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悪女ファウステリアの最期  作者: 黒井雛
1/64

【1】

※警告:キーワードは要確認

 隻眼の魔女王、ファウステリアは稀代の悪女として歴史に名を残している。

 彼女の治世は、血で血を洗うような残虐で一方的な支配であった。彼女に逆らうものは、皆惨たらしい最期を遂げ、その死体は市井にさらされ野鳥の餌にされた。


 ファウステリアは、悪魔と契約を結び、不老と長寿を手に入れていた。

 彼女は若く美しい姿のままで、その残酷な統治を300年もの永きに渡り行った。彼女が修めたグレーヒエルの地では、その300年を「暗黒時代」と呼んでいる。


 しかし300年続いた悪政は、英雄バレンタイヌによって終止符を打たれる。

 バレンタイヌは邪悪な魔法を使役するファウステリアを聖剣ヘレンによって打ち倒し、その禍々しき生を終わらせた。


 後世まで遺されたバレンタイヌの手記によると、ファウステリアは息を引き取る瞬間こう叫んだという。


「まだ、死の刻ではない!!私はまだ手に入れていないものがある!!」


 残虐な統治のうえで、栄華を極め、様々な欲望を叶えたファウステリア。

 彼女が手に入れられなかったものは、いったいなんだったのだろうか。







(畜生…)


 深夜のうす汚い路地裏の隅。

 少女は一人倒れていた。

 腹部から流れる血は、押さえている手を濡らし、石畳を朱色に染めていく。


(今日は、良い日のはずだったのに)



 忌み嫌われ、みすぼらしい姿の少女を、一晩買いたいというもの好きが現れた。

 滅多にない幸運。

 一時の苦痛さえ我慢すれば、久しぶりにまともな人間らしい食事と温かい寝床にありつける。

 久しぶりに満ち足りた気分を僅かとは言え、味わうことができる。


 しかし、少女を買いたいというだけあって、男の性的倒錯は最悪だった。

 行為中に殴られるなんては日常茶飯事だったので、その程度なら今さら大したことではない。

 だけどまさか、男が絶頂した瞬間、傍らのベッドに置いていたナイフで切りつけてくるとは思わなかった。

 少女のような身元のない娼婦まがい―しかも【生粋の咎人】など、命を奪ったところで罪に問われることはない。害獣駆除だと、鼻で笑われて終わりだ。もしかしたら、最初から男は少女を殺すことが目的で、商売を持ち掛けてきたのかもしれない。

 人殺しに性的興奮を覚える気狂いも、戦場あがりの傭兵なんかには少なくない。



 死にもの狂いで逃げ出して、追う男を何とか巻いたものの、出血量が多すぎて、結局誰もいない路地裏で倒れた。

 もう一歩も動けやしない。

 目の前が霞み、ほんの少し先の光景すら何も見えない。



(…こんなところで、一人死ぬのか)



 少女の紫水晶色の瞳から、涙が零れた。



 紫の瞳は、魔物の瞳。

 前世の大罪故に、いかに善行を積もうが天国に行く事を許されぬ【生粋の咎人】の証。


 この瞳を持って生まれたが故に、少女は親から捨てられた。



(碌でもない人生だった)



 いつだって惨めで、苦しくて、痛くて、ひもじかった。



【生粋の咎人】は忌むべき存在。

 手を差し伸べることすら、罪とされる。



 生きる為に何でもやった。スリもかっぱらいも、あまり客はつかなかったけど売春も。

 人を殺したことはないけれど、必要な場面と勝算さえあれば、躊躇わず少女は手を下した自信があった。

 ただ、ひたすら生きる為にいつも必死だった。明日のことなんか考える余裕はない。

 ただひたすら、「今」だけを追って、生きてきた。


 そんな日々も、今日で終わりだ。


(だからって楽になるわけではないのだけど)


 少女は傷口を止血することを諦め、両手の甲で涙が溢れる目元を抑えた。


 【生粋の咎人】の行く末は、地獄だと決まっている。

 

 少女は「地獄」というものをよく知らない。

 誰も詳しく教えてくれる人はいなかったから。

 だがそこが、酷く苦しく、辛い場所であることはわかる。

 今以上の苦しみがあるというのはにわかに信じられないが、皆がそこへ行くことを嫌がることを考えると、そこは酷い場所なのだろう。


 死すら、少女に安息を与えることはない。




(何で、私ばっかり)


 世の中には、いつもお腹いっぱい食べられて、温かい家があって、愛してくれる優しい家族や恋人がいて、死んだら当然のごとく天国にいける幸せな人々が山ほどいるのに、なんで自分ばかりこんな辛い目にあわないといけないのだろう。

 なんで自分は、そんな人たちが持っているものを、ひとつも持っていないのだろう。

 なんでこんな辛い思いばかりで、死んで、さらに辛い目に逢わないといけないのだろう。

 

 人は言う。

「それは前世で罪を犯したから」と。

 ならば、その罪は一体何か教えて欲しい。

 罪を忘れることすら罰なのだと言われても、納得など出来ない。


 自分が何をしたというのだ。


 ただ、必死に生きてきた、苦しい記憶しか少女にはないというのに。


 それに見合う罪とは、一体どれほどの罪だというのか。



(――…憎い)


死を目前にして、少女の中の負の感情が、どうしようもないほど膨れ上がった。



(憎い、憎い!!憎いっ!!)




 自分を不幸にした人間が


 自分を不幸にした世界が


 そんな世界で幸せに生きる人々が



 全てが、憎かった。



 ただひたすら呪いあれ、と願う。



 全てが呪われ、滅んでしまえばいい。




 願わくば、魂が地獄を行こうとも、この思いはこの地へと留まれ。

 この負の想いが怪物になり、一人でも多くの人を不幸へ導けばいいと思った。





「…おや、珍しいものが落ちているね」


 不意に、頭上から声が聞こえた。


「憎悪に染まった紫水晶。珍しいね。綺麗だね。…いいな、欲しいな。僕のものにしたい」


 誰もいなかった薄汚い路地裏。

 まるでどこからか振って湧いたかのように、微塵の気配も感じさせないまま、上等な生地で出来た漆黒の衣服を身に纏った若い男が、いつのまにか少女の傍に立っていた。


「その紫水晶を一つくれるなら、命を助けてあげてもいいよ」



 少女が今まで見たことが無い秀麗な顔立ちをした男は、少女を見下ろしながら、心とろかすような甘い笑みで、そう言った。

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