第七章65 『学園フードファイター』
「カオスフレームは、大きな大きな災いに滅ぼされました。住民の皆様の避難は、ヨルナ様が済まされているはずですが、それ以上のことは」
丸い眉の眉尻を下げ、目を伏せた少女の声には悲しみが満ちていた。
あまり、感情を表に出さない子だと思っていたし、実際、今も悲しいというほどの表情はしていない。でも、これを悲しみと思わない人は馬鹿だと思う。
スバルは頭は悪いが、馬鹿でいたくはなかった。だから、彼女――タンザが言ったことをきちんと受け止め、その痛みに寄り添おうと思った。
ただし――、
「ははぁ、魔都が滅ぶような災いとはなかなか大仰なことですねえ。僕がこうして島に閉じ込められている間にも世界は色々と慌ただしく進展するものです。これは出遅れてお呼びでないなんてことにならないよう留意しなくてはいけませんね!」
「セッシー、ちょっと黙っててくんない?」
「あれ? 僕また何かやっちゃいました?」
スバルの心中も、タンザの心の痛みもガン無視して話を進めようとした人物、偽セシルスがじろりと睨まれ、わからんちんの顔で首を傾げている。
『スパルカ』の前でもあとでも、何にも変わらない態度には呆れて驚いて呆れる。
何十回も、薄情にスバルの遺言を聞こうとした彼を思えば、なおさらだった。
「……それでも、最後にセッシーがタンザを起こしてくれなかったらダメだったけど」
「ああ、それに関しては恩に着る必要はありませんよ。あそこまで追い込んだ時点でバッスーの勝ち、最後のひと押しはおまけみたいなものです。それにそれにこの子が起きてくれるかは賭けだったわけですから!」
「ご心配をおかけしました」
渋い顔のスバルに、偽セシルスは謙遜っぽくない謙遜。それを聞いてタンザが小さく頭を下げるので、助けられた側のスバルは何も言えなかった。
――剣奴孤島の物騒な歓迎セレモニー、『スパルカ』をスバルは突破した。
気の遠くなるような挑戦を繰り返し、どうにかこうにか、あのライオンの首を斬り落として勝つことができたスバルたちだったが、タンザと偽セシルスの協力がなかったらそれも難しかったと言わざるを得ない。
最後に偽セシルスがタンザを起こして、そのタンザがライオンの首に刺さった剣で、その首を刎ねてくれなかったら――、
「あと何回、失敗してたかわかんないもんな」
もちろん、成功するまでやめられない戦いだから、投げ出すなんて選択肢はない。だとしても、気力のあるなしは結果にとても大きく影響する。
それに場合によっては、全員で生き残れないことだって十分ありえた。
そんな結果になっていたら、悔やんでも悔やみ切れなかっただろう。
「ヴァイツも、ヒアインもイドラも、一緒に頑張ったんだ」
協力するのはとても大変だったが、誰が欠けても生き残れなかった。
その全員が生き延びられたのは、スバルにとって最善の結果だ。ちゃんとリーダーらしいことができて、スバルとしても自信に繋がる。
これでこそ、菜月・賢一の息子であると、そう胸を張れる自信に。
「シュバルツ様?」
「あ、ごめんごめん、ちょっと考え事。それで、ええとカオスフレームのことだけど」
「――。はい。一刻も早く、復興のお手伝いに戻れれば」
「……だよな。俺も、戻ってみんなと合流したいし」
元の話題に戻ると、顔を俯けるタンザがとても可哀想に見える。
家族や故郷のことを心配するのは当然で、スバルもおんなじ気持ちはあった。スバルの知らない間に、カオスフレームが大変なことになったと聞けばなおさらそうだ。
離れ離れのみんな――特にルイが、意地悪なアベルに見つかっていないか不安だった。
ヨルナが一緒なら、きっと彼女がルイを守ってくれていると思うのだが。
「――――」
心細そうなタンザは、魔都でも目にしたキモノ姿に戻っている。
聞いた話だと、スバルは『スパルカ』が終わったあと、丸一日眠っていたそうだ。治癒室で目を覚まして、癒者を名乗る歯のないお爺さんから特に健康に問題ないとは言われているが、精神的にはドッと体が重たい気持ちがある。
でも、おちおちとまごついてもいられない。
「俺以外の三人……ヴァイツたちは? みんなももう目が覚めたの?」
「あの御三方でしたら、すでに目を覚まされ、御自分の部屋に戻られています。皆様、同室だそうです。私とシュバルツ様も同室で、それと……」
「はいはい、僕ですよ。ほらバッスーが最初に起きた部屋ですけど、あそこが僕らの寝所というわけです。ようやく同室の人がきてくれて僕も嬉しいです。まぁ、きてくれたというより僕が自分で引き上げたんですが!」
「引き上げた……?」
「あんまり気にしなくていいよ。俺とタンザが湖に落ちてたって話だから」
そう言えば、必死で溺れないように泳いでいたような記憶がおぼろげにある。
一発で泳ぎ切れたのか、もしくは何回か溺れてしまったのかもぼんやりだが、そこはあまり重要ではないので考えるのは無駄だろう。
ともあれ、他の三人も無事と聞けたのは安心した。仕方なかったとはいえ、『スパルカ』の最中に彼らの事情も色々と知ってしまった間柄なのだ。
卑怯者と臆病者と詐欺師、あんまり褒められた性格とは言えないけれど、彼らにも卑怯で臆病で詐欺った人になる理由があったのである。
「そう、俺がスーパーマンなのとおんなじように、な」
「おや、大層自信に満ち溢れた顔ですね。でもでもその方がずっと男前度が高まっていい感じだと思いますよ。状況に振り回されてあれやこれやと思い悩むなんていかにも端役か大衆といった振る舞いです! バッスーには威風堂々構えてもらわなくては!」
「セッシーの物語脳に付き合うつもりはないけど、俺もそう思う」
そもそも、くよくよしすぎるのはよくない。
何となくだが、これまでのスバルは色んな物事に対して受け身すぎたのだ。
何であれ、受け身の対応というのは相手を調子に乗らせてしまう。それが嫌いな相手だろうと、運命だろうとおんなじことだ。最近、運命調子に乗りすぎ。
「これからはもっと積極的に、目的達成を貪欲に目指していくぜ」
差し当たって、今のスバルの目標は島の脱出だ。
剣奴孤島を脱出して、タンザと一緒にカオスフレームへ舞い戻る。もちろん、大目標は帝国を離れ、王国にいるみんなのところへ帰ることだが――、
「でかい目標に気を取られてると転ぶからな。夏休みの宿題だって、一個ずつ順番に片付けるもんだ。日記はいっぺんに書けないし」
こう見えて、スバルは夏休みや冬休みの宿題はちゃんとやるタイプだった。
たまに宿題をやらずに休み明けに登校してくるクラスメイトがいたが、いったいどんな度胸と考えでそれをやってのけたのかよくわからない。
なんだか、発想と勇気で負けたような気がして、ちょっと悔しかったが。
「でも、宿題やる俺の方が偉いし……」
「――時に、シュバルツ様、少しよろしいですか?」
「うん?」
顎に手を当てて、自己肯定感に水をやるスバルにタンザがおずおず声をかけてくる。
彼女はスバルの視線を自分に向けると、傍らの偽セシルスを手で示した。そして、ベッドに座り、呑気な顔で足をぶらぶらさせている彼を見ながら、
「こちらの御方なのですが……あの、セシルス・セグムント様では……」
「ん、ああ、そう言い張ってるオオカミ少年だね」
「あっはっは、言い張ってるって言われちゃいましたよ! あとそのオオカミ少年ってどういう意味ですか? 人狼って意味なら悪口やめてくださいよ。確かに僕は話の通じないところはありますが危うい魅力があるぐらいのものでしょう?」
「ごめん、ちょっと何言ってるのかわかんない」
畳みかけられ、スバルは自然とそう口走り、自分の胸を押さえた。
目をつむれば、愛おしい少女の顔が思い出せる。それに付随し、大事なみんなの顔も。それでも、引き出しが確実に固くなっている自覚はあるのだ。
長く、この状況を続けるわけにはいかないのだと。
「そのセッシーの軽口はともかく、タンザは何が気になってるんだ? 帝国の将軍で有名人なんだし、それを騙る身の程知らずな子どもがいても不思議じゃなくない?」
「それはそうかもしれないのですが……その、私は以前、一度だけセシルス様をお見かけしたことがあって、よく似ていらっしゃるなと……」
「前に、見たことがある? セッシーを?」
「セシルス・セグムント様を、です。以前、ヨルナ様への刺客として」
タンザは、あくまで自分が目にしたのは本物のセシルスだと説明する。
その話を聞いて、スバルも前に聞いた話を思い出した。確か、ヨルナがしょっちゅう謀反するものだから、何回も討伐隊が送られたみたいな話だ。
ただ、ヨルナの人柄を知った今、スバル的には印象が真逆になっている。
「ヨルナさんを殺そうだなんて、すげぇ悪い奴じゃん……」
「そうなんです。セシルス様は極悪人で……いえ、重要なのはそうではなく、そのセシルス様とこちらのセシルス様が年齢差はありますが、瓜二つなのが気になりまして」
「そっくりで、年齢差?」
「はい。――セシルス様のご兄弟ではないかと」
あちらのセシルスとこちらの偽セシルス、どちらのセシルスも見たことのあるタンザの話に、スバルはまじまじとこちらの偽セシルスを見てしまう。
その可能性は考えていなかった。というか、考えなくて当然だ。スバルは本物のセシルスを知らないのだから、似てるも似てないも判断つかない。
しかし、本物を知っている相手がいたのが運の尽き。諦めて、嘘つきな偽セシルスは自分のついた嘘を大人しく認め――、
「いやいや、それは違いますって。僕は一人っ子ですしそっくりな兄弟もいません! もちろん僕と別れたあとで父さんが弟を作っている可能性はありますが、今の話の流れからしているなら僕の兄ってことですよね?」
「そうだけど、往生際が悪いな……」
「何とも心外! でもでも根拠はありますよ! 僕に兄がいたとしても弟がいたとしても、どっちもおかしいって根拠がね」
じと目のスバルとタンザに見られ、偽セシルスが腕を組んでむくれる。そのむくれ顔の偽セシルスの根拠とやら、いったいどこまで説得力があるやら。
とりあえず、聞かせてほしいとスバルたちが目で訴えると、
「根拠は簡単、僕の存在ですよ」
「どゆこと?」
「もしも僕に兄がいたとしても、僕がいるってことは父さんが殺してるはず! そして僕に弟がいるとしたら、僕が父さんに殺されてないとおかしい! つまり僕が生きている時点で兄も弟も生きて存在してるわけないんです! どうです?」
「……どゆこと?」
証明終了、みたいな勢いで言われてもちっとも納得いかない理論だった。
その説明だと、偽セシルスの父親は子どもを一人しか持てない呪いにでもかかっているみたいだ。それが本当でも嘘でも、呪いの方がマシな感じのやつだ。
スバルとしては、嘘つき偽セシルスが嘘をさらに重ねたと思いたいくらい。
ただ――、
「ここまで堂々とされると逆に本当って気がしてきた。タンザはどう思う?」
「……私は、シュバルツ様の考えに従いたいなと」
「うーん、責任重大」
控えめなタンザに頼りにされて、スバルは小さい顎に細い指を当てて考え込む。
なんでわかってもらえないかなぁ的に首を傾げている偽セシルス、彼の家庭環境がどうなのという話をしても、そこの答えは出てこないだろう。
ここで重要なのは、偽セシルスを信じるかどうかだけ。
信じないならこれまで通り、偽セシルスをただのオオカミ少年として扱うだけ。
でも、もしも信じるなら、偽セシルスには兄弟なんていなくて、タンザの話した偽セシルスと本物のセシルスがよく似ているという証言だけが残る。
そして、もしもその証言と偽セシルスの自意識をきっかり信じるなら――、
「これ聞くの怖いんだけど、セッシー、もしかして体縮んでない?」
できれば否定したい可能性だが、聞かないわけにはいかない話だった。
もし、ここにいたのが縮む前の成長後スバルだったなら、色々ともったいぶった考えをした上で質問するのを躊躇ったかもしれない。が、ここにいたのは縮んだあとの成長前スバルなので、疑問を長く抱えておくのに向いていない。
聞いて怒らせたら謝ろうぐらいの気持ちで、軽はずみに質問もする。
そんな経緯の質問に、偽セシルスは軽く目を見張って、
「縮むって僕がですか? あっはっは、面白いこと言いますね、バッスー! 人間の体が縮むなんてそんな面白いことあったらすごい楽しくなっちゃうじゃないですか!」
大笑いして、偽セシルスがスバルの肩を上機嫌に叩きながらそうのたまってくる。
その彼の発言に、スバルは眉を寄せて大いに迷わされた。
「これ、どっちだ……?」
とぼけているのかいないのか、とぼけているとしたら意識と無意識どっちでか。
スバル自身、『幼児化』の影響でポロポロと記憶から抜け落ちていくものがある実感があるので、偽セシルスも同じ理由で色々忘れている可能性はある。
でも、それでも覚えていることの方が多いスバルと比べて、偽セシルスは自分が縮んでいることまで忘れていることになってしまう。
そんなことがありえるのだろうか。
もしも偽セシルスがスバルと同じで『幼児化』していたとしたら、この偽セシルスの精神状態が、スバルの行き着く先なのか。
「あ、あのクソ爺さん……! っていうか、セッシーもオルバルトさんにやられて小さくなってるのか……!?」
それならそれで大事件――『九神将』の中での大事件となる。
これもオルバルトの仕業というのは、考えたくない事態だ。でも、オルバルト以外にこんな非常識な技を使える人間がポンポンいるなんてことも考えたくない。
自然と、偽セシルスを小さくしたのもオルバルトという風に考えたくなる。
「待て待て、つまりセッシーは偽物じゃなくて本物で、それで本物のセッシーを小さくしたのがオルバルトさんで、セッシーは俺の成れの果てってこと?」
「し、シュバルツ様、大丈夫ですか? かなり混乱されているようですが……」
「……大丈夫。混乱はすげぇしてるけど、すげぇまとまってきたから」
口から駄々漏れた考えだけ聞くととっ散らかっていそうだが、スバルの頭の中ではおおよそ二つの可能性にまで状況は絞れた。
一つは、この偽セシルスが本物のセシルス・セグムントが『幼児化』された状態であるというオルバルトクソジジイ説。
そしてもう一つが、本物のセシルスと見た目が似ていることをいいことに、自分のオオカミ少年ぶりを真に迫った嘘に昇華した偽セシルスクソガキ説だ。
「クソガキとクソジジイ、どっちも頭の片隅に置いておく作戦でいこう」
「ほほう、なんだか興味深げな響きですね。詳しく聞かせてもらっても?」
「やだ。セッシーに話しても意味なさそうだから」
「あっはっは! なんて素っ気ない姿勢! わりと自分本位なお考えですが、その方向性嫌いじゃないです、むしろ好き」
邪険にされて怒るどころか、とても楽しそうな偽セシルス――暫定、まだ偽セシルスとしておくが、彼のその反応には救われるところも多い。
ただでさえ悩み事が多いのだから、気を使わなくていい相手は貴重だ。
「ひとまず、タンザもセッシーのことは棚上げしておいてくれ。本物でも偽物でも、当てにならないところは変わらないから」
「……そう、ですね。ヨルナ様に危害を加えようとした方ですから、個人的には好感を持ちようがありませんし」
「素直で正直で助かるよ。さて……」
そうして、ある種の結論に到達したところでスバルは気持ちを切り替えた。
目を覚ました以上、治癒室のベッドを占領しておくのも終わり。さっき、タンザたちが話していた、この三人に与えられている部屋とやらに向かうことになるだろう。
でも、その前に――、
「だいぶ空いてるお腹に餌をやりたいな。ほら、さっきから腹の虫がすごい悲しそうな声で鳴いてる」
そうお腹をさすりながら、スバルは囚われの島でかなり図々しい要求をしたのだった。
△▼△▼△▼△
――腹が減っては戦はできぬ、という諺がある。
この先、スバルたちが立ち向かう障害、それは全部戦いみたいなものだ。それと戦うには身も心も万全でないと、いざというときに動けなかったら困る。
寝る間も惜しんで無闇に動けばいい、なんて判断をしてはいけないのだ。
「縮む前は今より体力があったせいか、そういう無茶をよくしてた気がするんだよな。そこを考え違いすると、しっぺ返しがありそう」
そんなわけで、取れるタイミングで食事と睡眠は取っておきたい。
どうやら、『スパルカ』の疲れでうっかり一日眠ってしまったらしいので、そこはしっかり眠れたと受け止めて、体力回復のチャンスと割り切るつもりだ。
そのため、今度は食事だと、偽セシルスの案内を受けて食事に向かい――、
「……食え、シュバルツ。これはお前の取り分だ」
ドン、と目の前に大皿を置かれ、そこに盛られた骨付き肉にスバルは目を丸くする。
何事かと顔を上げれば、刺青だらけの顔が「なんだ」と言いたげに眉を細めた。そんな顔をされても、なんだと言いたいのはスバルの方である。
何の説明もなしにこんなことをされても、いったいどうすればいいのか。
「ヴァイツ、いくら何でもそれはないだろう。見ろ、シュバルツが固まっている」
「は、気遣いなんていらねえってことじゃねえか? 大体、こんなチビに山ほど肉積んでやる必要がなんかねえんだよ。俺らで分けて……痛ぇッ!」
「話し合って決めた取り分だ……それを曲げるなら、オレを納得させてみろ……」
そう言いながら、手の中のフォークで刺青が蜥蜴人の脇のあたりを突いた。たまらず悲鳴を上げて、蜥蜴人がテーブルの反対側に逃げる。
そんな様子にため息をついて、錆色髪が肩をすくめながらスバルを見た。
「騒がしくて悪いな、シュバルツ。体の方は?」
「……大丈夫な感じ。そっちは?」
「私たちも、大きな怪我はない。貴様……君のおかげだ」
そう言い直して、錆色髪――イドラがスバルに軽く頭を下げた。
イドラだけではない。揉めていた刺青と蜥蜴人、ヴァイツもヒアインの二人も、スバルの方に手を上げたり、顎を引いたりしてイドラに同意していた。
今、スバルがいるのは島内で剣奴に開放されているエリアの一角で、テーブルや椅子を並べて食事処として利用されている大広間だ。
その大広間に顔を出した途端、現れた三人にスバルは捕まり、あれよあれよとテーブルの一つに運ばれて、目の前に大皿を差し出されたわけだった。
正直、目の回るような不思議な状況だったが、
「もしかしてこれ、俺のために取っといてくれたの?」
「あぁ? 他に何があんだよ。感謝のし甲斐がねえガキが……痛ぇッ!」
「自分の手柄のように言うな、ぶちのめすぞ……」
「言ってねえし、感謝してやってんだろうが!」
山盛りの骨付き肉を指差して、尋ねたスバルの前でまたも諍いが起きる。
とてもスマートとは言えない示し方、それでもこれは感謝の表れらしい。こんなご馳走が出るなんて、剣奴の扱いがイマイチわからなくなる。
「殺し合いをさせたくせに、ご飯は腹いっぱい食べさせるみたいな……?」
「正確には殺し合いじゃなく死合いですよ。あとグスタフさんの方針として剣奴が死ぬとしたら剣闘場で、そこ以外で死なせるのは管理側の無能を証明するだけみたいな考えがあるみたいですね。なのでわりとのびのび過ごせますよ」
首を傾げるスバルの隣、いけしゃあしゃあと椅子を引く偽セシルスが座る。
彼の図々しさなら皿に手を伸ばしてくるのではと思ったが、意外にも彼はそれをせず、水差しから端の欠けたコップに水を入れ、ちびちびとそれを舐めていた。
「皆様、シュバルツ様が最も功労されたとお考えです。ですから、シュバルツ様のために馳走を残しておきましょうと」
「タンザ……みんな、そうなのか?」
偽セシルスと反対、スバルを挟むように椅子に座ったタンザの言葉に、スバルは驚きながらイドラたち三人の方を見た。
その視線に、イドラは「ああ」と深く頷いて、
「さっきも言ったが、私たちがこうして無事でいられるのは君のおかげだ。最初の『スパルカ』を生き延びた夜、その『合』にはご馳走が振る舞われる。それを、君が受け取れないのはおかしいと」
「言っておくが、提案したのはオレだ……」
「へ、俺はガキの分なんざ残すつもりはなかったけどな!」
代わる代わる、こうして大皿のご馳走が残された理由を教えてくれる。が、最後のヒアインの一言に、隣のタンザが首を傾げ、
「そうでしたでしょうか。私の記憶だと、最初に自分たちだけで食べて気が引けると仰ったのは、確かヒアイン様でしたが」
「はぁ!? 言ってませんがぁ!? 知りませんがぁ!? こら、メスガキ、適当なこと言ってると許さねえぞ!」
「よせ、ヒアイン。お前がタンザに勝てるものか。ギルティラウの首を刎ねた娘だぞ」
「刎ねさせていただきました」
イドラが手で制し、タンザがぺこりと一礼すると、言い返せないヒアインが「ぐ」と言葉に詰まり、その爬虫類顔を背けて反撃を諦めた。
素直でない蜥蜴人も含め、これは全員からの感謝の証というわけだ。
「ありがたく、全然遠慮しないでいただきます!」
「おお、大した健啖ぶり! 受け入れる度量を示すところも大変いいですよ」
「無理をして腹を壊すなよ……」
「心配ご無用だ。こう見えて、俺は休んだ奴の分まで給食を食い漁ることで有名な学園フードファイターだったんだぜ」
飲めない子から牛乳をもらうのは朝飯前、歯を磨くのも朝飯前、それが学園フードファイター、ナツキ・スバルのバトルスタイルだ。
冷たくて硬い肉だが、濃い目の味付けは悪くないし、文句も言えない。何より、みんながスバルのために残してくれたご馳走、というのが一番のスパイスだ。
でも、そうやって骨付き肉にかぶりついていくスバルを見ながら、ヴァイツはその模様だらけの顔を「違う……」と横に振った。
「気色悪い勘違いするな……心配してるわけじゃない……」
「――? じゃあ、くれた骨付き肉が今さら惜しくなったとか?」
「それも違う……死合いだ……」
「――――」
低く、こもったヴァイツの言葉だが、その単語はとても重々しくスバルに響いた。
とっさに、手に持った骨付き肉を落としかけるが、横合いから伸びた偽セシルスの指がはしっとそれをキャッチ、スバルの口に差し込んでくる。
「もがもが……!」
「落ち着いて落ち着いて喉に詰まりますよ。あと今のはそちらの刺青さんの言葉がちょっと足りませんね。心配しなくてもすぐに死合いがあるわけじゃありませんよ」
「もが……そう、なのか?」
「はい。今のところ、そうした通達は受けていません。ただ、いつなりと死合いの連絡を受けるかはわからない、ということのようです」
骨付き肉の骨以外を処理して、残骸を皿にペッとしてからヴァイツを見る。偽セシルスとタンザが付け足した話を聞いて、ヴァイツは頷いた。
「オレはそう言った……」
「言ってねぇよ! すぐまた殺し合いさせられるのかと思った!」
「そこまで過酷な場所ではない、そうだ。島主が交代し、方針が変わるまではシュバルツが不安がるような扱いだったらしいが」
「交代前……グスタフさんになってからってこと?」
疑問にイドラが頷いて、スバルは次の骨付き肉へと手を伸ばす。
頭の中、感情が全然わからないグスタフの強面を思い浮かべて、スバルは彼がどういう人なのかと首をひねる。
目を覚ましたスバルを見るなり、いきなり『スパルカ』に放り込む冷酷さ。
ヴォラキア帝国の残酷で乱暴なルールそのものみたいな人だと思ったが、今の話を聞く限り、剣奴たちにすぐ死にそうな戦いを強制しているわけじゃないらしい。
「それとも、一気にやるよりじわじわやるのが好きってだけかな?」
「一思いにって感じの人じゃないのはわかりますね。実際、バッスーが起きなかったらこちらの皆さん三人で『合』ってことにして『スパルカ』してたかもですよ。そうなってた場合はこの食事会ももっと暗い顔でやってたかもしれませんね!」
「わ、笑えねえんだよ! 大体、てめえはなんでここにいやがんだ!?」
スバルの言葉を笑い飛ばした偽セシルス、その顔をヒアインが指差して吠える。
確かに、言われてみればそうだ。偽セシルスは一応、スバルとタンザが島に上陸するのに口添えしてくれた相手だが、それだけと言えばそれだけの間柄。
「聞くに、ここではどの剣奴も一度は『スパルカ』のために『合』に参加する。その後は活躍に応じて『合』を解散することもあるそうだが、貴様の『合』は……」
「ああ、僕の『合』でしたらご心配なく。僕以外は全員死んでしまいましたし、幸いにして僕はすでに単独で死合いを振られる側の剣奴ですから」
「なに……?」
「っていうか僕最強ですので! 誰も僕には勝てませんからそれこそ一切の心配は不要というわけです、あっはっは!」
パン、と膝を叩いた偽セシルスの言いように、スバルも他のみんなも口ごもった。
ただ、スバルとタンザの黙った理由と、三人が黙った理由はきっと違っていて、そしてそれはスバルとタンザも根っこのところでちょっと違うと思う。
イドラたちは、偽セシルスの言葉を大法螺だと思っているだろうし、タンザは偽セシルスが本物のセシルス・セグムントの血縁者じゃないかと疑っている。
そしてスバルは、彼が縮んだセシルス・セグムントの可能性があると思っていて、もしもそれが本当なら、この状態でも偽セシルスは最強なのかもしれない。
だとしたら、偽セシルスを味方に付けられればとても有利に――、
「――いけませんよ、バッスー。そんな物欲しそうな目で相手を見ては侮られます」
「うえ?」
「上や前に立つ資質のある人間が、そんな風に卑しくねだるような目をしちゃあいけません。そんなの全く全然ちっとも粋じゃなくて願い下げというもの! 僕を口説きたければ言葉でなく行動と覚悟、そしてとっておきの決め台詞ですよ」
言いながら、偽セシルスは皿の上の食べられた骨を二本取り、それを自分の顔の前でバッテン印に交差してスバルに忠告する。
まるで、心の中を読むみたいに鋭いことを言われて、スバルは唾を呑み込んだ。
そして――、
「……言葉じゃなくって言ったけど、決め台詞がいるなら言葉もいるじゃん」
「あれえ、ホントだ! これはイマイチ締まらない! 僕としたことが何たることを!」
目をまん丸く見開いて、偽セシルスは大きく椅子の背もたれに寄りかかると、それから弾かれるように前のめりに。ぐいっと顔を近付けられるスバルが固まると、それを見ながら偽セシルスは満面の笑顔になった。
「さてさてお邪魔が過ぎました。僕にも僕の用事とか話したい相手とか時間の潰し方とか色々ありますので、ここでいったん失礼しますよ。心配しなくてもちゃんと部屋では一緒ですから話し足りないことはそちらでということで!」
「あ、ああ、ラジャー」
「らじゃー? なんだかわかりませんがいなせな響き! では、ラジャー!」
軽快に解釈を間違いながら、手を上げた偽セシルスが止める間もなく走り去る。
止める理由はなかったものの、その疾風迅雷さにスバルは目を丸くした。
実際、邪魔者というほど邪魔者ではなかった。剣奴孤島について、詳しい事情を知る人間が一人は傍にいてほしかったのだし。
「まぁ、欲しい情報の五倍くらい喋るのはしんどいけど」
「シュバルツ様、お食事の続きを」
「あ、うん、そうだね。ますます体力回復しとかねぇと」
グスタフの考えがどうあれ、次の死合いを振られるまで大人しくするつもりはない。
そもそも、ここで剣奴として長くやっていくつもりなんてないのだ。目標はタンザを連れて、今日明日にでもこの島から脱出すること。
最悪の場合、グスタフと敵対することになっても。
ただし、それをすると――、
「どうした、シュバルツ」
「ええと、みんなが心配だなと思って。俺抜きでやれそう?」
「ああ? 何言ってやがる。てめえ、まさか逃げる気か? だったら肉返せ、肉!」
不安な顔をするスバルの言葉に、ヒアインが大口を開けて怒鳴ってくる。
怒られて当然とは思うものの、スバルには彼らよりも大事な人たちがいるのだ。いっそタンザだけでなく、この三人も一緒に抜けられるよう考えるべきか。
「……むしろ、島の全員で抜け出すとか?」
「シュバルツ様?」
「ああ、ごめんごめん、こっちの話。さすがにそれは突飛だった」
口の中だけの独り言でも、迂闊に人には聞かせられない物騒な発想だ。
でも、ヴァイツもイドラもヒアインも、もちろんスバルとタンザも剣奴孤島には無理やり連れてこられて、ここで死合いに参加させられるのは嫌がっている。
他の人たちもそうなら、案外、スバルの考えも馬鹿げていないのかもしれない。
と、そんな風にスバルが考えていたところだ。
「ようやく目を覚ましたのか、坊主」
「この間の『スパルカ』、ありゃ大したもんだったな!」
「見てなくて失敗したぜ。あとであれこれ噂だけ聞かされてよぉ」
皿の上の肉に手を伸ばすスバルのところに、わらわらと人が集まってくる。
そう言って親しげに話しかけてきたのは、どいつもこいつも訳ありといった風体をした男たち――深く説明しなくても、きっと全員剣奴だろう。
新しく大広間にやってきたものや、少し遠巻きにスバルたちを眺めていたものも集まってきて、スバルを中心にちょっとした賑わいができる。
「えっと、みんなは?」
「見りゃわかるだろう。この島の先達ってやつだ。お前ら、わたわたと退屈しない『スパルカ』だったな!」
目を丸くするスバルを囲み、男たちがそう盛大に笑い出す。
ただ、馬鹿にするニュアンスではなく、純粋に褒めてくれているような言い方だった。ちなみに周りに囲まれて、イドラは苦笑い、ヒアインは居心地が悪そうで、ヴァイツは無言で不機嫌そうにしている。
「最後の嬢ちゃんの乱入は見ものだった。見た目よりだいぶ強いな」
「ありがとうございます。全て、私を愛してくださる方の恩寵です」
「おお? そうか。よくわからんが、いい死合いだった!」
一礼したタンザの話にも深く突っ込まない、いい塩梅に器の大きな男たち。彼らはスバルたちの『スパルカ』での戦いぶりをいちいち身振りを交えて話しながら、
「しかし、大したもんだ。あの剣闘獣……影獅子には結構な『合』がやられたんだ」
「お前たちがやられてたら、あいつにやられた『合』はちょうど十個になるところだったかな。最近の『スパルカ』は厳しいのが続く」
「グスタフ総督殿のお考えだろうよ。いっぺん剣奴として迎えたら丁重にもてなして、入口のところが一番厳しい……次の興行がおっかねえや」
がやがやと話題が尽きず、あれこれとギヌンハイブの事情を話してくれる面々。それらにいちいちスバルは相槌を打ちながら、島の情報をちょこちょこ仕入れる。
やはり、グスタフが島の管理者になってから、前とはだいぶ違う方針になったらしい。あとあのライオンはわりと強かったみたいで、勝ったスバルたちも評価が高い。
「そっか、俺たちも頑張った甲斐があったよ。……興行って?」
「ああ、ここじゃ定期的に帝国中の貴族が集まってきて、俺たちの死合いを見世物にした興行があるんだ。『スパルカ』も日々の死合いも、本番のための練習だよ」
「練習……」
「練習で死んでも何にもならない。それは総督もわかってるんだろう。真面目にやってれば文句は言われねえが……ああ、例外があるな」
「例外?」
筋肉ムキムキの強面が言いづらそうに鼻を撫でて、その様子にスバルは首を傾げた。
彼はしばらく黙ったあと、深々とため息をついて、
「お前は仲良くしてたから言いづらいが、あいつと付き合うのはやめとけ」
「あいつって……」
強面の言い方と、この場にいない相手と考えて、該当するのは一人だけ。
スバルは「それって」と言葉を継ぐと、
「まさか、セッシーのこと? どっちかっていうと、俺は付きまとわれてるんだけど……」
「ああ、気に入られてるみてえだが、それもどこまで当てになるかだ。――あいつがきたのは二十日ばかり前だが」
「うん」
「最初の『スパルカ』、あいつは自分の『合』の連中が全滅するのを手出ししないで眺めてて、味方がいなくなってから剣闘獣を素手であっさり殺した」
「――――」
「その後も、死合いを振られるたんびにあいつは相手が死ぬまでやりやがる。挙句に、何のつもりか名乗る名前は一将のセシルス・セグムントだ」
話しながら、強面は心の底からの不信感を顔と声に混ぜて、大広間の入口を見やる。ついさっき、偽セシルス――セシルス・セグムントが出ていった入口を。
そしてそんな目をしたのは、直接話してくれている強面だけじゃない。
彼を知らない、スバルの『合』の仲間たち以外の、この場にいる全員がそうだった。
スバルに親しげに接し、わけのわからない物語脳をうんざりするほど披露したかと思えば、死にかけのスバルに平然と遺言を聞こうとし、挙句に死と隣り合わせの生活を過ごしている剣奴たちから、猛烈な嫌悪感を向けられる人物。
それが――、
「――グスタフ総督とあの死神が、今の剣奴孤島の異様さの中心人物さ」