表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
318/414

三百十話

「いや、いいって。俺は……とりあえずカイヴォンのベッドで寝るからお構いなく」

「その方がお構いしますよ! でしたら私のベッドへどうぞ」

「いや、マジで勘弁してくれ……リュエもそんな不貞腐れないで……おい助けろカイヴォン」

「まぁ複雑だよなぁ……やっぱりお前自分の部屋戻ったら?」

「そ、それだとダリアが可愛そうじゃないか。いいかいカイくん、旅の計画を建てる時は、みんなで寝っ転がりながら楽しくやるのが一番なんだよ?」

「それには賛成するんですけどね……しかたない、ダリアお前俺のベッドで寝ていいぞ、代わりに俺が……」


 レイス、無言でマクラを取り出して自分の隣に並べだす。

 リュエ、キラキラと目を輝かせながら毛布をめくる。

 ダリア、心底面倒くさそうに寝っ転がり始める。

 ……まぁダリアとしては、女性と寝るのにまだ心が拒否反応を示すのだろう。

 五◯◯年の年月は人を変えると思っていたが……やっぱりまるっきりかわるって事はないんですね。いや気持ちは分かるが。

 昔はよく雑魚寝したり狭い場所で適当に寝っ転がったりしたもんだが。


「よし、じゃあお前マクラな」

「ウゲ、重い」

「ああーダリアが取られた」

「カイさん……」


 もうダリアの中身は男だって説明した方がいいような気がしてきましたよ。

 ……けど完全にそういうわけでもなさそうだしなぁ、本当に面倒だなお前!


「うー……じゃあとりあえずマクラにも発言権をくれ。さっさと計画建てるぞー」

「あいよ。じゃあ早速地図を開くぞ」


とりあえずダリアを確保。

 この後、深夜に屋敷を抜け出す必要があるのだ、今日ばかりは俺が引き取らねば。

 明日からはまぁ……リュエの玩具にされると良いのではないでしょうか?


「じゃあ、まずこの地図を見てくれたら分かると思うんだけど、出口は共和国の国境を越えてすぐの森に繋がっているんだ」

「ふぅむ……この距離を繋ぐ、か。実距離の一◯倍以上離れた距離だぞ、どうなってんだよ本当」

「ダリア、それは違うよ。ここを普通に場所、ただ隔絶された土地だって考えるからダメなんだ。ここは、一種に狭間の地。術式が具現化する前の、曖昧な場所なんだ」

「……は? いや、確かにそれなら説明は出来るが……じゃあ何か、そんな転送術式紛いの物が実用化されてるって事なのか? 革命が起きるぞ、あらゆる分野に」

「はい、そこ二人盛り上がらない。まず注目すべきはこれだ」


 興奮気味なマクラを宥めつつ、この地図上に記されている、出口最寄りの街の名前を指し示す。

 そこには、確かにこう書かれていた。

『シンデリア』と。つまり、リュエへ料理を備えていた一族の末裔が今も暮らす地。

 里長が言うには、この隠れ里を出ていった人間も多く暮らしているらしく、既にそこで家庭を築いている人もいるそうだ。

 ……あれ? でもこの街の名前を教えてくれたのって……。


「ああ! そうだ、この街だよヴィオちゃんの出身地!」

「あ! じゃ、じゃあここに行けば彼女に会えるって事だね」

「私が行きたかった共和国側の出口の街と、カイさんの行きたかった街、そしてヴィオさんの出身地が一緒だなんて、凄い偶然ですね」


 なら、ここに行けば土地勘が強いであろう彼女に協力を仰げるのではないだろうか?

 するとその時、意外な人物から彼女についての話題が振られた。

 そう、マクラ……じゃなくてダリアだ。


「ん? お前らヴィオの事知ってんの?」

「え? なんだ、ダリアも知ってるのか」

「そういえば、ヴィオさんはこちらの大陸でもかなり名が轟いている人なんですよね」

「あ、ああ……いや世間は狭いな。一応確認するが、そっちの言ってるヴィオってのは、髪が紫色の“ハーフキャトネイル”だよな?」


 ダリアが聞きなれない単語を口にする。

 それが、恐らくヴィオちゃんの種族名なのだろう。

 こちらも、俺達の知る彼女の容姿を伝えると、やはり同一人物で間違いないようだ。

 だが、続けてダリアは――


「なら、シンデリアはヴィオの出身地じゃないぞ。あそこを拠点に活動していたが、今もそこにいるとは限らないんじゃないかね」

「そういえば……この大陸に来てすぐ、なんか騎士みたいな連中と一緒にどこかに行ったような」


 あの時は直接姿を見ていた訳ではなかったが、少なくとも聞こえていた音から周囲の状況を察するに、大勢の鎧を着た人間に連れられていったように思える。

 それをダリアに伝えると――


「ほー……となると一度故郷に帰ったのかね。何年ぶりの帰郷だろうな、あの放浪娘は」

「なんだ、ダリアは知ってるのか? 彼女の出身がどこなのか」


 一先ず、俺達とヴィオちゃんの関係を、そしてどういう経緯で知り合い一緒に行動していたのかをダリアに話す。


「へぇ、レイスはヴィオに勝てたのか。大したもんだよ、マジで。じゃあつまりレイスは今、この大陸じゃ十本の指に数えられる猛者って事になるな」

「そ、そうなんですか……ちょっと照れてしまいますね」

「ちなみに一番は誰なんだ?」

「お前がここにいる以上、お前が一番だろ。暫定一位のシュンを倒したんだ」

「あんなの勝負じゃねぇよ。どっちも本気じゃなかった、だろ?」

「……シュンはあれが今出せる全力だったんだけどなぁ」


 あいつもあいつで、何か制約でもあるのかね。


「ま、とにかくシンデリアに行ってもヴィオと会うのは無理だろうな。というか……そんな大挙してあいつを迎えにきたって事は……なんかきな臭くなってきたな、あちらさん」

「共和国との関係が友好的な物って訳じゃないのは知ってるが、実際のとこどうなんだよ」


 するとダリアは、うむむと唸りながら、ゆっくりと語り始めた。

 共和国。つまり複数の集まりが手を取り合い、一つの国として成り立っているという事。

 だが、その元々の国同士が友好的な関係を築けていた訳ではないという。

 というのも、この大陸の覇権を争っていたところ、突如エルフ達が現れ、それに対抗する為に仕方なく手を取る道を選んだのだそうだ。

 だが、そこに更に七星の暴走が加わり、今度はその出来たばかりの同盟と、敵対していたエルフ達とも手を組む事に相成った。

 その同盟が今のセリュー共和国で、敵対していたエルフ達が今のサーズガルド王国だと。

 おいおい、そんなの烏合の衆もいいところじゃないか。そりゃきな臭くもなるだろうよ。


「元々四つの国だったんだ、共和国は。んで、その中でもタカ派、つまり一番喧嘩っぱやいとこで頭角を現していったのがヴィオなんだよ。一応、互いに代表の親族同士を人質、もとい特使として預けあってるから、これまで長い間大きな争いもなかったんだが……」

「うわぁめんどくせぇ……」

「まぁ、どのみちシンデリアには行くのは確定だ。その後どうするかは、そっちの意見を参考にして俺も動くさ」


 そう締めくくるマクラ。もといダリア。

 真面目な話をしている最中だというのに、喋る度にこちらの頭にダリアの腰から声が響いてきて耳がくすぐったい。

 しかし華奢だなこいつ。俺のマクラになるにはちょいと高さがたりないな。


「ほへ~……なんだか凄いところだね共和国って。道理でヴィオちゃん、その辺りの人間とは比べ物にならない殺気だった訳だ」

「ははは、だろ? この国で武者修行の旅をしていたが、結局俺に負けた後、国外に行ってたんだなぁ……ちょいと羨ましいぜ」

「ふぅむ……けどそうなると他にアテがないな。察するに、ヴィオちゃんの国に今向かうのは、お前の立場的にも結構危ない橋を渡る事になるんだろ?」

「ご明察。実は、少し前にシュンがヴィオの故郷、旧“エルダイン”国に行っていたんだよ。内戦の鎮圧の為にな」


 聞けば、昔から今に至るまで、幾度となく国の代表が簒奪により入れ替わってきたらしいのだが、共和国入りを果たしてからは、ずっと同じ一族が代表を勤めてきたという。


「少し前に、エルダインの代表が共和国を抜けるって、共和国を統括している国に喧嘩をふっかけたんだよ。色々と危ない手段も使ってな。事態を重く見た俺達は、そこにシュンを派遣した。結果、武装蜂起は失敗。だが……そこにヴィオを呼び戻すって事は――」

「諦めていない……か?」

「分からんね。弱体化した状態で他の一族に代表を蹴落とされる心配をして、戦力を増強したって線もある。だが、なんにしても俺が今行くにはちょいとリスキーだ。ヘタに刺激したくはない」


 確かに、そんな状況でサーズガルドの聖女であるダリアが向かうのは危険だ。

 ヴィオちゃんには悪いが、再会は後回しにせざるを得ない、か。


「俺達は現状、共和国がどういう場所でどこになにがあるのかも満足に分からないんだ。だからダリア、もしやらなきゃいけない事があるなら、そっちを優先してくれてもいいぞ、付き合ってやる」

「そうですね、私も現状、行きたいと思っていた場所はシンデリアだけですし、おまかせしますよ」

「うんうん。私はシンデリアで“リュエフライ”を食べられたらそれでいいかなって」

「なんだそのリュエフライって」


 あ、魔女のつまみ食いの事です。どうやらこの呼び方、恥ずかしいんだとか。

 ともあれ、俺もシンデリアに行った後の事は考えていないのだし、そもそもダリアがフェンネルに挑む大義名分を得るのを待っている、という側面もある。

 ならば、向こうに行ってからの行動方針をダリアに決めてもらうのは悪い選択ではないだろう。

 それを伝えると、露骨に面倒そうな声をあげるマクラ。

 おら、面倒くさがらないで旅の計画を立てろ、こら。ぐりぐりぐり。


「やめい! あー……じゃあシンデリアから最寄りの国に行くか? 封印の拠点は各国にそれぞれ一箇所ずつあるんだよ。一応、代表達を監督役にしているんだが……」

「ほほう、じゃあ諸国漫遊って事だな? いいじゃないか、それ」

「忘れてるみたいだが、それはつまりエルダインにもいつかは行かなきゃいけないって事だからな? マジで勘弁してくれよ、俺達が開戦の引き金になるのだけは……」


 そいつは保証しかねるなぁ? オラオラ、じゃあ最初に向かう国について詳細プリーズ。


「おいおい……今日はこんなもんでいいだろ……俺もう眠くなってきたんだが」

「しゃーないな。リュエ、レイス、今日は一旦ここまででいいかい?」

「ええ、分かりました。ふふ、本来もっと切迫した状況だと分かってはいるのですが……諸国漫遊と言われると、少し胸が高鳴ってしまいますね」

「そうだねぇ……どんな場所が……あるんだろうねぇ……」

「あらら、もう半分寝てるじゃないか。じゃあ、照明落とすよ」


 眠そうな彼女の言葉に、レイスと顔を見合わせる。

 そして明かりを落とし、窓から星の光もなにも差し込まない、漆黒の闇に包まれる。


「おやすみなさい、カイさん、ダリアさん、リュエ」

「おやすみ、みんな」

「……俺本当にこのままなのか? 重いんだけど」

「我慢しろ」


 そうして目を閉じ、呼吸を落ち着かせて身体の力を抜く。

 二人が寝静まるまで、ただ静かに時の流れを闇の中で感じていく。

 次第に、聞こえてくる呼吸音も静かになり、こちらの意識も少しだけふわふわと、まどろみに浸かり始める。

 と、その時、マクラと化したダリアが、こちらにだけ聞こえるような小さな声で話しかけてきた。


「……楽しそうに、話すんだな。二人とも」

「……ああ。ずっと旅をしてきたんだ、新しい場所に興奮しているんだよ」

「やっぱ、羨ましいよ」

「お前も一緒だろうが。らしくないぞ」

「ああ、私も一緒だ」


 そこに、触れはしない。

 そのまま再び、無言で時を過ごす。

 そうして闇の中でどれくらい過ごしていただろうか。

 ふいに、部屋の扉を小さく叩く音が聞こえる。

 指先でかるく突くような、ノックと呼ぶには柔らかな音。

 もうそんな時間かと、ベッドから起き上がり、足音を殺してダリアと共に部屋を出る。


「あら、ダリアさんも一緒でしたか。お楽しみの最中だったのでしょうか」

「なんでそうなるんですか……今後の方針を決めていたんですよ」

「なるほど。では、ダリアさんは私と一緒にワインセラーへ向かいましょうか」


 二人と別れ、俺はまた漆黒の闇の中、あの森へと向かう。

 相変わらず方向感覚が狂いそうになる、光のないその場所を通り抜ける。

以前とは結界の構造が変わった影響か、彼女のカプセルがあった場所までもが月明かりの差さない闇へと変わっていた。

すると、ぼんやりと青白い光が漏れているダリアの作業小屋が見えてきた。


「へぇ、しっかり起動してると淡く光るんだな、このカプセル」


 荷台にそのカプセルを乗せる。

 かなりの重量だが、運べない程ではない、な。

 そうして、再び来た道を戻っていき、里長の屋敷の裏手へと回り込む。

 すると、少し前まで燻製器を設置したり、一緒に剪定したりしていたバラ園の中央に、大きな地下へと続く階段が現れていた。

 一先ずその中に足を踏み入れると、外にくらべて肌寒い、ひんやりとした空気が身体を包み込んだ。

 土の香りと、少し呼吸に違和感をおぼえる湿度。なるほど、これは良いワインセラーだ。

 階段を下りきると、想像以上に広い空間が広がっていた。

 いくつもの樽が壁に備え付けられたチェストに並べられ、他にも多くの瓶が、まるで埋め込まれるようにして壁に収納されている。

 そんな光景を見ながら奥へ進んでいくと、丁度ダリアが地面に光る文字を書き込んでいるところだった。


「お待たせしました」

「お、丁度こっちも終わるとこだ」

「お疲れ様です。この場所にカプセルを運んでもらいたいのですが、階段を下りるのはお辛いでしょう? 私も手伝いますよ」

「え、じゃ、じゃあお願いします」


 階段を上り、荷台に乗ったカプセルの前まで戻ると、里長はどこか懐かしむようにそれに手を触れる。


「……懐かしいですね。これがちゃんと動いている姿を見るのは」

「やはり、これが壊れてからだいぶ時間が経っていたんですか?」

「ええ。さて、では私が前の方を持ちますので、カイヴォンさんは後ろの方を」


 小さな体で、軽々とカプセルの前方を片手で持ち上げる里長。

 ええ……その身体のどこにそんなパワーを隠し持っているんですか……。




「よし、設置完了。それにしてもいい場所だなぁ……里長はワインが好きなんですかね」

「いえ、私はアルコールの類はあまり好きではありません。これは前任者の趣味です」

「ええ……じゃあこのワインってどうするんですか?」

「売ってお金に変えるくらいでしょうかね? ただ、貴重な品ばかりなのであまりおおっぴらに流通させる訳にはいかないんですよ」


 こらそこ。物欲しそうな目で眺めるんじゃない。俺も欲しいけど!

 やめろ、今度は財布出し始めたぞこいつ。


「ごめんなさい、ここで暮らす上では余分なお金を持つ必要がないのですよ」

「ぐぬぬ……じゃ、じゃあ交換でどうですか? な、それなら良いだろカイヴォン」

「ふむ」

「物々交換ですか。構いませんよ、聖女である貴女がどんな物を見せてくれるか興味があります」


 突然始まった交渉を余所に、ワインセラーの中を見て回る。

 樽の色から察するに、一◯年じゃ二◯年じゃ利かない年月を過ごしてきたであろう逸品達。

 ……先代となると、リュエの教え子の一人である、ナハトの一族の人間のコレクションって事だよな、これらは。

 そういえば、リュエもワインが好きだったっけ。


「こっちはもっと古そうだな……魔術かなにかで樽の劣化を遅らせてるのかね」


 次第に、朽ち掛けていたり、中には完全に壊れて中身が乾いてしまったものまで見えてくる。

 この辺りになると、それこそうん百年と時間が経っていそうだ。

 だが、そんなほとんどダメになってしまっている一角で、一つだけ無事な姿を保っている樽を見つけた。

 見れば、樽全体に細かい彫刻が施されており、それらが何か魔術的な物なのだとあたりをつける。

 ……ふむ。余り大きくはない樽だ。二◯リットルサイズだろうか。

 一先ず二人のところへ戻ると、ダリアが丁度ワインの瓶を二つ、大事そうに抱えているところだった。


「お、目当ての物が見つかったのか?」

「ああ! 見てくれよ、これ三百年前に最後の一本が飲み干されたって言われていた、伝説のロゼワインだぜ。当時の苗木も戦争で無くなり、もう二度と飲めないって言われていた逸品だ。神酒とまで呼ばれていた逸品だぜ!」

「そこまで良い物なのでしたら、もう少しふんだくればよかったでしょうか」

「そ、それは勘弁。今あげたジャムだって凄い貴重な物なんだから……」


 なに、そのジャムの方がむしろ気になるんだけど。

 さて、じゃあ俺も少し交渉をば。

 先程見つけた、一つだけ無事だった樽について里長に訪ねてみる。


「あれですか? 前任者が大事に保管していたものなのですが……ふむ、何か考えがおありとお見受けしましたが」

「ええ。ちょっとアレをリュエに見せてみようかと思いまして」

「なるほど。確かにあれはこの里に来る前から前任者が大事に持っていた物です。もしかしたら、リュエさんに関係しているものかもしれませんね」

「それでしたら是非――」


 が、里長はニッコリと笑いながら両手を差し出してきた、

 それはまるで『何かくださいな』と催促しているようで。いや、しているのだ。

 ぐぬぬ……今の完全に『差し上げます』って流れだったじゃないですか。


「……食料くらいしか渡せる物が……」

「ふふ、それではダメです。私では手に入れられない物じゃありませんと」

「うーん……じゃあこれとか」


 取り出しましたは一冊のノート。表紙には汚い、もとい達筆な文字で『ぼんぼんレシピ』の文字が。

 ちなみに書いたのは俺じゃありません。リュエさんです。


「俺が今まで作ってきた料理の全レシピが――」


 その瞬間伸ばされる里長の手。そしてそれを回避するノート。

 シュシュシュ、サササと擬音が見えてきそうな攻防が繰り広げられる。


「それください。あの小さい樽の一つや二つ喜んで差し上げますので」

「待って、待ってください。後で写しを作りますから。まだページが残ってるんですこれ」

「なるほど、物を大事にする精神ですか。分かりました、樽は差し上げますので、後ほど必ずそのノートの写しをください」

「ええ、約束します」


 本当はおみやげとしてただであげるつもりだったんですけどね?

 すみません里長。もう俺のアイテムボックスに貴重な物なんてレイスのカジキマグロくらいしかないんです。

 さすがにあれを勝手にあげたら、暫くレイスに口を聞いてもらえなくなりそうで。

 なにはともあれ、無事にカプセルを安置出来た事により、俺もダリアも、そして何よりも里長も安心して眠れるというもの。

 皆を起こさないように忍び足でベッドに戻り、再びマクラを頭の下に敷き直し眠りについたのだった。


「だから、重いって」

「静かにしろ、マクラ」




 よく朝。深夜に一度動いたせいか、皆よりも遅い起床となって訳だが、何故か行動を共にしていたはずのマクラの姿が見当たらない。

 ふむ、俺が一番起きるのが遅かったとは、結構気疲れでもしていたのかね?

 窓から外を見ても、常に一定の位置に光源があり、色合い約もの動きも何もないこの空から時間を予測する事が出来ない。

 ならばとメニュー画面を開けば、既に時刻は午後一時。完全に休日の親父である。

 この時間では既に朝食、それどころか昼食も終わってしまっているだろうと、このままふて寝に移行しようか、それとも里長に頼まれたレシピの写しでも作ろうかと考えていた時だった、部屋にノックの音が響いたのは。


「カイくーんまだ寝ているのかーい?」

「起きてるよー」


 扉を開き入ってきたのは、何か作っていたのかエプロン姿のリュエだった。

 三角巾がよく似合っておりますね。


「あ、ちょうどよかった。今お昼ごはんが出来たところだから食堂……じゃなくて台所においでよ」

「ん? 分かったよ」


 ふむ、わざわざ台所とな。一体何を作っているのだろうか。

 彼女に続き台所に入ると、そこではアマミやクーちゃん、里長を含めて一同が、緊張した面持ちで――


「なんだ、ダリアが何か作ってるのか?」

「うん、そうなんだ。出来たてを食べるのが美味しいからって、ここで食べるんだって」

「お? 来たかカイヴォン。見てみろ、俺だってやれば出来るってとこ見せてやるよ」

「がんばってくださいダリア様!」

「ダーちゃんがんばって」


 覗いてみれば、何やらフライパンの上に円形の生地が広がっている。

 ふむ……これはお好み焼きか……? いや、しかし材料が圧倒的に足りないはず……となると、もっとシンプルなチヂミや、ねぎ焼きだろうか?

 その時、勢い良くダリアがフライパンを振り、生地をひっくり返そうと試みる。

 だが――宙を舞う生地はそのまま、皆の頭上を越えて行き――

 こちらが素早く手にした皿で、そいつをなんとかキャッチする。


「ほら見たことか。慣れない事はするもんじゃないぞ」

「う……助かった。大人しくヘラでも使うべきだった」

「それにしたって、なんで急にお好み焼き……? 的な何かなんて作ったんだ?」

「いやぁ、里長さんが自家製のソースを見せてくれたんだ。それを見てたらつい」

「なんと! 里長、俺にもそれ見せてください」


 彼女が手にした小さな壺の中には、とろみの少ない漆黒の液体がなみなみと入っていた。

 ツン、と酸味とスパイスの香りが鼻を刺激するそれは、間違いなくウスターソースだった。


「これ、偶然出来たものなんですよ。野菜の余りを何かに利用できないかと、調味料と一緒に貯蔵していたら出来ていた物で、以来ちょくちょく作っていたんです」

「生まれた状況まで一緒とは恐れ入った。里長、実はまったく同じ理由、方法で生まれた調味料なんですよそれ。いやぁ……懐かしい。最高の調味料ですよこれは」

「そうなんですか? ダリアさんもそれで、急に料理をしたいと言い出したのですが」


 なるほど。だがしかし、皿の上のこいつを見た限り、これは……失敗作じゃないかね?

 チラリとダリアに目を向けると、誤魔化すように口笛を吹く真似をしだす。

 吹けないんですね、分かります。


「い、いやあ……なんていうかね? 具のないお好み焼きにソースかけて食べたりしたことあるし、いけるかなーと」

「そんなわびしいもの他の人間に食わそうとすんなよ。それにこれ生地ゆるゆるだろ……」

「やっぱそう? いやぁそうなんじゃないかって思ってたんだよ」

「……残りの生地よこせ、俺が作ってやる」

「おほーっ、んじゃ任せた!」


 折角みんなが集まっているのだ。今ある食材で出来る限り美味しく作って上げましょうとも。

 まず、お好み焼きって生地よりも具、野菜の方が多いくらいなんだ。

 こんな量の野菜じゃあ美味しくないだろうに。

 キャベツとエシャロットを刻み、生地が見えなくなるくらいぶちこんでやる。

 そこに、すりおろしたじゃがいも少々と、生姜の酢漬けを紅しょうがの代わりに刻んで加える。

 後はオインク……もとい豚肉があればいいのだが、今回はベーコンさんを使いましょう。

 なんちゃって豚玉お好み焼きだ。


「ダリアさんが作った物とはだいぶ違うようですね。主に具の量が」

「マジでそんなに入れるものなのか? 完成形からじゃ想像つかんな」

「ああ、俺もそう思うよ。でも焼くとこれくらいで丁度いいんだよ」


 さてさて、それでは本場の方たちには遠く及ばないが、焼かせていただきましょう。

 と、その前に。リュエさんにマヨネーズを出してもらいましょう。

 知ってるんだぞ、君タルタルソースを量産する為に、マヨネーズも沢山隠し持ってるだろう?

 そうして無事に、場外ホームランを飛ばすことなくひっくり返されたお好み焼きは、ふっくらと野菜の間に空気を閉じ込めたまま焼かれ、しっかりと厚みのある形で完成した。

 そこに、里長のソースをたっぷりと塗り、仕上げにリュエさんのマヨネーズをかける。

 残念ながら鰹節や青のりは存在していないが――完成だ。


「ほい特製豚玉完成。とりあえず切り分けるから皆で味見してみてくれないかい」

「えーまるまる一枚食わせてくれよ」

「お前はそれでいいかもしれんが、他のみんなが気に入るとは限らないだろ?」

「ふふ、カイさんが作るものならきっと美味しいはずですよ」


 そう言いながら、我先にとフォークを伸ばすレイスが、パクリと一切れ口に放り込む。

 目を閉じ、むぐむぐと小さく口を動かす様がなんとも可愛らしい。

 すると今度は、くーちゃんがパクパクと二切れ口に放り込む。

 さて、お口にあいましたでしょうか。


「ほふほふ……美味しいじゃないかこの黒いの! マヨネーズに合うねぇ」

「なるほど、このソースに合いますね、この料理は。野菜も沢山とれますし、普段肉ばかり食べている私には丁度いいですね。後でこれもレシピノートに追加してくださいな」


 どうやら好評のようでした。

 勿論、ダリアは既に俺の作った生地を勝手に焼き始めております。

 やめろ、また生地を飛ばす気かお前。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ