最後の一手、歪んだ合わせ鏡
◇【ジョンドゥ】◇
(蠅王……ここまで油断できない相手か)
蠅王は第六と偽ジョンドゥにまとめて呪術をかけた。
しかし、蠅王はそこで油断しなかった。
警戒を解かなかった。
あれで”勝った”と思い油断してくれれば、決まっていたのだが。
今、向こうも勝ち筋を探っている。
ある程度すでにこちらの能力も把握しているだろう。
しかし、こちらもわかってきた……。
呪術は発動までにいくつかの条件と段階を要する。
そして”今”のジョンドゥの速度に敵はついてこられていない。
攻撃に反応はできている。
が、身体速度が伴っているのはあの姫騎士のみ。
それも防御するのが精一杯。
先ほど第六の兵の血を使い目を潰した。
しかし、視界を失ってもあの姫騎士は対応できるらしい。
構え方に不安がない。
視界に頼らずとも、やれるわけだ。
幸いなのは、防御一辺倒なことか。
それから……。
あの蠅王のローブの中にはスライムが潜んでいる。
戦闘に秀でた魔物ではなさそうだ。
背後の感知役、といったところだろう。
ひとまず攻撃能力はないと見なしていい。
となると――やはり、どこかで呪術を仕掛けてくる。
狙っているのだ。
呪術を仕掛ける、その瞬間を。
何度かジョンドゥが攻撃を続けたあと、敵に動きがあった。
蠅王が姫騎士に何か声をかけた。
『俺に合わせられるか?』
『やってみます』
聞き取れたのは、そのくらいだった。
だが容易に推察は立つ。
何か、閃いたのだ。
斬撃が、交差。
ジョンドゥは瞬時に離脱。
敵から見ればこちらが転移しているように映るかもしれない。
攻勢は、続く。
その間、ジョンドゥは敵能力の把握に努めた。
敵の能力をはじめとして、
癖、
速度、
型。
様々なものを見極めようと攻勢で揺さぶり、それらを引き出していく。
「ピッ」
(……? さっきから――なんだ?)
姿を消しつつ、続けざま攻撃を繰り出す。
「ピピッ」
(?)
攻撃のたびに、スライムが鳴くのである。
刃と刃の衝突音が、澄んだ空気を打った。
今、姫騎士がジョンドゥの攻撃を防いだのだが――
(反応速度が……上がっている?)
攻撃、
「ピッ」
攻撃、
「ピピピッ」
奇妙な鳴き声が続いた。
どうもあの鳴き声……姫騎士の動きと、連動している。
(ひと鳴き……三鳴きまである……)
蠅王は何かを把握したのか?
こちらの攻撃の癖あたりを掴まれたか。
この短時間で?
攻撃を、続ける。
(――なるほど、わかってきた。やはりあの鳴き声は姫騎士の動きと連動している。あの鳴き声で、蠅王は姫騎士に”何か”を伝えている……)
姫騎士の反応速度がいよいよ目に見えて上がってきた。
このままだと、追いつかれかねない。
では、
(何を……把握された?)
わからない。
自分の癖とは、他者に指摘されないと意外とわからないものだ。
スライムの鳴き声……。
あの合図は”何を”伝えている?
ただ、わかることもある。
”あの鳴き声と姫騎士が連動している”
ということは、だ。
逆に、向こうはそのせいで動きを”定型化”させてもいる。
相手がこちらの動きに連動する、ということは。
こちらも相手の動きを把握しやすい、ということ。
そこに、
空隙をつく糸口が生まれる可能性がある。
……向こうの狙いも、わかってきた。
蠅王はこちらの癖なり攻撃の型なりを掴んだ。
スライムの鳴き声を合図とし、姫騎士を動かしている。
『俺に合わせられるか?』
とは、つまりはそういうこと。
あの合図が積み重なっていくことで、敵は対応力を増していくのだ。
「…………」
が、わかっている。
スライムと姫騎士の連動はあくまで、布石でしかないことを。
ジョンドゥはずっと観察していた。
蠅王を。
本命は、呪術。
確実に決めるなら呪術しかない。
真に警戒すべきは、やはりあの蠅王だ。
スライムと姫騎士の動きに気を取られているところへ、別の何かを仕掛けてくるはずなのだ。
わかる。
自分たちは”同じ”なのだから。
(しかし……どうする? どうやって、このわたしに呪術をかける?)
呪術の発動には最低三言……。
そう、三文字分の発声が必要と思われる。
しかも”認識”し、かつ、こちらへ腕を向けている必要があるらしい。
この性質を把握してしまえば戦い方は簡単とも言える。
呪術の性質に合わせた速度で動けばいい。
何より、敵は見誤っている。
すでに、こちらの術中にハマっている。
そう、
布石を打っているのは、こちらも同じ。
これまでの攻撃……。
実は、ジョンドゥの”最高速”ではない。
今までの攻撃が、すべて布石となっていたのである。
”これまでの攻撃がジョンドゥの最高速である”
敵にそう思い込ませるため、特に、この数回に限っては速度を抑えて攻撃を続けていた。
初撃時は無理だった。
しかし”今”なら、もっと速度を出せる。
なぜか?
数分前から、いよいよ嘔吐感と眩暈が鎮まってきているからだ。
だから――今なら”最高速”を十分に出せる。
が、あえて”最高速”を出せる状態に回復しても、ジョンドゥは、ずっと初撃時に近い速度で攻撃を続けていた。
最善の一撃で、確実に決めるために。
勝負の刻は――近い。
問題は、蠅王がどこでどのように呪術を使ってくるか。
こちらにどうやって呪術をかけるつもりなのか。
マスクを被っているため、その表情は読めない……。
危なかった、と安堵する。
同質だからこそ、わかった。
同じとわかったからこそ表情が読めずとも”読める”。
手にとるように敵の考えがわかる。
ある意味、現在進行形で蠅王と思考を同期できる。
わかる。
蠅王の、その危険さが。
「セラス」
蠅王が、言った。
「ここからは完全に俺に合わせろ」
「承知、しました」
「セラス・アシュレイン」
「はい」
「俺のために……命を捨てる覚悟は、あるか?」
「はい、もちろんです」
腕を突き出し、蠅王が、構える。
「おまえの覚悟に、感謝する」
(…………)
ジョンドゥは姿を消したまま、蠅王をジッと見据えた。
何か狙っているのは、わかる……。
油断は禁物。
見逃さない。
その、一手を。
その、思考を。
その時、完全に……
嘔吐感と眩暈感が、
消えた。
ジョンドゥは、
これが最後の一手となるであろう攻撃を、仕掛けた。
▽
内心、ジョンドゥは感嘆した。
そういう、ことか。
蠅王。
認識される距離へ飛び込み、ジョンドゥは攻撃を繰り出す。
そして剣を振るおうとした瞬間、ジョンドゥは――
すべてを、理解した。
姫騎士の剣で”防御”された場合、
”剣身同士が衝突した時点で、ジョンドゥはほぼ同時に離脱を行う”
ゆえに蠅王の呪術は間に合わない。
呪術名を言い終えた時点でジョンドゥはすでに姿を消している。
紙一重で、間に合わない。
が、斬り伏せたなら?
間に合うと、踏んだのだ。
セラス・アシュレインに防御の気配がない。
防御の初動が、ない。
このまま――斬られるつもりだ。
蠅王に呪術を決めさせるために。
肉を斬らせて、骨を断つ。
仲間を斬らせて――敵を、断つ。
”定型化した型を崩す”
これは不意を打つ行為である。
ゆえに、相手から隙を引き出しやすい。
蠅王はここで”防御”という”定型”を崩してきた。
が、驚かない。
何度でも心の中で呟く。
わかっている。
ああ、わかっているさ。
おまえとわたしは”同じ”なのだから。
ジョンドゥは、時が停止したかのような感覚状態の中――
もう一人の”自分”を確と見ている。
わたしたちは――そう、俺たちは。
”仲間”を簡単に切り捨てられる冷酷さを、持っている。
『俺のために……命を捨てる覚悟は、あるか?』
先ほどの蝿王の言葉。
その通り。
わたしたちは、そういうやつだ。
姫騎士を犠牲にしてでもおまえは呪術を決める。
わたしが第六の者たちを犠牲にし、おまえの呪術を観察したように。
が、しかし。
蠅王……おまえは、不幸を呪うしかない。
このジョンドゥと”同じ”だったことを。
ゆえにおまえはその策を――思考を、読まれた。
この間、実に、一度の瞬きにも満たず。
敵の狙いをほとんど脊椎反射的に察知したジョンドゥは、すでに攻撃対象を、蠅王へと絞っている。
「【ダ――
見破った。
お前の作り出すはずだった空隙は、生まれない。
姫騎士にはフェイントを入れる。
そして本命の蠅王へ最後の剣撃を、浴びせかける。
――ザシュッ――
「――――――――――――――――」
?
なん、だ?
斬ら、れた……?
この、速度――
――ーク】――【パラライズ】……ッ!」
離脱。
離脱、を――
「――――」
動、けない。
(そうだ、あの呪術は確か……体の動きを、奪う……)
そうして、ここで。
ようやくジョンドゥは”それ”に、意識を注ぐ。
姫騎士。
「ようやく――――捕えた」
蠅王のそのひと言は、重荷でも、おろすような調子で。
「最高速の、温存……そいつをやってたのはテメェだけじゃなかったってわけだ。何より、テメェは……」
血を迸らせるジョンドゥを見据えながら、蠅王が言う。
「目論見通り――もう”俺”のことしか、考えられなくなっていた」
◇【三森灯河】◇
途中、俺は気づいた。
ジョンドゥの意識が、やたらと”俺”にばかり向けられていることに。
攻撃を防いでいるのはセラスだ。
しかし常に意識を注いでいるのは”俺”の方に見えた。
つまり俺が何か仕掛けてくると思っている?
裏を返せばセラスを”盾”としてしか意識していない。
言い換えれば、”剣”とは思っていないわけだ……。
また、セラスの微細な変化にも俺は気づいていた。
少しずつジョンドゥの攻撃に慣れてきている。
反応速度が上がっているのだ。
俺は策を練るのにリソースを使っている。
が、セラスはジョンドゥとの直接的な攻防にすべてを注げている。
このかすかな予兆に、ジョンドゥは気づいているだろうか?
セラス・アシュレインの、この天才的な戦闘センスに。
あの三人――
当初あの”人類最強”が将来の宿敵として期待を寄せ。
最強の血闘士イヴ・スピードが天才と評し。
四戦煌最強のジオ・シャドウブレードが、異質と評した。
この、ハイエルフの姫騎士の戦才に。
セラスはあのシビト戦から”開花”と呼べるレベルで成長している。
派手さこそないかもしれない。
が、陰ながら活躍し、その才を異様な速度で花開かせていた。
セラスは俺と経てきた激戦にずっとついてきたのだ。
ついてきて、くれた。
五竜士。
アシント。
金棲魔群帯。
金眼の魔物。
人面種。
大魔帝軍。
勇の剣。
共に、潜り抜けてきた。
この副長に……賭けて、みるか。
途中、俺は賭けに出ることを決意した。
まずジョンドゥが姿を消している時、セラスに声をかけた。
ごく小さな声量で。
敵の認識阻害は約五メートル内で無効化される。
逆に言えば、五メートルは常に距離があるわけだ。
なら、ヒソヒソ話レベルなら聞かれる危険が少ない。
それに【スロウ】から逃れて姿を現した、あの時……。
かなり慎重派らしく、大分距離を取っていた。
さらに、ジョンドゥの攻撃の間隔も次第に掴めてきていた。
攻撃間隔は一見ランダムに思える。
が、意外と次の攻撃までにはそれなりの時間があるのだ。
攻撃後、何か思考していると思われる。
敵は攻撃を繰り返すことで何かを測っているのだと思われる。
で、あれば……。
聞かれる危険をそれなりに排し――
セラスに”内緒話”をする時間を、作れる。
射程を気にし距離を置くことを”逆手”に取れる。
この”内緒話”は俺が一方的に伝えるのみ。
マスクだから口もとが動いているかは目視だとわからない。
セラスはマスクを外している。
会話のためにここで着用するのは不自然だろう。
だからセラスの着用はやめた方がいいと判断した。
時おり、セラスは声を発しない合図で返答した。
普段やっている真偽判定の時と似たようなやり方だ。
セラスも、すぐにそれらを了解してくれた。
このあたりはもう、阿吽の呼吸と言っていい。
そしてこの方法で”最高速”を隠す案も伝えた。
最高速の一撃に賭けたい、とも。
『どうもあいつは俺にぞっこんらしい……試してみる価値は、あると思う。大丈夫だ。お膳立ては、してやる』
セラスは”了解”の意を示す。
が、セラスから一抹の不安感が見て取れた。
『そう気張るな……失敗してもいい。その時は、次の手を考える。ただ……俺は賭けてみたい。あのシビトが、イヴが、ジオが認めた――そして、この俺が本物と感じる……おまえの、その戦才に』
このひと言で、セラスの不安は消え去った。
覚悟が、決まったらしかった。
『何度でも言ってやる。おまえは、最高の副長だ』
ここからピギ丸の鳴き声をフェイクとして使った。
敵がピギ丸の声に気を取られてくれればいい。
小声でのセラスへの指示からも、いくらか気を逸らせるかもしれない。
それから、もう一つ……。
俺はローブの中で、指を使ってピギ丸に指示を出した。
1〜3回の鳴き声。
セラスの動きに合わせて鳴くよう、指示を出した。
そう、
セラスがピギ丸の鳴き声に合わせる、のではない。
しかし、敵がこう勘違いしてくれれば御の字だ。
ピギ丸の鳴き声にセラスが合わせている、と。
が、実際は違う。
セラスが自らのセンスで、敵の速度に適応していっているだけだ。
俺が何かを読み取っているわけじゃない。
鳴き声に、合図の意味など何もない。
が、こうすることで敵は”俺”が何かを読んでいると思うはず……。
より”俺”へと、意識を向けさせることができる。
要するに今回の策の目的は、
”いかにセラスから敵の意識を外させるか”
セラスへの認識を阻害する。
これも、ある意味”認識阻害”と言えるか。
また、俺はずっとさりげない演技も織りまぜていた。
超然とし、何かを狙っている雰囲気を出し続けた。
”セラスではなく、俺が決める”
という雰囲気。
が、露骨にではない。
あくまで”それを隠しつつ”の雰囲気を装った。
そして、ここまでの情報から俺は敵の人物像を分析していた。
敵はおそらくちゃんと思考するタイプ……。
慎重派で、相手の思考の裏まで読もうとするタイプだろう。
なら、
”セラスとスライムのアレは、本命の蝿王が何かするためのフェイク”
そんな結論へ思い至る可能性は高い。
しかしそれこそが、落とし穴となる。
そう。
これはいわばカードゲームの”伏せカード”みたいなものだ。
人は伏せたカードがあると、
”何かある”
そう思って伏せたカードに気を取られ続ける。
要するに、俺は”伏せカード”を演じ続けたわけだ。
他にも、色々とジョンドゥが勘違いしてくれそうな”餌”を撒いた。
そうすることで、ジョンドゥは、意識リソースのそのほとんどを俺に割くことになる。
セラスが”最高速”を隠していると、思い至ることはなく。
あるいはヤツの価値観では、俺がセラスを犠牲にしてでも勝利をもぎ取ると読むかもしれない。
第六を平気で見捨てたヤツだ。
十分ありうる。
だから、
『俺のために……命を捨てる覚悟は、あるか?』
あえてジョンドゥに聞こえるよう、こう言った。
そしてこの時――すでに、決めの一撃の準備は整っていた。
ここからは”完全に”俺に合わせろ。
この時の、
”完全に”
という一語。
これこそ事前に伝えていた、
”決めにいけ”
という合図。
”次の一手はセラス自身の判断で攻撃に転じろ”
という合図だったのである。
ここでセラスは今までの完全防御態勢を崩すこととなる。
敵はこう思うかもしれない。
”あえてセラスを斬らせることで、繰り返したパターンを崩し、そこに生じた空隙をついて呪術をかけにくる”
と。
結果、
最後はどうやら――すべてが、噛み合ったらしい。
ほぼ意識外にあったセラス・アシュレインが、
重ねた攻防によって敵の動きに適応した姫騎士が、
ジョンドゥ以上の最高速をもって、
斬り伏せた。
セラスが斬られる以上に、これはジョンドゥの意識を乱したらしい。
さらに、斬られた傷は深い。
となれば当然、お得意の離脱も――
「【ダーク】」
遅れる。
最速スキルが、まず間に合う。
あの傷ではもはや意識集中ができないようだ。
それでもどうにか、ジョンドゥは離脱しかけるも――
俺はしっかり、認識できる。
逃が、さない。
負傷と動揺のせいか離脱速度にも以前のキレがない。
なら20メートル離れる前に、
「――【パラライズ】……ッ!」
――――ピシッ、ピキッ―――
決まる確率も……遥かに、高い。
そして、
「ようやく――――捕えた」
ああ。
ある意味その通りだ、ジョンドゥ。
最後は、俺が決める。
ある意味、嘘じゃない。
なぜそこまで俺だけを意識したのかは、わからない。
なぜそんな能力がありながら一旦この場を離れなかったのかも、わからない。
が、
「最高速の、温存……そいつをやってたのはテメェだけじゃなかったってわけだ。何より、テメェは……」
おまえの敗因は、
「目論見通り――もう”俺”のことしか、考えられなくなっていた」
それだ。