第六話:おっさんは命がけのマラソンをする
いよいよ最終エリアだ。
しっかりと片付けをして、出発の準備を整える。
朝食は、すぐにエネルギーに変換されるものを選んでいる。
……なにせ、最終エリアは入った瞬間からが勝負なのだ。
入念にストレッチして全身の筋肉を解す。
「出発前に、もう一度確認する。水分補給とトイレはいいな」
「んっ、だいじょーぶ」
「うわぁ、女の子にそんなこと聞くなんてセクハラだよ」
「私は問題ないわ」
「ティル、あとでお説教です。真面目な会話は茶化さないようにと前にも言いましたよね」
「うげっ」
こんなことを聞くのは意味があってのことだ。
ここから先、息をつく暇もない。意外とトイレというのは厄介な問題になる。
ルーナの前まで行き、口の中に飴を放り込む。
「んんん~~~~~、んん~~~」
ルーナが口を抑えて、尻尾がぴんとたち膨らむ。
しばらくしてから、ルーナが恨めしそうな目で俺を見る。
「ひどい。こんなすっぱい飴食べさせるなんて」
「特製の塩レモン飴だ。これを食べておくと楽になる」
塩分を取ることで水分を逃しにくくなる。また、クエン酸と糖分もたっぷりだから、疲れにくくなるし、エネルギーも補給できる。
「あっ、なにそれ面白そう。私もちょうだい!」
「全員分あるから、安心してくれ」
一人ひとりに渡し、俺も頬張る。
強烈なすっぱさが、口の中を蹂躙する。
……さすがはダンジョン産レモンが材料なだけはある。通常のレモンなんて比較にならないほどの酸味。
元の世界で食べた、あほみたいにすっぱい駄菓子を思い出す。
「うわっ、すっぱぁ、すっぱいのは好きだけど、限度があるよ!」
「でも、逆にくせになりそう」
「少なくとも、疲れなんて意識からふっとぶほどの強烈さです」
全員しっかり特製飴を文句を言いながらも食べ終わる。
「じゃあ、行こうか。最後の試練へ」
「「「「おおう!」」」」
そうして俺たちは、最難関ダンジョンの最終エリアに足を踏み出した。
◇
ダンジョンというのは、奥へ行けば行くほど、ギミックは凶悪になり、魔物は強くなっていく。
そして、ここも例外じゃない。
最終ダンジョン、その特徴は時間との戦い。
「さあ、走るぞ!」
「ルーナはそういうの得意」
「想像以上に、後ろのやつ凶悪だよ!」
「あれ、何かしらね。回転巨大槍とでも言えばいいのかしら?」
「とにかく、前へ行きましょう」
最後の部屋は、初心に戻ってか大理石の迷路。
眼の前には綺麗に舗装された道がまっすぐ続いている。
なんの変哲もない、罠すら存在しない。
……そう眼の前には。
うしろを向く。
なぜか、俺たちが通ってきた扉は消えていて、代わりにとんでもないものが生まれている。
何メートル厚さがあるのかわからない鋼鉄の板が隙間を埋め尽くし、その板の表面には無数の巨大ドリルが超高速回転。
そして、その壁が迫ってくる。
俺たちは走り出す。
「まあ、定番っちゃ定番だよな」
主に2Dアクションゲームでの話だが。
「あの、ギルド嬢生活が長いですけど、こんなの見たことないです!」
フィルがつっこみをいれる。
「くどいようだが、あれに巻き込まれたら一瞬でミンチの出来上がりだ。追いつかれたら死ぬ。そのつもりで走れ」
「そんなの見ればわかるよ! でも、ちょっと実験はしとかないとね」
ティルが魔法袋から、素材として拾っていた【鉄】を取り出す。
ドロップの鉄は純度が高いおかげで、市販品よりも質がいい。
そんな鉄の塊をティルがひょいっと後ろに投げる。
鉄がドリルに触れると、火花を散らしながら、抉れて、鰹節のように薄く削られた鉄が宙を舞い、あっというまに消えてなくなった。
「あははは、鉄であれなら人体なんてバターと一緒だね」
「鉄程度砕けないようなら、まっさきに破壊を試すからな」
ちなみに、あれはオリハルコンすら砕く。
鉄のように、数秒でとはいかないが。
ようするに逃げるしかない。
おおよそ、迫り来る壁の速度は時速二十キロ。
俺たちの中で、敏捷のパラメーターが一番低いのは、壁役のセレネ。
セレネが無理のないジョギングで出せる速度がおおよそ二十キロ半ばと言ったところ。
いつもは壁役故に、重装備なのだが、この地獄の強制マラソンに、そんな重りをつけて挑めば死ぬので盾は装備せず、ダンジョン産の軽い革鎧を身に着けていた。
俺も、いつもは万が一のためにメインウェポンの他に予備の剣を吊るしているのだが【魔法袋】のほうに入れている。
少しでも軽くしたい。
セレネに合わせても、少しずつだが壁との距離を稼げている。
そろそろあれが来るころか。
五分ほど走ったところで、若干息が乱れていた。
『よし、十分距離を稼げたか』
そろそろあれがくるし、みんなの様子を確認しよう。
「おまえらは元気だな」
「キツネは走るの得意」
「ふふんだ。昔から一日中山を走り回ってたもんねぇ」
お子様二人組は余裕しゃくしゃくだ。
あの二人は素早さ補正が高いクラスなのもあるのだろう。
俺やセレネの場合、敏捷が低いため、わりとしんどい。
魔法戦士とクルセイダーの場合、敏捷パラメーターにマイナス補正をくらっているせいだ。
「セレネ、無理はしてないな」
「ええ、これが無理なく走れるぎりぎりってところね」
「そのペースを維持しろ。俺たちはおまえに合わせる。……というわけで、余裕があるルーナとティルには、前方の敵を任せよう」
「んっ、任せて」
「やれやれ、しょうがないなぁ。ティルちゃんが不甲斐ないユーヤ兄さんの分も活躍してあげるよ!」
「……不安なので、私もしっかりと働きますね」
「お姉ちゃんはそうやって、いつも妹のやる気を削ぐんだから!」
前方に敵が出現していた。
一つ目巨人のサイクロプス。
巨人だけあって、天井すれすれの巨体で、横幅も大きい。
そのサイクロプスの脇には地獄の猟犬と呼ばれるハウンド・ドッグがいた。
サイクロプスの巨体のせいで道のほとんどが埋め尽くされ、わずかな隙間を一度獲物を見つけたら絶対に逃さないハウンド・ドッグが埋める。
ようするに、絶対に魔物を無視して先へ進ませないぞという意思を込めた編成だ。
平時なら、さほど苦労はしない。
まずは、速度の速いハウンド・ドッグを誘い出して始末してから全員でサイクロプスを潰せばいい。
しかし、背後から轟音を上げながらドリルが迫ってくる。
ここまでで稼いだ距離と時間以内に前方の敵を倒さねば、背後のドリルでミンチになる。
ティルとフィルの矢が次々とハウンド・ドッグを狙う。
迫りくる死のプレッシャーで走りながら放つという劣悪な条件にも関わらずティルの矢はまっすぐにハウンド・ドッグを狙う。
しかし、フィルの矢は一拍遅れて見当違いのところへ飛んだ。
ティルが首を傾げる。
一流の弓使いでもまともに放てない状況ではあるが、姉が外すなんて信じられないのだろう。
『フィルは外してなんかいない』
敏捷性に優れ、非常に耳が良い魔物である、ハウンド・ドッグは風の流れで矢の軌道を読み、鮮やかにティルの矢を横跳びで躱し、その次の瞬間にはフィルの矢に脳天を貫かれていた。
二匹とも、同じパターンで倒れている。
「ええ、うそぅ。なんで私の矢が外れて、お姉ちゃんの矢は関係ないところ射ってるのに当たるんだよ!?」
「こういう敏捷性と知性、五感に優れた魔物は普通に放ってもあたりません。あなたの放つ矢は躱されると読み、魔物の体勢から回避方向を予測して、そこを狙いました。今回はあなたを利用しましたが、連続で矢を放って、逃げ場を奪い当てるのも重要な技術です」
「ううう、まだお姉ちゃんには勝てないよう」
エルフ姉妹の矢は、速く正確。
だが、ここから先の魔物にはそれだけでは足りなくなる。まっすぐ放っただけの矢など避けてしまうものが多い。
フィルはそういう魔物との戦いに慣れているからこそ、こういう芸当ができる。
きっとティルもいつかはそういう技術を身につけるだろう。
そして、最後の一体。
こうしている間にもルーナはサイクロプスに突進している。
サイクロプスが手に持った巨大な棍棒を横薙ぎに払う。
棍棒は五メートルを超えるふざけた長さに、幅が三メートル以上ある。
腕も合わせれば八メートルもの射程。
想像してみてほしい、八メートル先まで伸びてくる、幅三メートルもの棍棒を。
それは壁がせまってくるのに等しい。
この大理石の通路は横は六メートルほど。当然、端から端まで棍棒は振るわれ逃げ場はない。
ルーナが選んだのはジャンプだ。というよりそれしかない。
三メートルという高さは、常人では届かない。
だが、ルーナは高い敏捷性に加え、天性のバネがある。背中を反りながら、まるで走り高跳びのようなフォームで棍棒の壁を跳び越える。
しかし、それだけ高く飛んでしまうと滞空時間が長くなる。
先ほど、なぎ払いに使ったのは右腕、サイクロプスは残った左手を握りしめ、拳を振るう。
いかに運動能力に優れたルーナでも空中では身動きが取れない。
……そう普通なら。
「んっ、ルーナは跳べる」
空中でもう一度跳んだ。
左拳が空振る。
ただ、回避しただけじゃない、前に向かっての加速もかねている。
流れるように短刀を抜き、突進突きへと移行。
あまりにも滑らか過ぎて、美しくすらあった。
サイクロプスはとてつもなく強力な魔物だ。
遠距離攻撃無効、物理攻撃強耐性、全魔法強耐性、状態異常無効。
つまりありとあらゆる攻撃がほとんど意味をなさない。
にも関わらず、圧倒的なタフネスと怪力を持っており手がつけられない。
そんなサイクロプスには唯一の弱点がある。
それが大きな一つ目だ。
そこは、遠距離攻撃無効以外の耐性がないどころか、ダメージ倍加に設定されている。
普通に戦えば、身長五メートルの目を狙うのは難しい。矢で狙いたいところだが遠距離攻撃無効がある。だから、転倒させるという前作業が必要なのだ。
しかし、ルーナクラスの身のこなしとバランス感覚、そして最速を要求される試練を打ち勝ち、得た【風神の靴】があれば話は別だ。
「【アサシンエッジ】」
放たれるスキルは当然ルーナの十八番。
弱点に渾身の力で放った攻撃を叩き込んだときだけに発生するクリティカル。
そのクリティカル発生時のみにしか発動しない代わりに、全攻撃スキル最高倍率を叩き出す。
サイクロプスの一つ目に、ルーナの短刀が吸い込まれ、クリティカル音が鳴り響く。
ただでさえ弱点でダメージ倍化なのに、そんなスキルを喰らえば、圧倒的タフネスのサイクロプスも耐えきれない。
一撃で倒れる。
「んっ、やっぱり、空を跳べると便利!」
鮮やかに着地したルーナが振り返りブイサイン。
十秒ほどで追いつき、その頭を撫でてやる。
「いい動きだ。それだけその靴を使いこなせるのは、ルーナぐらいだ」
あくまでのその靴は空中でも跳べるだけ。
異次元のバランス感覚をもつルーナだから、空中ですらクリティカルを出せる。
「当然、ルーナはユーヤの一番弟子」
ルーナがドヤ顔になって尻尾を振る。
「そうだったな。みんな、ここを抜けるまであと十一回戦闘がある。まだまだ気を抜くなよ」
時速二十キロの壁に追いかけられながら、巨人種という壁+取り巻きという編成との十二連戦。
それがこの最終エリアの全容だ。
よくも悪くも、二時間以内に突破できるか、ミンチにされるかが決まる短期決戦。
これがなかなか辛い。
魔物と出会うまでに、距離を稼がないと戦闘中に迫りくるドリルでミンチ。
しかし、巨人種の魔物はタフでなかなか倒せず、稼いだ距離なんてあっという間に食われる。
そうすると戦闘時間を確保するために無理なペースで走らねばならなくなり、疲労した状態でタフな魔物と戦い余計に時間がかかるという悪循環。
……というのが、設計者の意図だ。
「んっ、次も瞬殺」
「お姉ちゃん、次は負けないからね!」
だけど、俺たちは大丈夫そうだ。
本当に、すべて瞬殺してしまえる勢いがある。もし、そうなればただのマラソンのようなもの。
事実、一度目の戦闘では稼いだ距離を食いつぶすことなく終えた。
二戦目はより貯金が多い状態で挑めるだろう。
「少し、口惜しいわね。ここじゃ、私は活躍できないもの」
「大丈夫だ。この先にセレネの出番がある。今は、元気なお子様たちに頑張ってもらおう」
「ええ、そのつもりよ」
セレネにそう言ったが、俺もここではあまり活躍できない。
しかし、それを恥じる気はない。
パーティはお互いの長所で相手を助け、逆に短所は補ってもらうものだ。
俺たちは力は温存し、しかるべき場所で力を爆発させるのだ。
……きっと、はしゃぎすぎたお子様二人組はどこかでバテるだろうから。