が、再び現れたのだ。
彼女は苦痛に顔を歪め、血と涙をぼたぼたと顔から垂らしながら、覚束ない足取りで向かってくる。
ルネは、宙に腰掛けせせら笑った。
「安心なさい、これはゲームよ。ちょっとした鬼ごっこみたいなもの。
ゲームだからちゃんと終わりがあるし、クリアだってできる。
よかったらお手伝いしてあげたらどう?
生きてる鬼が居てもわたしは気にしないもの」
そしてそのまま彼女は、トンと弾んで背を向ける。
「今しばらくは生きて苦しむことを許すわ。もっとも、生きていられるならの話だけれど。
この世界から逃げ出す方法を探して、這いずり回っていなさい」
そして石床に足音も高く、彼女は去りゆこうと……
「随分と急いで帰ろうとするのね。クッキーでも焦がしてしまいそうなのかしら?」
キャサリンの声に縫いとめられたかのように、ルネは立ち止まり、振り返る。
キャサリンは一歩進み出る。不用心にも思われたが、そこには『斬られない』という自信があるのだとも見えた。
そしてキャサリンは、先程のルネにそっくりやり返すかのように、ちょっと意地悪く悠然と笑った。
「何が言いたいの」
「百歩譲って私を殺さないだけならば分かるわ。
だとしてもおかしいじゃない。憎きケーニス帝国の軍人を前に、あなたが踵を返すだなんて」
鍔迫り合いをするサムライのように、キャサリンの言葉には緊張感が滲み、鋭さを増す。
「いくらあなたが強くても、この場の精鋭たちを相手に、剣の一振り二振りで片付けることはできない。
ならば……その僅かな暇さえ惜しまなければならないほどに、あなたは忙しいのかしら」
「つっ…………」
ふと、一瞬。
小さな棘でも刺されたようにルネは表情を歪め、どこか遠くに視線をやった。
遠くに。おそらくは、王城の方に。
「……やりにくいわね」
一言呟くなり、銀色の少女の姿は嘘のように掻き消えた。
「あっ!」
「転移した……」
余韻も何もあったものではない。
勿体ぶって歩いて退場しようとしたルネが転移魔法で突然姿を消したのだ。
『何も知らないままで死ぬのが嫌なら、ヒントを探しなさい。
鍵はあるはずよ。だって、ここは王都なのだから』
いつの間にか悪霊たちも姿を消していて、急にがらんと広くなった聖堂にルネの声が響いた。
そして今度こそ、夜は静寂を取り戻した。