20.単純な動機(前)
王宮に戻ってハロルドと『乙星』の今後のシナリオを確認した。
主人公のひたむきさに惹かれた王太子は二人きりでたあいもない会話を交わすが、それを婚約者に見られて嫌がらせは直接的なものになる。
第九章はほとんど主人公が耐え忍ぶ展開だ。
そして第十章の成人パーティにて怒涛のクライマックス。王太子は婚約者の所業を公表し、婚約破棄を突きつけて主人公と結ばれる。
「この日までにドメニク殿の捜索が実を結ぶといいのだが」
成人パーティでユリシー嬢はエリザベスに対し何かしらの行動に出るだろう。
現状ではユリシー嬢を糾弾しエリザベスの名誉を守ることはできるが、その背後にいるドルロイド公爵には手が届かない。
「工房一つ一つを洗っているものの、結果は思わしくないと聞いております」
「だろうな」
突然お前のところで禁呪を施したかと尋ねられて素直に罪を認める者などいない。取引等に不審な点がないか、妙な動きをしている職人はいないか、そういったところから徐々に攻めていかねばならないだろう。
今日、マーガレット嬢からの情報と、ラファエルに接するユリシー嬢を見て彼女の目的は想像がついた。
ユリシー嬢は完璧とはいかないまでも『星の乙女』を演じている。そして小説の内容を現実のこととして起こそうとしている。
シナリオを演じきることで彼女にとってのプラスになるとしたら、それは最終的にオレと結ばれるということ――王妃になるという確信だ。ラファエルが狙いはオレだと言っていたのはこのことだ。
とすれば彼女に魔石を渡し「お前は星の乙女なのだ」と囁いたのがドルロイド公爵ということになる。
……しかしいったい何のために?
ガシガシと頭を掻きまわすオレの横でハロルドも眉を寄せている。同じ疑問を持っているらしい。
ドルロイド公爵は面倒くさい性格で鼻持ちならない男だが、あくまで小物という印象。こんな回りくどい、しかし成功すれば大事件となるような企みはしないように思える。
「わからん……」
本を放り投げるとクローゼットへ向かった。ハロルドが先回りして重たい扉を開く。
もうすぐ食事の時間だ。
学園用の礼服からくつろげる服へ着替えようと、指示を出しかけて。
コンコン、とドアがノックされる。
ハロルドがすぐさま応対し、何事かを聞いたあとに戻ってきた。
胸に手を当てて礼をし、伝言を述べる。
「国王陛下から、夕食には遅れず出るようにと。ラ・モンリーヴル公爵令嬢様をお招きしたそうです」
「……このあいだ買った勝負服を着せてくれ」
数分前に感情に任せて髪をひっかきまわしたことを、オレは深く後悔した。
***
なんとか支度を終わらせて食堂に駆けつけると、そこにはたしかにエリザベスがいた。オレの向かい、普段であれば母上が座っている席の隣にエリザベスのための食器が用意されている。
エリザベスは席にはつかず、起立のままオレの来るのを待っていた。
「このたびはお招きありがとうございます」
金の巻き毛をゆるやかに両肩にたらし、残りはリボンで後ろにまとめた髪型は、夜会用の正装ではないがエリザベスの美しさを存分に惹きたて、王太子の前に出るにふさわしい気品をたたえている。ドレスは宝石こそないもののレースやフリルをふんだんにあしらった薄紫のマーメイドライン。
勝負服を買っておいてよかったと心底思った。モノトーンでワンポイントの入ったジャケットは可憐さを絵にかいたようなエリザベスと並んでも遜色ない。
「よく来てくれたね。会えてうれしいよ」
「わしが呼んだのじゃ」
事情の呑み込めないままにオレが呼んだ面をしようとしたら、父上にあっさりバラされた。
「急ですまなかったな、エリザベス嬢。ただ、せがれが色々と話したいことのあるそうで」
言いながら父上がちらりとオレを見る。
含みのある視線に、この晩餐がオレのために用意されたものであることを知った――もちろんエリザベスを呼んだ時点でオレへのご褒美なのだが、それだけでなく、学園の騒動に関する何かヒントを与えてくれようとしているらしい。
「畏れ多いお言葉でございます。わたくし、一目でも皆様にお会いできるなら喜んで馳せ参じますわ」
エリザベスが柔らかな笑顔を父上とオレに向ける。父上が無言なのはたぶん心の中で「エリたんマジ天使……」となっているからだ。
しかし、重々しい咳ばらいを一つすると、父上は椅子を引かせ立ちあがった。
「すまんな、わしは用事があるゆえ、これにて失礼する」
というのは嘘で、本音は母上のいないうちにエリザベスと夕食を共にしたことがバレればどんな目に遭うかわからないので自室でとることにするのだろう。
もちろんそんな王家裏事情など知らないエリザベスは父上が扉を抜けるまでその背に向かって頭を下げつづけた。
「では、座ってくれ。ぼくたちもいただこう」
「はい殿下。失礼いたします」
オレの言葉に給仕が開始される。
友人たちの話を聞かせてほしいと頼めば、エリザベスはキラキラと目を輝かせて仲のよい令嬢のことを語ってくれた。
あの方は優しく、あの方は数学が得意で、あの方はお菓子を作るのがとてもお上手で。皆様かわいらしくて、おしゃれで……そう語るエリザベスのほうがかわいい。とは口には出せないが。婚約者の欲目だと一笑されてしまうに違いない。
「リザはたくさん友達がいるんだね」
「皆様たいへんよくしてくださるのです。ヴィンス殿下のご友人の皆様も個性的で羨ましいですわ」
「……ありがとう」
それは主にラファエルのことか。いやハロルドもエドワードもだな。
エリザベスのように彼らを褒めようと口を開いたが乾いた笑いしか出てこなかった。ハロルドの何か言いたげな視線が後頭部に突き刺さっている。
オレは咳ばらいを一つして話題を変えた。
「あー、そういえば、ドルロイド公爵家やユタ公爵家とは、交友があるのかい?」
「はい、……」
はい、と言ったもののあとが続かない。エリザベスの形のよい眉がひそめられた。どんな話題でも受け入れてくれる彼女にしては珍しい。
たぶん父上のヒントはこれであろうと思ったのだが、当たりだったようだ。
「ユタ様とは季節の贈り物をしておりますわ。……ドルロイド様とは、両親がお手紙のやりとりなどさせていただいております」
言葉を選んでいるが、ドルロイド家とは実質なんの交流もないということだ。
「何かあったのか」
「……」
「リザ、ぼくにも言えないことか? ……ならばぼくは君以外の人間に尋ねなければならなくなる」
言いながら、これは完全に脅しの台詞だと内心で落ち込んだ。エリザベスの警戒を煽るだけだ。うまい言葉が見つからない。
父上が退出したのは母上に慮ってだけではなかったとようやく思い至る。
国王の前で他家の悪口は言えない。エリザベスにしろ、父親の公爵にしろ、王家とのつながりを幸いと告げ口をするような性格ではないのだ。
なんと言えばエリザベスはわかってくれるだろう?
オレがエリザベスに求めていることは、王族の耳に醜聞を入れることではなくて――。
「……すまない。脅すつもりはない。ただ、君を不安にさせる何かがあるなら、言ってもらえないのは婚約者としてはつらくて……」
考えあぐねた末に出てきたのは、ただの本音。
エリザベスがハッとした顔でオレを見る。
「申し訳ありません、ヴィンス殿下。わたくし、殿下に隠し事をするつもりはございませんでした」
「いや、ぼくも悪かった。言いたくないなら言わなくていい」
土下座して父上にお願いすれば、エリザベス本人から聞き取れなかったのかとボロクソ言われた後になんとか教えてくれるだろう。
そう思って首を振ったオレを、エリザベスはテーブルの反対側から真っすぐな視線で見つめた。
飾り気のない、強いまなざしに心臓がどきんと音を立てる。
「申し上げます。でもどうか、わたくしがよくない感情を抱いているとは思わないでくださいませ」
「わかった、約束しよう」
真剣なエリザベスの表情に鼓動は妙に高鳴った。エリザベスがこれだけ念を押すということは、オレにとっても衝撃を受ける事実があるということだ。
緊張を表に出さぬよう、むしろすべてを受けとめる度量があるのだと見せるためにオレは柔らかく笑った。本当は耳を塞いで「ちょっと待って―――!!!」と叫びたい。しかしエリザベスが勇気を出してくれるのだ、オレも。
渾身の力をふりしぼり笑顔をキープしていると、エリザベスのつつましやかな唇は弧を描いたあと、ゆっくりと開いた。
「以前、ドルロイド様より、御長男のラース様へ嫁がないかと言われたことがあるのです」