表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

266/423

END



 ◇【女神ヴィシス】◇



 ヒジリ・タカオは”覚悟”を決めている。

 ヴィシスはそれを理解した。


 長広舌ちょうこうぜつが時間稼ぎだと看破してきた。


 見込み通り、抜け目がない。



 そして、



 ヴィシスが真っ先に取った行動は、離脱であった。

 数歩で階段を駆け跳ね、二階廊下に着地。

 階下から追ってくるであろうヒジリ。

 どう動――



 いない。



 背後。


 階段を使用せずの跳躍。

 固有スキルによる人並み外れた跳躍力。

 おそらく風の能力で限りなく音も消されている。

 振り向きざま、ヴィシスは右腕の骨を斧型に変形させた。

 そのままヒジリの剣を、切り払う。


 が、ヒジリ・タカオの怒涛の攻勢は――止まず。


 固有スキルを織り交ぜ、攻撃を続行してきた。

 手を緩める気配がない。

 攻撃に、絶え間がない。

 ヴィシスは誰にも聞こえぬような小声で、


「小賢しいこと」


 呟いた。

 ヒジリの攻撃。

 常に大魔帝のいる方角へ誘導しようとしている。

 が、その誘導を避ければ今度は攻撃を食らう。


 きっちり、組み立てている。


 この双子の姉の方は、やはりさかしい。

 固有スキルやステータス補正にとどまらない。

 ここまでの能力を備えながら――


「実に、惜しい……惜しかった。よい駒に、なりましたのに……」



 ヴィシスは――――逃げる、逃げる、逃げる。



 現状、防御に回ることしかできない。

 今は少しでも邪王素の発生源から離れる。

 再生力もそれで上がってゆくはず。


 根源なる邪悪――邪王素。  


 まったく忌々しい存在である。

 まず邪王素が濃い場所では神級魔法が使用できない。


 ”神命の炎球(ファイヤーボール)”一つ撃てなくなる。


 身体をぶつけながら、虫のように廊下を跳ね回るヴィシス。

 不格好ではあるが、今はこれが最善の逃げ手。

 着地。

 今いる建物と、隣の建物を繋ぐ回廊。

 石造りの回廊には窓があり、何も嵌っていない。


「…………」


 ヒジリの姿が、消えた。


「――しかし、秘蔵の黒紫玉こくしぎょくを使ってもこれですか」


 いいや、と思い直す。

 邪王素下でここまで動けるだけでも上々か。

 過剰に弱体化しているもののヒジリ・タカオに抵抗はできている。

 しかし――やはり根源なる邪悪に勝ち目はない。

 近づけば近づくほど、神族は人間以上に負荷が強まる。


 何より神族の攻撃が根源なる邪悪には一切通らないのだ。


 いくら動けても、どんな攻撃も無効化されてしまう。

 どんなに力のある神族でもこれは絶対である。

 ゆえに攻撃の通る異界の短命種に頼らざるをえない。


 ヴィシスは考える――


 この裏切りは、いつから計画していたのか?


 一人で考えたものなのか?

 支援者はいるのか?

 いる場合、女神抹殺案はヒジリ側からの提案だったのか?

 あるいは――たぶらかされたのか?

 時期を考えると……


「やはり接触者は、狂美帝の手の者ですかねぇ……」


 ”女神を倒す手段がある”


 とでも吹き込まれたのであろう。

 なぜ入り込んだミラの間諜を自分が見逃したのか?

 単純に――忙しすぎた。

 大侵攻前後からは特にである。

 役立たずのニンゲンの代わりに、自ら働きすぎた。

 結果、この近辺に入り込んでいた敵の間諜を見逃した。


「しかも、大魔帝がまさか直接乗り込んでくるとは……本当に、前代未聞ですねぇ……」


 やはり過去の根源なる邪悪とは違う。

 早期に学んでいる。

 この世界のことを。

 しかし侵入手段は?

 何を使った?


「…………」


 転移?

 しかし転移技術を生み出せるのは神族くらいだ。

 それにしたって、おいそれとポンポン作るわけにはいかない。

 また、他の神族がこの世界に来ていればわかる。

 が、来てはいない……。

 ゆえに、他の神族が関わっていることはありえない。


 未踏の地下遺跡。

 その中なら未知の転移技術があるかもしれないが……。

 大抵は装置のようなもので、地上へ持ち出しはできないようになっている。


「で、あれば……」


 今回の大魔帝は特例的に転移能力を持つ?

 否。

 であれば、先の大侵攻で使用していないのはおかしい。

 つまり大侵攻のあとに手に入れた”何か”と推察できる。

 残る心当たりは一つ。

 どこかで――


「転移石を、手に入れたか」


 しかしあれはここアライオンには存在しない。

 当然、魔術師ギルドにも所蔵されていない。

 希少品中の希少品なのだ。

 持っているなら、


「そう、あの忌々しい禁忌の魔女ならあるいは……あとは――」


 ヨナト公国か、ミラ帝国。

 ミラ――狂美帝。


「…………」


 まさか今回の大魔帝の襲撃、狂美帝の手引きだとでも?

 狂美帝が大魔帝に転移石を”あえて”流した?


「ふふふ……もしそうなら、心の底からどうかしています。また、ポラリー公が憤激しますねぇ……あー怖い……」


 さて、


「ヒジリさぁ〜ん? どーこでーすかー? このままだとわたくし、完璧に、再生してしまいますよ〜?」


 反応なし。

 逃げた――とは、考えにくい。

 ヒジリにとって今は千載一遇の好機のはず。


「と、いうことはー……」


 あの【グングニル】を再び撃てる時間が、近づいているわけだ。


 今の状態でアレをもう一度食らうのはまずい。

 落とされた右腕に、再生力を注ぐ……。


 右手を変形させた複数の枝刃しじんによる攻撃。


 ヒジリ・タカオは危なげなく対応していた。

 以前、似た戦い方を経験してきたかのような……。

 何か手本がある感じだった。

 手本。

 ヒジリ以上の戦闘能力を持つとすれば、二人。

 タクト・キリハラか、


「……アヤカ・ソゴウ」


 それにしても、他のS級勇者は何をしているのか?

 加勢に来る?

 ヒジリは他のS級の到着を待っている?

 となると、早めにヒジリを始末しなくてはならない……。


 しかし――正しい。

 今回はいやらしいほど正しい判断と言える。

 もし女神を始末したいと考えるなら、確かに今しかない。

 今以上の好機はもうあるまい。

 よくぞ決断したものだ、と欠片ほどだが賞賛を送る。

 思っていても普通、なかなか実行はできない。

 ヒジリ・タカオ。

 とてつもない精神力と言っていい。


「まあそれでも、所詮は風情ふぜいですけど♪」


 ヴィシスは移動した。

 追ってくるなら移動の気配があるはず。

 広い廊下に出る。

 先ほどヒジリと戦った場所と似た廊下である。

 今いる二階廊下の手すりの下に、やはり吹き抜けの広間がある。


 何人か痙攣し倒れているニンゲンがいた。

 いずれ死ぬのかもしれない。

 ニンゲンの命の儚さは、意外と笑える。


「追ってくる気配が、ありませんねぇ――逃げましたか。やれやれ……」


 本当に始末すべき勇者を、最も信頼していたとは。

 見下しすぎだったかもしれない、とヴィシスは塵ほどの反省をした。


「風情が……本当に人間は神の善意を無下にしてばかりです。あぁ、悲しい……ひっく、ひっぐ……悲、しいです……ぅ、うぇええ〜ん! 短命のカス種族が」


 再生が、進んでいく。

 

「まあいいです。この黒紫玉の力……実に、素晴らしい。こ、これで邪王素の弱体効果が消えたら……私は一体、どうなって――」


 その時、


 ギ、ィ……


 廊下に並ぶ戸の一つが大きく開いた。

 元々、半開きだったのだろうか。

 風か何かで、軋み音を立てたようだ。


「…………」


 


 横手。

 音もなく――



 ヒジリ・タカオが、迫っていた。



 そうか。

 あの軋み音。

 風の能力で、起こしたもの。

 今、ヴィシスは小さな音にも敏感になっている。

 それを察し、風を起こし音を立てた。

 自然に吹いた風のように見せかけて。

 ヴィシスが音に気を取られた、そのほんの一瞬――

 その刹那の間隙に、


 ヒジリ・タカオが、割り込んできた。


 しかし、とヴィシスは冷静に考える。

 接近していても気配がなかった。

 そうか。

 おそらく、かなり消せるのだ。

 あの風の能力で。

 音どころか――気配すら。

 あの固有スキル。


 小憎たらしいほど、応用範囲が異常に広い。


 やはり、S級。


 ヴィシスはやや無理をし、再生途中の腕の骨を一気に変形させた。


「ここここ小癪です! 小癪小癪小癪ぅう――う、うぅ……な、なんでこんな悲しいことをするのですか、ヒジリさん!? どうして、こんな――ッ!」


 骨の枝刃とヒジリの長剣が打ち合う。

 涙を流し、ヴィシスは切々と訴えかけた。


「どう、して――どうして神と人はこうも解り合えないのです!? どうして……ッ!? 殺すぞ、ガキ!」


 ヒジリの今の剣はただの長剣ではない。

 スキルで強力な風の刃をまとっている。

 ただしこちらも小さな裂傷は与えている。

 が、それも微々たる傷でしかない。

 枝刃の手数が、有利となっていない。


 ヴィシスの動きはやや鈍かった。

 理由は簡単。


 撃って、こないのだ。


 あの【グングニル】を。

 絶好の機会をうかがっているのだろうか?

 いや――そもそも、撃てるのか?

 ヴィシスは訝しんだ。

 実は……まだ、撃てないのでは?

 撃てると見せかけているだけで……。

 こちらがそれを警戒し動きが鈍るのを、狙っているだけなのでは?

 ヒジリの戦い方は、小癪の極みにあった。

 さりげなく邪王素のほうへ誘導しようとしている。

 が、それを嫌がって逆へ行けばヴィシスは不利な角度で攻撃を受ける。


「小賢しすぎます♪ し、死ねばいいのに!」


 小細工を積み重ねている。

 真正面からでは、神には勝てないから。

 弱体化している神にすら、勝てない。

 哀れな短命種。

 ただ一つ、問題があった。


 ヴィシスは、そのことで押され始めていた。


「ああもう! これはッ……大魔帝ですねぇ!」


 想像以上に、邪王素の弱体効果が強い。

 ヴィシスは後方を一瞥し――後退を、はじめた。

 ジリジリと、ヒジリの剣圧に押されていく。


「……くっ! こ、小賢しいぞクソガキぃいい!? 神を舐めているのですかぁぁああああ!? ぐ、ぅっ……!? あ――きゃあっ!?」


 重い一撃にて吹き飛ばされるヴィシス。

 またも跳ねるようにして、何度か、壁や手すりや天井に激しくぶつかり、最後に――


 ドンッ!


 廊下の手すりの壁に、背中からぶつかった。

 ヒジリの追撃――雰囲気が、違う。



 ヴィシスは、呟いた。

 ここで決めるつもりか――


 【】。


「ヒジリさん! ちょ、ちょっと待――」


 ヴィシスは、へ手を伸ばした。


 直後――ヒジリの動きが、止まる。



 ド、スッ



「――――」




「だ、だだ……♪ ?」




 刺さっていた。


 刃が。


 ヒジリの、腹に。


 剣の形をした”それ”が。


 グリッ


 ヴィシスは、そのの刃を動かし、ヒジリの内部を抉った。


 そんなヴィシスとヒジリのあいだには――


「あなたが風で音を鳴らした戸の、あの部屋……あそこは”彼女”に貸していた部屋でした。あなたが定期的に会っていたらしい、この、貴族の娘……」


 にこっ、と笑むヴィシス。



「すぐそこに、倒れていました♪」



 少し前、ヴィシスは後方に倒れていたその娘を発見した。

 その直後、後退をはじめた。

 吹き飛ばされた時もわざと派手に吹き飛んだ。

 そうして跳ね転がりながら、その娘のところを目指した。


 そして、ヒジリが決めにきた時である。


 ヴィシスは背後に倒れていたその娘をヒジリの方へ突き出し、盾とした。


 これによりヒジリは動きを止め、ヴィシスの隠し剣による突きをまともに食らってしまったのである。


 娘がヒジリの顔見知りだと、ヴィシスは知っていた。

 顔見知りどころか、交流を持っていた。

 ヒジリは定期的に国内の貴族たちと交流を持っていた。

 貴族に取り入って、魔導具やら何やらをコソコソ集めていたようだ。


 ヴィシスは、実はそれを知っていたのである。


「てっきり、大魔帝を倒すための準備とばかり思っていたのですが……まさか、神に刃向うためだったとは♪ 殺すぞ」


 ズルッ……


 ヒジリが後退し、刃から逃れた。

 彼女は黙ってヴィシスの方を見つめている。

 一瞬、ヒジリはヴィシスの手に収まっている剣へ視線をやった。


「ああ、これですか? これは、普段は柔らかくペラペラの紙みたいな状態なのです。しかし一定量以上の魔素を流すと、こうして硬くなって剣の形になるのですー♪ いざという時のための、隠し武器です♪」


 目を弧にし、ヴィシスは笑いを堪える表情をした。


「ずっとこの腕の枝刃しか使っていなかったので、私の武器は枝刃だけだと思い込んでいたでしょう? 武器を隠している様子もなさそうだと……ですが……この武器だけは、懐刀として常に持っているのです♪ それと……」


 ヴィシスは、平然と立ち上がる。


「ふふ♪ 私の逆上している演技とか、追いつめられている演技……どうだったでしょう? 真に迫っていたと、思いませんか? 実際、騙されたでしょう? ふふ、嘘か真かを判断できると言っても……そこに私の”本心”さえあるなら、過剰な演技をしているとまでは見抜けないようですねぇ? つまり嘘を見抜ける能力を逆手にとって油断させたわけですー。あー短命カスを欺くのは面白いのですー。な、何よりっ……ぷ、ぷぷーっ! ぷーっ! くすくすーっ!」


 白目を剥いて気絶している貴族の娘。

 その娘の襟を掴んだまま引きずり、一歩、ヴィシスは前へ出る。


「千載一遇の好機を、こ、こんな小娘一人の命で逃すなんてっ……しょ、正気ですかヒジリさん!? この娘が盾にされたのを認識した瞬間、明らかに慌てて攻撃を止めましたよね!? あ――あははははは! ひーおかしい! ああ、おかしい! ですが、実を言うと……」


 笑みを消し、ヴィシスは言った。


「あなたが真心を持った善人で、命拾いしました。ご苦労さま」


 でも、とヴィシスは続ける。


「今ぁ、どんな気分ですかー? ねぇ? 何か、言ってごらんなさい? ぷーくすくすっ……、――おい、聞いてるのか」


 ヴィシスは、能面になった。

 おかしい。

 笑いの方の”おかしい”ではない。

 異常の方の――”おかしい”。

 ヒジリ・タカオの、


「な――」


 


「なんだ、コイツ……?」


 ずっと表情に、ほぼ変化がないに等しい。

 焦る様子一つ見せないのである。

 腹の中を刃で抉った時だってそうだ。

 普通なら痛みに顔を顰めるはずである。


「しかし……痛みを感じては、いるようですね……表情も感情も確かにある。痛み自体を感じず、感情が欠落しているとかなら……まあ、理解はできます。しかしコイツは、すべてあるのに……それを精神力で抑制している? ……いえいえ、まさか」


 だがもし精神力だとすれば。

 ヒジリ・タカオの精神力は強靭を飛び越えて――異常の域。


 ぷんっ、と。

 ヴィシスは頬を膨らませた。


「そんなに反応が薄いと、勝った気がしないのですが? とっても、ひどいです」


 ただまあ、とヴィシスは続ける。


「ここまで私相手に頑張ったニンゲンは、歴代で見ても初めてと言っていいでしょう。そこは少しだけ、褒めて差し上げます――少しだけ。しかし……困りましたねぇ? その傷、かなり深いですよねぇ? あらあら、目に見えて弱々しくなってしまって……かわいそう」


 ヒジリが傷口を手で押さえ、膝をつく。


「あ! 表情に出なかろうと、所詮やせ我慢でしたかぁ……はぁ、がっかりですー」


 貴族の娘を、傍らに放り捨てる。

 回避に意識を集中させ、ヴィシスは、少し待った。


「…………」


 【グングニル】は――来ない。



「ふふ……やはり【グングニル】とかいうスキル、一度発動すると当面は撃てないスキルのようですね? 一日一回とかなのでしょうか? まあともかく、これで、あなたは――」



 枝刃を、振りかぶる。




終わりです(エンディング)

「―――【グング、ニル】」




 光が迸り――廊下に轟音が、鳴り響いた。


















     ▽




 ……、――シュウゥゥゥウウウ……




「……撃てたの、ですか」


 防御姿勢のヴィシスは、顔を守っていた腕を離す。


 ヒジリの姿は、ない。

 逃げたらしい。


「あの貴族の娘ごと吹き飛ばしていれば、勝てたかもしれないものを……あーあ、やはりニンゲン風情ですね♪」


 今回は、前回よりもヴィシスの傷は浅い。

 まず、一発目の時より邪王素から離れていた。

 何より黒紫玉で能力が格段に向上しているのが大きい。

 なので、防御と回避も十分間に合った。

 しかも、威力が落ちていた。

 威力を上げるには”溜め”のような時間が必要なのだろうか。

 いや……。

 それより有力な理由は、やはり――


 まだ距離の近かった貴族の娘が巻き込まれるのを、避けたためか。


「つくづく、甘い……」


 だがしかし、



 血痕が残っている。

 ヴィシスは血痕を辿り、ヒジリを追った。

 渡り廊下で立ち止まる。

 硝子の嵌っていない石造りの窓……。

 窓枠の下に、血が落ちていた。


「ここから飛び降りて逃げたのでしょうか? ん〜……いいえ〜……」


 この血痕は露骨すぎる。

 床をよく見ると、飛沫程度の血痕が廊下の先へ続いていた。


「逃げ切る体力がないので、一旦近場で身を隠すつもりですかー。あるいは、その間に私が大魔帝に倒されるのを期待しているのか……ふふ♪ 外へ逃げたと私に思わせ、実は城内に隠れている……灯台もと暗し、というやつですかー。つくづく、小賢しいですー」


 ヴィシスは、ニコニコしながら階段をおりる。

 血痕は一階の調理場に続いていた。

 調理場の収納棚。

 人が一人くらい隠れられる空間はある。

 一つの収納棚の前で、ちょうど血痕が途切れていた。

 この中だ。

 勢いよく取っ手を引き、開ける。


「お久しぶりですっ! ……あら?」


 いない。

 ……肉の焦げたようなニオイ。

 調理場なのだから当然といえば当然。


「いえ、ヒジリ・タカオはおそらく――」


 


 撒かれた血痕はすべて時間稼ぎのための”騙し”。

 実際は血痕を残さず逃げられたのだ。

 しかし――こんな小細工をする時間があるのか?

 こんな小細工に時間を使わず、すぐ逃げればいいのに。

 通常はそう考えるであろう。

 一見すると無駄な時間の浪費に思える。

 が、細工は風の能力を用いて数秒でやれるのではないか?

 あれほどの応用力を持つ能力である。

 できないと考えるのも、また愚かであろう。

 おそらく細工に要した時間は――思う以上に、少ない。

 よく見ると調理場だけではない。

 そこら中に騙しの”目印”が散らばっている。


「ヒジリ・タカオ――この期に及んでまったく、小賢しい娘……」













 ◇【高雄聖】◇



 聖は城外へ出ようとしていた。

 普通なら十河綾香のいる方へ逃げるのがセオリーであろう。

 女神は大魔帝がいるから近づけない。


 しかし女神なら、邪王素の発生源へ向かうルートに当たりをつけてくる違いない。


 が、それを逆手に――



「バァ!」



 女神が、目の前に現れた。


「よく……頑張りました。ですが、ここまでです」


 ふふ、と笑う女神。


「色々考えたのです。普通はそのままソゴウさんに助けを求めにいく――というか、大魔帝の方へ行けば私は近づくのが難しくなります。ただ……あえてそうせず、そのまま外へ逃げると考えていたら? この経路しか、ありません」


 その通りだった。


 ”聖は大魔帝のいる方へ向かう”


 女神なら、そう考えるだろうと踏んでいた。

 が、


「あなたは少し褒めてもいいほどには小賢しい娘です……で、す、が♪ 小賢しいとわかっていれば”裏をかくだろう”という予測も立ちやすいのですね♪ 賢い者ほど、実は意外と思考が読みやすいものなのですーっ♪ おまえの”小賢しさ”は、もう把握した」


 ここは女神の方が一枚上手だったようだ。

 ただ、そもそも――



 ここで十河綾香のところへ向かう選択肢は、なかった。



 失敗した場合、綾香を巻き込むのは避けねばならない。


 綾香との合流は、今やリスクと言えた。


 実は今回の裏切りの件、綾香はほとんど内実を知らない。

 伝えていないのだ。

 裏切りのことも、伝えていない。

 あのメモも……。

 綾香に出した指示は、裏切りには直接的に繋がらない。


 ”すべて高雄聖が自己判断でやったこと”


 こうなるように、動いてきた。

 失敗した時に、彼女の”可能性”まで奪ってしまうのは――驕りが、すぎる。


「しかしまあ、あの貴族の娘……私の見る限り、あなたに協力したのも根底に性欲があったからでしょう? かなわぬ恋、憧憬……それも所詮、性衝動の産物です。そんな欲望猿のために、あんな好機を逃すなんて……くすくす」


「……あなたは、人間をはなから愚かな種族と決めつけすぎている」


「え? 愚かでは? 愚かで滑稽で……哀れなほど、短命で。同じ愚を、何度も何度も……見飽きるほど、次世代でも何世代でも繰り返す。信じがたいほど、意地でも過去から学ぼうとしない。まれに賢人や才を持つ者がいても、どうせ欲望猿による数の暴力で磨り潰されてしまいますしね♪ ずっと人間は、愚かなままです♪ まあ、その方が管理しやすくて楽ですけどね♪ というか――人間の根本とはやはり、邪悪なのでしょう♪」


「私も含めて……この世すべての人間が清く正しい善、とまでは言わないわ。けれど……敬意を払うべき善意や矜持は、確かに存在する。それに、誰も彼もが愚かなわけでもない。そして……あなたの言うほど、それは、決して世の中において稀なものでもない」


 女神が、拍手する。


「ででで、出ました綺麗事です! 偽善! 無知! 見たいものしか見たくなーい! 聞きたいことしか聞きたくなーい! 信じたいことしか、信じられなーい――都合の悪いことはぜぇんぶその綺麗事とやらで蓋をして、本質から目を逸らし続ける! そして最後には息が詰まって、自殺するみたいにたくさんの人間が窒息していくんです……さようなら! 実に哀れで、もう、ずぅっと見せ続けられてきた人間の歴史です! こちらです! ニンゲンお得意の、綺麗事による哀れな現実逃避! こちら、今年も取り揃えておりまーす♪」


「私、は――」


「はいはい?」


「ニンゲンすべてに失望するほど、まだ、長生きしてはいない。そして……あなたこそ、目を逸らしているのではないの? なんでも”綺麗事”というラベルを貼って、ニンゲンの善――良性の部分を否定したがっている。けれど、残念ね……あなたの否定したい”善意”は、やはり確かに存在するものよ。何より私には……あなたの言う愚かさは、人間も神族も、大して変わらなく見える」


 聖はやや皮肉を込め、問うた。


「まさかあなたは、違うとでも?」


「え? どうしたのでしょう? 何いきなり議論しようとしてるんですか? も、もうあなた死ぬんですけど……」


「……【ウインド(ブリザード)】」


 氷の欠片がつむじ風で、集まって。

 爆ぜ、はじめる。


 パリン! パリンッ! パリィン!


 聖の固有スキル。

 

「あらあら、最後の抵抗ですか。さて……そのスキルで私の視界を阻害して、今度はどんな無駄な足掻きを見せてくださるのでしょう? 傷口を焼いたところで、傷の深さが消えるわけではありませんよー?」



 ――バシュンッ――



「……は?」



 女神の、背後。




 【壱號解錠(アンロックワン)】の超加速により、遠距離から、ここまで一瞬にて移動してきたのは――――――――




 




 聖が、言う。




「――――




「【雷撃ここに(ライトニング)巡る者(シフタ―)】……ッ」


 咄嗟に振り向こうとする女神。


「氷の破裂は視界を奪うためでなくッ……スキルのを破裂音で”上書き”しッ……完全に、聞こえなくするためのッ――」



 アンロックの果て――最後に再び錠は、おろされる。












「――――【終號、雷神(ロック、エンド)】――――」














評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
>「どう、して――どうして神と人はこうも解り合えないのです!? どうして……ッ!? 殺すぞ、ガキ!」 女神のセリフがなんか情緒不安定というか、不意打ちで笑わされてしまう
[一言] なんで魔帝をガン無視してこんな熱いバトルなんですか?
[一言] 情緒不安定で頭おかしくなりそう
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ