#3 アンダーグラウンドKENZEN
日付を跨いでしまいました……
そういう場所の条件とは何だろうか。
思うに、不特定多数が出入りする場所……
できれば、どんな人がどんな時間に出入りしてもおかしくない場所なら最高だ。
可能なら大きな物を搬入・搬出しても怪しまれないカモフラージュにもなると尚更いい。……まあこれは大抵の商売に当てはまると言えば当てはまるか。
なんなら電力を多めに使ったり、使用量にムラが出ても怪しまれないならやりやすくなる。
後は、そうだな……客同士が互いの行動を見られなかったりするともっと良い。例えば個室に入った客がいつの間にか消えても、他の客がそれに気付かないとか、ね。
「カラオケボックスとはなあ……」
極彩色の建物を見て、俺は感心のあまり唸った。
意表を突いたようでいて、考えてみれば合理的だ。学生、社会人、貸し会議室として利用するサラリーマンから電子ドラッグをキメに来るジャンキーまで昼夜を問わず出入りしておかしくない……この時代のカラオケボックスは電子ドラッグを売る場所でもあるのだ。
* * *
「失礼、予約のドーです」
「ジャック・ドー様。お待ちしておりました」
ジャックがカウンターのアンドロイド受付嬢に名前を告げると、美しすぎる彼女は完璧に構築されたスマイルと共に1本の鍵を差し出した。
この店の一般従業員は全員アンドロイドだ。商業上の理由でそうしている店は別に珍しくもないが、この店に限っては特別な理由がある。彼女たちは決してプログラムに背かない……ハッキングに気をつける必要はあるが、そうでもなければ裏切られる心配がないのだ。
渡された鍵を持って、ジャックは奥まった場所の部屋へと向かう。
扉に窓が無く、中の様子が見えない部屋。入っていくと一見何の変哲も無いカラオケルームだ。暗い照明、機器が入ったラック。そこまで等級が高い部屋でもないのに電子ドラッグ用のトリップ端末は置かれていない(一般的に低い等級の部屋は電子ドラッグ用だ)。
壁に取り付けられたディスプレイでは演奏のリクエストが入るまで、孤児院出身の少女が『電子ドラッグの収益によって私たちは学校に通えました』とメッセージを読み上げる祝福的広告がリピート再生される。
ジャックは部屋を開けるために使った鍵をカラオケ機器ラックの鍵穴に突き刺し、さらに部屋番号が書かれたプレートを何の変哲も無い壁の一部にかざした。
ガチン……
小さな金属音がして、壁の模様に偽装された扉がへこみ、横にスライドして口を開けた。
奥には細い通路、非常灯の明かり、細い下り階段、狭すぎる踊り場、下り階段、そして……
階段を降りきった突き当たりの扉を開いた瞬間、いくつもの賑やかな音がジャックを包んだ。
もしそこを、21世紀初頭の日本に生きる者の語彙で大雑把に描写するなら、ゲームセンターとネットカフェを足して1.5で割ったような空間だ。
広いホール状の空間だが、多くのゲーム筐体や端末が置かれているために、いくつもの小さな部屋に区切られているような印象を受ける。
集まった人々が楽しんでいるのはアニメやゲーム、書籍類、そして楽曲。ただし教会の許可を受けて流通している祝福的なコンテンツではない。かつて、今ほど教会が圧政を敷いていなかった時代(本当にそんなものがあったのかジャックは半信半疑だ)や、人類が地球で暮らしていた時代のアーカイブだという作品がほとんどだ。これらの作品群は、教会にとって都合の悪い概念などを含むために発禁処分が下されたものだった。
まるでカルト宗教の秘密地下礼拝堂めいた場所だが、彼らは神に祈るためではなく情報交換と、禁じられた(しかし健全な(ただしある意味では不健全な))娯楽のために集うのだ。
入り口の脇では、大小様々なサイズのドラム缶をつなぎ合わせたような外見のロボットが出迎える。ちょっとこの空間にはミスマッチな存在にも見えるが重要な存在だ。
「やあ七号君。今日も頑張ってるね」
『祝福的です』
合成音声で答えたそのロボットは胸に大きく『7』と書かれており、子どもの落書きみたいな顔をしていた。鉄の丸太のように無骨な腕で、船の操舵輪を寝かせたような謎の機械を延々グルグルと回し続けている。
近くの壁のモニターには地下空間のバッテリーの残量、消費量と発電量、そして一般送電網からの引き込み量がそれぞれ秒間で表示されている。バッテリー残量は74.2%で、グリーンの文字で『祝福的』とスタンプが押されたようなエフェクトが掛かっていた。
いくらカラオケボックス(すなわち電子ドラッグ供給所)というカモフラージュがあるとは言え、電力を使いすぎれば怪しまれる。このロボット力発電は秘密の娯楽施設を支える補助電源だ。普通に考えればロボットのバッテリー費の方が高いはずだが、なんとこのロボット、バッテリー要らずで動くという不可思議な力を備えている。
かつて人類が地球上に住んでいた時代の者達が、その奇跡のごとき技術力によって何かのジョークに作ったオーパーツガジェット……と聞いたが、実際どうなのかは知らなかった。とにかく七号君は、遊技場のオーナーの個人的な所有物であり、彼によって発電に使われているのだった。
ちなみに発電機そのものは教会で使われている物の民間への払い下げ品だ。本来は主に政治犯(民主主義者とか)に回させるものだった。
「二週間ぶりくらいだな、ちくわ星人氏」
入り口近くでノート型スマホをいじっていた、サングラスを掛けたやせぎすの中年男性が声を掛けた。
この場所でお互いの素性は詮索しない。仮名で呼び合うのが決まりだった。
ジャックに声を掛けたこの胡散臭い男こそが、このカラオケボックスのオーナー。そして同時にこの秘密地下遊技場のオーナーだった。
「実際どうです、トリプルポチさん」
本名はおそらくここに居る誰も知らない。彼はトリプルポチと名乗っているのでそう呼んでいる。
彼は地球時代の物語に出て来るらしい『ケルベロス』という三ツ頭犬がお気に入りで、その別名のひとつを自らの仮名としているのだそうだ。
ちくわ星人……もといジャックに問われ、トリプルポチは眉間にしわを寄せた。
「カメラの話か? 良くないよ、もちろん。
俺が家でやってたアレやコレは、まあこっちへ持ち込めばいいとしてだ……
連絡が不便になるな。端末の画面が見えないような位置にカメラを付けることを、あいつらが許すと思うかね」
「許さないだろうな」
「ある程度はスマホでしのげるとしても限度ってもんがある。
今までの手は使えない。より慎重な手段が必要になる……
より慎重で、バカやうっかり者でも使える手段が必要なんだ。つまり俺でも使えるようなやつが」
トリプルポチはおおげさに溜息をついた。
この遊技場のメンバーは普段、暗号化通信アプリで連絡を取り合っている。一般に流通しない情報を交換し、その真偽を見極め、日常生活で落とし穴を踏まないようにするための場だ。
このアプリによってジャック自身、教会による水門の操作ミスで有毒奇形魚が水源へ大量遡上した情報を事前に掴み命拾いした経験がある。浄水場が緊急隔壁を展開するまでの2分間に水を飲んでしまった隣人は体が蛍光パープルとショッキングピンクに点滅して倒れ病院に運ばれた。その後彼は『タコス』としか喋れなくなる後遺症を負ったが、教会からの賠償があったという話は聞かない。
このアプリは生半可な手段では部外者から察知できない優れものだったが、画面を家庭内監視カメラで覗き見られるという斜め上の脅威がやってきた。
「今日は大繁盛だろ? みんな気になって話を聞きに来たのさ。
……映像で見てもそれと分からない連絡手段アプリを考えてる。もう贔屓の技術者と相談し始めてるが、これが軌道に乗るまではかなり用心しないとダメだな」
トリプルポチはうんざりした様子だったが、彼が既に対策に動き出していることを聞いてジャックは少し安心した。
ジャックはネットワーク上で、発信元を偽装して教会批判の論を展開した事がある。それに目を付けたトリプルポチの方から声を掛けてきた。
幾度かの慎重なコンタクトの末、彼はジャックをこの空間へ招き入れたのだ。
ジャックがこの場所へ来る目的は、先行きが真っ暗な世の中を生きていくささやかな生き甲斐たる娯楽のため。そしてもう一つの目的は、トリプルポチの商売にすがるためだった。
「ほら、奥さんの薬」
もはや委細承知という様子で、トリプルポチは紙袋を棚から取り出す。
どこからどうやって手に入れたか知らないが、その紙袋はジャックが向かうはずだった病院のロゴが入っていた。
ジャックは神妙に押し頂いて礼をする。
「毎度すまない。いつも苦労掛ける」
「気にすんな、ちゃんと利益は出てるんだ」
遊技場は一応入場料を取っているが、トリプルポチにとって半分道楽。こうして正規のルートでは絶妙に手に入りにくい品をどこからか手に入れてきて売りつけるのが彼の商売だった。
値段はむしろ市価より安い。しかしトリプルポチはかなりの儲けを出しているらしい。
トリプルポチはそれを『教会の連中の懐に入るはずだった不当な利益を俺がかすめ取っているだけ』と説明していたが、詳細は不明だ。そんな事をやってのける彼が何者なのかもジャックは知らない。
権力争いに敗れてドロップアウトした元教会官僚だという噂を、この場に集う者から以前聞いた。彼の財力やその手管を見るに概ね間違ってはいないだろう。
何にせよひとつだけ確かなのは、彼の存在がジャックにとって極めてありがたいということだ。
「このためだけに四時間も並んで、しかも買えるか分からないってのはやってらんなくて。
……最悪、並ぶのはいいよ。でも買えないのはダメだ」
「確かに」
「よく覚えちゃいないが、俺が子どもの頃はまだもう少しマシだったはずだ」
「実際、薬に限らず物不足は深刻だよ。作るための環境が足りてない。
電力不足、水不足、環境汚染による材料不足、以下諸々」
ジャックがなんとなく感じている事を、トリプルポチはデータと情報の裏付けの上で、さらに鮮明に感じ取っているに違いない。
このまま方舟の居住環境が悪化していき、方舟で生きられる人間の許容量が減り続けたら……何が起こる?
『次に死ぬのは自分ではないだろう』……そう誤魔化し続けても、いつかは自分の番が来る。
ふたりの間に沈黙が流れ、四方八方から聞こえるゲームの効果音やはしゃぐ人々の声が隙間を埋めた。彼らもまた同じ不安を抱え、しかしそれを忘れるべくここで遊んでいるのかも知れなかった。
「どうだ? RTAでも。あんまり早く帰っても怪しまれるだろ。
こないだのお前の記録、もう抜かれたぞ」
気を取り直すようにトリプルポチが言った。
「残念だが今日は仕事があるんだ。明日までに作っておかないといけない資料があるんで、壁の花になるよ」
「分かった。まあゆっくりしていってくれ」
ジャックは壁際の椅子に座って自分のノート型スマホを開くと、会議を減らすための会議をどうやって減らすかについて上層部にプレゼンするための資料を作り始めた。
クローン培養義肢の研究者として大学に勤めるジャックを悩ませているのは、教会にコネがあるコンサルタント(給料はジャックの10倍だ)が構築した極めて非効率的な業務システムだった。ジャックが研究を行える時間は週に1時間あれば良い方で、それ以外の時間はコンサルタントの指示によって行われる生産性向上会議や、極めて複雑な書類を整える作業に謀殺される。先週は出張経費を申請する大量の書類を半日がかりで書き、そこで嫌になって『もういいから自腹で出させてくれ』と言ったらコンプライアンス違反として8時間にわたる教育を受け、それからさらに3日を費やして完成させたところだ。
ジャックの提案を大学上層部が受け入れる可能性は低いだろう。しかしクビを覚悟した同僚の奔走でこのプレゼンをセッティングできたのだ。言うだけ言わなければ気持ちが収まらなかった。
遙かな昔、この方舟を作ったのは神ではなく、方舟に住む者達の祖先なのだとトリプルポチは言っていた。
ジャックはそれが信じられなかった。こんなものを人間が作れるほど科学が進歩するのは数百年先だと思っていたからだ。仮にそんなオーバーテクノロジー技術があったのだとしたら、今日の水準まで技術力が退行してしまったという事になる。一度は進歩した技術がここまで退行するというのはちょっと信じられなかった。
しかしこの時、ふと、ジャックはトリプルポチの言葉を信じて良いような気分になった。