[3-47] 会議は歩く
その廊下は目も眩むほど真っ赤に塗られていた。
床と天井には花の如き華美な模様が規則的にどこまでも並び、透かし彫りの格子によって左右の部屋と隔てられている。
そんな長く広い廊下を闊歩する者たちがある。
先頭を行くは、赤と黒の衣を纏った若い男。ケーニス帝国皇帝・竜淵。
その背後に侍る数人は、この国の高官たちだった。
竜淵はこの一団の中でも小柄な方であったが、誰が見てもそのような些事には思いも至らぬほどの覇気をみなぎらせ、他の者らを率いていた。
「どうやら事態は医療福祉だけでなく、軍事の側面からも見るべきであるようだ。
……星環」
「は。仮にこの病が意図的に広められたものであれば、目的はカデニス公国を病で冒すことによる帝国青軍への妨害。
これを解消されぬよう、あらかじめポーションの材料を買い占め、さらに比較的最近帝国へ編入され政治的に不安定な地域に感染を伝播させることで、カデニス公国に対する資源の集中投入を難しくする狙いがあるものと考えられます」
折り目が見当たらぬほど完璧に官服を着こなしたエルフが、名を呼ばれただけで全て承知とばかり答える。
奇妙な病がケーニス帝国に広がっていた。
初めは占領地であるカデニス公国にて。続いて、自然に感染拡大したにしてはあまりにも早いペースで国内へ。
魔物との戦いの最前線に長く身を置くケーニス帝国は、当然のようにこれを呪いの病と疑った。
神官たちの祈祷は流行病の流行を抑える。
まして、悪しき神々の遣わした呪いの病が相手とあれば尚更だ。
邪なる者たちの陰謀であるなら、人族が協働してこれに当たるべきなのだが……今に限ってそれは難しい。音頭を取るべきディレッタ神聖王国と被害を受けたケーニス帝国の関係が、建国以来最悪とすら言える状態だからだ。
元々、ケーニス帝国とディレッタ神聖王国の関係は良好とは言い難いものだったが、帝国が山脈の『散歩道』を手に入れ、山向こうの橋頭堡を築いた事で一触即発となった。
この状況でディレッタ神聖王国の……即ち、『中央大神殿』の助勢を得て呪いの疫病に対することは難しい。
その弱みを『シエル=テイラ亡国』は逃さず突いてきた。
いや、そもそも山脈の道からして彼女らが帝国に投げて寄越したものであるのだから、最初からここまで考えて動いていたのやも分からない。
「まさか奴らがルガルットを手懐けおるとはな。
……青軍の状況は?」
「感染者は出ておりますが、神聖魔法とポーションによって状況は制御されております。
ただ、補給は難しくなりましょうな。現地は当然、後方から送る人員にも感染対策がなければ。
また兵の士気も落ちております。既に『臣籍』の無い兵を前線に回すようにとの要望が」
「その判断は貴様に任せる。
……病を広めておるのは悪魔か邪術師か、その使い魔というところだろう。青軍で対処できるか?」
「おそらくは。
可能な限り早く、元凶を探し出して排除致します」
星環の返答は落ち着いたものだ。
相手が何だろうと青軍が後れを取ることはない。
悪魔だとしてもだ。悪魔とて神に違いはなく、人の基準からすれば不滅に近いのだが、彼らが無償で無限に何者かに協力するという事はあり得ず、痛打を与えれば『これ以上は付き合えぬ』とばかり月へ還って行く。青軍の猛者たちなら、その程度の仕事はこなすだろう。
厄介なのはむしろ、強い相手よりも逃げ隠れする相手なのだが、だとしてもやはり時間の問題だ。
――魔神から病を授かるために、何を代価として捧げたにせよ、それなりの出費を強いられたはず。
同じ矢を二度は放てまい。こちらはただ被害を最小限に抑えればいい。
竜淵はあくまで大局からものを見る。
無制限に疫病をばらまくようなことは魔王軍でさえできなかった。
神々は聖邪を問わず、自ら恩寵を賜わすことには抑制的で、乞えば応えるが大抵は何らかの対価を要求する。
この疫病が大した成果を上げずに抑え込まれれば、"怨獄の薔薇姫"はかえって損を被る格好になるだろう。
「そのようにせよ。
……貴様は青軍が仕事をするまで状況を維持せよ、午照」
「御意。
感染者の隔離措置、感染者増大地域の地域的隔離措置、衛生維持のための石鹸配布を準備。水際となる地域での感染拡大抑止のため活動する衛生術師団も一両日中に編成予定です。
また、非魔法薬の増産をギルドに要請しております」
エルフらしく華奢な星環よりもよほど武人らしい隆々たる体躯をした、壮年の男が恭しく応じる。
帝国行政の長である、宰相の午照だ。
「よかろう。元凶を断ち次第、ポーションをばらまいて疫病を一息に制圧する」
「ははっ。治療用ポーションの代替レシピの選定も済んでおります」
午照の後には、医療行政を専門とする高官数名が続き、そのうち一名が書類を午照に手渡すと午照は歩きながらそれに目を通した。
「国内生産では……」
「足りません。目標のおよそ半分ですな。長引けば更に不足しましょう」
『人道支援』あるいは『魔との戦い』という名目で、ディレッタにたかることはできないかという考えが竜淵の頭を掠めた。
ケーニス帝国ならまだしも、占領地であるカデニス公国の民を見捨てることはディレッタの威信を傷付けることになるだろうから。
しかし結局は、支援を表明だけして、なんだかんだ理由を付けて手続きを遅らせてくるだろう。ケーニスの民を人質に外交的譲歩を迫るカードに使ってくる。
その未来が竜淵には手に取るようにハッキリ見えた。
「……なれば余がファライーヤに話を付けるとしよう」
「はっ。瑠紗に手配を急がせます」
「大陸を半周する航路だな……時間も金も掛かるが仕方が無い」
ファライーヤ共和国から買い付けるのであれば、最新の高速船で輸送ができる。距離が距離なので時間は掛かるが、半端な距離の国から陸路を運ぶくらいならこの方がまだ早かった。
民間から買い付けるにしても外交は必要になるだろうが、ファライーヤとケーニスは今のところは直接争う間柄になく、関係は比較的良好だ。
――魔動機関船か魔化高速船で運ばせるとして……手配も含めて概ね二ヶ月か。フクレツユクサの収穫期を待つよりはまだ早い。いずれにせよ、保険を掛けるならここで買い付けておかねば。
それまでは少量ずつでも構わぬから、近場で買い集めてしのぐとして……
「干戈を交えるばかりが戦にはあらず、か」
「主上……楽しんでおられますね?」
「フッ」
ほのかに呆れた様子もある星環の言葉を、竜淵は特に否定しなかった。
――未だ、賽は余の手の中にある。
これで勝てるとは思っていないだろう? 次は何をする、"怨獄の薔薇姫"。
廊下に置かれていた花瓶の花が、不穏に蠢いた。
公開しそびれていた、1巻向けの設定画を活動報告にて公開しました。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/977381/blogkey/2595609/
怨獄の薔薇姫書籍版2巻は7/4(土)発売です。
丹精込めて作り上げた一冊ですので、どうかよろしくお願いします。