[4a-25] 二ノ獄 道標④
冬黎と共に残った帝国兵は三人。
彼らは別れてしまった帝国兵たちとニールをギリギリまで探した後でウィルフレッドらの後を追うこととなり、キャサリンとウィルフレッドは『ルネ』が指差した方角へ、東へ、迷宮のようになった無人の王都を進んだ。
冬黎らはキャサリンのように、東に何かがあると確信を持っているわけではない。ただ、あの場に残ったところで安全を確保する目途は立たないわけで、状況に何らかの変化がある事を期待しつつ、単に離れてしまうことを厭った形だ。
「早めに問い詰めておくべきだったかな、あいつ」
異界に模られた王都を二人は足早に進んでいく。
か弱くも有り難い北国の日差しを浴びながら、ウィルフレッドは毒づいた。
「メイリッジさんの事ですか?」
「ええ。何か知ってる様子だった。
怪しい動きは無かったから、敵じゃあないだろうと様子見してたんですが……失敗でした」
現状、ここが何なのかという事が未だに謎だ。
ニールはその点に関して何らかの情報を掴んでいて、それを敢えて口に出さずに居る様子だった。
口を割らせようにもとっかかりが要るだろうと様子をうかがっていて、そして結果、泣き別れになってしまったわけだ。
生きていてほしいと思ってはいるが、あまり希望は持てないだろうともウィルフレッドは思っている。
しかし、過ぎたことを悔やんでいても仕方が無い。
それよりは今、目の前にある手掛かりを追いかけねば。
つかつかと歩き続けるうちに、周囲の建物の雰囲気が変わってくる。
重厚ながらも壮麗な石造りの市街だったものが、煌びやかな銀色に輝く装飾や、どこか連邦風の機械的造形が混じるようになってきていた。
「街並みが変わった……」
「王都の景色ではありませんね。連邦の様式に加え、鉱山街などによく見られるミスリル装飾。
ジェラルド公爵領の領都ウェサラなどは、このような風景であったと記憶しています」
「……覚えがありますよ。
俺は子どもの頃、ウェサラで暮らしてましたんで」
ウィルフレッドの胸には郷愁と、一抹の気持ち悪さが去来する。
これは幼き日に見慣れたウェサラの景色。
しかし、実際これが街のどこかと言われれば見当が付かないし、よく見ればウェサラではないような気もしてくる。その絶妙な不安定さが気持ち悪いのだ。
「俺たちの前に現れた『ルネ』は、ここへ案内したかったんでしょうか」
「おそらくは」
ウェサラ。
それは“怨獄の薔薇姫”にも因縁ある地だ。
かの街は“怨獄の薔薇姫”に壊滅させられ、それが彼女の反撃の狼煙となった。
『ルネ』は迷宮のような下水道からウィルフレッドたちを外まで導き、そして、このウェサラもどきへと向かわせた。
王都とウェサラが切れ目無く繋がっているのは実に奇妙だったが、無限の如き異界であればそのようなこともあるだろう。
「……俺ら、助けられた……でいいんですよね」
「『元凶である筈の彼女が何故?』……でしょうか」
「ええ、まあ」
「私たちを捕らえたり殺すことが目的ではない……というのは確実でしょうが、それだけでは動機が薄い気もします。私たちがここで死ぬことが、何か彼女の不利益になるのか、あるいは……」
キャサリンは少し、言葉を探した。
「気の迷い、です」
「え?」
「彼女は鋼の意志で茨の道を歩む子です。
でも、そう、何かきっかけがあれば揺らぐこともあるのだと思います。
もちろん並大抵の事では起こりえませんが、いくつかの条件が揃えばあるいは。たとえば……」
そして、ついと遠くに目をやった。
「……やめましょう。自惚れは身を滅ぼします」
ウィルフレッドは溜息をかみ殺した。
それは自惚れと言うよりも惚気ではないだろうか。
「『ルネ』が元凶であるという考えは?」
「変わっていません。私たちがこの場に居るというのが何よりの理由です。
……おかしかったんですよ。私たちが偶然リム橋にいて、そこを偶然ラーゲルベック卿が通りすがるなんて。サクタムブルクに200万人の人が住んでいる中で、あんな都合の良い偶然が起きるなんて」
急にキャサリンの話が飛んだように思って、ウィルフレッドはちょっと戸惑う。
キャサリンが冬黎と出会ったあの晩の話だ。
「あそこで私たちが出会ったことで、私の出発が一週間は早まった。退職を申し出るのに丁度良い時期だったんです。
だから、この嵐にぶつかってしまい、ここに立ち寄ることになったんです。
さらに言うならウィルフレッドさんも巻き込まれることになった。
言ってしまえば、運命のようなものです」
「そんなこじつけみたいな……」
「こじつけですよ。
こじつけが意味を持ってしまうんです。
ここは……おそらく、概念の世界ですから」
そう説明するキャサリン自身が頭痛を堪えるような顔だった。
理解の難しい話だ。
「あの子に強い縁を持つために、私たちは引き寄せられたんです」
「……気に入らねえな。運命なんてものがあるなら、そいつにハラキリさせてやる。
俺はかなり覚悟してついてきたんだ。
それを『運命』の一言で片付けられてたまるか」
よく恋人たちが、好いた相手を『運命の人』などと呼ぶのだということはウィルフレッドも知っている。
そういう意味では確かにキャサリンはウィルフレッドにとって運命的存在かも知れない。
だがその運命は、棚から降ってきたハンバーガーではないのだ。
ウィルフレッドが自ら勇気を振り絞って歩み寄り、キャサリンはそれを受け容れ、しかし今後どうなるかはまだ分からない。
キャサリンとてそうだ。
彼女は強い意志を持って冬黎と手を組んだように思われる。
それは運命なのか? いや、自ら切り拓いた未来だ。何者かによって操られ踊らされた結果ではないのだ、絶対に。
「と言うか俺、そんな強い『縁』とかあるのか? 確かに混乱には巻き込まれたけど」
「……そう言えばそうですね。何かあるんでしょうか」
――俺の方はキャサリンのオマケってか? だったらそれはそれで微妙にムカつくな……
そこでウィルフレッドは奇妙なものを見て、考え事を中断した。
「……なんで領城だけぶっ壊れてんだ」
ウェサラを模した市街は、人っ子一人おらず、そのせいか奇妙に潔癖に見えた。
そんな作り物めいた世界の中で異彩を放つのが半壊した領城だ。
確かに領城は“怨獄の薔薇姫”に街が滅ぼされる少し前、奇妙な『事件』によって破壊されていたが。
「何かあるのだとは思いますが、気をつけていきましょう」
番をする者がなくなった門を抜け、美しくも威圧的な庭園を抜けると、崩れた瓦礫が二人のために道を開けているかのように……あるいは歩く道を強制しているかのように、一方向へと導いた。
壁をぶち抜かれて風通しが良くなった広間に何かが落ちていた。
「これは……」
チカリと日差しを照り返し、銀色の何かが輝く。
何かに背中を押されるようにキャサリンはそれに駆け寄った。
刺々しい銀色の刃を鎖状に繋げたような何かだ。
何かに手酷く汚された様子でくすんだ黒い汚れが付いている。
一端には聖印がぶら下がっていて、それを持ち手に見立てるのであれば、銀の刃の鞭のようでもあった。
「……ディアナが、身につけていたものだわ。
どうしてここに……」
「ディアナ?」
「知り合いの冒険者です。私が子どもの頃、父と親しくしていたパーティーの……
でも彼女はある時、行方知れずとなりました。
国の混乱でギルドの調査も途絶えてしまいましたが、おそらく彼女はルネと戦って、そして……」
キャサリンは顔面蒼白だった。
彼女は銀鞭をそっと拾い上げ、胸に抱く。
「ディアナ……」
愛おしげに、傷の痛みに耐えるように、彼女は呟いた。
ちょうどその時だった。
『あん? ちょいとちょいと。
あたしに声を掛けてるあんたは、どうやら神様じゃあなさそうだが……どこのどなた様だい?
どうやってあたしに声を届けてる?』
銀鞭はまるで通話符か何かのように、酒に焼けたように少し掠れた、どこか泰然と感じられる女の声を声を上げた。
「うわあ!?」
「ディアナ!?」
まあこれもweb版と矛盾するわけではないですが、描写は書籍版準拠です。