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[3-60] 彼女は狂っていた

「じゃ、要するにダークエルフにはならないでそのまんま死ぬ気なのね?

 別に私は、良いデータが取れそうだから構わないんだけどさ」

「ダークエルフになることを受け容れた者ばかりではない……

 私は命ある限り、彼らを……ゴホッ! 導かねばならぬ……」


 汚濁の沼の中州、茨に覆われた『政治犯収容所』にて。

 蔓草を編み合わせた床に横たわったまま茨で磔にされている『教導師』ジバルマグザは、ただでさえ皺深い顔にさらに皺を寄せて、天井を睨みながら言い放つ。


 自分が生きているか死んでいるかも分からぬほどの苦痛の中で、それでもジバルマグザは己を見失っていなかった。

 ダークエルフになれば肉体は邪気に順応し、苦痛から免れ命も永らえよう。だがジバルマグザは、ダークエルフになる気など微塵も無かった。


 ジバルマグザは囚われの身であったが、一部の者は面会が許されている。おそらくは里をまとめるためだ。指導者であるジバルマグザを殺してしまえば反発も生まれようが、生かされていればなんとなくこれまでの形が保たれてしまうから。

 ジバルマグザ自身としても望む所だ。今更何ができるとも思っていないが、精神的支柱として部族の者たちを導かねばならない。そして、その誇りを誰かが受け継げるよう、最後まで気高くあらねばならない。それがジバルマグザにとって最後の仕事だった。


 傍らには、破廉恥な格好をした魔女がかがみ込んでジバルマグザを観察している。

 彼女は嘲ってもいないし怒ってもいない。ただ面白がっているだけだった。 


「……魔女よ。400年以上前、この大陸の南の果てで、人族の存亡を掛けた大戦があったのだ」

「知ってるよ。私もあの戦い参加してたもん。負けた側で」

「そうか……我らも、戦った……」


 呼吸をする度に、肺腑は血管を引きずり出されているように痛む。

 邪気に冒されたジバルマグザは、日に二回ほど投与される怪しい薬によって辛うじて命を繋いでいた。

 苦痛の中で、遙かな過去の記憶ばかりが脳裏をよぎる。


「家族よりも親しい、多くの戦友たちが……戦いの中で息絶えていった。

 老若男女……神々の息吹すら我が傍らに在り……ただ生き延びるため、まるで一つの命であるかのように……力を合わせた……我らこそが世界だった……」


 ふと古傷が痛んで熱を持つかのように、熱い涙が一筋、ジバルマグザの頬を伝う。


「分かるか……

 今更、生き方を変えることなどできぬ。魂までは売れぬ……

 それが正しいかどうかなど……関わりの無いことよ……」

「そーゆーもんかも知れないねぇ」


 魔女は意外にも、しみじみと嘆息して頷いた。


 * * *


 森の中心部にある居住区域の、外れに近い場所だった。


 その辺りは木々もまばらで、ふんわりとした草地が広がっている開けた場所だ。

 緑の香りを纏った爽やかな風が時折吹き抜けていく。


 地面からにょっきりと生えた蔓が丁度背もたれ付きのベンチの形になっていて、クルスサリナはそこに座っていた。

 美しい草色だった彼女の髪は、まるで老人のそれのように真っ白になっていた。

 巫女装束ではない、寝間着のような簡素な服を着た彼女は、ただぼんやりと空を見上げていた。


「あら?」


 彼女は自分に近寄るリエラミレスの、草を踏む足音を聞きつけて向き直った。


「こんにちは。よく、お会いしますね」

「……ええ」


 微笑んで会釈する彼女に、リエラミレスは生返事を返す。


「あなた、お名前は?」

「リエラミレス……」

「そう、リエラさん」


 昨日会った時と同じ質問だった。


 朗らかだったクルスサリナは、そこで急に疑問に満ちた表情になる。


「名前……あれ? なんて……いったかしら。私の名前……」

「クルス」


 リエラミレスは若干食い気味に、彼女の言葉に被せるように名前を呼んだ。


「クルスサリナ。あなたは、クルスサリナよ」

「クルス……そうね、きっとそう」

「何をしていたの?」

「……分からない」


 クルスサリナは空を見上げる。

 黒く染まった木々の群れを切り抜いて、高く見上げた空は抜けるように青く晴れ渡っていた。


「どこかへ行かなくちゃ、何かをしなくちゃって……私はずっと思ってて……

 こんなところでじっとしてる場合じゃないのに……

 みんなを……助けなきゃ。守らなきゃ……

 でも……どうやって? 何から……?」


 クルスサリナは頭を抱えて崩れ落ちる。


「クルス!」

「思い……出せない…………私は……

 ああ、頭が! ああああっ!!」

「大丈夫。大丈夫だから。ね?」


 頭を抱え、むずがる子どものように頭を振って、クルスサリナは悲鳴を上げる。

 リエラミレスはそんな彼女を優しく抱きしめた。


「何も……貴女が憂うことなど無いの。大丈夫だから……安心して……」


 胸を締め付けられるように悲しかった。

 クルスサリナはもう、リエラミレスの肌の色が意味するところも分からない。

 戦うべき相手すら忘れて、それでも尚、戦い守ろうとしているのだ。


 ◇


 蔦とも樹木とも言い難い植物を絡み合わせて練り上げた『サナトリウム』の屋上の縁にルネは腰掛けていた。

 眼下の草原にはクルスサリナとリエラミレスの姿がある。


「契約の要件は満たしているのだから、この結果に関してはノークレーム・ノーリターンでお願いするわ」

『滅相も無い。あの状況でよく私との約束を守ってくださいました。

 ……せめて、彼女に残された時間が穏やかなものとなるよう祈ります』


 傍らに浮かんだサーレサーヤの亡霊は、日の光の中では透けるように薄く見えた。


 地脈から切り離したことで命だけは助かったが、既にクルスサリナは廃人同然の状態だった。

 身体も損なっており、あと何年生きられるかも分からない。

 こんな状態に責め苦を与える気にもあまりならず、下手すれば無駄に殺してしまうと考え、ルネは彼女を解放して余生の自由を与えた。

 別に同情する気は無いが、彼女もまた大神の被害者だとは思っていた。


『里は……いえ、この部族はこれからどうなっていくのでしょうか』

「状況次第だから保証はできないわ。

 ただ、彼らが踏み躙られた恨みを忘れず、怒りの声を上げるなら、その時はわたしが共に在ると約束する。切り捨てる時も、消費する時も、独りにはしないから」


 守るなどと欺瞞的なことは言わない。

 つまるところルネの戦いはルネ自身の怒りに起因する戦いだ。それをルネはよく分かっていて、敢えてそこをぼやかして味方を欺くようなことをする気は無かった。

 ルネはただ、同じ目的うらみを持つ者がなるべく多く後に続くよう立ち回り、そして、後に続く者をないがしろにしないと決めていた。そうでなくば強大な国など倒しようがないからだ。


 サーレサーヤは静かに微笑む。

 安堵か達観か。読み取れる感情さえも複雑でどうとも言い難いものだった。


「じゃ、そろそろお別れといきましょうか」


 ルネの言葉を合図に、陽光の下に儚く浮かんだサーレサーヤの亡霊を、黄金の鎖が絡め取る。

 ルネの胸から飛び出したかのような細い金鎖は実体があるものではなく、魂にのみ見える幻のようなもの。サーレサーヤの魂をルネが完全に捕らえた証だった。


 生ぬるい風がルネを中心として巻き起こる。

 ブラックホールの如き魂の引力。

 魂を喰らい、分解して己の糧とする、ルネのチートの発露だ。


「何か言い残すことは?」

『……そうですね。では、一つだけ……』


 死どころか消滅を前にして、魂を喰らう風に髪を嬲られながらも、サーレサーヤは穏やかだ。

 彼女は全てを見通すような目をしてルネを見ていた。


『信じられる仲間を得なさい。きっとそれが貴女に足りないものだから』

「えっ……」


 思わずルネは声を漏らした。


 ――言い残すこと、って……わたし宛に?


 信じられる仲間。

 少なくとも、現状幹部級の地位にある者たちがそう簡単に裏切るとは思っていないと信じてはいる。

 そもそもルネは『感情察知』の能力を持ち、仲間が敵意だの叛意だのを内に秘めていたら一発で見抜ける。だから、信じたり疑ったりする必要自体が無いに等しいわけで……


 だからこそ、盲点。

 本来、組織を築く上で避けられない葛藤をルネは跨ぎ越してここまで来ている。


 ――でも……それが、何?


 悪に振り切った行為を堂々とやっていくのだから、個々人の信頼関係なんていう曖昧で頼りがたいものではなく、利益と目的で結びつく構造を作って組織の在り方に信頼を持ってもらえばそれでいいとルネは思っていた。

 それが成功しているから、エルフたちの協力も得られたわけで。


 もしルネ個人の心配をしているのだとしたら、お門違いもいいところだ。

 味方にすら嫌われて然るべきなのに。

 誰が信じると言うのか。誰を信じろと言うのか。

 たとえルネに好感を持つ者があったとして、それは砂上の楼閣の如き頼りない同情に過ぎないのではないだろうか?


 ふとルネは、若く見えるサーレサーヤだがエルフであり、自分より遥か年長の300年余りを生きているのだということを思い出す。そんな彼女の末期の言葉が、これだった。

 サーレサーヤはもう何も語らない。

 その形を崩しながら風に舞い、ルネに飛び込んできた。


「あっ……!」


 あまりの衝撃にルネの方がたじろぐ。

 まるで胸に穴を開け、熱して液状になった鉛を流し込んでいるかのようだった。


「重い……こりゃ過去最大の大物だわ。馴染むまで一週間くらい寝込むかな……」


 浮き足立つような高揚感と共に、熱病に罹ったかのように全身が熱くなる。ほぼ体温の無いアンデッドの肉体である筈なのに。

 魂を喰らったために、その反応が出ているのだ。この強大な力がルネの魂に馴染むまでは多少の時間が掛かり、ルネは喰らった魂の大きさに比例する苦痛に苛まれる。


 とにかくどこか安全な場所で安静にしていようと、ルネが踵を返したところ、黒くて小さなものがいつの間にか居た。


「ニャー」

「あらミアランゼ。どうかしたの?」

「ンゥゥ……」


 黒猫が一匹寄ってきて、ルネの足の甲にのしかかるように、腹を見せて寝転んだ。


 魂源魔法プライマルスペルの発動により消滅しかけたミアランゼは、エヴェリスによって応急処置的に修復され、今はこの状態だった。

 邪悪な生命力に満ちた森の中で療養させつつ元に戻していくという話だが、現状はただの猫状態でルネやエヴェリスの周囲を割と奔放にうろついていた。


 ルネの足に背中を擦り付けながら、ミアランゼは琥珀色の目でルネを見上げる。

 今のところ精神も猫レベルになっているらしい。


「こら。歩けないでしょ」

「ゥ」

「全く……」


 ルネは仕方なく黒猫を抱き上げ、そのまま歩き出す。

 ミアランゼはゴロゴロと喉を鳴らしながら、されるがままになっていた。

※裏設定

[3-19]の地の文で語られた、サーレサーヤの『巫女である己は婚姻を許されないが、それでも密かに思いを寄せていた部族の戦士』

リエラミレスだったりする。

(嘘は書いてないがエルフの部族的には多分、巫女じゃなくても女同士は結婚できない)


このラノ2021で投票してくださいました皆様、本当にありがとうございます!

この場を借りて厚く御礼申し上げます。

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[良い点] 姫様には一緒に泣いて、一緒に怒って、一緒に嘲笑ってくれる人が必要なのです。 しかし、そんな人がいたら、彼女は「怨獄の薔薇姫」にはならなかっただろうし、第一章時代によく見られた、憂さ晴らしの…
[気になる点] ふと思ったのですが、ルネは大神に絶対に勝てないですよね。普通に考えれば。 遥か昔から争い合っている以上チート貰っただけの奴が努力して神を超えることが可能ならとっくの昔にやっているはずで…
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