23.ヴィンセントの苦難(ユリシーと会話イベント)
覚悟は決めた。
ユリシー嬢が何を言いだしても笑って受け流す。激高しない。たとえそれがエリザベスに関することであっても。
……とは誓ったが。
目をうるうるさせながら小首をかしげているユリシー嬢の前で、オレはひたすらに無心だった。
「エリザベス様が私のことをお叱りになるのももっともなのです。私はいるだけで注目を集めてしまいます……身分に不相応なことです。でも信じてくださいませ、ルークス様もエドワード様もラファエル様も、皆様お友達なのです」
「うむ、わかっている」
「それに私は貴族の慣習などに疎く、皆様のご気分を害することもあるようなのです……だからエリザベス様が私のことをお叱りになるのももっともなのです。ドレスを破かれたりノートを捨てられたりしても、当然なのですわ」
「そんなことはない」
「そう言ってくださいますか……? 私もエリザベス様や他の皆様のお叱りを受けないように、気をつけるつもりではあるのですが」
「ユリシー嬢、君はそのままでよい」
「嬉しいです、ヴィンセント殿下」
にこりとユリシー嬢が笑った。オレは心を無にして笑い返す。
オレ、ロボット。笑顔ニハ笑顔カエス。オナジ表情ツクル。
心の中でぶつぶつとラファエルから言われた注意事項を繰り返す。自分の感情は殺し、相手の感情にひたすら同意する。相手が言われたいことを言う。相手が悲しそうな顔であれば悲しそうに、嬉しそうな顔であれば嬉しそうに振る舞う。……ユリシー嬢にとってオレは物語の中のヒーロー役にすぎない。こちらもそのつもりで演じよ、と。
言われたときはなるほどと頷いたが、当然それはたやすいことではなかった。どれだけエリザベスの悪印象をサブリミナルしてくるんだよとかシナリオでは会話の内容は主人公の故郷の自然が美しいといった本当の『たわいもない話』だっただろとか思ってもつっこんではいけないのだ。
エリザベスがユリシー嬢に対していっさいの嫌がらせを行わないので、彼女は話をでっちあげるしかなくなっている。
オレの役割はそれらのでっちあげを肯定し、ユリシー嬢に勝利を確信させること。
「君が色々と不愉快な思いをしたことはすまなかった、ぼくからも謝っておこう」
「いいえ、気にしておりませんわ」
いまの流れで気にしてないって無理があるだろ。
……というのもつっこんではいけない。
とにかくとっととこの会話イベントを終わらせて解放されたい。
「君が『星の乙女』だということを、最初は信じられなかったが……いまは信じられる。君は不思議な魅力にあふれているようだ」
「まぁ……私は普通の男爵令嬢です。でも、そうですね……私は星の加護を受けました」
「星の加護を? 本当にそんなものがあるのか?」
おおっと、もう釣れたぞ。
驚いた顔をするとユリシー嬢は顔をそらして微笑を浮かべた。笑ってはいけない場面で笑ってしまうのを抑えているかのようだった。
ずっと自分の幸運を誰かに言いたかったのだろう。口止めしたのはラースか。
もう少しつついてみよう。
「君は星から加護をたまわったのか? 本物の聖女ではないか」
口が浮いてどこかに飛んでいってしまいそうだと思いながら世辞をつむげば、ユリシー嬢は恥ずかしがるように大きく身をひねって顔を隠した。が、虚栄心を刺激されているのは明らかだ。
こういうときは、いったん引く。と、ラファエルが言っていた。
これを逃せば見栄を張る機会がなくなると思えば相手はのってくる。人間は『期間限定』に弱い。らしい。
「よい。不躾なことを聞いて悪かった。君が不快に思うならこの話題はやめよう」
「いえ! 殿下、私、不快ではありません。……誰にも言ったことはありませんでしたが、殿下になら私の秘密を打ち明けても……」
「いいのか? ぼくを信じてくれるのか?」
「もちろんです。お話しします」
「ありがとう」
にこりと特製王族スマイルを向けると、ユリシー嬢は顔を赤くして笑った。すでに微笑みからは程遠い、内心の興奮が隠しきれない笑顔になっている。目に『王妃の座』って書いてあるぞ。
うーむ、ここまであっさりと騙されてくれるとこちらにも罪悪感がわくレベルだ。
すまんな、ユリシー嬢。君を利用しエリザベスに横恋慕する不届きなラースはオレが盛大にやっつけておくので、許してくれ。
内心で手を合わせつつ高貴で品位にあふれる笑顔を張りつけたまま、視線でユリシー嬢を促す。
ユリシー嬢は嬉々として口を開いた。
「実は、入学してから間もない頃に、生徒の姿をした方に声をかけられまして。一冊の本と、美しい石を渡されました」
「その本とは……『乙星』か」
「そのとおりでございます。その方は、『これは君の運命が書かれている本だ』と。そして『天よりきたる守護石に毎日祈れば、加護が得られる』とおっしゃいました。私驚きました。小説には私のことが書かれていて、それに本当に小説のとおりのことが起こるのです」
「なるほど。その者は星の御使いだったのかもしれぬ。……もしや、黒い髪に黒い瞳の、線の細い男ではなかったか? 髪は肩ほどまである」
カマをかけるとユリシー嬢の目がカッと開かれた。当たりだ。
「そうです!! どうしてわかるのですか!?」
「それは王家の守護者の姿なのだ。そうか、なるほど……」
ドルロイド家は後見人でも何でもないくせにオレの保護者みたいな顔をしてくるからまぁ間違いではない。
言葉を区切り考え込むようなふりをする。ユリシー嬢の目はいっそうキラキラと輝いていた。
特徴からしてユリシー嬢に魔石を渡したのはラースで間違いないだろう。さすがに貴重な凝魔晶、しかも悪事の証拠になるものを他人に預ける決心はつかなかったのだ。しかし確実な代わりに、ユリシー嬢に顔を見られている。病気の療養中と言って登校していないのはそういう理由もあったわけだ。
「君のことを父上に申し上げよう」
「父上、というと」
「国王陛下だ。会ってもらうことになるかもしれぬ」
「!!」
うん、これも嘘は言っていない。たぶん父上は顔を見たがるだろう。そうなるとエリザベスを陥れようとしたユリシー嬢に母上が何をするかわからないので実家にでも帰っていてもらわねばならないが。
「殿下……」
うっとりとした目で見つめられて思わず背筋がぞわぞわとする。
ミスリードするように言ったのはオレだが、あああぁぁぁ……。
「いかん、もうそろそろハロルドが心配する時間だ」
ハロルドの名を出すとユリシー嬢の熱のこもった視線が少しだけ冷めた。ありがとう氷の男ハロルド。
「話ができてよかった」
「私もです、ヴィンセント殿下」
だから軽々しく名を以下略。
ユリシー嬢の手が腕に触れる。反射的にひっこめそうになるのを抑え、笑いかけた。
確信を得たらしいユリシー嬢はもはや遠慮というものを知らない。
「来週の同じ時刻に、西校舎の庭においでください」
一方的に次の約束を取りつけられて、唇の端がひんまがりそうになる。
西校舎といえば、エリザベスが勉強会をしている場所じゃないか。
まだ何かやるつもりなのか……。
「わかった。会えるのを楽しみにしているよ」
頷くとようやくユリシー嬢は手を離した。
挨拶を交わして出ていく彼女を見送る。
最後まで笑顔を崩さなかったオレは本気で褒められるべきだと思うし、翌日は顔じゅうが筋肉痛になったようでじんじんと痺れた。