[3-10] ゴーホームクイックリーとは言えない
獣の皮を張ったドラムが最高潮のビートを刻み、細い木の幹を丸ごと使った朴訥な縦笛が重低音を奏でる。
朝日を浴びる石の祭壇には、部族の狩人たちが仕留めた暴撃猪の頭部と心臓が捧げられ、香が焚かれていた。
その前で向かい合う、大小の人影。
共に、木の皮を編んだような冠を着けている。もっとも、片方は冠を直接頭に被っておらず……と言うか頭部自体が存在せず、切断された首の上に無理やり冠を重ねていたが。
大きな方の人影は、オーガの大酋長・ンヴァドギ。
隆々たる上半身には一糸まとわず、代わりに石棍棒のものと同じように原色系のペイントが施されている。しかしそのペイントも、滝のような汗によって半ば滲んでいた。
呼吸が荒く、肩を上下させているのは、ダメージのためかスタミナの限界か。彼の足回りから腹部にかけては、痛々しい痣が既にいくつも刻まれていた。
対するは、真白く細くペイントまみれの上半身を晒した、首無し状態のルネ。
呼吸は……そもそも頭部が無いのだから不可能だ。それどころか汗一筋かいていない。
というのは単にルネがアンデッドだからなのだが、疲労困憊し満身創痍のンヴァドギと向かい合えば、この上なく残酷に優劣を示す絵図ではあった。
「ウゥバアアアアア!!」
野獣の咆哮と形容するに相応しい雄叫びを上げ、ンヴァドギが巨大なペイント石棍棒を振り下ろした。
叩き潰すことしか考えていない一撃にルネは応じる。
地面を踏み抜くように片足を突っ込んで踏ん張り、両手で持った棍棒を上薙ぎに振った。
空中で棍棒同士が撃ち合い、軌道を逸らされたンヴァドギの棍棒は地面に叩き付けられた。
戦いを見守るオーガたちから、悲鳴とも歓声ともつかない声が上がった。
「はああっ!」
戦いの場を囲むギャラリーの中、ウダノスケが捧げ持つルネの頭部は気合いの声を上げた。
即座に地面から足を引き抜いたルネは、棍棒を引きずるように前方へ飛び込む。
スライディングでンヴァドギの股下を潜り抜けたルネは起き上がりざま、遠心力を乗せてンヴァドギの膝裏を打ち据えた。
「グッ……!」
手応えは微妙だが、さしもの筋肉魔人も膝を折る。
下半身にダメージが累積して足下が不安定になってきていたところに『膝カックン』を受けてはひとたまりもない。
バランスを崩してンヴァドギが背中を丸めかける。
そこにすぐさまルネは飛びついた。
汗が滲んだ背中を蹴りつけ、広い肩を踏み台にして。
「取った!」
「ウガッ!?」
ルネが真一文字に振り下ろした石棍棒が、ンヴァドギの頭にクリーンヒット。
冠が叩き潰され、一拍おいてから、ノックアウトされたンヴァドギの巨体が伐り倒された木のようにドウと倒れた。
「しゅ、酋長!?」
「そんな、酋長が……!」
オーガたちは今度こそ悲鳴を上げる。
神官は祝詞を忘れ、楽士は演奏を忘れ、驚天動地の事態に狼狽えていた。
救護班らしきオーガたちが木製の器に収めたポーションを抱えてンヴァドギに駆け寄った。
戦いが終わったと見て取ったアラスターがルネに外套を羽織らせ、ウダノスケが預かっていた頭部を返す。
冠をのけて首に頭を乗せたルネは、唖然とするオーガたちを見回した。
「……冠は潰したわ。これで私の勝ちってことでいいのよね?」
「あ。う……勝者、ルネ……ゆ、ゆ、勇士の健闘を称え、も、以てごの戦いの、を、さ、捧げ奉り……」
極彩色の鳥の羽根で身を飾り立てた神官オーガが、ようやく我に返って震える声で祝詞を述べる。
決闘は果たされ、ルネは勝利した。
つまりンヴァドギが支配していた部族の支配権を、ルネが奪い取ったということになる。
「う、ウグ……勝でながっだ……」
「酋長!」
ポーションを飲まされたンヴァドギが頭をさすりながら早くも起き上がる。
いくら不安定な姿勢だったとは言え、デュラハンの怪力で頭をぶっ叩かれて潰れトマトにならないのだからあきれた丈夫さだ。まあ冠が多少はクッションになったのだろうけれど。
「勝敗は決した……オデは、従う……」
「その前にいいかしら。
……魔法NGとか言っといて練気術使ってるじゃないのよ!!」
悔しげながら負けを認めたンヴァドギが、ぽかんとした表情になる。
魔法は軟弱者の技であり、決闘の場では認められない……
と言っていたンヴァドギだが、戦いが始まるなり彼は≪完全なる躯≫の練気術で自己強化を掛けて襲いかかってきたのだ。
練気術とは、生体魔力をテコに自らの肉体を変化させる術。
自己強化や、魔法のような体術を実現するものだ。
……と言うかぶっちゃけ、原理としては魔法だ。
習得には自らの肉体を鍛える必要があるため、術師よりも戦士たちが使っている技能だが、何をどう言い繕おうが魔法だ。
「あれは魔法でばない! 戦士の技だ!」
「あなたがどう言っても原理は一緒よ!
……はあ、もういいわ。二度も三度もこんなシチュエーションは無いと思うけど、わたしも練気術とか練技の訓練しといた方がいいのかしら」
白兵戦はデュラハンの身体能力頼み、必要なら魔法で自己バフを掛ければいい……
そう考えていたルネは練気術を使った経験が無く、苦戦を強いられた。
装備を媒介とした高度練体術……練技に至っては習得すらしていない。
ともあれ、真っ向からの打ち合いをなるべく避けることでルネはンヴァドギに勝利した。
ンヴァドギの戦闘術は、あくまでオーガ相手の……つまり自分と同程度に大きく力強く鈍重な相手に対するためのものだ。
軽快に動き回ることでルネは優位を取った。
しかし、この勝利を喜んでばかりもいられないとルネは考える。密林に長年閉じこもって世代を重ねたオーガたちは同族同士で武を鍛え続け、人族との戦いの経験が乏しいのだ。
速さを生かす敵と戦った時にことごとく敗れるようではいけない。戦場でサポートする方法を考える必要があるし、オーガたち自身にも訓練を積ませなければならないだろう。
「それじゃ、戦いの前に言ったとおり。あなたは今まで通り大酋長でいいわ。
ただしあなたが責任を持って、部族の構成員全てをわたしに従わせること。いいわね?」
「分かっだ……いや、分がりまじだ」
ンヴァドギが座り直し、土下座か礼拝か分からないが伏して礼をする。
戦いの場にいた全てのオーガたちが雪崩を打つようにそれに習い、ルネを中心に土下座の輪を作った。
「アラスター。今後の行動プランについて詰めておきなさい。
エヴェリスたちが帰ってきたらすぐに引っ越しだからね」
「はっ」
「……っと、その前にやっておきたい仕事があったわ」
手の中に赤刃を生みだしたルネは、その切っ先でクイとンヴァドギの顎を持ち上げ目線を合わさせる。
「ちょっと密林の道案内をお願いしたいの。
なるべく見た目が立派な戦士を数人用意なさい」
ンヴァドギの灰色の目に疑問の光がよぎった。
* * *
密林のこの辺りの地域には、オーガの部族がいくつか存在する他にも、まだ魔族が住んでいた。
そこは葦のような草を編んで作った、大きなドームだった。
煙出しの穴みたいに隙間を作って編まれた天井から日の光が差し込み、草を編んだ緑の絨毯を輝かせている。不思議なことに草の絨毯は、生きた草のように瑞々しかった。
ドームの奥の方はビーバーの巣みたいに一部が浸水し、川の中に通じている。
「かしこまりました……我ら一族、姫様に服従致します」
ルネと対座する、干物のようなトカゲが頭を垂れて恭順を誓った。
直立したトカゲのような魔族、リザードマン。
概ね流線型の滑らかな身体をしているが、頭部や肩や背中の辺りは鱗が濃く厚くなっていてドラゴンっぽくもあった。
鱗が柔らかい腹部には刺青を刻み、その上から巨大魚骨の鎧を身につけて守っている。
彼らは水に親和的な種族であり、水辺や水中で生活している。
本来は陸上でも活動できるが、この密林のリザードマンたちはオーガと競合することを恐れて地上進出を控えていたようだ。
ちなみに、例外はフォージが火を噴きすぎて山火事が発生した場合。密林が消失しないよう彼らが消火活動に当たっていたらしい。
リザードマンの族長であるフルシュシルレギィが無条件降伏を宣言すると、川辺の集会場に集まったリザードマンたちはどよめいた。
二重の列を作って円座した彼らは、しゅるしゅると蛇のような声で囁き合う。
「族長、しかし……!」
淡い藍色の鱗をした若いリザードマンが円座の中から立ち上がった。
彼の剣幕にフルシュシルレギィは一瞬怯んだような仕草を見せるが、重く沈んだ目をして睨み返す。
「勝てると思うなら槍を向けてみるがいい」
「ぐっ……」
若いリザードマンは言葉が続かない様子だった。
ルネはこの場に押しかけるに当たって、自らの邪気を抑制せず垂れ流しにしている。
邪神の眷属たる魔族であっても震えが来るほどの邪悪な気を纏い、辺りを威圧しているのだ。
よほど鈍い者でなければ実力差を察する。
さらには、集会場の入り口に行儀良く座っている鋼鉄の獣、ここまでルネが騎獣として乗ってきた"絢爛たる溶鋼獣"ことフォージ。
そして、ルネの背後で窮屈そうに身をかがめて控えている選りすぐりのオーガ戦士たち。
リザードマンたちが恐れていた『地上の脅威』すら従えてルネはやってきた。
それが何を意味するか。
ンヴァドギが思わせぶりに首を鳴らすと、リザードマンたちがおののいた。
「……母なる森と河を捨てて生きていけるか!
弱腰じじいが!!」
立ち上がった若造は、拳の下ろし所を見つけられなかった様子で……しかしここで突っ張るほど向こう見ずでもなかったようで、肩を怒らせて集会場を出て行った。
後には落ち着かない空気が残っていた。
「その、お見苦しいものを……
申し訳ありませぬ、我ら、決して逆らおうなどとは!」
「分かっているわ」
フルシュシルレギィは慌てて取りなす。
そんな族長の姿に、周囲からは苦々しい感情が湧き上がるのを、ルネの『感情察知』能力は読み取っていた。
失望ではない。どちらかと言うと「だろうな」「知ってた」という反応だ。
――うーん、求心力の無い族長ってところかな。若手のホープなんかが台頭してきたら、絶対に部族を割った内乱とかになってたでしょうね、これ……
この部族の族長がどのように継承されているかルネは知らないが、軟弱な老いぼれ族長の支持率は今ひとつな模様。内心では、さっきの若者みたいに考えているリザードマンが少なくないということだろうか。
まあルネの要求はただ服従するだけでなく「長年の住処を捨てろ」ということまで含んでいたのだから、唯々諾々と従う族長に不満が向けられるのも致し方ないことか。
しかしこの状況でフルシュシルレギィはむしろ、内心飛び上がりたいほどにはしゃいでいて、縋るような感情をルネに向けていた。
編み草の座布団に座ったまま、ルネは目を細めてフルシュシルレギィに視線を射かける。
「……族長。あなたがよく従うのであれば、協力は惜しまないわ。
わたしは忠実な兵が欲しいの。躾をしておきなさい」
「は、ははっ!」
フルシュシルレギィが頭を下げる。
彼にとってルネの来訪は渡りに船だったようだ。部族の中で求心力を失っていたフルシュシルレギィは、圧倒的征服者であるルネの名代となることで権勢を維持できる。戦ったところでどう考えても勝てないのだから、服従の道を選ぶことそのものは批判されがたいだろう。
一方ルネも族長に首輪を付けることでリザードマンの部族を容易く掌握できる。
つまりWin-Winの関係だ。
ルネはリザードマンの集会場を見渡す。
視線を向けるだけで皆、射すくめられたようになり、反抗しようとする者は居なかった。