[4a-3] 備えよう
管理官。
冒険者ギルドにおける、いわゆる『受付嬢』。
まあ、別にこれは男性でも就ける仕事なのだが、『受付嬢』という単語は世間に浸透している。
やはり冒険者はむくつけき男どもの世界という印象が強く、その中で女性管理官たちはオアシスであり太陽となるために一際目を引くのだ……というのが、やっかみ半分で男性管理官たちが言う事だ。
キャサリン・アークライトはジレシュハタール連邦の冒険者ギルド、サクタムブルクにある本部の管理官だ。
彼女は受験資格である16歳になると同時に管理官試験を受け、『100年冒険すれば合格点が取れる』と冗談交じりに言われる超難関試験に同国ギルド史上11人目の満点合格。
最年少満点合格の記録も13歳更新した。理論上の最高記録なので制度が変わらない限りこれを上回ることは不可能だ。
その時点で異質ではあるが、志望動機も『魔物に関する冒険者ギルドの資料を閲覧する権限を得るため』という一種異様なものだ。受験時点で既に彼女の知識は学者級で、特にアンデッドモンスターに関する知識は誰もが舌を巻くほどだったというのに。
管理官をキャリアの第一歩としてギルド内で研究職に就くことが希望だと彼女は言うが、研究がしたいなら普通は大学で研究員となるわけで、その点でもやはり毛色が違う。
ジレシュハタール連邦は列強五大国の中でも、ファライーヤ共和国に次いで自由報道の気風が強い。
発達した報道文化は大衆の批判的洞察力を育む傍ら、人々の下世話な好奇心に迎合する部分もあり、脚光を浴びたキャサリンの来歴は根掘り葉掘り調べ尽くされた。
彼女が7年前に崩壊した旧シエル=テイラ王国の貴族、キーリー伯爵令嬢であったこと。父をはじめ家族を"怨獄の薔薇姫"に殺されたこと。そして連邦によるお家の取り潰し。伯爵家の名を隠して家名を改め、血の滲むような独学の果てに彼女は管理官となった。
家族を奪われ家も失った悲劇の伯爵令嬢が、復讐のため再起を誓い成り上がらんとしているのならば、それは実に大衆好みの味付けの物語だ。
しかしこのことに関してキャサリンは口を噤み続け、表舞台に立つことを頑として拒否。
故に、彼女の心の内を知る者は無く、やがて時が経つにつれて人々の関心も落ち着いたものとなっていった。
* * *
サクタムブルク『街区2-2』に位置する、ルドルフ記念図書館。
連邦の誇る世界最大の図書館は、"全てのゴーレムの父"と讃えられた連邦建国の立役者・大技術者ルドルフの名を冠する。
どこまでも続く書架の迷宮と、煉瓦の壁に走る真鍮色の配管。
従僕やメイドのような姿をした人型の司書ゴーレムたち。
建物の管理機構と連動した歯車が、意図的に作られた壁の隙間から顔を出し、規則正しいリズムを刻む。
窓は少なく小さく、暖かくも無機質な電灯によって図書館内は照らされている。
入り口で貰った、下手なダンジョンよりよほど複雑な地図を見ながら、ウィルフレッドは歩いていた。
サムライとしての厳しい修行を積んでいたウィルフレッドは、冒険者になった時既に、田舎の支部ならエースになれるほどの実力を備えていた。
さらに多少のニンジャ知識も身につけていたため、強いだけではなく野外行動の術も心得ている。
飛び級で第二等級になったウィルフレッドは瞬く間に実績を積んで第三等級に昇格。
しかし、ここから第四等級になろうとすると、昇格試験では座学の重要度が増してくる。
ウィルフレッドは勉強より剣を振っている方が性に合うし、部屋で黙々と書を嗜むより野山へ飛び込んで身体へ直接知識を叩き込む方が向いている。
だが、だからと言って勉学をおろそかにはできない。学問や芸術にも通じてこそサムライだ。
やがて来る昇格試験の機会に備え、ウィルフレッドは昇格試験の対策本を探して図書館へ分け入ったのだった。
すると目的の本があるという区画の少し手前、アーチ天井の下に丸く机が並んだ閲覧スペースに、ウィルフレッドは見知った者の姿を認める。
「ん?」
ギルド職員の制服であるブレザースーツ、やや紫がかった紺は管理官の証だ。
背中ぐらいまでの長さであろう蜜柑色の髪を白薔薇型のバレッタでまとめている彼女は、まだどこか少女の青さを残す年頃。
「あれっ、管理官さん? 何してるんです?」
「こんにちは、ウィルフレッドさん。
今日は非番なんです。なのでちょっと、溜まっていた調べ物を片付けようと思いまして」
ウィルフレッドが冒険者登録をするためギルドを訪れた際に応対し、そのまま担当管理官となったキャサリンだ。
机に何冊もの分厚い本と謎の紙束を広げた彼女は、ウィルフレッドが声を掛けると立ち上がり、いつも通りの無欠のスマイルで会釈した。
非番と言いつつ制服姿なのは、ギルドがそれを職員に推奨しているからだろう……職務外の時間の職員にギルドの看板を背負わせることへの批判もあるのだが。
キャサリンがこの街どころかこの国でちょっとした有名人だという事をウィルフレッドは知らなかった。
この街に母を残し、修行のために連邦を離れていたからだ。
キャサリン・アークライト。
即ち、キャサリン・マルガレータ・キーリー。
難関の管理官試験を16歳の誕生日に満点合格した才女。
ウィルフレッドにとっては自分と同じ旧シエル=テイラの出身でもある。
とは言え、ウィルフレッドは領主に仕える兵として便宜上の一代貴族となった父の息子に過ぎず、諸侯の一人であったキーリー伯爵の令嬢など遠く雲の上の存在だけれど。
「もしかして今日は昇格試験の対策にいらしたんですか?」
「あ、えと、はい」
「もうじきですからね。対策本なら向こうの角を右に曲がって次を左、20915番の棚です。
ただ非公式の過去問集は別の場所にあるので……よろしければ地図に印を付けますけれど」
「……お願いします」
言われるまま地図を差し出すと、キャサリンは迷うことなく図書館三階の隅の部屋の棚をペンで丸く囲んだ。
『この部屋には31201から31300の棚がある』という情報しか書かれていないのに、キャサリンはその部屋にある100の本棚の中から正確に一つに印を付けたのだ。
もしかして彼女はこの巨大図書館の全ての本の場所を理解しているのではないかという、恐怖に似た感情がウィルフレッドの背筋を冷たくした。この図書館には『エルフでも一度の人生で読み尽くすのは無理』というほど多くの本があるのだから、まさかそんなことは無い筈だが。
「そう言えば、ウィルフレッドさん。
新しい装備をご注文になったそうですね」
「え、ええ。そうです。って言うかなんで知ってるんです?」
「ギルドを通した注文なら記録を見れば分かりますから。
『電気羊』の防具は確かにウィルフレッドさんの戦い方に合っているでしょう。お値段は張りますがベテランの方も愛用しているんですよ。
……そう言えば先日は珍しく依頼外で探索届を出していましたが、何か事情が?」
武者修行の一環と思って冒険者業をしているウィルフレッドは、剣腕を活かせる依頼を好んで請けている。
今回ぶらりとお宝探しに出たのは、誘われて気が向いたからだった。
「『踊る歯車』の連中に誘われたんですよ、一緒に探索届出しましたけど。
こないだ食堂で飯食ってる時にちょっと話して、その流れで……
潜ってみたダンジョンはハズレでしたけど」
「まあ、そうだったんですか。
『踊る歯車』のリーダーのベグスさんは去年、大戦前の住居跡を探索して古代の盾を見つけて以来、よく探索に出ているんですってね」
「らしいですね。本人から聞きました。
……一人一人の冒険者のことを、よくそんなに覚えていられますね」
「そんな難しい事ではありませんよ。私の担当の方なんて20人も居ないんですから」
彼女は謙遜した風でもなく、さらりと言った。
ウィルフレッドはキャサリン以外の管理官もこうして冒険者一人一人のことを把握しているのか疑問だったが、こう言われては言い返すのもおかしな話だ。
少なくともウィルフレッドは、キャサリンを凄いと思っている。彼女自身がどう思っていようとだ。
そんな彼女が、休みの日に図書館へ来て何を調べているのか。
興味を覚えて机の上にふと目を落とすと、最大級に不穏な単語が目に入って、ウィルフレッドは思わず身を乗り出した。
「……"怨獄の薔薇姫"? これは……」
「ケーニスのギルドに問い合わせて手に入れた資料です」
"怨獄の薔薇姫"。それはウィルフレッドにとっても因縁浅からぬ存在だ。
王宮を追われた銀髪銀目の忌み子。悲劇の元王女。
そして、王弟ヒルベルト二世のクーデターの混乱の中、無実の罪で処刑され……
怨みと屈辱の中で闇に堕ちた彼女は、邪なる神々に魂を売って力を手に入れ、その力によって国を滅ぼしたのだという。
しかし彼女はディレッタ神聖王国の派遣した『シエル=テイラ解放軍』を前に敗走。
大陸の反対側である遠く東の果てに流れ着き、そこでケーニス帝国と一悶着を起こしたという話はウィルフレッドも聞き及んでいる。
キャサリンが特に資料を隠す様子も無いので、見ても良いのかとウィルフレッドは読み始める。
兵種別の兵数だの、帝国軍と戦った際の記録だのが、気も遠くなるほど緻密な表として記されていた。
「ネームドモンスターの資料って言うより、軍の諜報資料って感じですね」
「勢力を築く魔物の場合、重要なのは個の能力よりも、保有する兵力ですから。
どんなに強い魔物が個として存在しても、どうにか倒せてしまう。なので勢力が必要なんです。
……地図を変えられる魔物は多くありませんが、彼らは皆、軍隊と言えるほどの兵力を保有している」
技術書でも読み上げるように淡々とキャサリンは述べる。
しかし、地図を変える、と。その言葉は腹に響くように重く感じた。
結果だけを言うならウィルフレッドも、つまりキャサリンも、地図が変わった当事者だ。
旧シエル=テイラは東西に分断された。
そのきっかけは、"怨獄の薔薇姫"に率いられた不死の軍勢。
「それほどの勢力を築く魔物は限られます。もちろん魔王は当然として、他に現状ですと……
魔王に従わないドラゴンたちの元締め、"黄昏の竜王"。
ギルドが唯一確認している真祖、"深淵の女公爵"。
魔王ですら制御に失敗した暴走する同化機械の王、"偽りの機神"。
共和国を蝕む『ナイトメアシンジケート』の首領、"屍売り"。
そして……」
「"怨獄の薔薇姫"?」
「"怨獄の薔薇姫"に対するジレシュハタール連邦ギルドの脅威度認定は7でした。ケーニスの管轄になっても8に引き上げられただけです。
脅威度10が実質的に魔王専用である以上、他は9が最高となりますが、大勢力の長たちが軒並み9と認定されていることを考えれば、ギルドはまだ"怨獄の薔薇姫"をそこまでの脅威と見做していない。
ですが少なくとも私は……並ぶべきだと」
今キャサリンが述べたのは、いずれも、かつて人族が滅ぼされかけた大戦で猛威を振るい、今だ人族に仇為し続けている伝説級の魔物たち。
確かに彼らの脅威は魔王にこそ及ばないかも知れないが、列強五大国ですら手を焼く恐るべき敵だ。一介の冒険者にはどうしたら倒せるのかなんて想像も付かない。
キャサリンはその魔物たちと、"怨獄の薔薇姫"を並べた。
「確かにあの子は、たかがシエル=テイラという小国の体制を崩壊させただけで国を平らげたわけですらなく、またノアキュリオやケーニスの軍に勝利したとは言え比較的小勢力の派遣部隊に勝っただけ。
格落ち感は否めないのかも知れませんが、潜在的にはさらなる脅威を秘めています」
キャサリンは少しずつ早口になっていた。
彼女が依頼の要項伝達をする時と同じ、凪の海のように静かな説明口調。だが水面の下には何かが居る。想像を絶するような、ともすれば異形である、何かが。
彼女はもうウィルフレッドの方など見ていない。
「これは現在、"怨獄の薔薇姫"のお膝元となっているゲーゼンフォール大森林、そしてその周辺三カ国の情報です」
冊子状のファイルにまとめられた資料をキャサリンは開く。
綴じられているのは帝国とその周辺地域で発行されていると思しきいくつもの新聞記事の切り抜きや、論文要旨などだ。キャサリンが掻き集めた資料を自分でまとめたものらしい。
それをめくり始めてすぐ、ウィルフレッドは首でも締められたように感じて息を呑む。
内容毎に分かりやすく分類された資料の数々は、"怨獄の薔薇姫"の勢力圏に『潜入』した者たちのレポートだ。
「『魔物が人を襲わなくなった国』……『活性化する大森林内の商業』……嘘だろ、おい。
これが、"怨獄の薔薇姫"の下で起こってることだってのか?」
人々は魔物や盗賊など、『街の外の危険』に脅かされることがなくなり、人や物の移動が活発化。
政治腐敗は排除され、貧者も貴族も公平に法の下で裁かれる。
エルフたちの部族社会も解体されて経済の概念が持ち込まれ、エルフの自然魔法と森の環境を活かした種々の産業が勃興。しかも、彼らが元々持っていた戒律に絶妙に配慮する形でだ。そして、そこに公金が投資されて支援する。
単純で誠実な政策の成功による繁栄。
それだけ見ればただ単に、名君を戴いた幸福な国だ。
信じがたいのは、その国を支配するのは魔物たちであり、頂点に立つのはあの"怨獄の薔薇姫"だということで。
「普通、魔物は人族を、エサか、奴隷か、殺害対象としか思いません。
でも"怨獄の薔薇姫"は違います。彼女は飴と鞭で公正な支配をしている。ひょっとしたら、私たちが知るどんな人族国家よりも良い統治をしている。
しかもルガルット王国などの事例では、彼女は決して表に出ず人族国家としての面子を守らせています」
「何のために、こんなことを?」
「それが最も国を富ませ、兵を強くすると考えているから……ではないでしょうか。
そんな国がある日、人族世界に牙を剥くとしたら?
信頼に足る君主のため命を惜しまず……いえ、命が尽きて後も戦う恐るべき軍勢が今、育っているのだとしたら?」
その言葉は、形式的にはあくまで不確定な未来の可能性に懸念を示しただけだったけれど、ウィルフレッドにはまるでキャサリンが未来を見てきたように感じられた。
"怨獄の薔薇姫"は、旧シエル=テイラにとっても、ジレシュハタールやディレッタにとっても、既に終わった話の筈だった。
連邦のどこかの作家は、彼女の悲劇を題材にしたオペラなんぞを呑気に作っているらしいという話も聞く。
だがもしキャサリンの話す通りになるのだとしたら、終わったなんてとんでもない。"怨獄の薔薇姫"の戦いはまさにこれからではないか。
そして、その事を知っているのはキャサリンと、彼女の話を聞いた自分だけなのだとしたら?
ウィルフレッドは慄然とする。
「また、彼女はク・ルカル山脈に道を拓くというやり方で、一滴の血も流さず各国の戦略地図を変えてしまった。
こんな戦い方をする魔物が他に居たでしょうか? それこそ、かつて人族を滅ぼしかけた魔王軍の大侵攻まで遡らなければ、こんな事例はありません」
「でも……カデニス公国は最近、解放されたんでしょう?
"怨獄の薔薇姫"も結局は帝国軍に勝てなかった。このまま支配圏を失って、討伐されるんじゃ……」
ただ、不安を認めたくなくてウィルフレッドは抗弁する。
ウィルフレッドはキャサリンのように、能動的に"怨獄の薔薇姫"の情報を集めていたわけではないが、それでも国際情勢のニュースくらいは耳に入ってくるものだ。
それによると"怨獄の薔薇姫"は7年前の戦いでゲーゼンフォール大森林と周囲の三カ国を手中にしたが、征服した国々の反乱に手を焼いていた帝国青軍が遂に全ての仕事を終えてその剣を"怨獄の薔薇姫"に向け、先頃、カデニス公国は帝国の手によって『解放』されたそうだ。
ケーニス帝国軍は世界最大にして最強。
その横暴なやり口は、他国からはしばしば恐怖と嫌悪を持って語られるが、強さだけは動かざる事実であり、"怨獄の薔薇姫"は彼らを本気にさせた。
魔王の動きすら抑え込んでいるケーニス帝国軍に、"怨獄の薔薇姫"が勝てるとは思えなかった。若干の願望を含めた予測ではあるが。
だが、キャサリンは首を振る。
「たとえ、今そこで勝っても負けても、関係ありません。
何があろうとあの子は戻ってきます。雪深い山国、私たちの故郷へ。
彼女を死に追いやったヒルベルト派の諸侯もまだ生き残っていて、彼女を追いだしたディレッタ神聖王国が未だに影響力を持っている……
それをあの子が許すはずないんです」
キャサリンの言葉は不思議な確信に満ちていた。
声音に滲むのは期待や願望ではない。さりとて恐怖でもない。
初冬の風に頬を撫でられたような切なさだけが彼女の声音から伝わってくる。
「私は……ずっと、その日を待っているだけなんです」
いつの間にかウィルフレッドの喉はカラカラに渇いていた。
キャサリン18歳
ウィルフレッド19歳
ルネ側は年取るのやめてる人ばっかですが、こっちは育っています。
※裏(と言うほどでもない)設定
冒険者は名字が無い人や偽名、通り名で活動してる人も居るので、基本的にギルド側は冒険者を一律に名前で呼ぶ。