第五話:おっさんは最後の休息をとる
それからも順調に突破してきた。
ダンジョンに入って五日目の朝だ。
昨日、第六エリアのボスを倒した部屋で朝食をとっている。ボス部屋は安全圏で魔物が現れず、夜を明かすのに最適なのだ。
朝食はおかゆだ。
フィルはよくみんなを見ている。
連日の疲れがたまりにたまって食欲が落ちている。だから、喉の通りがよく、消化のいいものを選んでくれたのだ。
いつもは元気よく、ご飯をかき込むお子様二人組もめずらしく食があまり進んでいない。
ルーナの手が止まり、目をつぶってふらっと身体が傾く。
「きゅいっ! きゅう~きゅう~きゅう~~」
慌てて手をのばすが、それより先にエルリクが支えてくれた。
全力で翼をはためかせ、聞いたことがないような悲鳴を上げている。
すごいな、今は小竜モードなのにルーナを支えるとは。
ぼけぇっとしていたティルがようやくその事に気付いてルーナを支えると、エルリクはよほど無理をしていたのか、墜落して目を回す。
「うわっ、食べてるときに寝ると危ないよ」
「んっ、一瞬意識が飛んだ」
「きゅい」
病気というわけではなく疲れのせいだ。
「今日の予定を話そう」
「んっ、いよいよ最終日!」
「長かったよ。ほんとここまで」
「ええ、そろそろ限界だと思っていたわ」
「……というか、もう限界な気がしてます」
当初の予定では、今日で最深部まで行ってダンジョンを制覇するはずだった。
しかし、その予定を変える。
「今日は休養日にしよう。身体を休めて先へ進むのは明日にする」
「ええ、どうして!? さっさとクリアしちゃおうよ」
真っ先に反論してきたのはティル。
逆に姉のフィルのほうはこくりと頷いていた。
「みんな疲労の限界なんだ。このまま進むわけにはいかない」
「もしかして、ご飯食べてる途中にルーナが寝ちゃったせい?」
キツネ耳をぺたんと倒してルーナが問いかけてくる。
「いや、違う。日に日にみんなの動きが悪くなっていた。自覚はあるだろう? 昨日の冒険を振り返ってみよう。例えば、ルーナはクリティカルを出す精度が下がっている。ティルは普段なら絶対に外さない矢を何度か外した。セレネは攻撃と防御の切り替え判断が遅くなっている。フィルは目立ったミスはないが好調時と比べるとわずかに見劣りする」
フィルはさすがだ。
ルーナたちも体力がついてきたため、そこまで体力差があるわけじゃない。
だが、彼女の場合は動きが効率的であり、なおかつ疲れを隠し、重い身体を技術でうまく動かす術がある。
「第七エリアは最終エリアだけあって、難易度は過去最高なんだ。そこに、こんなコンディションで挑んでも死ぬだけだ。断言しよう、さんざんだった昨日より動きは鈍くなるし集中力は落ちる」
ルーナ、ティル、セレネは唾を呑む。
全員わかっているのだ。思うように身体が動かなくなり、集中力を欠いていることに。
「悔しいわね。ユーヤおじ様やフィルさんはいつもどおりに動けているのに」
「こればかりは経験と技術だ。俺たちだっていつもどおりじゃない。ただ、振れ幅が少ないだけだ」
「ええ、私もすっごく疲れてます。ユーヤが休憩だって言ってくれて、ほっとしました」
フィルが助かったということで、残り三人の負い目がなくなり、この意見に賛成しやすくなった。
お子様二人組は目線をかわしあって、それから口を開いた。
「わかった、じゃあ今日はお休み!」
「うん、そうしよ! 今日は思いっきり遊ぶよ!」
お子様二人組の切り替えの速さに俺たちは笑う。
「ユーヤおじ様、参考までに聞きたいのだけど、最上級ダンジョンはこんなのばかりなの」
「いや、ここは特別だ。最上級ダンジョンでも、こんなダンジョンはほとんどない」
「ですね。ここは各街にある最高難易度ダンジョン六連続みたいな構成ですからね。こんなのばかりじゃ、誰も最上級ダンジョンなんて挑みません」
それもそうだ。
こんなクソ面倒な上に、危険なダンジョンばかりなら気持ちが折れる。
あくまで、特別なダンジョンだから挑戦する気になる。
「だがその分、報酬も破格だったろう。なにせ、最上級ダンジョンのボスドロップクラスの代物が各エリアごとに手に入っているんだからな」
「そうですよね。今まで手に入った品だけで、いきすぎた贅沢しなければ一生遊んで暮らせますよ。いくらお金を積んでも手に入らないものばかりですからね」
「おかげで、魔法袋はぱんぱんだけどな」
そう、報酬面では完璧に近い。ここだけは設計者に感謝していい。
「フィル、食料は大丈夫か?」
「はい、節約しなくてもあと三日。節約すれば五日ってところです」
「なら、今日は贅沢をしよう。なにせ、最後のエリアは足を踏み入れた瞬間に、クリアするか死ぬかの二択だからな。もう、食料の心配はいい」
今までのエリアは突破するのに時間を要するギミックが多く、足踏みを食らって食料切れの不安が常にあった。
だが、ここから先は違う。
極めて難易度は高いが、時間がかかることはない。なにせ、うまく突破でき無ければ死ぬ。時間がかかることはありえない。
「ええ、でもみんなの胃が受け付けてくれるか、心配ですね。日に日に食欲が落ちちゃってますから」
「昼もお粥にしよう。たっぷり休んで、昼も軽いものなら夜には食欲も戻るだろう」
「そうですね。なら、昼はみんなの食欲を戻す料理を作りましょう。それで夜には精がつく料理を。これで明日に向けて万全にします」
それは楽しみだ。
さすがの俺もしんどくなってきている。
食事は大事だ。普通のパーティみたいに連日連夜塩味しかないスープと堅パンと干し肉なんてやっていたら、心が参ってしまう。
どれだけ、毎日のうまい食事に助けられているか……。
フィルと携帯調理セット様様だ。
◇
全員、二度寝することにしてそれぞれのテントに戻る。
休憩するのはいいが、先に進んでも後に戻っても、魔物に襲われ疲労する。
必然的に、この部屋から出られない。
なのですることは装備の手入れや眠ることぐらいだ。
いつもなら暇だと騒ぐお子様二人組だが、朝食後は目をこすりながら素直にテントに戻っている。
相当疲れがたまっており、身体が睡眠を欲しているのだろう。
こっそり、ティルがボードゲームを持ち込んでいるのはあえて見逃している。
少しでも魔法袋の容量をあけるべきなのだが、ああいうものは案外、長い旅だと心を楽にしてくれる。ある意味、必需品だ。
二度寝が終わって元気になれば、向こうのテントはそれで盛り上がるだろう。
『ユーヤ兄さんには秘密だよ』とドヤ顔のティルが目に浮かぶ。
そして、俺とフィルも二度寝をしていた。
しばらくして自然と目を覚ます。
冒険者の習慣だ。交代で見張りをしながら眠ることが多いため、仮眠をすれば、きっちり九十分ほどで目が覚めてしまう。
二度寝のおかげか身体が軽い。
俺のほうも、だいぶ無理をしていたようだ。
フィルとティルの『世界樹のしずく』を毎日飲ませてもらっているおかげで、若返ってきているとはいえ、俺はもうおっさんなのだと思い知らされる。
「ユーヤ、起きてます?」
「ああ、ちょうど今起きたところだ」
「一緒に冒険していたときの習慣って怖いですよね」
「そうだな。俺たちは、こうだった」
仮眠時間は交代周期で違う。
俺たちのパーティはこの時間だったから、俺とフィルは同じ時間に目を覚ましてしまった。
そんなことが、なぜかおかしくて俺たちは顔を見合わせて笑う。
フィルが背中に抱きついてくる。
「まだ、お昼ご飯の準備までに時間があります。……それに、あの疲れ方からして、あの子たちはご飯の時間まで絶対に起きてきませんよ」
抱きついてくるだけじゃなく、押し当てている。
それに、俺の身体を愛おしそうに撫でる。
「フィルから誘うなんて珍しいな」
「意外と私もストレスがたまっているんです。それに、ずっと機会がなかったから。疲れちゃうのは嫌ですか?」
「嫌じゃない。むしろ、俺もフィルがほしい」
体力のほうはなんとでもなる。
心の疲れはむしろ、そういうことをしたほうが軽減される。
なら、選択肢は一つ。
フィルの方を向き直り、大人のキスをする。
「いつもより、乱暴です」
うっとりした顔でフィルはそう言って、俺の唇を指でなぞる。
「そういう気分なんだ。嫌か?」
「いえ、私もそうされたい気分です」
妖艶な笑み。
最高にそそる。
俺はフィルを貪りたいという衝動に身を任せ、彼女を押し倒した。
◇
昼食の時間になった。
すっきりした顔のお子様二人組が、いつものようにご飯の歌を披露している。
そう言えば、ここ二日は聞いてなかったな。
食欲が落ちて、早くご飯を食べたいという気分じゃなかったのだろう。
「できましたよ。昼食はリゾットです」
朝はお粥だったことを踏まえて、昼はリゾットだ。
どっちも、スープに米を投入したものだが水分量がぜんぜん違う。リゾットのほうが重めだ。
「美味しそう」
「お肉の匂いがするよ!」
「正解です。鶏肉で出汁をとったリゾットです。軽めに作りましたが、朝よりは重いです。ちゃんと食べれそうですか?」
「んっ、ばっちり」
「なんなら、おかわりまでするよ!」
さすがにお子様二人組の回復力と食欲はすごい。
朝とは比べ物にならないほど元気だ。
「セレネちゃんはどうですか?」
「私も大丈夫よ。いい匂いがしたおかげでお腹が空いたわ」
「安心しました。ちゃんと食べてくださいね」
フィルはみんなに配膳する。
「量が少ない」
「ぶうぶう、お姉ちゃんのケチ!」
お子様二人組のブーイングが始まった。
「食べられる気がしても、まだ身体は疲れてますからね。これぐらいがちょうどいいんです。その分、夜はごちそうにしますから」
「ならしょうがない」
「がまんしてあげるよ」
ごちそうという言葉に、あっさりと懐柔されるあたり二人らしい。
リゾットは酸味のあるスパイスで疲労回復効果と食欲増進効果があり、するすると入っていく。肉を使っているとはいえ、控え目で味は良いがもたれないのがいい。
それだけにもう少し欲しくなるが、ここで止めるのが疲労回復にいいのだろう。
「美味しかった」
「量が少ないのだけが不満だね」
「ええ、食べる前よりお腹が空いた気がするわね」
みんなにもフィルの料理は好評だ。
食後の雑談タイムに、ルーナの鼻がひくひくとする。
「ユーヤからフィルの、フィルからユーヤの匂いがする。それに変な匂いが混じってる。あまり嗅がない匂い。……でも、嗅いだことある。たしか、夜にユーヤのテントを」
そこまででルーナの言葉が止まる。
フィルがルーナの口におやつのフルーツを放り込んだからだ。
もぐもぐとルーナは食べる。
「美味しい。お腹いっぱいになって眠くなってきた」
「あっ、私も。今度はお昼寝だね」
「んっ、たくさん寝る」
「あまり寝すぎるなよ。調子に乗ると夜眠れなくなるからな」
「わかった」
「ほどほどにしとくよ!」
お子様二人組がテントに戻っていき、エルリクがついていく。
ここには俺とフィルとセレネが残された。
「妙にフィルさんの肌がつやつやして上機嫌だと思ったらそういうことだったのね」
小声だが、耳の良い俺たちには聞こえてしまった。
「面目ない」
「ううう、盛り上がちゃってつい」
「そのっ、責めるつもりはないの。その、恋人同士だし、何もない部屋で暇だし、そういうことするのはむしろ自然よ。ただ、ちょっとうらやましかっただけ」
赤い顔でセレネが弁明するが、フィルのほうはもっと赤くなっている。
「私もそろそろ行くわ。読みかけの本を持ってきているの。その、私たちのことは気にしないで楽しんでね。もし、ルーナとティルがそっちに行きそうなら止めるから」
そうして、セレネまで去っていく。
「……ルーナちゃんに気付かれるのは予想外でした」
「時間ギリギリになったのは誤算だったな」
いつもは、こういうことをした後、身体をお湯で清めるのだが、つい食事の時間ぎりぎりまで盛り上がってしまった。
「きっと、俺たちも疲れていたんだろう」
「はっ、はい、集中力が欠けていたんですね! やっぱり、今日は休んで良かったですね! でも、これで明日は万全ですよ!」
苦しい言い訳で、お互い納得する。
「あと、これからどうしますか。その、私としてはセレネちゃんの言葉に甘えるのもやぶさかじゃないと言うか」
「そうしようか。疲れない程度にな」
「はいっ!」
なんというか、いい大人が情けないと思わなくはないが、明日はいよいよ最終エリア。
命の危険がある場所に挑む。
それまでに愛する人と思う存分、身体を重ねるのも悪くない。
……ただ、今度はしっかり余裕を持って終わらせて、身体を清めてからみんなの前に出よう。
本調子じゃなかったのか、ティルはスルーしてくれたが、いつものティルなら絶対にこんな面白い状況見逃さなかっただろうから。