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[4a-10] 命短し恋せよサムライ

「あの、その……俺を雇いませんか!」

「はい……?」

「帝国は遠いです! 長い旅は危険もあるでしょう。

 俺なら魔物だろうと悪漢どもだろうと、管理官さんに指一本触れさせません!

 お世話になった恩返しも兼ねて、特別料金で引き受けます!」


 違うだろう。

 そうじゃない。

 卑怯者。根性無し。

 言うべき事はそれじゃない。


 ウィルフレッドは心の中で自分自身を責めながら、叫ぶように訴えた。

 言える事はただそれだけだった。


「どう……ですか?」


 そして、重く沈黙が垂れ込める。

 兄妹は戸惑った様子でウィルフレッドを見ていた。


「……ウィルフレッドさん、あなたは本当にそれでよろしいのですか?」

「キャサリン……」


 キャサリンの兄が口を挟もうとする。

 彼女はそれを背中越しの視線で押しとどめる。『分かっていますから』とでも言うように。


 ――見透かされてる。俺が何を言いたいのか、何を思ってるのか、全部……


 そういうことだ、と分かった上で、キャサリンはウィルフレッドにその気持ちを問うている。

 照れ隠しのツケを払うかのように、ウィルフレッドは急に何もかもが恥ずかしくなった。


 キャサリンはウィルフレッドと裏腹に、笑えるくらい落ち着いていた。

 彼女は至極冷静に思考し、見定めている。


 それでいいのかと彼女は聞いた。

 気持ちに偽りは無いのかと。

 そんなことを言うだけの覚悟があるのかと。


「……はい、本気です!」


 己の喉が出せる最も誠実な声でウィルフレッドは答えた。

 その答えだけは違えようが無かった。


 彼女の輝きにウィルフレッドは惹かれた。

 彼女はオニのように優秀だ。それは目的に対するひたむきさから生まれるものであって、ウィルフレッドの剣技と同じ、途方もないほど積み上げた努力の成果だ。生きることに誠実な求道者はそれだけで好ましい。


 だが、そのせいでキャサリンがオニのように思われるのは我慢ならない。

 彼女は人だ。疲れることもあるし傷つくこともある、人なのだ。

 オニと思われ、そう扱われていれば、やがて彼女は本当にオニになってしまうのかも知れない。それは、ダメだ。それは悲劇だ。ほかならぬ彼女自身に、己は人であると思い出させる何かが必要なのだ。


 キャサリンは、きっとウィルフレッドなんか居なくても大丈夫だ。

 どこまでも道なき道を突き進み、己の人生の目的へ辿り着いてしまうのだろう。

 『彼女のために何かしてやるべきだ』なんていうのは、エゴとか、余計なお世話なのかも知れない。

 だとしてもウィルフレッドは彼女のために何かがしたいと思った。彼女の傍らに誰かがいるのだとしたら、それは他の誰でもない自分自身でありたいと思った。もはや全ての理屈を超越した根源的な感情として。


 炎と灰燼の色をした目が、ウィルフレッドをじっと見ていた。


「今すぐに私から言える事は多くありません。

 ですが、旅の護衛でしたら是非ともお願いします。

 結果的にご迷惑をお掛けしてしまうかも知れませんが、それでも宜しければ」


 熟考と言うには短い時間の後、キャサリンは静かに言った。

 最終的な答えを出したわけではなく、そのための猶予期間を取りましょうということ。


 それが破格の待遇なのだとウィルフレッドは分かっていた。

 彼女の人生は、他者が入り込む余地など無いほど『何か』に占有されている。

 そこにウィルフレッドの居場所を……暫定的なものであっても……わざわざ空けて、見定める機会を作ってくれたのだ。


「構いません!」

「では、よろしくお願いします」


 シエル=テイラに短い夏の訪れを告げる暖かな風のように、キャサリンは仄かに微笑んだ。


 * * *


 それからの一ヶ月は目が回るほど忙しかった。

 まあウィルフレッドの忙しさはキャサリンに比べればたかが知れているだろうが、まず所属をケーニス帝国のギルドに移すための事前手続きをしなければならなかった。

 今の下宿は母と二人で住んでいたものだから、一人暮らしにちょうどいい部屋を探したいという母に代わって、時間に都合を付けやすいウィルフレッドがアパート探しをしたりもした。

 引っ越しの荷物は少なかった。元より、冒険用の荷物として担いでいける以上の物はそこまで持っていない。ただ、持ちきれない着替えだの何だのを残していっても仕方が無いので、そういう物は全部金に換えた。


 ケーニス帝国へ向かうと言うと母は驚いた顔をしたが、ウィルフレッドがディレッタ神聖王国でサムライ修行をすると言いだした時も送り出してくれた母だ。

 ウィルフレッドがサムライの誇りに賭けて必ずや無事帰ると誓うと、それだけで許してくれた。


「では、キャサリン・アークライトの洋々たる前途に! 乾杯!!」

「「「かんぱーい!!」」」


 街を発つ五日前の夜、街区セクション2-3のとある酒場にて、キャサリンの送別会が催された。

 ギルドの職員や冒険者など30人ほどが集まって、趣味の良い編み籠や農機具だのが飾られたコテージのような内装の酒場は貸し切り状態だった。

 油のランプを模した電灯が郷愁を感じさせたかと思えば、即座に酔っ払いたちの笑い声が感傷を吹き飛ばしていく。


 賑やかしい話し声の中、ウィルフレッドはどこか釈然としない気持ちで酒を飲んでいた。


 ――いい気なもんだ。要は酒飲んで騒げる機会がありゃいいんだろ。職員はみんなキャサリンとろくに話そうとしやしねえ。反対に担当の冒険者はほとんど全員集合してるけど。


 辞めていく管理官の送別会として、どの程度の人が集まるのが普通なのかウィルフレッドはよく知らないが、オフィスで働いている人があれだけ居てこれだけしか集まらないというのは若干寂しいような気がした。

 集まった職員たちもキャサリンとは特に話し込むことなく、勝手に酒を飲んで盛り上がっている。

 皆、一言か二言、義理のように声を掛けるだけだ。


「……餞別よ。それと、お別れのプレゼントのお返し。

 身体に気をつけて」

「はい、ありがとうございます!」


 赤毛の女管理官がやにわにやってきて、小さな包みをキャサリンに手渡す。

 猛獣に餌をやるように腰が退けていたが、キャサリンはそれを気にした様子もなく礼を言った。それ以上の会話も無く、赤毛の管理官はそそくさと去って行く。


 ――あれでチャラにしようってのかよ。それも、自分らが追い詰められてからようやく……


 キャサリンのことばかり気になって、でもキャサリン当人が何も気にしていない様子だ。

 ウィルフレッドは苦い酒ばかりが進む。


 その隣の席にデカい図体の男が急に飛び込んできて、ウィルフレッドの背中をひっぱたいたものだからウィルフレッドはむせかえった。


「よう、ウィルフレッド。まさかお前がここまでやるとは思わなかったぜ」


 ギャレットだった。

 流石にこんな場所にまで例の剣闘士鎧で出て来たりはしなかったが、若干きつめで筋肉を強調する服を袖を破って着ているものだから、ガラの悪さも相まって山賊のような雰囲気だった。実際彼は酒盛りをする山賊みたいな豪快さで酒を飲んでいた。


「そう言うなよ、勢い余ってって感じで俺も驚いてんだ。

 ま……後悔はしてねーけど」

「ほーん」


 ウィルフレッドがキャサリンと共に帝国へ向かうという話は、知人の冒険者にはもうしてある。それがギャレットの耳にも届いた様子だった。

 酒に焼かれた赤ら顔でギャレットは、ニヤニヤと笑う。


「もしこの街へ帰ってくる機会があれば、どんな()()だったか聞かせろよ」

「てめえギャレットそこに直れハラキリに処す!!」

「ぎゃーっはっはっはっは!」


 ウィルフレッドの前にあった串焼きを一つ掴んで、ギャレットはゲタゲタ笑いながら逃げ去っていく。


「ったく、あのヤロ……

 はぁ。あの調子なら大丈夫か」


 空元気かも知れないが、一瞬でもギャレットのことを心配した自分がウィルフレッドは馬鹿らしくなった。


 もう一杯、酒を飲もうとして……ウィルフレッドの手が止まる。


 ――俺が? キャサリンと? ……そういう仲に?


 それは、仮に二人が順調に仲を深めていったとしたら、かなりの蓋然性を持つ未来予想であるということにウィルフレッドは今更ながら気が付いた。


 チラリとウィルフレッドはキャサリンの方を伺った。

 酒気が彼女の頬をほんのり染めている。

 担当だった冒険者と話しつつ、彼女は若干無防備に蜜柑色の髪を掻き上げた。一瞬、真白いうなじが露わになる。


 体格的には若干小柄で、いまだ少女めいた雰囲気を残すキャサリンだが、その美しさに関しては万人の評価が一致するところだろう。喩えるならその美しさは、一分の隙も無く磨き上げられた宝石だ。天性のものを持ちながらそれに驕らず、美しさを最大限に引き出すべく不断の努力がなされている。

 彼女の美しさについて言及するなら何処から述べれば良いだろう。何しろ吐息すらも美しいのだから。

 聡明であるためか、整った面立ちから冷たい知性を感じさせることもあるが、ふとした瞬間に和らいだ表情は愛くるしい。肌は雪のように清く、シルクのようにきめ細かい。その肢体は触れれば崩れそうにたおやかなのに、生きとし生ける者たちの生命力を象徴するように艶やかでもある。

 鎧のようなギルド職員制服をいつも着込んでいるが、その下の肉体もきっと瑞々しく端麗な「うわあああああ!」


「ウィルフレッド!?」

「どうした!?」


 ウィルフレッドは火を噴きそうな程強い酒を一気に瓶から飲み干して、その後便所で嘔吐した。

現在のパンゲア世界では概ね15歳で成人としています。

これは以前の大戦で人族が滅びかけた時、『人類皆兵』みたいな感じになって役割分担の線引きを15歳にした(別に14歳以下が非戦闘員だったわけではないけど)のが発端で、わりかし平和な人族社会の現状には必ずしも適合しない規定です。

実質的に成人年齢を引き上げている国も多く、15歳になったら酒が飲める国(教条主義的に15歳成人制を貫いてるディレッタとか)もありますがジレシュハタール連邦の場合は18歳以上です。



長いプロローグが終わりました。

次回辺りからまたいつもの調子で血生臭くなっていきます。



PS

明けましておめでとうございます。

今年も例によって新作を書いたり、宣伝のために妙なことを始めたりする予定なのですが、怨獄の薔薇姫も続刊あるいは再書籍化を目指しつつ、ちくちく更新していきますのでよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] キャサリンはもちろん、ウィルフレッド君もまた、因縁の地に舞い戻るんやなって
[一言] 素敵なプロローグでしたね。この内容なら3巻いけるんじゃないでしょうか。 幸と不幸は裏表、ウィル君の甘酸っぱい、勇気ある行動がこれから後悔に満ちたものになるかと思うと、死者を見送る心地になって…
2021/01/01 18:05 退会済み
管理
[良い点] あけおめでーす! 今年も怨獄の薔薇姫を読むことができて嬉しい! ニヤニヤしちゃう青春劇が終わってしまうことに若干の寂しさもあるけれど、このお話って『怨獄の薔薇姫』なのよね……怨嗟の声が久し…
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