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悪女ファウステリアの最期  作者: 黒井雛
2/64

【2】

「目を……?」


「うん、くれるなら助けてあげる。君が望むなら、契約を結んであげても良いよ」



 男はまるで口が裂けたのかというほど、口端を吊り上げて歪に笑う。

 恐ろしく気味が悪い、笑顔だ。

 だが、少女の目はその笑みにどうしようもなく惹き付けられる。


「僕の名はメティ=ファウス。創世の魔神サトゥヌの眷属である大悪魔。君が望むのなら、その魂と引き換えに、欲しいものを与えよう」


「……何をくれるというの?」


「何でもさ」


 メティと名乗った悪魔は目を細めて、少女を見つめる。



「君が望むものなら何でもあげる。さあ、願いを口にするといい。莫大な富。誰も平伏す権力。全てを制圧する力。永遠の美貌。真実の愛。死後の幸福以外なら、どんな望みだって叶えてあげよう」



 メティの言葉を耳にした瞬間、少女は自身の右目に指を入れて、躊躇いなくその目を抉り抜いた。



「――ならば、全てを寄越せ」



 少女は自身の目玉を握り締めた血まみれの手を突きつけながら、血を流す窪んだ眼孔と、残った紫水晶の瞳でまっすぐにメティを睨んで言い放った。


「目玉も、死後の魂も、くれてやる。どうせ地獄に行く未來しかない魂だ。悪魔にくれてやったところで、何の問題もない。だから、その代償に全てを寄越せっ!」


 弱りきり死の縁にいるとは信じられない激しさで、少女は叫ぶ。


「富も権力も、力も美貌も、真実の愛も、全てを寄越せ!!私が全てを手に入れたと満足するまでっ!!それまでは、この命を終わらせることも許さない!!それでも良いというなら、契約を結ぼう!!代償に目玉でも魂でも、何だってくれてやるっっ!!」



 大悪魔は少女の言葉に少し驚いたかのように目を見開いて、やがてひどく愉快げに笑った。



「…欲深い子だなぁ。でも良いよ。僕はそういう子、すごく好きだから」



 悪魔の手が少女に翳され、目映い光が少女を包む。

 光が消え去った瞬間、腹部と目から流れる血がおさまり、患部が癒えていた。

 目玉を抉りだした眼窩は、がらんと何もない空洞のままだが、先程までの激しい痛みは嘘のように消えていた。



「――さあ、契約を結ぼう。哀れで欲深い、幼い人よ。その名を名乗るがいい」


「……名前なんか、ない」



 少女は名前を持っていない。

 最初からなかったのか、単に呼ばれなかっただけなのか、それすら分からない。

 呼ばれる呼称はいつも【生粋の咎人】だったし、捨てた親は少女を「あれ」や「それ」と呼んでいた。



「そうかい。ならば、僕が君に名前をあげよう」


 メティは考えこむように顎に手をあてた。

 芝居がかった仕草だが、いつか街の人波の中で見かけた、王候貴族御用達の人気役者よりも何十倍も美しいメティには、ひどく似合っていた。



「…そうだ、僕の名を一部あげるよ。君の名前は、『ファウステリア』だ」




 この世界で【ファウス】という単語は、【罪】を意味する。

 テリアは、女性名の末に良く付けられる結び。


「【罪の(ファウステリア)】…」


「気にいらないかい?」


 少女は、すぐさま首を横に振った。


「…ううん、気に入った」


 この世に生を受けた時から、罪人だった自分。

 きっとこの名をほど少女に相応しい名前はない。


「それじゃあ、君はファウステリアだ。僕は大悪魔メティ=ファウスの名に賭けて、君が望む富と権力、強大な魔法の力、不老の美貌、真実の愛を君に与えると誓おう。契約の期間は、君が望む全てを得て満足するまで。その契約が果たされるまで、君は死ぬことはけしてない。さあ、ファウステリア。君はその願いの代償を、僕が与えたその名に誓いなさい」


「…私は、ファウステリア。私はこの名に誓う。契約が果たされ時、メティに魂を与えることを」


 少女が、契約を口にした瞬間、宙から突然羊皮紙が現れる。

 鈍い光を放ちながら、宙に浮かんでいるそれを、メティは僅かにも動じる様子も見せずに手にとって少女に突きつける。


「誓約書だよ。今誓った内容が書かれている。」


 羊皮紙の上にはなにか文字らしきものが書かれているが、字を読めない少女には分からない。


「この下のところに名前のサインを…書けないか。なら血判で良いよ。ここに、押して」


「血判?」


「親指を切って、血が流れている指の腹を押し付けるんだ…ナイフはいるかい?」


「いらない」


 メティの言葉に即答した少女は、勢いよく自身の親指に歯をたてる。

 肉に歯が食い込み、口内に鉄の味が広がる。

 少女は血が流れる親指を、指の痛みを気にすることもなく、羊皮紙に押し付ける。


 途端羊皮紙が、勢いよく燃え上がった。

 炎はそのまま少女へと襲い掛かり、その全身を包み込む。

 少女はか細い悲鳴をあげた。


「契約は成立した…まずは君の望む美貌からあげよう。誰もが魅了される、美しい姿を」


 炎が少女の体の表面を焼き尽くしていく。

 焔が皮膚を溶かし、肉を焦がす。

 だが少女は熱さも苦痛も、何も感じなかった。

 めきめきと、骨格が変形する音が耳の奥に響くが、その痛みもまた、感じない。

 体の細胞一つ一つが全て破壊され、そして瞬く間に再生していくのがわかる。




 炎が消え去った頃、そこに蹲っていたのは、先程までのみすぼらしい少女ではなかった。


 栄養状態の悪さと衛生状態から、艶が無くぼさぼさに絡みあっていた鼠色の髪は、絹のように美しい金色の髪に。

 つんと上に上がった鼻は、筋が通った形良いものに。

 常に青白く、乾燥して皮がむけていた唇は、光沢がある薔薇色の官能的な唇に。

 そばかすだらけだった頬は、まるで赤子の肌のようにつややかな頬に。

 ぎょろぎょろと大きいばかりだった眼は、切れ長で美しいものに変わり、眼球を失った右眼には宝石飾りが美しい豪奢な眼帯がはめられていた。

 痩せてアバラが浮いていた体は、プロポーションが良い肉感的な体つきに。

 身に纏っていたつぎはぎだらけの服すら、王侯貴族ですら易々と買えないような、ふんだんにレースが使われた贅沢なドレスに変わっていた。


 隻眼で、紫水晶の瞳を持つというハンディを持ちながらも、それでも誰もが見惚れてしまう程の絶世の美女。


 それが、今の少女の姿だった。




「――綺麗だよ。ファウステリア」


 そう言って、メティがエスコートするように差し出した手を、少女は当然のように手に取った。

 まるで地位が高い貴族の娘か何かであるかように。



 悪女ファウステリアが、この世に誕生した瞬間だった。

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