七歳②
ジゼルと家に帰り、こっそりと二階に上がる。
神託札を勝手に持ち出していたことがバレたら、両親からこっぴどく怒られてしまう。
元の位置に戻してから一階に降りて戻り、父の帰りを待つ。
父は狩りや害獣退治、村の重役会議などなど忙しいため、夕方ごろになるまで基本的に家には帰って来ない。
ジゼルが積み木を積み上げるのを見守りながら、俺はイーブの実を齧っていた。
イーブの木は、集落の外れに並んで生えている。魔術修行に行ったついでに採ってきたのだ。
イーブの実は甘くてなかなか美味しい。
夜の食事はまだなので母にバレれば怒られてしまうだろうが、これくらいは許してほしい。
マーレン族は、朝と夕にしか食事を取らない。
この一日二食制度に、俺はまだ馴染めていなかった。
「にいさま、私もそれ、食べたいです」
ジゼルが積み木を持つ手を止め、俺に声を掛けてくる。
「駄目だ。晩飯が入らなくなるだろう。残しておいてやるから、食後にしろ」
ジゼルは物凄く何か言いたげな目をしていたが、小さく頷いた。
「……はい」
うむ、素直でよい。
玄関が開く音が聞こえてきた。
父が帰ってきたらしい。早速、魔術の師匠について相談してみるか。
俺はすっと立ち上がり、玄関へと歩く。
俺の後ろを、とてとてとジゼルがついてくる。
「父様、おかえりなさい」
「とうさま、おかえりなさい」
「うむ、アベル、ジゼルよ、遅くなってすまないな。すぐ飯にしよう」
「父様、少しお訊きしたいことがあるのですが」
「どうした?」
俺は魔術本のあるページを開き、父の前に突き出す。
「この火球を飛ばす魔法陣と水球を飛ばす魔法陣、部分的に図形が酷似していますよね。この異なっている部分の意味的な違いが知りたいのですが」
別に知りたかったのはこの部分ではないが、これに答えられるかどうかで父の魔術の程度を測りたかったのだ。
「最近オーテム作りが落ち着いてきたし、それによく森で遊んでいると聞いているからアベルも子供らしくなったものだと思っていたが……まさか、まだ魔術の練習をしていたとは」
父は唸るように言い、頭を押さえる。
昔は俺がオーテムを作っているだけで喜んでいてくれたものだが、いつからこんな扱いになってしまったのか。
確かに俺も、七歳になる自分の子供が勉強しかしなかったら少し不安になるかもしれないが。
「それで、この違いは何なのですか?」
「アベル、お前にその本はまだ早い。呪文や魔法陣を扱えるようになるのは、成人を迎える頃からだといわれている。それまでは、こんなものを読まなくともよい」
父が本に手を伸ばしてくる。
俺はさっとそれを避け、胸に抱え込む。
「とうさま、にいさまはすでに呪文も魔法陣もむぐっ」
俺はジゼルの口を手で覆う。
危ない、危ない。
父が俺の魔術修行を良しとしないのは、俺の魔術に対する熱意に異常なものを覚えてのことだろう。
ここですでに呪文も魔法陣も使えるのだと言ってしまえば、余計に父の不審感は悪化する。
「自分は将来、一流の魔術師になりたいのです」
「大丈夫だ。お前の歳であれだけのオーテムを作り上げることができるのだからな。素質は充分にある。そう焦らなくてもよい」
ええい、焦れったい。
父を魔術の師匠にするのは駄目そうだな。
普段狩りに出ているからあまり時間が取れないし、それに父の魔術のレベルは俺とそこまで大差ないように思う。
「……それに、魔法陣の意味など理解しなくともよい。魔法陣の解明、改良が行えるのは、膨大な知識量を持った賢者と呼ばれるものだけなのだ。元来、多くの魔術師は既存の魔法陣を覚え込んで魔術を扱うものなのだ」
……俺としては、そこを教えてもらいたいんだけどな。
今の知識量だけでは、できる修行も限られてくる。
例えるなら、今の俺は延々と算数の教科書だけを読んでいるようなものだ。もっとしっかりとした数学の書物が欲しい。
「賢者といえる人は、この村にはいないのですか?」
「いないということはないが……族長様だけだ。それに族長様も、自分で魔法陣を組むよりも従来のものを使った方がいいと言っている。そっちの方が安定するし、魔力消耗も少ないとな」
よりによって、族長かぁ……。
怖くておっかない爺さんだ。
本人曰く百五十歳であるらしいが、七十歳程度の外見にしか見えない。
ぶっちぎりでこの村の最高寿命を誇っている。どうやら魔術で老化を遅らせているらしい。
身体もまだまだ元気であり、しょっちゅう怒鳴り声を上げている。
族長は村の会議や儀式等の行事以外ではほとんど屋敷を出ない。
だが十年近く前に村近くまで危険な魔物が入り込んで来たとき、お供を連れて森へと向かい、その魔物を瞬殺したという噂を聞いたことがある。
確かにあの人が村で一番魔術に精通していそうだ。
それに、族長の孫娘(正確には子孫。何世代間に挟んでいるのか、俺は知らない)であるフィロが俺は苦手だ。
顔を合わせればやたらと突っかかってくる。
こっちは魔術修行と妹の相手で手いっぱいなのだ。
いや、しかし、確かにあの族長ならば時間も取れそうだ。
それに本だっていっぱい持っているだろう。百五十年生きてきた知識もある。
師匠としてはこの上なく適任に思える。
早速、明日にでも族長の屋敷へと向かってみることにしよう。
「なんだ、そんなものなのですか。てっきりもっと色んなことができるのかと思っていました」
俺は落胆したように言い、首を小さく振る。
「あ、ああ、そうだ」
「てっきりミートパイをぽんっと生み出せるものかと……」
俺は手をワキワキとしながら言い、それからわざとらしくがっくりと肩を落とす。
「はぁ……残念です。魔術って何の役に立つんですか。せいぜい儀式を滞りなく終わらせるくらいですか、そうですか」
父は目を点にし、俺を見ている。
ここまで言ったら後で怒られてしまうだろうか。
しかし中途半端に疑いが残っても嫌だし、ここは徹底的にやった方がいい。
もうひと押ししてみよう。
「ああ、父様、さっきこれを取ろうとしていましたが、何かに使うのですか? いやぁ、片付ける手間が省けてよかったです。これ、もういいんで。書いてあることさっぱりでしたし」
俺は押し付けるように魔術の本を父へと向ける。
父は我に返ったように「じ、自分で片付けなさい」とだけ言って居間へと歩いて行った。その背中はなんだか、いつもに比べて少しだけ小さくなっているような気がした。
今まで魔術に熱心だった息子が急に手のひらを返したから、がっかりしているのかもしれない。
扱いが難しい父だ。
まぁ、いい。
これでしばらくは父を誤魔化せるだろう。