7.アカデミアは騒がしい(前編)
その日、王立アカデミアはひそかな興奮に包まれた。
隣国からの留学生。それも、見目麗しく、第二王子という身分。直前まで秘されていた情報は爆発的に広がった。
連れの少女が男爵令嬢だと知れると、二人の関係をめぐって噂話は加速し――しかしすぐに混乱した。
なぜならその王子レオハルト自身が、『妃候補探し』を明言したからである。
「ぼくの信頼を託すにたる人がおられれば、その方をオリオン国へお招きしたい」
もったいぶった言い回しだが、要するに「気に入った者がいれば国へ連れて帰りたい」ということだ。それをそのまんま言うとさすがに風紀を乱すのでギリギリのところに薄めている。同じ年頃の子息令嬢を集めて婚姻を促すのが王立アカデミアの機能の一つでもあるため、妃候補探し自体を罰することはできない。
ざわめく校内の空気に、はぁ、とため息をつく。
両国の友好のためにナンパは止めないとしても、うちの国で揉め事を起こすのだけはやめてほしい。
「ハロルド」
「すでに」
オリオン王国について探ってくれと言おうとした台詞は食い気味に肯定された。
そうか、揉め事が起こらないというのはどうやらもう無理そうだ。
***
授業が終わり、鐘の音が鳴る。
二限後は長めの休憩時間がとられている。
虫の知らせのようなものを感じてオレは席を立った。話がさらに面倒くさく進化しようとしている、そんな気がする。
魔法に精通した者は世界を循環する魔力の流れに敏感になり、第六感が発達するのだとラファエルが言っていた。ぼんやりとだが自分の望むものがどこにあるのかわかるらしい。
果たして、レオハルトのいる教室へ行ってみれば。
「妃候補を探している? それなら留学先に我が国を選ばれたのはよいことですね。ご覧になってわかるとおり、この国には色とりどりの花が美しく咲くのですよ」
「そうか、それは嬉しい。そなたのような者と知りあえたのは心づよい」
そこにはなぜか、レオハルトの正面に腰かけて和気あいあいと語らっているラファエルの姿。
隣国の王子と学園一のモテ男の並ぶ光景に、周囲の令嬢たちは頬を染めている。人前では一応それなりの人間性をよそおうラファエルは、知的な風貌とやわらかな物腰、侯爵子息という地位から女性の注目を集めやすい。
「ラファエル、ここで何をしている」
言うと、ラファエルとレオハルトはいま気づいたとでもいうように顔をあげてオレを見た。いや絶対気づいていたろ。
オレの質問には答えず、ラファエルは優雅にお辞儀をすると席を立つ。
「見咎められてしまっては仕方ない。レオハルト殿下、またお会いできるのを楽しみにしておりますよ」
「こちらこそ、貴殿とはまた話がしたい」
「……せめて放課後に、別の教室でやってくれ」
オレが現れたことによって一回生の教室はちょっとした恐慌状態に陥っていた。
留学でやってきた王子というだけでも気を使うのに、自国の王太子、その乳兄弟、有力な侯爵家の子息とそろえば当然である。入学したてで上とのつながりのない新入生たちには刺激が強すぎた。
そういえばリーシャ嬢は、と探せば窓際の席で参考書に顔をくっつけるようにして私は関係ありませんオーラを放ちまくっている。
「行くぞ、ラファエル」
呼べば素直に従い――と思いきや後輩たちにむかってウィンクをしてみせたラファエルのせいで教室が黄色い歓声に包まれる。なぜか子息連中まで頬を染めている。
……まぁ、誰もが「なんかよくわかんないけどすげーもん見ちまった!」って顔になっているので、ラファエルがこの教室を訪れた目的をまともに考える者はいないだろう。
しばらく廊下を歩き、人目のなくなったところで立ちどまった。
「で、なぜレオハルトに近づいた」
校舎の異なる三回生の教室からわざわざ移動してまでやってきたのはそれなりに理由があるはずだ。
ラファエルは首をかしげて薄く笑み、今度はオレの問いに答えた。
「王子様に用があったわけじゃないんだ。留学生の女の子がきてるっていうから」
「お前、あれだけ親しげにしゃべっておいて……」
「ふふ、しかもなんだか邪法の匂いまでするじゃないか。……なるほどね、父上が呼びだされていたのはそのせいか」
モノクルの向こう側の目が細められ、じっとオレを見つめる。
「鼻がいいな。詳細は明かせんぞ」
「面白そうなのにねぇ」
何も言わずとも大方は察しているのだろうが。
オレからラファエルに情報を渡すことはない。なぜなら――、
「婚約者様には接近禁止令が出てるからね、ボクは」
そういうことだ。
この恋多き歩くナンパ男、いまは一途に想う相手がいるとはいえエリザベスに近づけるわけにはいかない。ラースのことを明かせばエリザベスにたどりついてしまう。……さっそくリーシャ嬢に目をつけたようだしな。
オレの心を読んだかのようにラファエルは笑った。
「気になるじゃないか、王子に連れられてやってきたのが黒髪に黒い瞳の男爵令嬢だなんて。まるでボクのユリシーちゃんのようだろ」
「――……」
言われて、思わずラファエルを見た。
ラースの騒ぎにまかれてうやむやになっていた疑念。偶然にしてはあまりにも一致しすぎるキーワード。そこに何かを感じたのはオレだけではなかったか。
「しかもあの子、どうやら魔法の素養があるらしい。魔力の質・量ともに申し分ない」
「なんだと?」
「気になるだろ? 偶然だろうとは思うけど、あの王子様が何を考えているのやら」
すらりとのびた指の先を顎にあて、ラファエルは口元をゆるめる。
魔法となれば、目の前の男の領分だ。
「……時がくればこちらから連絡する」
「りょーかい☆」
おどけた敬礼を返すラファエルは、ハロルドに絶対零度の目で見られてもまったく怯まなかった。