[3-50] 森より来たるは祟り姫
戦いの最終局面は唐突に始まった。
ルガルット王国からカデニス公国へと流れ、運河としても使われていたイール川を突如として大輸送船団が北上開始。
当然、この川には多くの関所が設けられているがルガルット側は全てを素通し。カデニス公国側の関所は嵐に薙ぎ倒されるように破壊と殺戮によって無力化され、船団はその存在が確認される頃にはカデニス公国にだいぶ食い込んだ場所まで進んでいた。
行く手にある街・トラウニルに駐屯する、ケーニス帝国青軍・ゲーゼンフォール大森林攻略部隊は即座に対応。川に向けて大砲を配置し迎え撃つ体制を取った。
しかし船団そのものを止めることはかなわず、船団はトラウニル手前の平原地帯に到着。
船から吐き出された異形の軍勢は、休憩を必要としない労働力……アンデッドの兵たちによって一夜のうちに陣地を構築。トラウニルの街を取り囲んで布陣し、さらに慎重に青軍側の大砲の射程を計りつつ、装甲板で覆って大砲を載せた砲船を川に浮かべた。
* * *
トラウニルは一般的な、魔物対策の壁によって囲まれた形の街だ。
帝国青軍ゲーゼンフォール大森林攻略部隊の拠点となったが、単純にその街の本来のサイズでは多くの青軍兵を収容できず、また軍事拠点としての強固さも青軍のお眼鏡にかなうものではなく、元の街壁と連結したもう一つの街壁ができていた。
魔法によって作られた一枚岩の塁壁。並んだ箱形の建物と岩の砦。まるで街が分裂したかのように、青軍の築いた駐屯地が街にくっついて存在していた。
部隊の幹部クラスは、当初は即席の陣地などより旧領主居城など、快適な街中の施設に滞在していたものだが、呪いの病が流行りだしてからは陣地に引きこもって、なるべく街に近づかぬようにしていた。
駐屯地に築かれた岩の砦のてっぺんには、感染予防のためカラスのクチバシのようなものが付いたフルフェイスのマスクを被っている男が二人。
「全く、連中ときたらコソ泥のように機を見るに敏だ」
魔動望遠鏡を覗き込み、魔物の軍勢の様子を観察しながら、大森林攻略部隊の長たる樹雫は呟いた。
樹雫は既に老境の人間男性。若い頃は弓の名手として多くの伝説を残した男だ。しかし寄る年波には勝てず、弓を置いて久しい。今は老いて尚明晰な頭脳と戦の経験を活かし、青将軍の片腕とも言える名将として侵略戦争の最前線を担っていた。
膠着状態が続いていた、森での陣取り合戦をすっ飛ばして魔物どもがトラウニルまで攻めてきたのは、流石の樹雫も少し驚いていた。
街に向けられた数十門の大砲は、青軍より鹵獲されたものだけではない。おそらくルガルット王国からも調達したのだろう。
――我が軍を森から追い出すことを諦めたか?
……いや、攻囲戦で勝てるなら森でも勝てるだろう。疫病が上手く広まっているのを見て、戦果を欲張りにきたか。
舐められたものだと、樹雫は鼻を鳴らす。
「疫病が流行る街は攻めるに易い……
今ならば攻め落とせると見て、足を伸ばしてきたようですな」
傍らにて、樹雫が重用している軍師の晶蛇が所感を述べる。
ちょうど樹雫の息子くらいの歳である晶蛇は、奇策をひねり出すよりも、大組織をつつがなく動かす政治力と調整力に長けた参謀であり、そういった作戦を出してくる男だ。
「ああ。籠城は難しいだろう……普通ならな」
樹雫は魔動双眼鏡を下ろすと、異形の軍勢から目を離し、連結された壁の向こうを見やる。
疫病がはびこるトラウニルの街は、昼日中だというのに既に死に絶えたかのように静かだった。
「市民は見捨てればいい。死んでくれれば薬も食料も要らぬ。
兵に感染が広がらぬようにだけ気をつけろ。それと、アンデッドにならぬよう死体を浄化することもな」
「はっ」
青将軍からは既にその方針が示されており、樹雫も了承していた。
この状況で籠城戦になれば、市民まで守るのは無理がある。なら最初から切り捨てればいい。
そもそも負ければ誰一人生き延びられないだろうし、未だ帝国臣民ですらない市民の命をそこまで重視する動機も無い。戦とはそういうものだと樹雫は割り切っていた。
戦の後、占領統治をつつがなく進めるための調整や政治広報をどうするか考える必要は出てくるが、それはその時に考えればいい話だ。
「砦の防衛に回した部隊も、攻囲の打開のために使える。
青軍本隊からの援軍も望める。
手札もある……
悪い戦いにはならんだろう。手柄を焦った愚かな魔物諸兄には、我らの手柄になってもらおうじゃないか。
あの忌々しい森から、わざわざ出て来てくれたのだ。この場で磨り潰してくれよう」
樹雫は街壁と、陣地を囲む塁壁に据え付けられた大砲の様子を確認する。不足無し。
市民さえ切り捨てて良いなら、この戦いは大幅に容易になる。
物資は十分どころか二十分に備蓄しており、援軍のあてもあるのだから。
「心配事があるとするなら、『魔力切れ』くらいだろうか」
唯一気がかりなのは、都市防衛でありながら地脈からの魔力補給がほぼ不可能な状況にあるという点だ。
都市防衛で防衛側の強みは、攻撃側より潤沢に魔力を使えるという事。だが、大森林のエルフどもがよく分からない術で地脈を抑え付けており、地脈は涸れ井戸の如き有様だった。
しかし街を砲で攻めるとしたら、ひたすら攻撃を仕掛けて防御用の魔力が尽きるのを狙う削り合いか、兵による攻撃を支援するためのものか。いずれにせよ不利は感じない。
トラウニルの駐屯部隊は、マジックアイテムを動かすための燃料である『魔石』を本国から大量に持ち込んであった。
「しかし、魔石が大規模に買い集められるような動きは無かったはずだが……奴らはこれだけの大砲をどう動かす気だ?
よもや地脈の締め付けを緩め、こちらへ魔力を流して補給するとでも?」
「ですが、もし本当に敵が森の外へ魔力を流すとしたら……」
「ああ。このトラウニルの周辺の地脈は、街の龍律極の制御力の方が強くなるだろう。そうなればこちらも魔力が手に入るから条件は互角以上だ。
畢竟、敵の大砲も魔石頼みとなる。陛下より賜り、この街に蓄えられた21万ユニットの魔石を削りきれると思うなら…………」
削り合いになれば物量の差で確実に有利となる。
そう結論付けかけた樹雫は、見た事が無い変なものを魔動望遠鏡の向こうに確認する。
「……奴らは川に何を設置している?」
「えっ……?」
晶蛇も同じ方を見た。
魔物たちの陣の後方。川の上流。
緑がかった色の肌をした巨人……オーガたちが、イール川をせき止めるかのように何か巨大な設備を嵌め込もうとしている。
真鍮の濾過器か水門のようなものが組み立てられ、櫛の歯をこすように川の水が流れていく。
「分かりませんが……」
「……まさか」
あれは樹雫の知識には無いものだ。
しかし、双方の軍が戦略的にどのような状態に置かれているか、それを考えた時、最悪の閃きが樹雫の脳裏をよぎった。
「おい、誰でもいいから外に居る者に連絡を取れ!
イール川を魔力が流れていないか調べさせろ! 今すぐだ!」
「は、はいっ!?」