[3-59] 狐が婚活パーティー
トラウニル陥落の翌日、青軍支配地域にて活動実態のある反政府組織のほとんどが一斉に蜂起。
どこからともなく供給された装備と戦闘用ゴーレムの援軍によって強化された武装勢力は、要人暗殺やインフラ施設の爆破など縦横に暴れ回った。
トラウニルの敗北で多くの兵員を失った青軍にとって、効果的な対処は難しい状況だった。
背後で『シエル=テイラ亡国』が糸を引いていることは明らかだった。
こんな反乱、仮に一度は成功しても中長期的に見れば潰されるのが確実だが(そして戦っている当事者がそれを理解しているかは不明だが)、しかし短期的に混乱をもたらす事は可能だ。
その間、青軍がその剣をシエル=テイラ亡国に向けることはできない。
混乱が広がる中、軍と役人は反乱発生地域から一旦撤退する流れとなる。
だがそれと前後して、もう一つの事件が動いていた。
* * *
宰相・午照が謁見の間に駆け込んできたのは、竜淵が星環から反乱の発生状況と今後の戦略について報告を受けている時だった。
「リンミン原液が?」
「はい。加工済みのポーションもです。
疫病が流行する地域の商人たちに対して、売却の申し出が相次いでいると。
既に東部沿岸国家に物があるそうで、注文があればすぐにでも輸送すると……」
その重大性を認識し、自ら報告を持ってきたと思しき午照。
彼の説明を聞いて、竜淵は即座に全てを理解した。
「…………ははははは!
ああ、そうか、そうだったか!
してやられたぞ。余ともあろう者が、それだけは予想していなかった!
なるほど、魔王軍とは何もかも違うな。奴らは金を使う!」
してやられたのだというのに、ある種の痛快さを感じて竜淵は膝を叩いて笑った。
一度は買われていったリンミン原液が再輸入されている、と見るのが正しいだろう。
治療用ポーションの原料たるリンミン原液の買い占めは、物資を払底させることで治療を難しくし、呪いの疫病を効果的に広めることが目的である……と、思われていた。実際それは途中までは正しかったのだろう。
だがケーニス帝国はリンミン原液をファライーヤ共和国から大量に買い付けた。これが届いてしまえば疫病が収束するのはいずれにせよ時間の問題だ。
ならば、買い占めたリンミン原液を売り戻してしまったとしても、それが多少早くなるだけだった。
「正直に申せ、午照。価格統制を掛けられるか?
原液は生物だ。連中は諦めて安値で売り戻すか、原液を捨てるか選ぶことになろうが」
「……難しいと言わざるを得ません。ただでさえ反発が強い施策となりますが……疫病が流行しているのは青軍支配地域であり、現状は反乱の発生により社会が混乱しております。場所によっては政府機能もほぼ停止状態です」
「完全に制御できないならあまり意味が無いか。
そして薬の代価として民より吸い上げられた金は商人どもと……ルガルット王国! さらにルガルットを通じて"怨獄の薔薇姫"の手に渡る!」
竜淵は拳を握りしめる。
疫病の恐怖に怯える民衆はヤミ物だろうと買わざるを得ないだろう。そして、反乱発生地域を『鍵の開いた裏口』として一度国内に入ってしまえば、そこから先の流通管理は至難を極める。
半端に統制を掛ければ、下手をすれば反乱勢力の資金源にさえなりかねない。
ならいっそ、見て見ぬフリで輸入させてしまう方が帝国としても総合的に得になる。共和国から原液が届くのを待つより、疫病の制圧が早まるのも確実だ。
その結果として"怨獄の薔薇姫"は大儲けをすることになるわけだ。
「奴らがリンミン原液を買い付けた際の倍の値段でも飛ぶように売れることでしょう。
ファライーヤ共和国より輸入を予定しているとは言え、それが渡ってくるのは先のことになります」
「一本の矢で幾人も射貫く心算か。
疫病を広めたのはリンミン原液の需要を作り出し、稼ぐためでもあったと。
そして我が国に残るのは負債と、使い所を失った共和国産の原液か」
竜淵は深呼吸と溜息の中間くらいの息を吐いた。
そして鋭く命ずる。
「維持可能な範囲まで戦線を下げよ、星環」
「はっ……」
「初手から全力で"怨獄の薔薇姫"を叩けていれば、このような無様はあり得なかった。
それができなかったのは占領地域と新規領土の安定に手を取られていたためだ。
我が国は足場を固めるべき時期だ。手に入るだけ手に入れてからのつもりだったが……今が潮時だろう。抱えきれぬ領土は、一時、反乱軍に預けてやれ。近々、完膚なきまでに再征服して奴らの牙を折ってやろう。
そして……」
一瞬、竜淵は次の命令を撤回するか悩んだ。
果たして、そこまでするに値するかどうかと。
しかし竜淵は考え直して、やはり決断する。
敵を侮ることは敗戦への第一歩。
これまでの戦いを思い返すだけでも明らかだ。
己は、この帝国は今……人類の脅威と対峙しているのだと。
「星環。貴様の下に"怨獄の薔薇姫"対策室を設置せよ。
ひとまずは魔王軍研究所の分室扱いで良い」
「はっ? はい! 御意に!」
「片手間に勝てぬ相手なら、国を挙げて勝つ。
今勝てぬのであれば、10年掛けて勝つ。それで良かろうさ」
何かに急かされるように竜淵は立ち上がる。
竜淵は高揚していた。
困難な戦いであるほど竜淵は猛り、そんな強敵に勝利することは無上の快楽。
寡勢ながらに青軍を打ち負かし、のみならず政治的にも引っ掻き回してきた『シエル=テイラ亡国』は、竜淵を興じさせるに足る面白い敵だった。
「今日という日の勝利は"怨獄の薔薇姫"にくれてやろう。
だが……奴は果たして理解しているだろうかな? 本当の力の差を。
我らは最終的に勝てば良いのだ」
謁見の間を囲む深く澄んだ池が、時化の海のように波打った。
シエル=テイラ亡国は、ケーニス帝国との力の差を分かった上で、できる範囲のことをやって勝利を掠め取ったという印象だ。
しかし、だとしても。
よもや、負けているのは『数』だけだと、思ってはいないだろうか?
「ぽっと出の小娘ごときに400年の宿願を邪魔立てはさせぬ。
奴が本当に賜りし者であるならば、奴を滅ぼすのは余を差し置いて他にあるまい。
手足をもぐように追い詰めて、奴が全てを失った暁にはこの手で、余の力を以て……」
水面が逆巻き、吹き上がった。
水底より竜が飛翔したかの如きそれは、ただ、水が指向性を持って天へと流れたに過ぎなかった。
轟音を響かせて、間欠泉のような水の柱が謁見の間を囲んで何本も突き上がり、舞い上げられた水はにわかに豪雨となって晴れ渡る空より帝都へ降り注ぐ。
星環も、午照も、威光に打たれたかのようにじっと頭を垂れていた。
「……ひねり潰してくれよう!
はははははははは!!」
たぶん帝都人民はたまにこういうことがあるんで慣れてる。